日曜日にはTVを消せ 目録


OFF&ON 連載第3回 
早すぎた自叙伝・序章
(▼池田博明 +★藤田真男 +■引用文)  
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「日曜日にはТVを消せ」第4号 1975年2月9日発行  
 "鏡の中にある如く"レポートとディスカッション

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OFF&ON 連載第3回 早すぎた自叙伝・序章
(▼池田博明 +★藤田真男 +■引用文)     
「日曜日にはТVを消せ」第4号 1975年2月9日発行  
 "鏡の中にある如く"レポートとディスカッション

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▼ 1974年,<夢の島少女>が最高の経験であるという想いが,ぼくらをとらえている。「みた」ともさることながら,それにつづいて,なにか言わずにおれなくなって,MAOが『夢の島少女』で「日曜日にはТVを消せ!」を開局したこと・こだわりつづけていること・こだわらずにはいられないこと・<これしかない>のではないかと思うこと,そういったことが,ぼくらの中の<夢の島少女>を増幅させている。

★ 『夢の島少女』をみて以来,それまで自分自身の中でぼんやりしていたものが,一つの方向をもってきたように思う。

▼ <夢の島少女>とは一体なんだったのだろう。そして,感激した<私>とはなんだったのだろう。それを考えるのに,ぼくらにはコトバしかない。絵やイラストや音楽でも考えることができたら,どんなにかうれしかろう。だが,コトバ,それも不器用なコトバしかないのである。せめて,

★ 「ぼくの小夜子」という唄が作れたらなァ…。<夢の島少女>を詩にしたい。<批評>や<作品論>や<解説>ではなく<詩>のようなもので感性にたよるべきだと考えたけれど,どうもそんなものは書けそうになかったのだ。
 いま,手元に『パイディア』第8号があり,そこに,J・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の訳と解説が載っている。きわめて難解な詩で,解説の方が圧倒的に多い。それでも解説しきれるとは思えない。<夢の島少女>も同様だと思う。

▼ いくら語っても語りきれないという想いを,ぼくらは<夢の島少女>についてもってしまった。どうしてだろうか。
 『夢の島少女』という作品は1974年10月15日10時15分から11時30分まで,ブラウン管に確かに存在した。だが,いま,それはどこに在るのか。ぼくらの中にしかないのである。そしてまた,ぼくの<夢の島少女>とMAOの<夢の島少女>とは決して同じものではありえないだろう。ぼくの<夢の島少女>でさえ,ぼくがコトバにして表現した<夢の島少女>と同じではないのだ。
 こんな厄介な問題にとらわれてしまったようである。コトバが不完全なものだからだと言い捨ててすむことではない。
 川本三郎氏が『ユリイカ』1974年12月号に"「不可能」な言葉のほうへ"を書いている。
 「可能」な言葉と「不可能」な言葉。 「可能」な言葉とは,わかりあえることを前提にして発せられる言葉だともいえるように思う。


■ 生きている者が生きている者に語りかける,闘っている者が闘っている者に語りかける。それは「可能」の言葉である。 「革命」「平和」「自由」。そういった言葉がこの「可能」の言葉に含まれる筈だ。 しかし,「あらゆるものに」,「青空にまで」耐えなければならない者にとってはすでに「可能」の言葉は失われている。 彼は,現実にはほとんど「不可能」なほうへむけてしか発語できない。(川本)

▼ こうはいえまいか。「可能」な言葉とは「当為」の言葉であり,「不可能」な言葉とは「存在」の言葉である,と。この場合,「存在」という言葉を支えている認識は,

■ ひとが他人を救えるということはほとんどありえない。「可能」な言葉では,なるほど一致することがあるかもしれない。「平和」「闘い」「主義」,言葉はいくらでもある。しかし,ひとは最終的にはひとりきりなのであり,もしそのようなひとりが他のひとりとふれあうことが出来るとすれば,それは「不可能」な言葉においてしかないのだ。「共生」という言葉はおそらくそういう意味の筈だ。(川本)

▼ 無数の死があった。戦争。無数の死がある。日常。

■ 言葉を発せない者,言葉が失われている者に,なお言葉を向けていくということは,現実には「不可能」な試みである。しかし,「耐える」という態度を自らに課した者にとっては,その「不可能」の中にしか自分の言葉を置くことは出来ないのだ。(川本)

★ ぼくがNo.1とNo.2で云いたかったことも,ようするに「不可能」ということだった。
 <他人の夢>を<みる>こと,これが<不可能>でなくてなんだろう。
 <出会いの一回性>とは<不可能性>のことだし,『マザー』での,ひとりぼっちの少年と女の人は,<不可能>のコトバによって<出会う>のだ。
  <あるはずのない場所><いるはずのない人>をさがそうとすること,それも<不可能>なコトバによる出会いを求めようとすることだ。
  No.1で,ケンと小夜子の間にコトバはない − と書いたけれど,本当は,<不可能>なコトバを求めようとしている − というべきだと思う。

 ユーミンの場合なら,たとえば「返事がほしい」ではなく,「返事はいらない」と唄って,自らを<不可能性>の方へ向けているのだ。

 No.1,No.2を読んだ人たちのほとんどが「みてないからわからない」といっているのは,逆にいえば「みたら」「わかる」という<可能性>の方へしか目を向けていないのではないだろうか。
 それでも,ぼくのコトバを送るのは,「おのれへのかすかなはげまし」だろうし,いまはバラバラでも,だからこそ<出会いの可能性>もあるのだと思うから…。

 川本さんのいう<不可能>な言葉のほうでの共生を求めたい。
 ぼくが,<もしかすると,これしかない>といったのも,そのことだと思う。けれど,そう思う反面,YOTAのように<ああでもなく,こうでもない>ほうへ向う自分もかかえている。

▼ 宙ぶらりんの私。

★ 山内豊さんのコトバを借りれば,「まるっきりヤバい綱渡りをするようなもので,その都度,頭をかかえこんではいるのです」

▼ 自分自身のコトバともなかなか出会えない。

★ ミニコミにしろ何にしろ,コトバを発するのは,<私のコトバ>を探そうとすることなのだと思う。「はじめにコトバありき」というわけで,ぼくらはコトバを自分のものとして使えない。

