シェイクスピアの劇と映画/アラベスク (2)  2001年3月28日設置  2002年6月20日更新
              池田 博明 


 シェイクスピアの目を通して人生を見ることは、人生のすべてを見ることである。
   − ジョン・ウエイン『シェイクスピアの世界』序文より


 

『史  劇』 トライロスとクレシダ ウィンザーの陽気な女房たち 間違いの喜劇 ヴェローナの二紳士 アテネのタイモン
ヴェニスの商人 終わりよければすべてよし じゃじゃ馬ならし 恋の骨折り損 夏の夜の夢 ロミオとジュリエット
シンベリーン ペリクリーズ から騒ぎ お気に召すまま 尺には尺を 冬物語
十二夜 『四大悲劇』 (ハムレット、オセロ、マクベス、リア王) あらし
恋におちたシェイクスピア BBCシェイクスピア全集

●データ、△引用。シェイクスピアの映画化だけでなく、関係する映画もとりあげる。

       映画 『じゃじゃ馬ならし』    池田博明

 (1) ゼッフィレッリ監督の映画 『じゃじゃ馬ならし』 
 ゼッフィレッリが最初に映画化したシェイクスピア作品(バートン・ゼッフィレッリ・プロ、1967年)。
△1964年にリズとバートンが、映画『いそしぎ』の撮影でフランスに来ていたとき、ゼッフィレッリ演出の『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の舞台稽古を見た。 それが主演者二人とゼッフィレッリの知己の始めだった。ロンドンの制作者デニス・ヴァン・タールがダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの『じゃじゃ馬ならし』 (1929年)を再映画化する提案をして、実現したものだという。

  原作通りの笑劇として演出されている。冒頭、喧騒の街でヴェールを取ったひときわ目立つ美人に学生ルーセンシオ(この役で抜擢されたマイケル・ヨーク)の目は釘付けになる。ビアンカである。ビアンカを演じているのはナターシャ・パイン。ところが、その後にそれ以上の美人を登場させなければならない。それがエリザベス・テーラーである。リズの登場するシーンはきわめて印象的で、街から帰って来る妹ビアンカを、家の窓からじっと見る彼女の目である。ペトルーキオ役がリチャード・バートン。

△ 『ゼッフィレッリ自伝』によれば、“撮影がすべてスタジオで行なわれたことによって、時代がかった言葉と調和する非現実感が生み出された。 レンツオ・モンジャルディーノの手で堂々たるセットがデザインされ、衣装はダニーロ・ドナティが担当した”、 リズとバートンは“オスカーを獲ったこともある衣装デザイナー、イレーヌ・シャラフを連れて来ていた”。 最終的妥協案として、“リチャードはダニーロの衣装を、リズはシャラフの衣装を着ることになった”。
  リズの親友モンゴメリー・クリフト死亡の悲報が入って、リズは狂乱状態になった。モンティの葬儀の時間、リズは突然わっと泣き出した。 泣き終わった後、彼女は演技を続けた。その日の撮影は喜劇的場面で、ペトルーキオがカタリーナに、月や星や太陽について、どんなに滑稽でも自分の言ったことに「はい」と言わせる場面である。 “いつもどおりワン・ショット・リズはすべてを完璧に演じ、映画の中で最も滑稽な場面の一つになった”。
  最後の場面でカタリーナが全女性を代表して全男性に服従を誓う場面がある。“普通は女優が観客に片目をつぶって見せ、 「私たち、本当は誰がうわ手かわかってますよね」という感じで台詞を言う。驚いたことにリズはその手はまったく使わず、そのまま素直に演じたのだ”。 “彼女は心からそう言ったのだ。ウェールズ人の気性を持つリチャードは深く感動した。彼は涙をふいていた。「いい子だ、その言葉を実行してもらいたいね」   彼女は彼の目を正面から見つめた。「もちろん、言葉ではあんなふうに言えないけど、心ではそう思っているのよ」”。

●撮影監督オズワルド・モリス、音楽はニーノ・ロータ。妹への求婚者ホーテンシオ役ヴィクター・スプネッティ、老人の求婚者グレミオ役アラン・ウエッブ、資産家バプティスタ役マイケル・ホーデーン、ルーセンシオの従者トラニオ役アルフレッド・リンチ、ペトルーキオの従者グルミオ役シリル・キューザック、ボンデーロ役ロイ・ホールダー、ルーセンシオの父ヴィンセンシオ役マーク・ディッグヤム、未亡人役バイス・ヴァロリ。この映画は日本公開当時、高校生だった私の弟が見て、その面白さを話してくれたことを記憶している。

 (2)メアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスの『じゃじゃ馬ならし』(1929)は、登場人物を減らし、原作をかなり短縮している。ルーセンシオは省略され、ビアンカの挿話はカットされていた。
  ペトルーシオ(ペトルーキオの英語読み)の屋敷で食事を与えられず、寝室に退いてしまったキャサリン(カタリナの英語読み)は、偶然、彼の策略を聞いてしまい、怒らせようとするその手にはのるまいと意地を張る。その結果、従順にふるまうこととなる。最後の場面の、妻は夫に従順にというキャサリンの演説も、言いながらそっとビアンカに目配せする。ペトルーシオは妻が突然聞き分けがよくなったので、やや戸惑いながらも得意満面だが、この勝負、キャサリンに主導権を握られてしまったことを示唆して幕となる。
● 脚色・監督はサム・テイラー、撮影はカール・ストラッス。資産家バプティスタ役エドウィン・マクスウェル、その娘ビアンカ役ドロシー・ジョーダン、求婚者ホーテンシオ役ジオフリー・ワーデル、その友人グレミオ役ジョセフ・コーソーン、ペトルーシオの従者グルミオ役クライド・クック。

 (3)ミュージカル 『キス・ミー・ケイト』は『じゃじゃ馬ならし』の翻案である。1948年12月30日からニュー・センチュリー劇場で1077回上演された。台本はベラ・スピワックとサム・スピワック、14曲の作詞作曲はコール・ポーター。1953年に映画化された(ハワード・キールとキャスリン・グレイスン、アン・ミラー主演、監督ジョージ・シドニー、109分)が、日本では1987年にようやく公開された。ホーテンシオ役で振付師のボブ・フォッシーが出演。アメリカでは、ビデオが発売されているし、CDも販売されている。
  タイトルに重ねて序曲。ミュージカル・スターのフレッド・グラハム(ハワード・キール)の許にコール・ポーター(ロン・ランデル)が来る、続いてグラハムの以前の恋人リリー・ヴァネッシ(キャスリン・グレイスン)が尋ねてくる。“So In Love(愛に満ちて)”の二重唱。そこへもう一人、半裸のロイス・レイン(アン・ミラー)が楽団を引き連れて来る。ロイスをビアンカ役に当てる予定のコール。ロイスは“Too Darn Hot”を歌い踊る。この踊りは素晴らしいものである(もとの舞台では別のところで男声で歌われていた)。レインはシェイクスピアを演ずると聞いて、おどけて『ジュリアス・シーザー』のアントニーの演説の冒頭「Friends,Romans,Countrymen」を語ったりする。リリーをキャサリン役に当てるものの、フレッド(ペトルーシオ役)とリリーの仲がぎくしゃくしてくる。
  劇中劇としてミュージカル『Kiss Me Kate(じゃじゃ馬ならし)』の公演が始まる。“Tom,Dick or Harry;Marry me(僕と結婚して)”はビアンカへの求婚の歌で、三人の男ルーセンシオ(トミー・レイル)、グレミオ(ボビー・ヴァン)、ホーテンシオ(ボブ・フォッシー)とビアンカのタップが見せ場になる、勢いのいいダンス・ナンバー。グラハムとリリ−の“Wunderbar”(=Wonderfulという意味のドイツ語)や、“I’ve Come To Wive It Wealthily In Padua”(ペトルーシオの自己紹介の歌)がある。“I Hate Men(男なんて嫌い)”はキャサリンの自己主張の歌である。
 実際の行き違いが舞台の劇の進行と重なって、主役二人の争いは演技を超えた本物となる。観客はそれを迫力満点の演技と思い込み、大喝采する。ペトルーシオのセレナーデがある。家の中でペトルーシオが自分の意図を歌う歌“Where Is The Life That Late I Led”がある。“Why Can't You Behave?”はロイスとその恋人ルーセンシオの二重唱。“婚礼の踊りBianca's Wedding”はビアンカら三組の男女の激しい踊りのナンバー。“Kiss Me Kate”はラスト・ソング。
 歌や踊りの見せ場は圧倒的にビアンカ役のアン・ミラーに多い。

 他に映画化されたシェイクスピア原作のミュージカルは、『シラキュースから来た男』(1938年、『間違いの喜劇』の映画化)、『ヴェローナの恋人たち』(1971年、『ヴェローナの二紳士』の映画化)、『ウェストサイド物語』(1961年、『ロミオとジュリエット』の映画化)、『恋の骨折損』(2000年)など。

