『肉体の悪魔』ケン・ラッセル論 
  藤田 真男
キネマ旬報 No.570,pp.86-88.
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「キネ旬ニューウエーブ」   白い一本道をどこへ?
(このページ作成者は池田博明)
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       「肉体の悪魔」ケン・ラッセル論

                  藤田 真男

   ひどい扱いを受けて!

 またしても、ひどい扱いを受けて、ケン・ラッセル監督の新作「肉体の悪魔」が公開された。興行的には最もまずい時期のドサクサまぎれの封切り。「イギリスの最も完成された想像力ゆたかな暴れ者監督」といわれるケン・ラッセルが知ったら、烈火の如く怒るであろう。
 本誌563号の「ワールド・リポート」欄に、ケン・ラッセルの近況が伝えられているが、それによると、BBCに出演したラッセルとある評論家が、「肉体の悪魔」をめぐって激論を交わしたあげく、ラッセルの方が評論家先生の頭を、丸めた新聞でぴしゃりとやってしまったという−想像するだけでも痛快な、またケン・ラッセルの人柄がうかがえるようなエピソードである。彼の言動にもまして「肉体の悪魔」という映画は破天荒な作品である。
 僕は、彼の劇場用第一作「十億ドルの頭脳」も、日本で未公開の「恋人たちの曲」もみていないので、ケン・ラッセルという監督について結論を下すのは少し早急かもしれない。しかし今から一年半ほど前、映画を見始めたばかりの僕の前に突然現われた「恋する女たち」は、僕に言い知れぬ感動を残し、同時にケン・ラッセルの名は、今野雄二氏のように「神」とまではいかなくても、やはり僕にとっても忘れ難いものとなったのである。
 僕の思い描くケン・ラッセルのイメージは、だだっ子が、そのまま大人になったという感じだ。一般の大人からみれば、ラッセルのような人間は手に負えない暴れ者ということになるだろうが、それは彼が非常に素直な思考と性格を持ったオトナコドモであることの証であろう。僕はそんな彼と彼の魅力が存分に反映された「恋する女たち」が大好きなのだ。
 と、以上がケン・ラッセルと僕の出会い。
 そして、以下は「肉体のタイの悪魔」をめぐって。

 まず、いきなりホモのルイ13世自ら演ずるグロテスクな「ヴィーナスの誕生」の一幕が描かれる。観客席には女装の取り巻き貴族たちに混じって、舞台の国王を冷ややかに見つめるリシュリー枢機卿の姿もあった。17世紀前半のフランス、ルイ13世は宰相リシュリーの傀儡と化していた。ヨーロッパのデカダンスは、ルイ14世太陽王の親政時代に絶頂に達したというが、それにしてもケン・ラッセルの描いた13世の乱痴気ぶりも、相当にすさまじい。しかも、ルーダンでの教会での悪魔祓いのシーンとなると、更にすさまじい。それは後述するとして、いまルーダンをめざす奇妙な一行があった。巨大な荷を積んだ車を、新教徒たちが鞭打たれながら引いており、その指揮をとるのは、リシュリューの命をうけた顧問官のローバルドモン。彼の任務はルーダンの城壁を破壊することであり、奇妙な荷物はそのためのものであった。その時、ルーダンの城壁の中では、疫病で倒れた町の総督の葬儀が行われ、総督から町を任されたグランディエ司祭が演説していた。白い城壁と教会を背に、オリバー・リード扮する司祭は、「宗教戦争は終った。旧教徒、ユグノーにかかわらずルーダンを守るため尽くしてほしい」と いって、人々に向って演説する。司祭に対する人々の信頼は厚いらしい。
 