▼ しゃべりたいのにコトバが逃げていく。コトバが<私>を裏切る。
 ジレンマの中にあって「言葉なんか覚えるんじゃなかった」(田村隆一)とさえ思う。
 いっそ「コトバを信じない」ところから始めるか。いま在るコトバだけでなく,この私のコトバも信じないところから。
 言葉について語る言葉=メタ言語なるものを工夫せねばならなかった言語学者もジレンマにおちいっていたにちがいない。


★ けれど,<私のコトバ>はなかなかみつからない。

▼ 川本さんが『jazz』に,"悲しき屋台のうた"を連載している。

★ 川本さんのいうようにセメダインでペタペタやるみたいにコトバとコトバをくっつけてみたりする。コトバを捨てようとして<饒舌>にならざるをえない。

▼ 『夢の島少女』で「これ,あたしが見つけたの」という少女が感動的だったのは,少女が<私のコトバ>ならぬ<私の旋律>を発見した時の喜びが,ぼくらの喜びでもあったからである。

■ 自分自身との出会いが,他者との出会いとなるかもしれない。(佐々木毅『ラ・リュミエール』154号)

★ 山内豊さんは『ミディアム・フィルム・ショウ』で,他人への呼びかけとか,他人のコトバを使ったりすることを意識的に避けている。山内さんは<山内豊論>にこだわろうとしているとのこと。
 ともかく<出会いの不可能性>を自覚しないことには出発点にたてない。
 そうわかったいまはすがすがしさみたいなものがある。

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★ あべ静江が名古屋のFMでパーソナリティをやってる頃,何度か,佐々木昭一郎のドラマのようなことをやって,とても新鮮だった。
 風がビュービュー吹いてる冬の街を,彼女がデンスケかついで,ハーハー息をきらしながら歩き回ったり,名古屋港へ行って,一人で魚つりしてる少年に会って,何でもない会話をしたり。『マザー』みたいな感じ。
 彼女が歌手としてデビューしてからも,しばらくはそのFM番組をつづけていて,番組の中では,あくまでも<素人>のパーソナリティとして毅然と(?)してて,とても好ましかった。

 馬場こずえさんの旧・木曜パックの次ぐらいに,ぼくの好きなラジオ番組だった。
 馬場女史は「あたしは,何事に関しても全く素人です」と断言してたし,そのコトバ通りの番組だった。
 −旧・木曜パックの馬場女史のキャッチ・フレーズ「月日のたつのは恐ろしいもの。しかし,恐れてはなりません。逆境にもめげず,敢然と立ち向かう馬場こずえです!」

▼ 「素人であること」は「子供であること」に似ている。そして「何事にも素人であろうとする」意志と「成長を拒否する」意志は重なる。

★ PHCの中で,ぼくたちが,自らの内にかかえている<小児性>にこだわってきた意味は何だろうか。

▼ 「オギャア!」と泣き叫んでこの世の最初の空気を吸い込んで以来,ぼくらは視て聞いて感じて話してきた。熱心に。

■ 普通子供はほとんど母乳と一緒に母親の言葉を貰う。言葉と一緒に,発想法とか思惟法則とかも受け継ぐ。その言葉なり発想法なりは,あくまでも子供にとっては既製品であるほかはない。(亀井秀雄「死霊」論)

▼ 言語は文化であり,文化は言語である。「よい」と「good」は全く同一ではないのだ。

■ 自分の思惟が馴化されてしまったこの既製品のほかに,別の思惟法則があるはずだ。若し一人の青年がある自由を求めてこう考えるとしたら,かれは根ぶかい母親忌避者となるしかないであろう。(亀井秀雄「死霊」論)

▼ 一生懸命学んできたオトナ社会の思惟法則・価値体系が,実はまちがいだったんじゃないかと思い始めた時,<私>の分裂が始まる。いまだ分裂を感じないですんだ小さい頃に<真実の私>をみようとする。

■ ものを,「見て」「感じ」とっていた何の背景もない幼少の頃の私は真実の私だったと思う。(佐々木昭一郎「夢の島の少女」)

★ ぼくも,どっちかというと人見知りする方で,だから<記憶>への執着は強い。「昔はよかった」とぼくが思うのは,いや,たいていの人が一度ぐらいは「昔はよかった」と感じるのは,それは,ノスタルジーの更に向うにいるはずの<真実の私>へのあこがれなんだと思う。
 ユーミン(荒井由実)の唄もそうだ。特に『ひこうき雲』よりも『ミスリム』の方が,<記憶>の対象が<空間>から<時間>へ拡大しているように思う。
  ♪小さい頃は神様がいて 不思議に夢を かなえてくれた
 というのは<真実>なのだ。
 「私のフランソワーズ」も,ノスタルジーの向う側へのあこがれ。

 小学生が作文に,それから何をしました,それから何をしました,と,「しました」「した」とばかり書くという川本さんの指摘(『jazz』1974年9月号)。
 それは,<みて><感じた>ことすべてを記憶しておきたいからなんだと思う。

▼ ユーミンはこう唄う。
   ♪目にうつる すべてのことはメッセージ

 思潮社の『現代詩文庫22 鈴木志郎康詩集』の解説(鈴木志郎康と「それから」の代助)で,飯島耕一が,鈴木志郎康の表現に夏目漱石「それから」の代助の表現との共通点があることを指摘していた。
 「めまぐるしい外界が(それも都市の)意味もなく眼や頭のなかにとびこんでくる,その印象の羅列である」,「すべてが受動態であり,人,ないし詩人の能動的なことばや行為はここにはない。
 漱石にもなく,プレヴェールのあるものにもない。物の方が人を無視して次から次へとどんどん飛びこんでくる。この現代性。」  意味のない<もの>が,私の意向にかかわらず目に入ってくると考えるのと,目にうつるすべてのことに<意味>があると考えるのでは大きなちがいがある。
 <いま>に対する関わり方のちがいである。
 「小さい頃」だけでなく,いまだに「目にうつるすべてのことはメッセージ」なんて云っているのは,子供っぽいだけなのだろうか。


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▼ No.2に紹介された斉藤次郎氏が1972年の『思想の科学』11月号に"子どもは本当に存在するのか"という文を寄せていた。