 (4)現代版じゃじゃ馬ならしの映画が製作された。ディカプリオ版『ロミオ+ジュリエット』の成功で、現代劇『ハムレット』や現代劇『じゃじゃ馬ならし』『オセロ』など続々と製作されているようだ。 

 (5)BBCシェイクスピア全集の『じゃじゃ馬ならし』
 演出ジョナサン・ミラーJonathan Miller、収録日June 18-24, 1980、英国初放送 October 23, 1980、アメリカ初放送January 26, 1981。
 サイモン・チャンドラー Simon Chandler as Lucentio、アンソニー・ペドリー Anthony Pedley as Tranio、ジョン・フランクリン−ロビンス John Franklyn-Robbins as Baptista、フランク・ソーントン Frank Thornton as Gremio、サラ・ベイデル Sarah Badel as Katherine、ジョナサン・セシル Jonathan Cecil as Hortensio、スーザン・ペンハリゴン Susan Penhaligon as Bianca、ハリー・ウェイターズ Harry Waters as Biondello、ジョン・クリーズ John Cleese as Petruchio、ディヴィッド・キンケイド David Kincaid as Grumio、アンガス・レニー Angus Lennie as Curtis、ハリー・ウェブスター Harry Webster as Nathaniel、ジル・モリス Gil Morris as Philip、レスリー・サロニー Leslie Sarony as Gregory、デレク・デッドマン Derek Deadman as Nicholas、デニス・ギルモア Denis Gilmore as Peter、ジョン・バード John Bird as the Pedant、アラン・ヘイ Alan Hay as the Tailor、ディヴィッド・キンゼイ David Kinsey as the Haberdasher、ジョン・バロン John Barron as Vincentio、ジョーン・ヒックソン Joan Hickson as the Widow

 《舞台裏で》 ペトルーキオにジョン・クリーズをキャスティングしたことは当時は論議なしではすまなかった。クリーズはそれ以前にシェイクスピアを演じたことがなかったし、BBCのテレビ版シェイクスイピアの最初の二シーズンのファンでもなかった。The casting of John Cleese as Petruchio was not without controversy at the time. Cleese had never performed Shakespeare before, and was not a fan of the first two seasons of the BBC Television Shakespeare, and took some persuading from Miller that the BBC Shrew would not be, as Cleese feared "about a lot of furniture being knocked over, a lot of wine being spilled, a lot of thighs being slapped and a lot of unmotivated laughter."[10] As such, Miller told Cleese that the episode would interpret Petruchio as an early Puritan, and that the part was not to be acted along the traditional lines of the swaggering bully a laRichard Burton in Franco Zeffirelli's adaptation. In tandem with this interpretation, the song sung at the end of the play is a musical version of Psalm 128, which was often sung in Puritan households at the end of a meal during Shakespeare's own day.

 (6)ビクター制作の「シェイクスピア全集」(9作品)のVHS第1-2巻『じゃじゃ馬ならし』 
 演出ジョン・アリソン、制作ジャック・ナカノ、音楽ジェラード・バーナード・コーエン
 ペトルーキオ(フランクリン・シールズ)、キャタリーナ(カレン・オースティン)、ビアンカ(キャスリーン・ジョンソン)、娘の父バプティスタ(ラリー・ドレイク)、ルーセンシオ(デヴィッド・チェミル)、トラーニオ(ブルース・ディヴィソン)、ホーテンシオ(チャールズ・ベレンド)、グレミオ(ケイ・E・カッター)、ペトルーキオの従者グルーミオ(ジェレミー・ローレンス)、ビオンデロ(ナザン・アドロー)、ルーセンシオの父親ヴィンセンシオ(ビル・アーウィン)、マンチュアの教師(ジェイ・ロビンソン)、ペトルーキオの召使(ステファン・ワークマン、ジェイムス・フィスク、ロウリー・スティーヴンス、キャサリン・ケイツ、ジョン・ハムリン)

 映画版ではキャタリーナとペトルーキオの駆け引きが中心に描かれていて。それ以外の挿話はほとんど扱われていないが、このビデオ版はビアンカへの求婚者の挿話も描かれている。スライ登場の序幕は削除されている。
 ビアンカを射止めるのはルーセンシオで、その従者で身代わりになって活躍するのがトラーニオ。トラーニオを演じているのは、『ワイルド・アパッチ』『愛と死のエルサレム』などに主演したブルース・ディヴィソンである。ビアンカへのほかの求婚者は老人のグレミオ、音楽家を装うホーテンシオ。


       映画『テンペスト(あらし)』     池田博明

△ 『テンペスト(あらし)』は『リア王』の世界を浄化したものであり、シェイクスピア喜劇の最高峰と評価されている(福田恒存の評言)。 また、"シェイクスピア作品中、最も独創的で完璧なもので、気品と壮麗にあふれた作品"(ハズリットの評言)、 "その複雑性と完璧性をあわせて考えるならば、あらゆる文芸作品のなかで最も稀有なるもの"(ヘンリー・ジェイムズの表現)と最大級の賛辞が送られている。

△ J・R・ロウエルは『あらし』の登場人物は、典型的であると同時に象徴的であると論じていた。 例えば、「想像力」がプロスペローに、「空想」がエーリアルに、獣的な「理解力」がキャリバンに具象化され、ミランダは抽象的な「女性」、 ファーディナンドは「青年」である。脇役は典型であり、セバスチアンは「弱い性格」、アントーニオーは「邪な野心」、ゴンザーローは「なみの良識と誠意」であるという。

 (1) ピーター・フォンダ主演、ジャック・ベンダー監督作品(1998年)は、おそらくNBCのテレビ・ドラマである。ほぼ30分おきにフェイドアウトする。 日本未公開作品。設定を南北戦争時代のミシシッピーにして、かなり大胆に脚色(ジェイムズ・ヘナーソンによる)している。
  農園主プロスパーは奴隷のミゼリ(原作には無い人物)から魔術を習い、農園経営の方は弟アンソニーに任せていた。ミゼリの息子エリアルが鞭で打たれた事件をきっかけに、弟の横流しや横領などの不正が明らかになる。兄は農園の経営に復帰すると宣言、弟を解雇する。その夜、弟は繋がれていたエリアルを逃亡させ、その罪を兄に被せる。兄は突然奴隷を逃亡させた罪で逮捕され、縛り首に。執行時にミゼリの魔術で綱が切れ、役人の骨が折れ、兄は助かる。弟は農園に帰って、ミゼリを銃殺する。兄はひそかに娘ミランダを受け取り、撃たれて瀕死のエリアルを助けて沼地の小島に潜んだ。
  それから14年。南北戦争の真っ最中。小島では、プロスパーが魔法に磨きをかけていた。成長した娘と奴隷のエリアルは生活の手伝いをしていた。エリアルはカラスに変身することが出来る。沼にはワニ男が住んでいたが、プロスパーの魔術で脅されて、今は沼地の管理をしている。このワニ男は原作のキャリバンに相当するが、キャリバンほどの異形性は無い。
  ここからの展開はやや単調である。北軍へ恭順のそぶりを見せるアンソニーが偵察の名目で使用人ゴンゾと大尉を連れて船で川を下ってくる。プロスパーは復讐の時が来たと嵐を起こして、船を難破させる。気を失った北軍の若い大尉を助けたのはミランダだった。老人に変身させられたエリアルがアンソニー達を迎えに行くが、彼らはワニ男からプロスパーのことを聞き、ワニ男を仲間に引き入れて、プロスパーの先手を打つ。エリアルが川を下る北軍のために夜霧を起こし、ミランダが大尉を逃がす間にプロスパーはアンソニーに撃たれてしまう。戻ったエリアルが瀕死のプロスパーを前に必死に救命を懇願すると、炎の中に母ミゼリの顔が現れ、胸に手を当てて一心に祈れと指示する。お陰で傷は消える。
  エリアルとミランダと大尉はアンソニーの人質となってしまうが、プロスパーの魔法で助かる。北軍はプロスパーとエリアルの助力もあって、南軍を撃退する。アンソニー達は北軍に捕縛される。
  プロスパーはエリアルを解放し、娘の結婚を許し、ワニ男に沼地を返す。復讐を繰り返して争っているときではないと弟を許す(弟はそんな兄を批難する)。自分も魔法を棄てて、大団円を迎える。
 プロスパー役のピーター・フォンダの考えがよく現われた作品になっていた。奴隷解放や自然回帰、超自然現象への敬意などである。他にジョン・グローヴァーやハロルド・ペリヌー・ジュニアなどが出演。
 ただ、このテレビ映画版は展開も演出も単調な印象があった。魔術を映像化してしまうと意外につまらないものだし、プロスパーのような全能の人物の登場が劇的効果を削いでいるのではないだろうか。

 (2)ピーター・グリーナウェイ監督『プロスペローの本』(1991年)はゴンザーロがプロスペローに渡した24冊の本を映像で再現して、プロスペロー自身(ジョン・ギールグッド)が本、つまり『テンペスト』を少しずつ書く過程を綴っていく。物語を追うだけでは単調になってしまう劇をイメージ豊かに映像化したと思われた。
 雑誌『イメージフォーラム』1992年1月増刊号No.144は『プロスペローの本』の特集号だった。
△(未紹介)