 この冒頭のいくつかのシークエンスの提示によるだけで、これから展開されるであろう波乱含みのドラマが、すでに予感される。このことはもちろん、ケン・ラッセルの力強い造形力と手際良い構成によるものであって、この作品は「史実にもとづく」とはいえ、かなり脚色されているようである。それを象徴するかのように、城壁のオープンセットは「ウルトラ・モダーン」(今野雄二氏)に作られており、冒頭の大演説シーンだけでも、この作品は一見の価値があるだろう。或いは、悪魔祓いにルーダンに乗り込んでくる。ウイッチ(魔女)ハンターのバール司祭にしても、まるでどこかのロック・グループから抜け出して来たという感じだし、ルイ王が新教徒に黒い鳥の扮装をさせて殺人ゲームを楽しんだ後で、「バイバイ・ブラックバード」などと愛嬌たっぷりに言うなんてところは、ケン・ラッセルのオフザケと考えられないこともないだろう。この作品には、僕にそんなバカな想像をさせるものがある。

 たとえてみれば、フェリーニの手にはサーカスの手品師の使う安ピカの剣が、ヴィスコンティの手には青白く光る名門貴族の宝刀が、そしてラッセルの手には血生臭い蛮刀が、各々握られているのではないだろうか。ケン・ラッセルが、その若さにまかせて、思うまま豪快に蛮刀を振り回したといえるのが、今回の「肉体の悪魔」である。何しろ荒っぽいので、ラッセルは、多少の波乱が生じてもかまわないというやり方で、この作品を撮ったのではないかとさえ思われるほどだ。したがって、この作品は「地獄に堕ちた勇者ども」のような、完璧な緻密さを持ち合わせておらず、ただエネルギーの総量で勝負してやろうという風なところがある。

 さて、この作品の中では、グランディエ司祭、リシュリュー、修道院長ジャンヌ(バネッサ・レッドグレーブ)らのからみを中心とするドラマが、あまりにも都合良すぎるほどに、実に見事に展開されるわけだが、これは前述のとおり、おそらくケン・ラッセルのモチーフに合せて、かなり史実を脚色してあるためである。

    映画と描かれた史実と

 「魔法−その歴史と正体」という本の中に、”ルーダンの悪魔”騒動の顛末が記されている。余談になるが、画家であり美術史家でもある、この本の著者セリグマンは、その風貌からすると多分ユダヤ人だと思うが、この本の内容はユダヤ人独特の知的情熱に貫かれた、「もうひとつのヨーロッパ史」の集大成といった観すらあり、非常に興味深い。

 さて、その「魔法」によれば、修道院長ジャンヌは「肉体の悪魔」の彼女ほどには、嫉妬深くいかがわしい女性ではなかったらしく、天使のジャンヌとさえ呼ばれていたそうだ。彼女はグランディエに関するスキャンダルを耳にして、妄想を抱き精神錯乱におちいったが、そして他の修道女に彼女のヒステリーが伝染したが、ジャンヌは自分の気の弱さがもたらした事件にうろたえこそすれ、映画のようにミニョン神父にでたらめを告げるようなことはなかったようだ。実際には、ジャンヌはミニョンに助けを求め、それがグランディエの敵に利用される結果となり、悪魔祓いの儀式がデッチ上げられたらしい。また、修道女たちのヒステリーは、一時おさまり、再発してからの悪魔祓いも非常にゆっくり進められ、結局この事件が完全におさまったのは、グランディエの処刑の三年後、一六三七年であった。映画でのグランディエは、確たる証拠なしに火刑に処されるが、実際には、グランディエ家から「発見された」悪魔とグランディエによって起草された契約書なるものが残っている。また、ジャンヌは一六ニ九年に、「悪魔アスモデウス」の署名で、「私はこの修道女から立去る」という内容の契約書を書き、そ れは現在も残っている。その後も彼女のヒステリー発作は続いたが、やがて平和が訪れ、一六六五年に清らかに死んだという。結局、彼女の常に犠牲者でしかなかったようだが、彼女がリシュリューや祈祷師たちよりも長く生きのびたとは、何とも皮肉なkとだ。
 以上が、事件のあらましである。