■ おとなと区別すべき子どもの特質とは,その非合理なまでの主観性ではないか。しかし,いま<子どもの不在>という状況がある。子ども文化は,おとな文化と,なんら異質の構造・価値体系をもたぬものとなってしまい,子どもは,おとなと同質のもの,<子どもでない子ども>になっている。そんな子どもたちとぼくたちおとなが関係をきり結べるのは<いま>という一点においてのみだろう。いま,必要なのは,子どもを管理することではなく,子どもを解放する手だてを,自らの解放の問題に重ね合わせて模索することである。この文章は子どもたちと開く戦術会議のための,その前段階のおとなフラクション会議の基調報告である(要約した)。

★ 次郎さんの<子供論>と<うた論>(放送文化)は,ほとんど同じことを云ってると思う。子供のカゲ文化(貸本屋・駄菓子屋文化)も大人のカゲ文化(伝統的流行歌の含羞の美学)も崩壊したということ。 テレビ漫画のスポンサーが大手菓子メーカーであったことによって。テレビが<現場>を映し出して想像力を疎外したことによって。
 <子供論>の方が戦術会議のための報告であるというのに対し,<うた論>の方は鎮魂歌であるといっている。この2年間で,事態はますます困難になった,という自覚が次郎さんにはあるのだろう。
 子供を守れ! うたを守れ! というかけ声は,巨大なファシズム機構=ТVを相手にするとき,ひどくうつろだともいえる。

■ ロックは革命だ,というかけ声は,巨大なファシズム機構を相手にするとき,ひどくうつろだ。ジェリー・ルービンの「大人になるな!」のかけ声の方がまだ有効であるようだ。(片岡義男『ぼくはプレスリーが大好き』)

★ 伝統的流行歌の含羞の美学をテレビから守ると発想してはならないのと同じ意味で,大人から子供を守ると発想しても有効性はない。「大人になるな!」と呼びかけるべき相手は子供ではなく,ぼくたち自身だ。そして,ぼくたちは,ユーミンのいうように(「誕生日」),過去にもどってやりなおすには<生れる以前>までさかのぼらなければならないのだから,それは不可能だ。

■ 子どもに<過去>がないように,ぼくたちには<未来>がないのだ。とはいえ,子どもにおける<過去>の欠落とおとなにおける<未来>の欠落とは,なにも絶望的な不幸ではあり得ないとぼくは思う。(斉藤次郎)

★ 「子どもたちと共有するぼくたちの<いま>は,子どもたちによって,未来へ送り届けられるタイム・カプセルである」=「ぼくたちは,流行歌体験の生理的な記憶を再生しつづけねばならない」(斉藤次郎)
 タイム・カプセルは,佐々木昭一郎にあっては『夢の島少女』だし,川本さんにとっては「不可能なことば」だと思う。
 川本さんも<世代>とは関係がない,といっている。佐々木昭一郎氏も,<記憶>を,ノスタルジーではない,といっている。
 自分の内のコドモとオトナにこだわり続けよう。
ぼくよりもオトナの人に聞けば,そりゃ,昔のことはよくわかるけど,コドモのぼく自身のことはわからない。<いま>の子供の中に,コドモのぼくをみるべきだと思う。
 そして自らの内のコドモとオトナの断絶は,自己と他者の断絶でもある。

■ 個々の人間どうしがバラバラになっているのと同じで,一人の人間の中でも過去と現在と未来がバラバラになっている。(川本三郎『jazz』1974年12月)

■ 回帰というのはいつかその場所にたしかに自分がいたという確信がなくては成立しない。かつての居場所といまの場所とがバラバラになっているやつはどこに帰ればいいというのだ。(川本三郎『jazz』1974年12月)

★ だから,ぼくたちは<あるはずのない場所>での<真実の私>との出会いを求めたいのだ。

★ 正月に,井上ひさしや彼の仲間たち(熊倉一雄ら)がТVに出ていて,誰かが云ってたけど,小さい頃,大人をみてると,何もかもわかって生きてるようにみえたのに,自分が大人になってみると,何もわかりゃしない,いまも何もわかっちゃいないですネというコトバがあった。 考えてみると,ぼくも小学生のころは中学生が,中学生になると高校生が大人にみえた。そんなふうに,なんかファッション的(?)なヒエラルキーを,のぼりながら,誰もが自らの内のコドモを見失ってきたのだと思う。そして,自分の中の過去・現在・未来がバラバラになってしまった。ユーミンはそれを<まっすぐに>つながったものとしてみようとしている。

★ 『落日のあと』(「混血桃色通信」第2次・第1号)の拙文中,アラン・シャープのいう<個人>=自己実現(self realization)を試みている=も,佐々木昭一郎のいう<真実の私>なのだと思う。
  『ラスト・ラン』や,ギャビン・ライアルの描く男たちは,みな,ギャングやスパイ,つまり<仕事>としてのギャングやスパイから,いったん足を洗った連中である。
 そして,彼らは,再び,<仕事>のためにではなく,ハンドルと拳銃を手にすることになる。そうなのだ。彼らは,たづなの代わりにハンドルを握った,現代のカウボーイとして,自己を規定しているらしいのだ。したがって,彼らの<旅>は,<大切なもの>を護送する,すなわち,カウボーイのキャトル・ドライヴに相当する<旅>なのだ。
  これは,<仕事>ではなく,<観念的>な<旅>である。
 そして,<旅>= self realizationというのは,自分自身と出会うための旅だし,つまり,自らの内の過去・現在・未来がひとつになることだ。
 Self realizationてステキなコトバだ!
 Self realization を試みて死んで行く男たちが,ぼくらにとってポンコツ・ヒーローとみえるのは,小児性(過去)へのあこがれと同じ理由だろう。
 『ラスト・ラン』『さすらいのカウボーイ』『ワイルド・アパッチ』(すべてアラン・シャープ脚本),みな主人公は死によって旅を終える。Self realizationの不可能性に挑んでの死だから,挽歌は賛歌となる。