 (3)SF映画の名作『禁断の惑星』(1956年)は、『テンペスト』を高度に巧妙にソフィステフィケートした作品。
禁断の惑星 実際に作品を見ると、2200年、アルテア星という「別天地に住む学者と、他の人間を知らずに育った娘」というキャラクターは共通だが、物語の展開はかなり異なっている。このSF映画には、一見したところ、悪人も嵐もキャリバンも存在しないのである。クレジットにもシェイクスピアは出て来ない。
 しかし、博士が“プロスペロー”に、アルテリアが“1950年代のセクシーなミランダ”になぞらえられる。エリアルとキャリバンの特性は、“愛すべきロボット=ロビ”ーと“悪魔の力”に分割された。シェイクスピアの「素晴らしき新世界」の寓話が1950年代の映画として固定された。フロイド理論が援用され、博士の「イド」が悪魔的な力となって現われる。
●以上の指摘も以下の指摘も、フレンチ著『カルト映画 Cult Movies』(2000)より抜粋。
 監督フレッド・M・ウイルコックス、製作ニコラス・ナイファック、脚本シリル・ヒューム(原作はアーヴィング・ブロックとアレン・アドラーの小説)、撮影ジョージ・G・フォルセー、編集フェリス・ウェブスター、音楽ルイス&ベベ・バロン。
 モービウス博士役ウォルター・ピジョン、その娘アルテリア役アン・フランシス、アダムス船長役レスリー・ニールセン、オストロウ医師役ワレン・スティーヴンス、船員フェアマン役ジャック・ケリー、チーフのクイン役リチャード・アンダーソン、コック役アール・ホリマン。
 
 (4)デレク・ジャーマン監督の映画『テンペスト』(1979年)がある。
 日本ではビデオは廃盤、アメリカではKINO VIDEOで販売されている。2001年に日本でDVDが発売された。95分。あらし
 デレク・ジャーマンは1994年に52歳のとき、エイズで亡くなったドイツの監督。
 その彼が37歳のときの英国作品『テンペスト』を「退廃的」と評するのは誤解である。表現主義的な作品と言った方がよい。KINOビデオの箱には“演劇の精神と、ハリウッド映画のパスティーシュを混合したまばゆいスペクタクル、そしてヴィンセント・ミネリの『巴里のアメリカ人』的な装飾と色彩、古典を映画化するときのパゾリーニ的な高度なキャンプでイノセントなホモエロティシズムが表現されている”と記してある。
 プロスペローは老人ではなく、中年に設定されていて、原作では弟のはずのアントーニオの方が老人になっていた。キャリバンは異形の大男で、エリアルはホモ的な男性。シェイクスピアの作品というよりもデレク・ジャーマンの作品というべき仕上がりになっている。台詞は大幅にカットされて、ストーリーがやっと分かる程度しか残っていない。
 フィナーレの娘ミランダと王子ファーディナンドの結婚披露宴には、船員たちのバーレスク風のダンスと、女神(ヴェテランの黒人ミュージカル・コメディ・スター、エリザベス・ウェルチ)の歌う名曲「ストーミー・ウェザー Stormy Weather」(1943年のミュージカルの主題歌)が挿入されている。
●監督・脚色デレク・ジャーマン、撮影監督ピーター・ミドルトン、カメラはロバート・マクシェーン、編集レスリー・ウォーカー、デザイナーはヨランダ・ソナベンド、アート監督イアン・ホイタッカー、コレオグラフィーはスチュアート・ホップス、プロスペローの部屋サイモン・リード、デザイナー助手スティーヴン・メヘア、録音ジョン・ヘインズ、衣裳ニコラス・エッジ、メーキャップはロザリンド・マッコルキデール、ダンス音楽ゲオルグ・ザムファーと彼のオーケストラ・デルタ・ミュージック、製作ドン・ボイド、ガイ・フォード、モーデカル・シュライバー、ロンドン・フィルム作品。
 プロスペロー役ヒースコート・ウィリアムズ、ミランダ役トヤー・ウィルコックス、ミランダの少女時代ケイト・テンプル、エリアル役カール・ジョンソン、キャリバン役ジャック・バーケット、ファーディナンド役デイヴィッド・メーヤー、女神役エリザベス・ウェルチ、精霊(小人)ヘレン・ウェリントン・ロイドとアンジェラ・ホイッティンガム。
 アントーニオ役リチャード・ウォーウイック、アロンゾ役ピーター・ブル、ゴンザーロ役ケン・キャンベル、セバスチャン役ニール・カニンガム、トリンキーロ役ピーター・ターナー、シルコックス役クレア・ダヴェンポート、ステファーノ役クリストファー・ビギンズ。

 (5)ポール・マザースキー監督『テンペスト』(1982年) コロムビア映画
テンペスト(マザースキー監督) ビデオ箱の解説は“シェークスピアの『テンペスト』を現代に翻案し、現代人の愛の不毛を洗練されたタッチで描くヒューマン・コメディ。製作・監督は『ハリーとトント』『パラドールにかかる月』のポール・マザースキー。俳優であり、又ニューヨーク・インディーズを代表する監督でもあるジョン・カサヴェテスと、その夫人ジーナ・ローランズが夫婦役で共演しているのが見もの”。141分。箱には略筋も記してあるが正しくない。
 ギリシアの沖合いの孤島である。フィリップ(ジョン・カサヴェテス)が恋人アリサ(スーザン・サランドン)と娘ミランダ(モリー・リングウォルド)と生活していた。ギリシア人カリバノス(ラウル・ジュリア)はミランダの水浴シーンをのぞいている。
 18ケ月前のニューヨーク、新年を待つセリブレティのパーティで、中年建築家フィリップは浮かない顔をしている。妻アントニア(ジーナ・ローランズ)には舞台へカムバックする話が来ている。賭博場設計のアロンゾの依頼もフィリップの気にいらない。フィリップは悪夢に悩まされている。溺死する妻や建築現場から飛び降りる自分など、死のイメージに取りつかれている。パーティ後に妻とのいさかいも増える。二人の間にはすきま風が吹いている。「君には関心がある(I care about you)、しかしすべてが退屈だ」という具合だ。
 上演を企画するスタッフがフィルの家で集まっている。「いったい、どんなお芝居?」「コーラス・ライン風のマクベスよ」(妻)。娘は「学校で『マクベス』を見た。退屈だったわ」。仲間たちはピアノの周りで「As time as goes by」を歌う。そこへフィルが帰宅してイライラを爆発させるので、人々は帰る。雷が鳴り、嵐が来る。
 一年前にこの孤島に来たのだ。しかし、アリサはもう6ケ月もセックスレスだという。テレビも、ショッピングもない生活である。フィリップはこれこそ人間の生活だと満足の様子だが、女たちはやや不満である。カリバノスがミランダを「洞窟にテレビが隠してある」と誘う。テレビを餌にミランダを誘惑しようというのだ。手にキスをしたものの、ミランダに拒絶される。混乱したミランダは「リーヴァイスのジーンズ、ロック・コンサート。冷えたダイキリ・・・・ニューヨークに帰りたい」とつぶやく。
 そのニューヨークの回想シーン。妻とアロンゾが付き合い始めている。夫婦喧嘩がひどくなり、フィリップは仕事を投げ出して先祖の国ギリシアへ行こうと計画する。娘もちょうど夏休みになるので、一緒に連れて行くことにする。
 ギリシャの途中でアリサに会う。流しの歌手である。フィリップとアリサは恋に落ちる。そうしているうちに、夏休みは終わった。妻とアロンゾたちがギリシアにやって来て、娘を連れ戻すと言う。しかし、娘は男と一緒の母親の元に帰ろうとしない。そこで、三人は孤島へ隠遁することになったのだ。カリバノスは誰も来ない島に住み着いていた男だった。
 島での生活は束の間の安らぎをもたらした。しかし、ある意味では一種の「囚人生活」である。ミランダはテープの音楽に合わせて踊る。父親とのダンスを拒否する。
 カリバノスが娘にキスをしたことが発覚し、フィルはボートからカリバノスを海へ突き落とす。オールで彼を殴ろうとする。必死に逃げるカリバノス。
 アロンゾたちが孤島近くにやって来た。息子フレディ(サム・ロバーズ)のための休暇旅行だという。もちろんアントニアも一緒だが、二人の間にも争いがある。フレディはダイビングをしているときに、ミランダと出会う。
 フィルは望遠鏡でアロンゾたちがボートに乗り移り、近くに来るのを目撃していた。天候が怪しくなってくる。フィルが願いをこめると、一瞬の嵐が島を包み始めた。ボートは転覆し、乗組員は島に救出される。
 九死に一生を得て、再会した人々は争いを止めて、徐々に和解する。音楽に合わせてダンスをするペアを見ていると、フィルとアントニア、フレディとミランダ、アロンゾとアリサ、カリバノスと船の女といった具合である。
 島を出て、マンハッタンへ戻ろうとする一行の姿があった。
 『テンペスト』の原作を換骨奪胎して、現代の物語にしていた。名前で原作の役柄と対照できる。
 もともと原作にも、プロスペローとミランダの住む隔絶した島が理想郷であって、もとの世界に戻ってしまうことが果たして幸福なのかというテーマが隠れていた。このマザースキーの映画ではギリシアの孤島を一種の逃避場所として解釈していた。「エリアル=アリサ」を「プロスペロー=フィリップ」の女性カウンセラーとした解釈が秀逸。
●脚本マザースキーとレオン・カベタノス、撮影ドナルド・マックアルバインASC、音楽山下ツトム、編集ドン・キャンバーンACE、共同製作スティーヴン・ベルナルドとペイト・ガズマン。
ガーディナーのテンペスト
 (6)パーセルが付随音楽を作曲したセミ・オペラ『テンペスト』がある。
 ジョン・エリオット・ガーディナー指揮のCDでパーセル・コレクションが出ている。
 モンテヴェルディ・オーケストラと合唱団。配役はエリアル(キャロル・ホール、Ms)、ドーリンダ(ローズマリー・ハーディ、S)、アンフィトリーテ(ジェニファー・スミス、S)、エーオルス(ジョン・エルウェス、T)、ネプチューン(ステフェン・バルコー、Br)、第一の悪魔(ディヴィッド・トーマス、Bs)、第二の悪魔(ロデリック・イアレ、Bs)。シェイクスピアの原作をかなり改作しているようだ。
 なお、パーセルはシェイクスピアの『アセンズのタイモン』にも音楽を付けており、これもガーディナー指揮のCDが出ている。

