▼第4の手紙〔僕→ブンガ〕
前略。
この間は懇切丁寧な手紙をありがとう。さすがに言語学を齧ってる人間は発想
が違うもんだね。感心してしまいました。
確かに、彼女の手紙には「物」ではなくて「もの」と書かれていました。
「P.S. 私があなたに貸したものは全部郵送してください。」
って具合。そこから考えてみれば、君の言う通り、彼女が意味してるのは具体
的な物体じゃなくて何かしら抽象的なものなのかもしれない。──お金とか、精
神的な何かとかね。「手を貸す」「知恵を貸す」なんて慣用句もあったっけね。
そう思って、いろいろと考えてみました。結構真剣に考えていたので、つけっ
ぱなしのTVから、あのけったくそ悪い、山下達郎の「クリスマス・イブ」が流
れていたのにも気づかなかった。つい油断して、フルコーラス聞いちまったよ。
──この時期に振られて聞くと腹が立つ曲だね、実際の話。
さて、それで考えてみたんだけれど、やっぱり思いつかないんだ。僕は彼女と
出会ってから喧嘩するまでの記憶を隅から隅まで洗い直してみた。──だけど、
思い当たることがない。抽象的だろうが具体的だろうが、僕には彼女から何か借
りた覚えがないんだ。
それで結局、僕は諦めることにした。使い慣れない頭を使って、少し疲れちま
ったしね。
だけど、人から何か借りたままの状態ってのはどうにも居心地が悪いもんだよ
ね。だからこそ、僕は部屋の大掃除も兼ねて彼女から借りた「物」を探そうとし
たんだし、君に手紙で相談もしたわけだ。基本的に、僕は人から何かを借りたま
まじゃ気が済まない性格なんだ。
だから、諦めることにしたのには僕なりの理由があるんだ。僕なりに納得した
っていうことかな。
僕は、大掃除が終わって妙に整然とした部屋(僕の部屋じゃないみたいだ)で、
彼女との思い出を辿った。そして今さらながら、失ったものの大きさを思い知っ
た。結局僕が悪かったんだし、後戻りはできないんだけど、後悔せずにはいられ
なかった。正直、結構な痛手だったよ。「クリスマス・イブ」に聞き入っちまう
くらいにね。
欠落感、っていったらいいのかな。心のどこかにでっかい穴が開いたような気
がした。自分が自分じゃなくなったような、おかしな気分だったよ。──部屋を
片づけ、思い出を辿っていって、僕はようやく自分自身の孤独感に気がついたん
だ。
そして、ふと思いついたんだ。──これは、彼女の策略じゃなかろうかってね。
策略、って言葉はあんまりいい言葉じゃないね。言葉に厳しい君には叱られち
まいそうだ。だけど、僕の中じゃその言葉が一番しっくりくるんだ。悪いニュア
ンスじゃないんだよ。──ちょうど、彼女が意地悪くほくそえむ顔が好きだった
みたいにさ。
まあとにかく、はっと思い当たった瞬間、僕の脳裏には彼女のほくそえんだ顔
が浮かんだんだ。してやられたって感じかな。
考えてもみろよ。彼女に振られて、がらんとした部屋で彼女との思いでを辿る
なんて、僕が絶対にやりたくない種類の行為だぜ。しかもBGMは山下達郎とき
たもんだ。今こうしてこの手紙を書きながらも顔が赤らんじまうよ。
つまりさ、これは多分、彼女の復讐だったんだ(復讐って言葉も良くないな。
だけど、悪い意味じゃないんだ)。──この間のことは結局僕が悪かったんだし、
こういう結果に終わって、彼女がいい気分でいる訳がないんだ。彼女なりの鬱憤
ばらしってとこかな。
思わず赤面しちまうような、死んでもしたくないような種類のことを、僕は自
分からしちまったんだ。そのことを知ったら、彼女はさぞ痛快なことだろうね。
──ほくそえんだ顔が目に浮かぶようだよ。
確かに悔しいけど、そんなに悪い気分じゃないよ。彼女があいかわらずだなっ
て思うのも、なかなか悪くない。──そういうところ、好きだったしね。
まあとにかく、いろいろ心配してくれてありがとう。お騒がせしました。──
今度会うときは(春休みになるのかな?)、パーッと飲み明かそうぜ。
草々
12月25日
P.S. 彼女には、この手紙のコピーを郵送しようかと思ってる。
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