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★ アル・クーパーというロック・ミュージシャンがいる。
 B・S&T(ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ<血と汗と涙>)を結成し,そのデビュー・アルバムが『子供は人類の父である』というもの。
 このアルバムのジャケットには,B・S&Tのメンバー8人がそれぞれ子供を抱いて写っている。ところが,その子供というのは,B・S&Tのメンバー自身だった。各々,小さくした自分を抱いているわけ。つまり合成写真なのだ。だから,その子供はヒゲを生やしたりしている。自分自身が,父であると同時に子供でもあるのだ。
 YOTAが<不可能へ挑戦>で述べた「新たな母性,新たな父性,つまりは自分自身のこと」ということを写真にしたようなものだと思う。
 「日曜日にはТVを消せ」No.2の4ページで,このYOTAの文を引用して,『マザー』は<新たな母性>かもしれないと云ったのは,やはりこじつけではなかったように思う。それは『おはようぼくの海』というはじめのタイトルからも伺える。

 B・S&Tを離れたアル・クーパーが,昨年あたりソロ・アルバムを出した。そのタイトルが『早すぎた自叙伝』。このタイトルには,新鮮な感動を覚えた。しかも,ジャケットには,アル・クーパーが,死んだような老人のメー・キャップをつけて,ぐったりと腰かけている写真!。ちょうど『二○○一年宇宙の旅』のボウマン船長のように,瞬時に年老いてしまったようにみえる。ゾッとするような…。

 アル・クーパーには『赤心の歌』Naked Songsというアルバムもあり,これもタイトルだけで心ひかれてしまう。「自分自身でありなさい」「時の流れの如く」「盲の嬰児」「スタンド・アローン」などなど。 「静かに狂っていくぼく」という恐ろしいタイトルの曲もある!

 ぼくはこれらの曲を聞いたことがないけれど,タイトルとジャケットだけで,アル・クーパーの云いたいことは,わかるような気がする。 彼に冠せられた代名詞が<孤高のスーパースター>なんてことになっていて,あまり広く理解されていないらしい。
 アル・クーパー・スタンド・アローン。そういうものだ。みんなバラバラになって,単独行でやるしかないのだ,今は。

■ 小田実は,「群像」九月号で,近頃のガキは,みんなで遊ぶことをしなくなった。そのかわりにひとり遊びはえらくうまい。これは連帯意識がなくなったあらわれだ,実になげかわしい,とイカッていたけれど,いまはもう秋,単独行の季節だから,これはしかたのないことなのだ。 鎖はどんどんぶっこわれるほうがいい。そのかわり,一個一個の環がしぶとく強くなるのだ。いまはちょうどその途中で,鎖がバラッとくずれ,環があちこち四方にとびちったところなのだ。これから環がひとりきりで強くなるのか,それとも飛び散ったままどっかに行方不明になるのか,そいつはだれにもわからないけれど,いまはともかくひとりでやるよりしかたないのだ。(川本三郎『jazz』1974年11月号)

★ アン・バートンや,いろんなシンガーが唄ってる「別れの時まで」という曲が好き。
  ♪私は天使じゃない 女王じゃない ただの女
      私たちはバラバラ We are different

▼ ひとりであることを自分に言い聞かすような歌が親しい。

 麻生よう子の「逃避行」(千家和也,都倉俊一)
   ♪ 私ひとり キップ買う

  テレサ・テンの「雪化粧」(山上路夫,猪俣公章)
  ♪ 冷たく長い 冬が来た 私はひとり 
    何を頼って 暮らせばいいの  さびしい街で

  西崎みどりの「旅愁」(片桐和子,平尾昌晃)
   ♪ 白い ほほえみも  うしろ姿も 遠い夢の中 あなたはいない
 「あなた」とは何か。何を探してここまで来たのか。風にゆれ,雨にぬれて,「思い」は今も今も燃えているのに。「あなた」はいない。


★ ぼくたちには<未来>はないかもしれない。しかし,それを不幸と考えることはない。
 「早すぎた自叙伝」を書こう。それを読むのは,子供たち=人類の父だろう。
 「早すぎた自叙伝」は<いま>書かなければならない。
 それは,次郎さんのいう<タイム・カプセル>となるはずだ。
 山内さんが<山内豊論>を,と思うのも,「早すぎた自叙伝」の必要を感じるからだろう。

▼ 問題なのは<いま>ということなのだ。<いまの私><私のいま>。
 ぼくが語る「自叙伝」は,いまのぼくによって整理された過去である。 今日過去を語った言葉と,明日過去を語る言葉はちがうかもしれない。 「今日の自叙伝」と「明日の自叙伝」はちがうかもしれない。 いや,きっとちがうだろう。でも,それでいいのだ。
 ユーミンが唄っている。
  ♪ 時はいつの日にも 親切な友達 
  過ぎてゆく昨日を 物語にかえる (「12月の雨」)

 そして荒井由実の
  「今日のわたしは 今日のわたしがいちばん好き
  明日のわたしは 明日のわたしがきっといちばん好きになるだろう」
  という美しい言葉を,完成した「早すぎた自叙伝」の最初のページに,最後に(最期に)書き入れたいと思うのだ。

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▼ 気をつけていれば自分の「自叙伝」の完成した姿を(あるいは未完成しかないのかもしれないが),他のところにみてしまうこともあるのだ。

★ NHK・ТV「みんなのうた」の"想い出のグリーン・グラス"のアニメがすばらしい!
 この曲は,ほんとは,監獄の中で囚人が夢をみて,夢の中で,故郷に帰り,わが家の芝生の緑に心うたれる−と,そこで目がさめてしまうという内容だが,日本語では,ただ望郷の歌としてうたわれている。
 けれど,アニメでは,私が巨人化していて,おどろいた。巨人化した私が故郷を見下ろしている。ブランコがゆれると,そこに,幼い頃の私と大人の私が交互に現れる。巨人の私は,再び故郷を去っていく…・。
 わずか2,3分のアニメで人間の一生が物語になっていた。
▼ アニメは竹口義之 唄は上條恒彦

★ 『ムーミン』はカルピス提供だったけど,東京ムービー時代と虫プロ時代ではCFもちがっていたのだ。
 東京ムービーの頃は,小さな女の子が,ひとりで,コップを用意して,氷を入れて,カルピスを飲む様子を,カメラがじっととらえるというCFだった。女のコは,真剣な面もちで,黙々と作業(?)に取り組んで,たったひとりで,それを成しとげる。みてる方はヒヤヒヤするんだけど,何度みても感動的なCFだった。しかも,女のコは,作業を完了したカルピスを飲む時,カメラに向って笑ったりうれしそうな顔をみせないのが,またいい。 
 虫プロの頃になると,オズモンド・ブラザーズが海や山でみんなそろって楽しそうに遊んで,カルピス飲んでニコニコするCFばかりだった。
  ほとんどのCFは後者のように,たとえば,コーラを飲んだらオトナもコドモも自由で幸福になるとか,自由で幸福だからコーラが飲めるというメッセージでしかない。
 「ワンパクでもいい。たくましく育ってほしい」というメッセージの受け手はどこにもいない。存在しない子どもに向ってのメッセージでしかない。