 (7)BBCシェイクスピア全集の『テンペスト』
 演出ジョン・ゴリー、収録日July 23-28, 1979、英国初放送February 27, 1980、アメリカ初放送May 7, 1980。
 マイケル・ホルデーン Michael Hordern as Prospero、デレク・ゴドフリーDerek Godfrey as Antonio、デイヴィッド・ウォーラー David Waller as Alonso、ワレン・クラーク Warren Clarke as Caliban、 ナイジェル・ホーソーン Nigel Hawthorne as Stephano、ディヴィッド・デlクソン David Dixon as Ariel、アンドリュー・サックスAndrew Sachs as Trinculo、ジョン・ネットルトン John Nettleton as Gonzalo、 アラン・ロウ Alan Rowe as Sebastian、ピッパ・ガード Pippa Guard as Miranda、クリストファー・ガードChristopher Guard as Ferdinand、ケネス・ギルバートKenneth Gilbert as Boatswain、 エドウィン・ブラウン Edwin Brown as Master、ポール・グリーンハル Paul Greenhalgh as Francisco、クリストファー・ブラムウェル Christopher Bramwell as Adrian、グゥイネス・ロイド Gwyneth Lloyd as Juno、 エリザベス・ガードナー Elizabeth Gardner as Ceres、ジュディス・リーズ Judith Rees as Iris
 
 《舞台裏で》 この物語の特殊効果は特に開発されたものではない。 「Top of the Pops」や「 Doctor Who」のために開発されたものである。

 (6)ビクター制作の「シェイクスピア全集」(9作品)のVHS第巻『テンペスト』 
 演出ウィリアム・ウッドマン、制作ケン・キャンベルとローレンス・カーラ
 プロスペロー(エフレム・ジンバリストJr)、アロンゾ(ウィリアム・H・バセット)、アントーニオ(テッド・ソレル)、ゴンザーロ(ケイ・E・カッター)、 セバスチャン(エドワード・エドワーズ)、フェルディナンド(ニコラス・ハモンド)、ミランダ(J・E・テイラー)、エアリエル(ヂュエイン・ブラック)、 キャリバン(ウィリアム・フットキンス)、トリンキュロ(ロン・パリロ)、ステファノ(デヴィッド・グラフ)、ボツエイン(ヘクター・エリアス)、 エィドリアン(マーク・ピンター)、アイリス(カラン・ホワイト)、セレス(ジーナ・フリードラウダー)、ジュノ(ロバータ・ファルカス)、 妖精(クリストファー・ボートライト、コレット・ジェスキー、ライド・オルソン、ケヴィン・オルーク)




              映画『恋の骨折り損』  池田博明

 時代背景を1930年代に移し、ミュージカル仕立てにしたケネス・ブラナー作品(2000年製作UK=USA)がある。
 アステアやロジャースなど往年のタップ・ダンスを見ている人には、この作品の素人同然の拙いダンスは、あぶなっかしくて、安心して見ていられないのではないだろうか。私もなぜかハラハラしながら見てしまった。役者は頑張って踊っているし、編集もその演技を引き立たせようと必死だが、その手つきが見えてしまう分、興ざめしてしまうのだった。しかし、なんの先入観もなければ、それなりに楽しめる作品に仕上がっている。Labours Lost
 
△ケネス・ブラナーへのインタヴュー(「この映画がスゴイ」2001年2月号より)から引用
△ アステアとロジャーズの華麗にして超人的なダンス・ステップと、映画を見終わってからもずっと口ずさむようなメロディーのあふれているミュージカルを情熱的に愛していた、出演メンバーがそろったところで僕は『トップハット』のアステアとロジャーズのダンス場面をじっくり見せ、これと同じように踊ってくれたまえと言って全員を震え上がらせた、天才のステップを頭に入れ、これを自分たちのものにしてくれ、あとはガッツで補えばいい。
△『恋の骨折り損』はあまり知られていないシェイクスピアのコメディで、最も華やかで豊かな表現力にあふれたラブ・ストーリーだから。『ロミオとジュリエット』『真夏の夜の夢』『十二夜』などは有名すぎるし、いろいろなアレンジも出ているから、いまさらという気がした。若い人たちの素直な恋情には、シニカルさはかけらもないし、恋をするといかに我々はバカになってしまうかというプロットは万国共通だからね。
△最初は映画用のオリジナル曲を作ろうといろいろな専門家に当ったのだが、まるでうまくいかない。次にコール・ポーターやアービング・バーリンたちのあまり知られていない曲を試してみたが、これもまったくピンとこなかった。結局、セリフや動きにマッチした有名な曲を使ってみた。これが予想以上の効果を上げ、ますます往年のミュージカルのモードを帯びてきたから、大成功だと思っている。
△時代背景を30年代にしたのは、第二次大戦前の、いつまた世の中がひっくり返るかわからない不安定な毎日の中で、今日だけを充分に楽しもうという若者達の切ない心情と、つかの間の豪華さを最大限に見せる状況が、このロマンスの背景にぴったりだと考えた。
●歌い踊られるナンバー
 王たちが女人禁制の誓いをしながらタップを踏んで踊るガーシュウィン作曲の(1)I'd Rather Charleston With You 。フランスからの王女たちが来て対面する場面では、ジェローム・カーン作曲の(2)I Won't Dance。王側の番人が歌う、コール・ポーターの(3)I Get a Kick Out of You 君にこそ心ときめく。王女たちの歌うアーヴィング・バーリンの(4)No Strings (I'm Fancy Free)。家庭教師と神父の滑稽な歌、ジェローム・カーンの (5)The Way You Look Tonight。王とその友人たちが誓いを破るガーシュウィンの(6)I've Got a Crush on You。王たちの仲間で歌うアーヴィング・バーリンの『トップ・ハット』から(7)Cheek to Cheek。仮面舞踏会で盛り上がって、アーヴィング・バーリンの(8)Let's Face a Music and Dance。アーヴィング・バーリンの『アニーよ銃を取れ』から、(9)There's No Business Like Show Business ショウほど素敵な商売はない。ガーシュウィンの(10)They Can't Take That Away From Me 誰も奪えぬこの想い。
●ビローン役ケネス・ブラナー、ナヴァール国の王アレッサンドロ・ニヴォラ、ロンガヴィル役マシュー・リラード、デュメーン役エイドリアン・レスター
 王女アリシア・シルヴァーストーン、ビローンの恋人ロザライン役ナターシャ・マケルホーン、マライア役カルメン・イジョゴ、キャサリン役エミリー・モーティマー、王女側の通訳ポイエ役リチャード・クリフォード、
 番人ドン・アーマード役ティモシー・スポール、王の家庭教師ホロファニア役ジェラルディン・マキューアン、ナサニエル神父リチャード・ブライアーズ、ダル巡査ジミー・ユイル、道化コスタード役ネイサン・レイン、
ジャケネッタ役ステファニア・ロッカ 監督・脚色ケネス・ブラナー、 撮影アレックス・トムソン、プロダクション・デザインはティム・ハーヴェイ、音楽パトリック・ドイル、 編集ニール・ファレル、衣装アナ・プルマ、製作総指揮ガイ・イースト&ナイジェル・シンクレア、製作デイヴィッド・バロン&ケネス・ブラナー、本編93分。  