 この辺で「肉体の悪魔」の方へ戻ろう。ケン・ラッセルが、どのように史実を脚色したかをみれば、そこからこの作品のテーマが浮かび上がってくることと思う。

 まず最も重要な点だが、そもそも事件が起きた時点に於て、グランディエとリシュリューが対立していたとは考えられない。この作品は「ルーダンの悪魔」事件の発端から終結に至る二十年間を、ドラマ構成のため加速短縮し、きわめて意図的に歴史を再現しようとしているようだ。この作品が扱っている時代が、ヨーロッパ史の中でも非常に面白い時代であることに注目する必要がある。フランスに於いては十六世紀のルネサンス期に、近代化の萌芽が準備され、その後一世紀を経て、いよいよ近代化への一歩を踏み出そうとする、まさにその時代が「肉体の悪魔」で扱われている。中央集権化を押し進める国家と、崩壊寸前の中世都市。そのような歴史の流れの中で、当事者であるグランディエとリシュリューが、「都市」と「国家」という明確な意識をもって対立していたとは、まず考えられないことであり、ケン・ラッセルはこのフィクションを土台にして、彼のテーマを、白い城壁の中に構築しようと試みたにちがいない。ヨーロッパの中世都市は10〜12世紀に成立し、都市法制定、特許状獲得など自治権を要求し、自衛のため城壁を築いたが、王権による中央集権化とともに崩壊し、近代都市へと移り変っ た。実際のグランディエが、どんな思想を持っていたかは知る由もないが、ケン・ラッセルは彼に、歴史にさからって中世都市を守り抜かせようとしたのである。グランディエの命をかけた反抗に、ラッセルはどんな意味を見出そうとしたのだろうか。

 初めグランディエは、権力、女、政治などに対する野望によって自らを滅ぼし、神と合体するのだ、と語っていた。その彼が火刑に処される時には、神は私をなぜ見放したかと嘆く。そして見物人たちに向って、「自由を得たいなら闘え!闘いぬけ!さもなくば諸君は奴隷になるのだ!」と、火の中から叫び続ける。

     どこへ行くのか?

 ケン・ラッセルは素直な作家だと初めに書いた。彼自身、自分が信じることの出来る人間を全力投球で描くと何度も語っている。ケン・ラッセルは、決して天才的な作家ではないだろう。「恋する女たち」にしろ「肉体の悪魔」にしろ、手法や内容は、とりたてて画期的なものとは思えないし、ともすれば、きわめて正統的紋切り型の啓蒙主義的な作品になりそうな題材を選び、しかもフェリーニやヴィスコンティのように奇をてらった手法主張を取り入れることも全くなく、それでもなお圧倒的な迫力と説得力をもち得たのは、やはり彼の素直さのおかげではないだろうか。だとすれば、グランディエの最後の叫びは、そのままケン・ラッセルからのメッセージと受け取ってもいいのではないだろうか。僕は、何か思い違いをしているのかもしれない。しかし、僕はケン・ラッセルが”異色作”を撮ろうなどとは考えなかったように思う。

 ただし、「肉体の悪魔」が、「恋する女たち」ほどには、オリバー・リードを生かしきれなかったことは確かである。一体、グランディエの望んだ神とは何者であるのか、まるではっきりしない。セックスにウェイトを置くと考えるのは、ジャンヌの場合はともかく、”妻”マドレーヌに関するとなると、どうも同意しかねる。

 おそらく、ケン・ラッセルにインタビューして、「あなたは、オリバー・リードを使ってグランディエという人間を描ききることが出来ましたか?」と聞いてみれば、彼は「ノー」と答えるのではないだろうか。ただし、これは条件つきの答えである。

 つまり、ラッセルは、初めからグランディエを描ききれるとは考えなかったのだ、と僕は思う。ラッセルは、グランディエの反抗の中に、近代が圧殺し歴史の彼方に葬り去った、あり得べき「もうひとつの現在」へのメッセージを読み取ろうとしたのだと思う。その結果が「自由」というような、ありふれた言葉だからといって、ラッセルの試みが無駄だったとは思えない。

 グランディエはマドレーヌを愛した。マドレーヌはグランディエを。しかし彼女は、必ずしもグランディエのすべてを理解していたわけではない。グランディエを失った彼女は、幽霊のようにフラフラと、崩れ去った城壁を乗り越えて、茫漠とした地平線に向って、白い一本道を歩き、カメラはそのまま彼女をみつめ続ける。彼女自身、どこへ行くのか知らない。

 マドレーヌはケン・ラッセル自身である。

   (愛知県豊橋市・19歳・学生)

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