 「おとなの無気力を反映して,子どもが気力を失っているそのありさまを,おとなたちは我が身を忘れて告発しているにすぎない」(斉藤次郎)

 たったひとりの意志と力でカルピスを飲む女のコの姿が感動的なのは,その<自発性>が頼もしいからではなく,女のコとぼくたちが辛うじて交わることのできる<いま>という一点をそのCFが伝えているからだと思う
 。『マザー』の少年をとらえるカメラと,このCFのカメラのまなざしは,どこか似ていたように思う。 そしてまた,このカルピスのCFは,マンガの『ピーナッツ』の世界にも通じると思う。
 チャーリー・ブラウンや彼の仲間たちは,オトナの世界とは全く断ち切れている。アニメでは,先生の声はコトバでなく,ミュート・トランペットのような<音>でしかない。またオトナの姿はいっさい登場しなくて,自分を犬だと思っていない犬やら,犬を人間だと思ってる女のコが登場する。

  『ピーナッツ』の面々は,実によくТVをみている。しかも全く無表情に。ブラウン管の画像は描かれていない(真横からしか描かれていない)ので,何をみているのかもしれない。彼らは,川本さんが『jazz』1974年10月号に書いていた<ラジオ中毒>ならぬ,<ТV中毒>なのだ。
 おまけに,それを自覚さえしている。
 ライナスがТVばかりみているので,ルーシーがとがめる。
 「あなたは一生のあいだ何をやってたかと聞かれたとき,ТVをみてましたとしか答えられないかもしれないわよ!」
 「ぼくのおじいちゃんがまさにそうだったんだ。彼はラジオを聞くことしかなかった」というようなエピソードが『ピーナッツ』には,しばしば描かれている。
  ♪ We are all a boy named Charie Brown

 ТVアニメの「チャーリー・ブラウン」(NHK)は妹がひとりで熱心にみてたもので,ぼくもみるようになり,本の方も妹が持ってるのを読ませてもらったのだ。 ぼくが妹とТVをみていておどろくのは,彼女が,ぼくとまるで別のものを<みて><感じて>いることなのだ。ぼくより10歳ぐらい年下なので<記憶>する能力はすごい。
 たとえば,ライオンの「ホワイト&ホワイト」のCFでね,子供が二人いる家族がずっーと出てるよね。で,お母さんが,娘の歯がどうのこうのてな話をしてたのね。それが最近,お父さんの方もセリフがついたのだ。妹は「あの男の人は今までいっぺんもしゃべったことはない」ときっぱり断言するのだ。で,どうも妹の云う通りらしい。こんなくだらないようなことを妹は<記憶>しているのだから,オドロク。
 妹とТVをみてるとすべて,この調子で,彼女に教えられることは多いのだ。 相当にハシタナイけれど,ぼくは妹のことも「自叙伝」に書き加えておかねばならない。
 ぼく以上によくラジオを聞き,ТVを見ている。そして一度聞いたりみたりしたことは,実によく覚えているし,歌謡曲も数回聞けば覚えてしまう。ТV『すばらしい世界旅行』のニューギニア・ロケの一篇で,BGMに『ノストラダムスの大予言』の音楽を使ったこと,ユーミンが以前ラジオのDJをやってたこと,柳家小三治の師匠の娘と安田南は友人で,二人でよく落語を聞きにいくこと,妹が教えてくれた。
 歌謡番組なんかみてると,一人一人の歌手について,いろいろと意見を述べる。
 たとえば,風吹ジュンが唄ってると,「こんな奴が歌手だなんて許せない!」とか,フォー・リーブスがチャラチャラ踊りながら唄ってると,「あんなヘナヘナ動かなくても,ダークダックスみたいに,並んで唄えばいいのにな」とか,ぴんから兄弟とか殿さまキングスなんてド演歌が出ると,「こんな気持ちワルイ歌がはやるのは,こういう歌を求める人がいるってことなんね」とか,まあ実に的確というか,その通りなのだ。

 妹もアグネスやシンシア(南沙織)は好きで(けれどシンシアの「夏の感情」は気に入らないそう),麻生よう子とか,ナナ・ムスクーリがいいとか。
 でも,ジュンコ(桜田淳子)もアイちゃん(坂口良子)も大原麗子もみんな嫌いだから,『となりのとなり』には,ケチのつけっぱなし。たとえば,アイちゃんが出ると,「ア,あのブラウスいいな!ほしいな!ブラウスだけいいな!」なんて調子でうるさいのだ。ジュンコはもっとひどくて「ウァ!ワ!ワ!」なんて露骨に嫌悪を示すのだ。
  「紅白歌合戦」に井上ひさし夫妻が審査員として出ていたが,妹いわく「奥さんてこんな人かなあ。も少し美人かと思った」,ぼく「ナンデ?」,妹「"ボクのしあわせ"とだいぶちがうもン(井上ひさし役は石坂浩二,奥さん役は小鹿ミキ)」,ぼく「アホか!?それなら井上ひさしと石坂浩二のどこが似とる?」,妹「でも,本に書いてあったもン,ホンモノの奥さんと後ろ姿が似ているって」,ぼく「後ろからみりゃ,誰でも同じようなもんや」 − とまあ,そんな会話をしながら,帰省中はいつも妹とТVをみていた。
 ТVで『冒険者たち』をみて,アラン・ドロンのでっかいポスターを買って,アグネスのポスターと並べて壁にはりつけてる。『砂の器』をみて,ものすごく感動したんだって。
 ようやくティーン・エィジャーになったところ。つまり13才。ティーン・エィジャーとは,もちろん13〜19才のこと。

 『面白半分』1975年2月号で,井原忠高が,ТV以後のコドモは,ТV以前に育った人間とは,まるでちがう−と云ってるのは本当。 ぼくらは,その<地球人>と<火星人>の境界に育った"世代"なので,中途半端なところがあるように思う。