 (2)BBCシェイクスピア全集の 『恋の骨折り損』
 演出エリシャ・モシンスキー Elijah Moshinsky、収録日June 30-July 6, 1984、英国初放送January 5, 1985、アメリカ初放送May 31, 1985。
 ジョナサン・ケント Jonathan Kent as the King of Navarre、クリストファー・ブレイク Christopher Blake as Longaville、ジョフリー・バリッジ Geoffrey Burridge as Dumain、マイク・グィリム Mike Gwilym as Berowne、 デヴィッド・ワーナー David Warner as Don Armado、ジョン・ケイン John Kane as Moth、ポール・ジェッソン Paul Jesson as Costard、フランク・ウィリアムズ Frank Williams as Dull、 パッディ・ナヴィン Paddy Navin as Jaquenetta、クリフォード・ローズ Clifford Rose as Boyet 、モーリーン・リップマン Maureen Lipman as the Princess of France、 ケィティ・ベヒーン Katy Behean as Maria、ピーター・マーカム Petra Markham as Katharine、ジェニー・アガター Jenny Agutter as Rosaline、ジェイ・ルパレリア Jay Ruparelia as Adrian、 ジョン・バージェス John Burgess as Sir Nathaniel、ジョン・ウェルズ John Wells as Holofernes、ヴァレンティン・ダィアル Valentine Dyall as Marcade、リンダ・キッチェン Linda Kitchen as Spring、 スザンナ・ロス Susanna Ross as Winter

  《舞台裏で》 監督のモシンスキーは、37の劇中唯一18世紀に設定されたこの物語を製作中、インスピレーションのために、ワトーの絵とモーツァルトの音楽、ピェール・ド・マリヴォーの作品を使った。


夏の夜の夢
              映画『夏の夜の夢    池田博明

 (1) 監督・脚色マイケル・ホフマンの映画『真夏の夜の夢』(1998年、20世紀フォックス)は、時代を19世紀初頭、自転車が流行し始めた頃に設定している。恋人たちは森へ自転車で駆けこんでくる。森の中では、自転車がお荷物になったり、妖精パックが初めて見た自転車を生き物のように扱ったりと、面白い小道具として生かされている。120分。
  しかし、時代設定はそれほど厳密ではない。公爵の祝宴の準備の席から小人に化けた妖精が盗んできた蓄音器やレコード盤を不思議そうに見たり、ボトムが蓄音器でレコードをかけてみせると、そこから流れ出る音楽に驚いたりする。蓄音器の発明は19世紀末なのだが、ボトムの「魔法」の趣向としては面白い。BGMに『椿姫』の「乾杯の歌」や『ノルマ』のアリア、ドニゼッティやロッシーニの歌劇のアリア、「メンデルスゾーンの“真夏の夜の夢・序曲”“結婚行進曲”」が使用される。
  ボトム役のケヴィン・クラインが、妖精の女王に愛されてしまう突然の体験に戸惑う、芝居好きの職人を見事に演じている。ヘレナとハーミアの争いも可笑しい。「背が低い」ということが争いの種になっていたりして滑稽である(これは原作通りだが)。
 職人たちの演じる劇中劇は失敗続きのドタバタだったのだが、ピラマスが自害した後、シスビーの台詞に至って、女形が裏声を使わずに地声で話してしまい、かえって真情あふれる出来になる。
 
 ●音楽サイモン・ボズウェル、撮影オリヴァー・ステイプルトン、編集ガース・クレイヴン。
  シーシアス公爵ディヴィッド・ストロターン、その婚約者ヒポリタ役ソフィー・マルソー、ハーミア役アンナ・フリール、その恋人ライサンダー役ドミニック・ウェスト、ヘレナ役カリスタ・フロックハート、デミートリアス役クリスチャン・ベイル(『太陽の帝国』『ヘンリー五世』)、職工ボトム役ケヴィン・クライン、妖精の王オベロン役ルパート・エヴェレット、女王タイテーニア役ミッシェル・ファイファー、道化パック役スタンリー・トゥッチ。


●毒のない喜劇として映画化されたものにマックス・ラインハルト&ウィリアム・ディターレ監督のオール・スター映画『真夏の夜の夢』(1935年、市販のビデオ)がある。ボトム妖精パック役が子役ミッキー・ルーニー、ボトム役が写真のジェイムズ・キャグニー。



●ホール監督の暗い喜劇映画(1969)や、背徳と頽廃のリンゼイ・ケンプ劇団の『真夏の夜の夢』(1984、市販のビデオがある)などは未見。

 (2)エイドリアン・ノーブル脚色・監督、製作ポール・アーノット、ロイヤル・シェイクスピア劇団の『A Midsummer Night Dreams』を見ることができた(アメリカからビデオを購入したが、2001年にDVD版も日本で発売された)。チャンネル・フォーと英国芸術協会が協賛、エデンウッド・プロダクション提供、作曲及び指揮ハワード・ブレイク、撮影監督イアン・ウィルソン、装置と衣裳アンソニー・ウォード、美術監督ジョン・フェンナー、編集ポール・ホッジソンとピーター・ハリウッド、録音エイドリアン・ロード。上映時間103分。
夏の夜の夢   少年(オッシーン・ジョーンズ)が夢を見る。少年が寝る前に読んでいた『真夏の夜の夢』が映像になって現われるのだ。少年が場面転換の狂言回しになり、事件の目撃者となって物語が進行する。
 床面が常に平面であり、野外ロケは皆無で、セットにドアを用いて人物の入退場を行なうなど舞台演出的なところを残し、照明や美術、特殊撮影など映画的なところを加味した大人向けの作品。
 妖精たちは幻想的な特殊撮影ではなく演劇的だし、恋人たちの争いも決してリアリズムではなく、舞台上の演出が応用されている。
 時代設定は現代で、職工たちは練習場所へバイクや自転車などで移動する。大きな月の前を自転車の影が横切るET風の場面がある。ボトムのバイク用のヘルメットがロバの頭に変わる仕掛けになっていた。
 目撃者として少年を用いているものの、決して劇を少年の夢として描いているわけではない。少年がこれから経験するであろう恋心の変化や、恋の多様な局面を描いているように思えた。一途な恋(ハーミアたち)もあれば、受け入れられない恋(ヘレナの恋)もある。急な心変わり(ライサンダーの恋)もあるし、不釣り合いな恋(ボトムの恋)もある。観客は四組の恋人たちの心の変化と行動に自分の気持ちを重ね合わせることが出来る。
 そうしてみると、この劇は通常言われているような他愛も無いおとぎ話ではないのだ。多様な恋の情景を描いた傑作なのである。多くの作家たちに愛されてきたのもうなずける見応えのある作品なのだ。
 ノーブルの演出は原戯曲をよく生かした傑作である。
●ヒッポリタとタイテーニア役リンゼイ・ダンカン、シーシアスとオベロン役アレックス・ジェニングス、ボトム役デズモンド・バリット、妖精パックと召使フィロストレイト役バリー・リンチ(イアン・ホルム主演『リア王』1998のエドマンド役)、ハーミア役モニカ・ドーラン、デミトリアス役ケヴィン・ドイル、ライサンダー役ダニエル・エヴァンス、ヘレナ役エミリー・レイモンド、イージアス役アルフレッド・バーク。職工たち;トム・スナウト(ハワード・クロスリー)、ロビン(ロバート・ギレスビー)、ピーター・クインス(ジョン・ケイン)、フランシス・フルート(マーク・レザーレン)、スナッグ(ケン・サバートン)。 

△1997年1月17日から2月8日、東京セゾン劇場でノーブル演出でRSC公演がされている。劇作家の横内謙介の批評が「太陽」1997年5月号にある。
 “ディミートリアスは、あくまでも妖精が間違って塗った惚れ薬の魔力でヘレナを愛するようになり、そのまま正気に戻ることなく幕切れを迎えたに過ぎないのだ。はて、これは幸せなことか、不幸なことか。(中略)好きでもない人間を魔法の力で愛することは不幸かもしれない。でも、醒めない魔法にかかる幸せだってあるんじゃないか。正気を守り、現実的に生きることが本当に幸せなのか。世界は劇場、人は皆役者だとシェイクスピアは言った。我々凡人はつねに夢はいつか醒め、魔法は必ず解けると思い込んでいる。けれど世界が劇場と彼がいいきる時、醒めない夢こそ理想の世界だ。そして魔法から解けぬ男を、夏の夜の夢の中に生み出して、そのまま現実の世界に帰してしまう。これぞシェイクスピアの真骨頂といってはうがち過ぎだろうか。”
 横内氏のこの解釈には疑問がある。ライサンダーも魔法の薬で一度はヘレナに恋してしまったが、次にもう一度魔法のかけ直しでハーミアに恋するのである。この劇で魔法の薬で恋をさせられた人々、ライサンダー、デミートリアス、タイテーニアのうち、魔法からさめるのはタイテーニアだけである。恋は正気のものではないのだし、狂気の恋だから不幸ということはないのではないか。私は『夏の夜の夢』を好きな男に惚れられなかったり、惚れられたり、裏切られたりする恋の多様な情景を描いた傑作だと思っている。
 “ノーブルの演出は素晴らしい。鮮やかな転換、絶妙の色使い、眠り、夢を見る恋人たちが、子宮の中の胎児のように毛布に包まれ宙に浮くというアイデア等、すべてが美しい。同じく英国から来た演出家デビット・ルボーの活躍以来、薄暗い明りの中で陰気くさくボソボソやるのだけが本格派の演劇なのだというムードが蔓延するなかで、同じく英国から来た本格派が、西洋歌舞伎ともいいたくなるような派手でお洒落でユーモアに満ちた舞台を見せてくれたことは、賑やかな演劇派の私にとっては特に喜ばしいことであった。
 けれど、すべてが均質なのだ。箱庭的といってもいい。英語がわからないから、演技については何もいえないけど、よく調和のとれたアンサンブルだったと思う。身体だってよく動く。しかし、はじけない。たとえば悪戯者パック。ノーブルはこの妖精の上半身を裸にし、野性的な表現をもくろんだ。そのプラン通り、役者も元気に舞台を飛び回った。でも私は彼を見ながら、最後のアングラ俳優・若松武(天井桟敷)を思った。若松がやればもっとワイルドでチャーミングにやるだろうと思った。魔法でロバにされる職人も、上手に馬鹿を演じているけれど、本物の馬鹿じゃない。まあ、本物である必要もないけど、一様に行儀がよくて優等生的なのだ。さすがロイヤル・シェイクスピア・カンパニー。ギャラも高いが誇りも高いって感じだ。繰り返すけど、つまらなかった訳ではない。私は十分に楽しんだし、高いギャラの価値はあると思った”。  
真夏の夜の夢ブリテン
 (3)ブリテンのオペラ『真夏の夜の夢』(1960年作曲)   池田博明
 グラインドボーン・オペラ上演作品がUSAでビデオ販売されていた。
 ベルナルド・ハィティンク指揮、ロンドン・フィルハーモニー。演出ピーター・ホール。
 配役はイレアナ・コトルバシュ、リランド・デイビーズ、シンシア・ブッチャン、ジェイムズ・ボウマン、デイル・デューシング、フェリシティ・ロット、カート・アプルグレン。
 福尾芳昭の著書に紹介がある。
 “三幕四場のオペラに仕立てられている。・・・・絶妙なドラマと機知に富んだ独特の音楽が融合密着し、旋律的魅力のある《真夏の夜の夢》は、ブリテンの多芸多才がみごとに結実した類稀な現代オペラの傑作である。・・・原作の第二幕から始まり、最後の場を除き、ドラマの舞台がほとんどが夜の森に集中しているので、オペラは原作以上にロマンティックな雰囲気に包まれ、幻想的、夢幻的で、詩情と抒情性に溢れた音楽劇になっているが、決して単なる妖精劇でも夢物語でもない。”


 (4)トルンカの人形アニメ『真夏の夜の夢』(1959年)   池田博明
 おかだえみこ『人形アニメーションの魅力』(河出書房新社,2003年)に詳細に論じられていたので,以下“ ”内に転載します。トルンカ「真夏の夜の夢」
  “トルンカはセリフを全部オミット、バレエ風のアクションで統一した。評論家ヤロスラフ・ボーチェクは「それまでの人形の沈黙が、無声映画の沈黙であるとすれば、今回のそれはバレエやパントマイムの沈黙である」と言っている。つまり、全ての動作をリアリズムよりは踊りの動きに近づけたのだ。特に二組の若いカップルは踊りながら、またトゥで移動したりする。どの人形も演技の折り目では一種の見得のような美しいポーズがつく。華麗な演出である。・・・・シネスコ用とスタンダード用、二度撮影したカットがある。・・・・ <素人芝居本番>のシークエンスで、トルンカは原作を大きく変化球させる。・・・愛と死とがこの場面でずっしりとその所を得、断じて人の心はおもちゃではない、と詠い上げる。三組の夫婦と共に、観客もここで深く感動する。ステージではしばしばカットされ、またはラストの息抜きショウふうに扱われがちのこの場面を、こう解釈し演出したトルンカの偉大さ、あたたかさ、するどい才気。ファンはただ、感謝しつつため息をつくばかりだ。”

 2003年夏渋谷のユーロスペースで上映されました。2003年8月31日(日)に行ってきました。11時に入場整理券を貰いにいったら,なんと3番でした。 この期間は午後3時からの上映でしたので,再び3時直前に来館。一番前の席で見ることができました。
 登場人物のセリフがなく,語り手が物語の進行役なので,神の目で見ているような感じになってしまう。そうすると,恋人たちのいわば真剣な愛が愚行に見えてしまう。 例えば二組の恋人たちは男女で手を取り合ってグルグル回ってしまい,語り手は一晩中回っていなさいと言う場面などに象徴されている。
 妖精パックは香り薬の扱いを失敗して,オベロンに叱られるが,それでも,妖精はかなりの妖術がつかえて,闘う男たちの武器を草にしてしまったりする。 このマジックも神の目を意識させることになる場面である。しかし,それらを一挙に昇華してしまうのが,最後の素人芝居のシークエンスである。
 ライサンダーをフルート吹きの農青年,ディミートリアスを兵士に設定したため,音楽家=詩人=芸術家と,軍人=実際家という二項対立も浮き上がることになった。
 2004年8月トルンカ作品集第5巻としてDVDで発売されました。 

(5)BBCシェイクスピア全集の『夏の夜の夢』
 演出エリシャ・モシンスキー Elijah Moshinsky 、収録日 May 19-25, 1981、英国初放送 December 13, 1981、アメリカ初放送 April 19, 1982
 エステル・ケーラー Estelle Kohler as Hippolyta、ナイジェル・ダヴェンポート Nigel Davenport as Theseus、ヒュー・コールシー Hugh Quarshie as Philostrate、 ジョフリー・ラムズデン Geoffrey Lumsden as Egeus、ピッパ・ガード Pippa Guard as Hermia、ニッキー・ヘンソン Nicky Henson as Demetrius。ロバート・リンゼィ Robert Lindsay as Lysander、 チェリス・メロー Cherith Mellor as Helena、ジョフリー・パルマー Geoffrey Palmer as Peter Quince、ブライアン・グローヴァ Brian Glover as Nick Bottom、ジョン・ファウラーJohn Fowler as Francis Flute、 ドン・エステル Don Estelle as Robin Starveling、ナット・ジャクリー Nat Jackley as Tom Snout、レイ・モート Ray Mort as Snug、フィル・ダニエルズPhil Daniels as Puck、 ヘレン・ミレン Helen Mirren as Titania、ピーター・マックエナリーPeter McEnery as Oberon、ブルース・サヴェイジ Bruce Savage as Peaseblossom 、マッシモ・モゾファンティ Massimo Mezzofanti as Cobweb、 ドミニク・マーテリ Dominic Martelli as Moth、ティモシー・クロス Timothy Cross as Mustardseed

 《舞台裏で》モシンスキーはレンブラントとルーベンスのバッロク風エロティシズムの演劇のおとぎ噺を基礎にした。



          『ヴェニスの商人』    池田博明ヴェニスの商人

 (1)ローレンス・オリヴィエがシャイロックを演じたビデオ作品がある(ジョナサン・ミラー製作・監督、アメリカ輸入版。1974年)。初めてシャイロックを演じた話題の1970年の国立劇場の公演をテレビ用に再収録したもの。舞台の演出と同じミラー作品。
 原作の長台詞を刈り込んで、時代を1880年代のヴェニスに設定している。ポーシャ役は実際のオリヴィエ夫人のジョーン・プロウライト、バッサーニオ役は後に『シャーロック・ホームズ』シリーズでホームズを演ずることになるジェレミー・ブレット。セリフ中心で、映画的な派手な演出はしていない地味な作品である。
 “典型的なイギリスのテレビドラマなのである”(狩野良規)。
 オリヴィエ扮するシャイロックは娘ジェシカの家出に心を痛めたことで、アントーニオにつらく当たったように演出されていた。
 また、映画の最後には、ロレンゾと婚約したジェシカが、シャイロックの全財産を娘に贈るという証文を複雑な思いで見る場面を置いている。
 1970年代に民芸の舞台公演をNHK教育テレビで放映したことがあり、ポーシャは“おはなはん”で国民的人気を得た樫山文枝で、シャイロックは滝沢修、アントーニオ役は芦田伸介だった(と思う)。箱選びの場面などはかなり華やかに演出されていたような記憶がある。