▼ 「あなたがたはТVのない夜をどう過ごしてよいかわからないでしょう」と云われたことがある。だが,そうではないのだ。ものごころがついた時,まだテレビはなかった。あったのはラジオである。
 「テレビ・ジプシー」というコトバがはやった58年,ぼくは7才だったし,車などほとんど通らない道や河原で,昼日中遊んでいるか,貸本屋の持ってくる月刊マンガ雑誌を読んでいるかだった。家でもТVを買ったのは60年だった。

★ 昔話をすると,ぼくは,中学3年間と高1の頃まで虫キチガイだった。もっぱらカミキリムシを追っかけてた。春夏は毎週のように近くの山をウロついて,夏休みには長野まで足をのばした。
 それから,北杜夫が虫キチガイと知って彼の本を読んだり,探検記とか紀行文が好きになった。
 その次に人類学と民族学の本を読んでハッとして,ちょうどその頃から構造主義の本がボチボチ出始めて,兄貴が読んでるのを借りて読んだけど,ほとんどチンプンカンプンで,それでも必死に読んでいたわけ。でも,やっぱり実際のフィールドワークの記録の方が面白かった。
  とにかく,そんなふうにしているうちに,民族学者・人類学者・言語学者・革命家の多くがユダヤ人だということに気づいた。これが,ぼくがユダヤ人に興味を抱いたきっかけ。
 一つの国家,一つの文明にしばられない,さまよえるユダヤ人,非ユダヤ的ユダヤ人が総合科学の方に目を向けるのは当然のことかもしれないと思った。
 自分たちのコトバを失ったブラック・アメリカンの中から,JAZZやブルースが生れたのも同じことだと思う。
 自分の居場所と自分の分裂の認識が新しいコトバへ向う条件となる,のだと思う。

★ たしか『レヴィ・ストロースとの対話』という本に,「人間だから,まず味わってみるわけです」というレヴィ・ストロースのコトバがあった。これは人間の味覚についての彼の考えだけど,『レヴィ・ストロースの世界』(みすず書房)では,彼は次のように述べている。
  「言葉とともに,料理というものは,まさしく普遍的な人間活動の一形式をなしているのである」と。
 いいかえれば,「人間だから,まず,コトバを使ってみるわけ」なのだろう。

  この本のあとがきに「沈黙と対話の間に」という,ピエール・クラストルという人の文がある。この場合,未開文化=沈黙という前提をもとに,未開と文明の分裂を指摘し,「民族学は分裂した宇宙の中で自転している」「この分裂した宇宙は,おそらく,分離を通してのみ認識されたこの思考が,一つの科学にとって可能となる条件だったのである」
 <古典的>民族学ではない「いま一つの別の民族学にとってはそれのもつ学識が限りなく豊かな新しい言葉を鍛えることを可能にするだろう」 「― 民族学が科学であるとするならば,民族学は同時に科学とは別のものである」

  「民族学」を「コトバ」に置きかえてみるといいかもしれない。コトバは分裂した宇宙=それは人間自身だろう=の中で自転している。

 限りなく豊かな新しいコトバを鍛えること。

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▼ まだ書き足りないようにも思うし,もういいような気もする。漠然としていて,うまく言えない。 この「早すぎた自叙伝」序章はMAOが書き送ってきたいくつかの文章をいったんバラバラにして,YOTAが構成したものである。
 ふたりともほとんど同じ文章を読み,<夢の島少女>を,ユーミンを,考えて,書いたものである。
 引用文を,まるで,ぼくらの意見の裏付けみたいに使ってしまったところもあるけれど,誤解しないで欲しい,決してそうではないのです。
 新しいコトバ=新しい表現を求めてまた歩き始めねばならない。書きつづけよう。


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★ 虫を採集する面白さってのは,つかまえた奴を標本にして,そいつの名前を調べて,訳もわからないラテン語をラベルに書きいれて,それを自分のものにしようとするところにあったんだと思う。名前を採集してたようなもの。
 マーク・トウェインの『イブの日記』を読んで,「名前の採集」がアホらしくなったのか,虫キチガイを卒業したのだった。
 『ロリータ』のナボコフも昆虫採集をやっていたそうだ。 『コレクター』をみると,なんか,ぼくも昆虫採集やってたから,いやな感じなのだ。
 昆虫→名前→他者という回路でディスコミュニケーション地獄から脱け出そうとしてみじめな結果に終る。

▼ 『あらかじめ失われた恋人たちよ』という映画がある。東京12チャンネルの田原総一朗と,劇作家の清水邦夫が,共同脚本・監督した作品で,面白い。
 オリンピック棒高飛びの候補だった男が大きなズダ袋をさげて旅をしている。これが石橋蓮司(『竜馬暗殺』『狼どもの仁義』,NHK『勝海舟』の吉田寅次郎=松陰役)で,やたらしゃべりまくっている。

 土地の人々の前で演説ぶったり,海に向ってわめいたり(いや,演説したり),とにかく声も枯れよとばかりにしゃべるのだった。
 その内容ではなく,とにかくしゃべりつづけることが,彼には大切だったにちがいない。
 即興演出もよかった。
  タイトルが出,テーマ・ソングのつのだひろ「メリー・ジェーン」が流れている時にも,彼は叫び続けているのだ。 こう−

 「あらかじめ失われた恋人たちよ! 一度も現れたことのない人よ! 
 私は知らないのだ, どんな調べがお前に好ましいかを, 
 未来の波が高まっても,もはや私はそこに見分けようとはしない。
  私の内部で高まっていく すべての偉大なイマージュ,
 遠い国で見知った風景が 都会が 塔が 橋が 
 思いがけなく曲った道が
 昔の神々の生活がをないまぜていた あの壮大な国が,
 私の内部で高まって, 去っていくのだ!
 アー! アー!(叫び)」
 ひとりでしゃべって,ひとりで騒ぎ回っている彼は,バカみたいにみえる。 だが,彼はぼくら自身でもあるのだ。
 ここで彼が何に呼びかけているのかは,もはや明らかだ。
 それは<私のコトバ><私の表現><新しいコトバ><新しい表現>