 (2)トレヴァー・ナンがロイヤル・シェイクスピア劇団を演出した作品がDVD化されていた。141分。舞台演出はトレヴァー・ナン、製作及び衣装デザインはヒルデガルド・ベットラー、アート・ディレゥターはエリック・ウォルムスリー、撮影監督はポール・ホイーラー、音楽作曲と編曲はスティーヴン・エディス。製作者はリチャード・プライスとクリス・ハント。テレビ演出はナンとハント。
ナンのヴェニスの商人 この演出はかなり話題になったものらしい。リジョン・コードの違いのためDVDは通常再生できなかったが、パソコンのDVD特別再生機能で見ることができた。白黒作品である。
 時代は1920年代だろうか。ピアノ・バーで始まる。アントーニオ(ディヴィッド・バンバー)とバッサーニオ(アレクサンダー・ハンソン)が相談している。長セリフは削除されて、必要最小限な程度になっている。次章はポーシャの家でポーシャ(ダーブレ・クロッティ)はメリッサ(アレックス・ケリー)と箱選びの話をしている。メリッサは小卓の8ミリ映写機を回し、ポーシャの父のフィルムを映し出す。一方、バッサーニオとシャイロック(ヘンリー・グッドマン)との交渉は3000ダカッツ、3ケ月の借金である。
 箱選びは黒人の紳士、スペインの伊達男と失敗して、バッサーニオの出番となる。箱選びのヒントになる歌「うわべの恋はどこで生まれる」を歌うのはメリッサ。バッサーニオが首尾よく箱選びに成功した喜びをポーシャは金や銀の箱を投げ捨てることで表す。
 審判のために男装したポーシャは、ビートルズのポール・マッカートニーに似ている。
 ポーシャの屋敷に寄宿しているシャイロックの娘ジェシカ(ガブリエレ・ジョーダン)とロレンゾ(ジャック・ジェイムズ)の恋愛の比重が大きくなっている。第5幕第1場、ポーシャやメリッサが法廷から帰宅する直前に、二人は静かな音楽を背景に床に体を伸ばし、二人の愛を語り合うし、その後で二組の恋人が指輪をめぐって仲たがいをする様子を不安げに見守り、自分たちはいっそう強く手をにぎり合う。幕切れも原作にはないジェシカのユダヤの歌で終わる。シャイロックの財産を贈られることになったジェシカが父の運命や自分たちの主人を思って、どのような意義をもつ歌を歌ったのか、言葉に暗い私には判断できなかった。

 (3)アル・パチーノ主演、マイケル・ラドフォード監督の2004年作品。日本公開は2005年10月。
 シャイロックをアル・パチーノ、アントーニオをジェレミー・アイアンズ、バッサーニオをジョセフ・ファインズ、ポーシャをリン・コリンズ。ほかにズレイカ・ロビンソン、クリス・マーシャル。映画化に当って、ラドフォードは長ゼリフを短縮し、映像で表現できる点はかなり映像化した。監督は「二つの文化の衝突」と「人間のもつ二面性」を描いた作品で、道徳映画にするつもりは無かったと語っていた。
 16世紀のユダヤ人迫害の様子を、その背景とともに丁寧に映画化した作品。当時のユダヤ人はゲットーに住み、ゲットーの外に出るときは赤い帽子を被らされたという。
 アントーニオとバッサーニオの友愛は同性愛的な親密さを感じさせた。二人はお互いを「love」(愛する)と表現していた。アントーニオ、バッサーニオ、ポーシャは一種の三角関係となる。三人の間の感情はセリフではなく、ほとんど映像で描かれる。最後にポーシャとバッサーニオが寝室に去った後、アントーニオはひとり居間に残される。
 シャイロックの娘ジェシカは父親に対する裏切り行為だが、結婚によってユダヤのゲットーから出たいと願っており、バッサーニオの友人ロレンゾに求愛のメッセージを送る。そしてある夜に家から脱出し、ロレンゾの許に走る。
 娘を失った衝撃はシャイロックにとって大きい。証文の肉1ポンドにこだわる異常さの遠因のひとつとなっている。
 
 (4)BBCシェイクスピア全集の『ヴェニスの商人』
 演出ジャック・ゴールド Jack Gold  収録日May 15-21, 1980 英国初放送December 17, 1980 アメリカ初放送February 23, 1981
 ジョン・フランクリン・ロビンスJohn Franklyn-Robbins as Antonio、ジョン・リス・ディヴィーズJohn Rhys-Davies as Salerio、アラン・ディヴィッド Alan David as Solanio、ジョン・ネットルズ John Nettles as Bassiano、 リチャード・モラント Richard Morant as Lorenzo、ケネス・クランハム Kenneth Cranham as Gratiano、ジェマ・ジョーンズ Gemma Jones as Portia、ス−ザン・ジェイムソン Susan Jameson as Nerissa、 ダニエル・ミッチェル Daniel Mitchell as Balthasar、ワレン・ミッチェル Warren Mitchell as Shylock、マルク・ズッバー Marc Zuber as the Prince of Morocco、エン・リーテル Enn Reitel as Lancelot Gobbo、 ジョー・グラッドウィン Joe Gladwin as Old Gobbo、ロジャー・マーティン Roger Martin as Leonardo。レスリー・アドウィン Leslee Udwin as Jessica、ピーター・ゲイル Peter Gale as the Prince of Arragon、 アーノルド・ダイアモンド Arnold Diamond as Tubal、ダグラス・ウィルマー Douglas Wilmer as the Duke of Venice、シャウン・スコットShaun Scott as Stephano



          『お気に召すまま』    池田博明

 (1)ローレンス・オリヴィエ主演の映画『お気に召すまま』がある(ビデオ。アメリカ輸入版)。
 英国のブラックホーク・フィルムズ配給作品(1936年)。白黒。96分。原作をダイジェストし、ほぼ忠実な流れで映画化している(ただし、第一幕第三場の後半部、ロザリンドとシーリアが相談して一緒に家出する場面は、第二幕第二場の前に移動している)。状況説明的な場面やセリフはカットされている。巻頭に紹介される役者はエリザベス・ベルクナー(前公爵の娘ロザリンド役)で、若きローレンス・オリヴィエがオーランドを演じている。


△ハンガリー生まれのツィンナーは、25万ポンドという当時としては破格の制作費と八カ月の制作期間、それにイギリス演劇界のオールスター・キャストをそろえて,今から見れば実に甘ったるい『お気に召すまま』を作った。立派なお城のセットは中世のお伽噺を思わせ、アーデンの森はロビン・フッドの世界を連想させる。
 ロザリンドを演じるのは監督ツィンナーの妻エリザベート・ベルクナー。一幕のお城の場面では、真っ白なドレスと三角のとんがり帽子、装いも立ち居振舞いも、いかにもお姫様。美人で上品である。森へ入って男装してからも、仕草は女らしく、どこかブリっ子の風。監督があちこちで妻を引き立たせる演出をしているのが見え見え。
 (中略)皮肉屋のジェークイズが脇の方で小さくなっているというのも、この映画の特徴をよく示している。つまり、純粋な牧歌劇として演出していて、影になる要素はすべてカットしたり、薄めたりしている。
 (中略)こうしたロマンティックな作品を制作する傾向は、金のかかるトーキーに転換した時期、スターを使って口当たりのいい映画を作る安全策を取らざるを得なかったという事情も手伝ってのことらしい。(狩野良規より)

●製作・監督パウル・ツィンナー、脚本R・J・カレン、台詞supervisorレオン・クオーターマイン、撮影ジャック・カーディフ、音楽ウィリアム・ウォルトン、舞台ラズル・ミーアソン、衣装ジョン・アームストロングとジョー・ストラスナー。
●他の俳優は登場順に挙げる。 お気に召すまま(オリヴィエ)
 第一幕:J・フィッシャー・ホワイト(オーランドに忠告する老僕アダム)、ジョン・ローリー(オーランドを嫉む兄オリヴァー)、ライオネル・ブラリアム(オリヴァーにオーランドを始末するように依頼される相撲取りチャールズ)。ソフィー・スチュワート(ロザリンドの幼友達で、新公の娘シーリア。ロザリンドと一緒にアーデンの森へ逃亡する)、マッケンジー・ワード(道化タッチストーン)、オースティン・トレヴァー(新公の待臣ル・ボー)、フェリックス・アイルマー(簒奪者の新公爵デューク・フレドリック)。
 第二幕:ヘンリー・エインリー(前公爵デューク、アーデンの森に隠れる)、スチュワート・ロバートソン(前公の家来エーミエンス)、レオン・クオーターマイン(前公の家来ジェイクイズ)、オーブリー・マリナー(老羊飼いコリン)、
 第三幕第一場:ドリス・フォードレッド(道化タッチストーンの相手の田舎娘オードリー)。
 第三幕第五場:ジョーン・ホワイト(男装のロザリンドに恋する羊飼い娘フィービ)、リチャード・エインリー(フィービに求婚する青年シルヴィウス)。
 第五幕:ピーター・ブル(オードリーに言い寄る青年ウィリアム)

 (2)演劇ビデオ、Shakespeare Masterpieces Collectionのなかに『As You Like It』がある。お気に召すまま演劇
 ストラットフォード・フェスティヴァルの舞台(芸術監督ジョン・ヒルシュ、製作ゲリー・エルドレッド、装飾デズモンド・ヒーレイ、音楽レイモンド・パンネル)を記録したカナダ放送局(CBC)テレビの作品(1983年)。輸入2巻のビデオで、2時間40分。
 舞台上演なのでセリフは力強く語られ、道化タッチストーンやジェイクイズ、ロザリンドやシーリアが観客の笑いを盛んに引き起こしていることが分かる。しかし、その可笑しさは私達にはよく理解できない。この戯曲には、“洒落や地口の類がしきりに出てくる”が、“これを邦語に面白く移すことは、ほとんど不可能に近い”(阿部知二)。
 上演成功の鍵はロザリンドの演技力にあると思わされた。

△小津次郎の「解説」(筑摩書房版全集より)
 “変動期エリザベス朝にあっては、未来への希望も胸の中に燃えてはいたが、過ぎ去った良き時代の追憶も棄て難かった。それに、当時の知識人の文学的教養という背後の条件も加わって、宮廷人の田園牧歌趣味は強かった。『お気に召すまま』は宮廷劇ではないが、宮廷人の趣味がようやく一般市民の間に浸透し始めた十六世紀末にあっては、貴族も市民もともに楽しむことのできる喜劇であったろう。
 しかし、『お気に召すまま』は、単なる田園賛美の作品ではない。たとえば、シェイクスピアはロッジの原作には存在しないジェイクイズなる人物を創造して、この牧歌的世界を、破壊させるほどではないが、現実ばなれのした夢の国に終わらせることなく、人間世界の真実の一片を与えているように思われる。この作品が書かれた当時、メランコリーという言葉が流行し、何事にも満足を感じない憂鬱症が話題となっていた。(中略)
 ジェイクイズも批判から免れることはできない。女主人公ロザリンドが、さらには道化のタッチストゥンまでもが彼の批判者の役割を演じている。
 シェイクスピアの芝居は相対の世界である。”

●製作サム・レヴィーン、監督ハーブ・ローランド。
 配役はロバータ・マックスウェル(ロザリンド)、アンドリュー・ギリーズ(オーランド)、ステフェン・ラッセル(オリヴァー)、ローズマリー・デューンスモア(シーリア)、ルイス・ゴードン(タッチストーン)、ニコラス・ペンネル(ジェイクイズ)、マリー・ハネー(フィービ)、ジョン・ジャーヴィス(シルヴィウス)、グレイミー・キャンベル(デューク・フレドリック)、ウィリアム・ニードルズ(兄デューク)、メルヴィン・ブレイク(アダム)。

 ジェイクイズの有名な台詞はこんな具合だ。「世界はすべてお芝居だ(All the world's a stage)。男と女、とりどりにすべて役者にすぎぬのだ(And all the men and women merely players)。登場してみたり、退場してみたり(They have their exits and their entrances)、男ひとりの一生の、そのさまざまの役どころ(And one man in his time plays many parts)、幕は七つの時期になる(His acts being seven ages)」。(阿部知二訳)

 (2)BBCシェイクスピア全集の『お気に召すまま』
  演出ベジル・コールマン Basil Coleman,収録日May 30-June 16, 1978, 英国初放送 December 17, 1978, アメリカ初放送February 28, 1979
 ヘレン・ミレン Heren Mirren as Rosalind, ブライアン・ステイルナーBrian Stirner as Orlando, リチャード・パスコ Richard Pasco as Jaques, アンガラッド・リーズ Angharad Rees as Celia, ジェイムズ・ボラム James Bolam as Touchstone, クライヴ・フランシス Clive Francis as Oliver, リチャード・イーストン Richard Easton as Duke Frederick,トニー・チャーチ Tony Church as Duke Senior, ジョン・クウエンティン John Quentin as Le Beau, メイナード・ウィリアムズ Maynard Williams as Silvius、ヴィクトリア・プラックネット Victoria, Plucknett as Phebe, マリリン・ル。コンテ Marilyn Le Conte as Audrey, トム・マックドンネル Tom McDonnell as Amiens、 デイヴィッド・ロイド・メレディス David Lloyd Meredith as Corin, アーサー・ヒューレット Arthur Hewlett as Adam, ジェフリー・ホランド Jeffrey Holland as William, ティモシー・ベーツソンTimothy Bateson as Sir Oliver Martext, ディヴィッド・プラウズ David Prowse as Charles the Wrestler, ジョン・モルダー・ブラウン John Moulder-Brown as Hyman, ポール・ベントール Paul Bentall as Jacques de Boys, クリス・サリヴァン Chris Sullivan as Dennis
 Filmed at Glamis Castle in Scotland,
 this was one of only two productions shot on location, the other being Henry VIII. Director Basil Colemen initially felt that the play should be filmed over the course of a year, with the change in seasons from winter to summer marking the ideological change in characters, but he was forced to shoot entirely in May, even though the play begins in winter.
        

            『終わりよければすべて良し』   池田博明

△『恋の骨折り損』が『終わりよければすべてよし』と同じ特徴を持っていることは注目に値する。どちらも、若いと思われる俳優のほうが経験を積んだ俳優よりも二対一の割合で多く、女役の割合が普通より大きい。しかも両方とも、ロマンティックなフランスの宮廷を舞台としているという共通点もあり、この設定はシェイクスピアのほかの作品には珍しいものである。(ホッジス『絵で見るシェイクスピアの舞台』1999年より) 

 (1)BBCシェイクスピア全集の『終わりよければすべてよし』
 演出エリシャ・モシンスキー Elijah Moshinsky
 収録日July 23-29, 1980 英国初放送 January 4, 1981,アメリカ初放送 May 18, 1981
 セリア・ジョンソン Celia Johnson as The Countess of Rousillion,イアン・チャールソン Ian Charleson as Bertram、マイケル・ホルダーン Michael Hordern as Lafeu、 アンジェラ・ダウン Angela Down as Helena、ピーター・ジェフリー Peter Jeffrey as Parolles、ドナルド・シンデン Donald Sinden as the King of France、ポール・ブルーク Paul Brooke as Lavache、 ロバート・リンゼィ Robert Lindsay as the first Lord Dumaine、ドミニク・ジェフコット Dominic Jephcott as the Second Lord Dumaine、ローズマリーー・リーチ Rosemary Leach as The Widow of Florence 、 ピッパ・ガード Pippa Guard as Diana 、ジョーリア・カップルマン Joolia Cappleman as Mariana 、ニコラス・グレイスNickolas Grace as the "Interpreter" 、 テレンス・マックギニティ Terence McGinity as The First Gentleman 、マックス・アーサーMax Arthur as The Second Gentleman

               間違いの喜劇

 (1)彩の国さいたまシェイクスピア・シリーズ 2006年2月3日〜2月19日
 アンティフォラス(小栗旬)、アンティフォラス(小栗了)。ドローミオ(高橋洋)、イジーオン(吉田鋼太郎)、バルサザー(嵯川哲朗)、ルシアーナ(月丘悠貴)、エイドリアーナ(内田滋)、エミーリア(鶴見辰吾)、ピンチ(川辺久造)、アンジェロ(たかお鷹)、ソライナス(原康義)、商人(妹尾正文)、使者・商人・ドローミオ弟(清家栄一)、商人2(飯田邦博)、官吏・首切り役人(大富士)、娼婦(山下禎啓)
 演出の蜷川幸雄は「シェイクスピアの作品でも、つまらないものがある」と指摘する。「ご都合主義だし、とりちがえなんて。ありえないでしょ。ひどい本なんだから。それを見せられるように仕上げたぼくらがすごいんだから」。なお、すべての女役は男優が演じている。

   

参考文献
福田恒存『シェイクスピア全集』1〜15巻、新潮社
松岡和子『シェイクスピア全集』1〜15巻、ちくま文庫
坪内哨遥『ザ・シェークスピア(全戯曲:全原文+全訳)』第三書館
ラム『シェイクスピア物語』(上下)、偕成社文庫
AERAムック『シェイクスピアがわかる』(朝日新聞社、1999年)
大場健治『対訳・註解 ヴェニスの商人』(研究社,2005年)
喜志哲雄『劇場のシェイクスピア』(早川書房、1991年)品切
高田康成・河合祥一郎・野田学(編)『シェイクスピアへの架け橋』(東京大学出版会、1998年)
高橋康也ほか、『シェイクスピア辞典』(研究社、2000年)
出口典雄(監修)、佐藤優(執筆・編集)『シェイクスピア作品ガイド37』(成美堂出版、2000年)
狩野良規『シェイクスピア・オン・スクリーン』(三修社、1996年)
ミルワード『シェイクスピアの人生観』(新潮選書、1985年)
中野好夫『シェイクスピアの面白さ』(新潮選書、1967年)
福尾芳昭『シェイクスピア劇のオペラを楽しもう』(音楽之友社,2004年)
ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(白水社、新装訳書1992年)
ジョン・ウェイン『シェイクスピアの世界』(英宝社、1973年)
C・ウォルター・ホッジス『絵で見るシェイクスピアの舞台』(研究社出版、2000年)
松本侑子『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』(集英社、2001年)
ローレンス・オリヴィエ『一俳優の告白、オリヴィエ自伝』(文藝春秋、1982)
ケネス・ブラナー『私のはじまり』(白水社、訳本1993年。1989) 


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