★ 自らの内のコドモとオトナの断絶(過去・現在・未来がバラバラ)は,自己と他者の断絶でもある。 佐々木昭一郎氏も,その断絶を再び一つにするには−という方法をТVに求めている。

▼ 『あらかじめ失われた恋人たちよ』の彼は,聾唖者同士の恋人たち(加納典明・桃井かおり)に会う。 はじめからコトバを失っている者たちだ。
 彼は二人と一緒になったり,離れてしまったり,また一緒になったりしながら,<旅>を続けていく。 この<旅>は,ぼくらのポンコツ・ヒーローの<旅>とほとんど同一である。
 聾唖者の二人がむつみ合うときには,かえって唖でもなくツンボでもない彼は,取り残されてしまう。
  結局,なにやら理不尽な機動隊のヘンテコな目つぶしにあって,二人は目を焼かれてしまう。三重苦!
 三人ともみんなサングラスをかけているが,二人を導いている彼,つまづいてサングラスが落ちると, 実は目明き。字幕が「ニセ盲」「ニセ唖」と出て,場内爆笑となるのだ。
  二人と一緒にいたいなら何も盲や唖をよそおわなくてもいいじゃないか, かえって二人の目となり耳となり口となってあげた方がいいじゃないか,と考えることも出来る。
  だが,そうあってはならないのだ。 彼はニセモノ性を自ら引き受けることによって,<不可能な言葉>の方へ一歩近づこうとしたのである。
 彼の哀しさはぼくらの哀しさである。

  もっと存在論にまで拡張すると,ベルイマンの『叫びとささやき』の世界になる。
  この映画をあえて一言で言い切ってしまうならば, 「私はウソつきである」というコトバ(表現)のパラドックスを描いたもの,である。

 具体的な説明は省くが,だれかが「私はウソをついている」あるいは「私はウソつきである」といった場合,ぼくらはそのコトバ(命題)を信じてよいだろうか。
 このコトバを真とするなら,このコトバ自身もウソでなくてはならず,「私はウソつきではない」ことになるが,この結論は,最初に真であると仮定したコトバと相容れない。
 「私はウソつきである」を偽とした場合は,ウソつきでない人間が「私はウソつきである」とウソをついたことになり,結局,このコトバ(命題)は成り立たないことになる。

 『叫びとささやき』の人々はこの命題のパラドックスの内にある。 カーリンとマリアがコミュニケーションを通じたシーンが「無音」であるのは,ふたりにどのような対話をさせても,ぼくらにはもはやウソに聞えてしまうことを,監督が知っているからである。

  『叫びとささやき』はすぐれた映画だが,<ニセモノ性>を引き受けることにした『あらかじめ失われた恋人たちよ』も負けず劣らずすぐれた映画なのだ。
 『あらかじめ−』の彼は,コトバを失っていく過程で自分自身をそして他者を発見(回復)していくのである。
 同様のことが『約束』の萩原健一にもいえる。彼は,はじめ一人でしゃべりつづけていて,コドモにさえ「バカみたい」といわれるではないか。 それが最後には岸恵子と同じくラーメンの丼のぬくもりを感じるしかないところまでいってしまうではないか。
 二人が泣いた。ぼくも胸が熱くなった。そして残酷な構成。お互いにコミュニケーションを回復したふたりが通じ合えぬ痛ましさ。
 (デ・シーカの『靴みがき』も同様である)。
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  日曜劇場『林で書いた詩』 (24日=日=TBS系 後9:00)

  脚本・市川森一,ディレクター・長沼修,プロデユーサー・浦本喜宏。
  小樽の市立図書館に勤める与一(桜木健一)は誠実で朴訥な青年。ある日,図書館に現われた都会風な女・梢(香山美子)には尾行者がいた。それを彼女に知らせた与一は,梢からも入港する船の機関士への伝言をたのまれた。しかし,その機関士は事故で死んでいた…・。   
1974年 (第7回)ТV大賞 特別賞   北海道放送VTRスタッフ
    [日曜劇場ほかの屋外ロケで見せた意欲的なVTR使用]
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★ 秋から冬へ移りつつある北海道。小樽の小さな図書館。司書の桜木健一。ほとんど全くセリフなし。「いえー」「あの」「う…」など。コトバにならない。
 落ち葉がふりしきる。木の葉が風に舞う音。登場人物のハアハアいう息づかい。深町純のシンセサイザー+ピアノのトータルなBGM。
 『約束』よりはるかに感動的だった。
 ユーミンの『旅立つ秋』がふさわしいような,
  ♪ 秋は木立ちをぬけて 今夜遠く旅立つ 
  そんなドラマだったのだ。
 「これだけは言わずにおこう…」という伊藤整の「林で書いた詩」。 『林で書いた詩』を見たのは『夢の島少女』の直後だったせいか,こんなに続けて感動していいものかなんて思ったり。
  今ではこまかい所は忘れてしまったけれど,ホント,カラーでみたかった。モノクロでみてさえ,びっくりするほどみずみずしい画面だった。
 北海道放送(HBC)のVTRスタッフがТV大賞特別賞を受賞したのはうれしい!このVTRロケは実にすばらしかったのだ。
 たいていのТVマンは,ライヴ信仰にもとづいてしかVTRをとらえていない。その行き着くところは<現場>でしかない。けれど『林で書いた詩』は,あくまでもフィクションとしてのドラマを,VTRロケで伝えようとしている。

 脚本・市川森一は『傷だらけの天使』でも頑張ってる人。
 音楽・深町純も活躍したね。 『ヨイショ』『6羽のかもめ』etc。古谷野とも子の「雨」「私からのお願い」(キング)の編曲も深町純。

▼ HBC制作の日曜劇場をみた方がいいよ,とMAOに教えてもらい,さっそく2月2日『ああ!新世界』(フランキー堺,南田洋子)をみたら,これまた演出が長沼修。脚本は『6羽のかもめ』の倉本聡。撮影は高橋大。VTRは岡田幸雄。

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▼ ユーミンのコンサートで,ユーミンは「あたしの作るうたはフィクションです」といっていた。だが,「ひこうき雲」だけは病気で死んだ友だちのことをうたったものです,といっていた。

★ しかし,それをユーミンの口から云ってはいけないように思う。
 佐々木昭一郎氏は,氏の描く<出会い>は,<ドキュメンタリー>と<フィクション>の接点をギリギリのところまで求めたものだといっている。実際に氏の思うような<出会い>が街にあれば,その場でカメラを回したいが,それは不可能だから,<フィクション>を作る。
  ユーミンの唄にも,一曲一曲ユーミンの思いがこめられている。それがどんな思いであるかは,聞くものにはわからない。それでいいのだし,そうあるべきだと思う。だから,ユーミンは,手の内をみせてはいけない。聞くものは,「ひこうき雲」を<ドキュメント>だと安易な錯覚をするかもしれないのだから。
 うたというのは,レコードだろうとナマだろうと,一方的に唄われ,一方的に聞かれるものだ。
 だから,ぼくらは「ひこうき雲」を<わかる>と思ってはいけない。
 ユーミンにも,「ひこうき雲」に唄われている死んでしまった友人のことは<わからない>のだし,ぼくらには更に<わからない>のだ。

 思うに,ユーミンはファースト・アルバムにおいて,それまで彼女の中にあったものを,ほとんど出しつくしてしまったのかもしれない。
 ユーミンは,しばしば<遊び>ということを云う。『ミスリム』のことも,サード・アルバムのことも「遊んでみました」とか「遊んでみるつもり」とか云っている。
 コンサートも<遊び>としてとらえてると思う。それは半分,ポーズなんだろうけれど,『ひこうき雲』のあとは,彼女は彼女なりに,かなりヤバい綱渡りをやっているようなものだと思う。
 
なんか,うまく考えていることがまとまらないけれど,いずれ本格的なユーミン論を書こう。

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▼ 以上,雑多な長文になったけれど,ぼくらの論理が破錠しているなら破錠しているままの方がいいと思ったので,無理にスジを通すことは避けた。」それでもやはり無理はあるかもしれない。

▼ 自分でも意外だが1号完成してしまった。"「早すぎた自叙伝」序章"にとりかかったところ,頭の中で「早くやれ!今やれ!」という声がひびいて,何かに追いたてられるように,あせりあせり作ったのだ。
  フォーク・クルセイダーズの「風」(北山修作詞)を思い出す。
  ♪ 人は誰もただひとり 旅に出て  人は誰も故郷を ふりかえる
    ちょっぴり 悲しくて ふりかえっても そこにはただ 風が吹いているだけ

▼ MAOが「< >を使うのはコトバへの不信だろう」と云う。そうだと思う。ぼくは< >をたくさん使うと自分がダメになるという固い信念を抱いている。< >でコトバをくくって,これは慣用の意味とはちがうのだということを示す方法をぼくは認めたくない。文脈で勝負する方が好きである。ユーミンは< >を使うか? 使わない。『夢の島少女』では< >で話すか? 話さない。

▼ あつかましいけれど,「OFF&ON」を最後まで読んだ人は,もう一度読み返して下さい。

▼ 自己発見の旅が,沈黙へと向うドラマとなる。そんな例が多いようだ。他の方法は可能か?

▼ 「私」と対象化された「私」の疎外現象をなくすることは不可能である。それは,表現するのにコトバしかない場所だから。 といって,そこでニヒリズムにおちこんでしまっていいものだろうか。真実の「私」を照らし出す方法を,探していかねばなるまい。 これは,そのための一里塚。

▼ 論のための論で終ってしまってはいけないのだと思う。
<いま>に関わることをやめてしまえば,結局,この<論>を裏切ることになるだろう。

▼ コトバの問題というのは,書きコトバの問題である以上に,話しコトバの問題であるということに気付かせてくれたのは,亀井秀雄『伊藤整の世界』(講談社),それもその第1章だった。もっとも,人類学(言語学)では,話しコトバを科学の対象として扱ってきているのだった。なぜなら,歴史学が「書かれた」歴史を探求するのに,人類学は「書かれていない」歴史,いわば沈黙の歴史を探求するところから始まったからである。
★ 「てれび春秋」の担当者は,いつも「ボクは…」なんてコトバ使いで,まるで批評ぶったことを書かないのがいい。これには「ТVガイド」の川本さんの文にふれたところがある。最後の方の数行は,自社の球団(ドラゴンズ)を弁護したりして涙ぐましい!?  てれび春秋  中日新聞 1975年1月  専門家,一般を問わず,テレビ番組に関する批評が盛んである。例えば「週間ТVガイド」年末・年始号をくくってみると − 「テレビは暖炉みたい」「いまの制作者には新鮮な視点がない。現在放送されている事件ものにしても,二十年前の"事件記者""七人の刑事"の方が水準は上ではないか」「プロの最大の条件はらしくすること」など,共鳴できる意見に,いくつかお目にかかる。
 ボクがいちいちヤボな注釈をつけるまでもなく,制作者も出演者も,みんなが一生懸命やろうとする初心を忘れるな,ということだと思う。出演者がその気でカメラの前に立てば,視聴者者にも自然とその心は伝わるものだ。また別の意味では,テレビはスイッチを入れておくだけで家庭のふん囲気を楽しくする。「暖炉」とは,まったくうまいたとえである。  そこで,ちょっと気になったのが,NET制作の正月番組での一コマ。スタジオへ招いた銚子商高・土屋正勝投手に対する司会者の態度は,プロとして落第である。土屋投手自身は周知の通り,考え抜いたすえ中日入りを決断,調印している。それへ独善的な誘導質問で水を差したのだ。あえて苦言を呈して他山の石としたい。 (ま)

▼ 『夢の島少女』に触発されたものだが,池田の論調は作品から離れて,レトリックに走ってしまったところがある。
 作品を見直すと,佐々木さん自身の<さすらい>論がもっとも良い解説だった。
 『夢の島少女』以降,佐々木作品ほどの感動を与えてくれる作品は,勝新太郎の演出作品(TVでは『警視K』『座頭市物語』)ぐらいになってしまった。
 映画論ではジョナス・メカスの『メカスの映画日記』(フィルムアート社)が素晴らしかった。
 面白ければいいという昨今の映画には疑問を感じている。映画を見ることによって,  内部に変革が起こるかどうかを大切にしたい。自分が変わるような作品が<私の映画>である。
  池田追記1999年12月


ひとつのカノンと円環  池田博明 佐々木昭一郎作品上映会パフレットより    (1985年4月12日発行)   







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