映画ははもうほとんど世界である その2

対談者................ 森崎 東、 山根 貞男 
出典................ にっぽんの喜劇えいが 森崎東篇
著者................ 野原藍
発行................ 映画書房
発行年................ 1984年10月9日
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表紙イラスト................ 森崎 東


( その1 に戻る)

 T わが映画遍歴、そして家族 1981年9月19日

    「リンゴー!」のファンだった。

    七朗義兄さんと湊兄さん

    香川京子にファン・レター
 
    ヌーベル・バーグと反合理化闘争

    脚本部から監督デビュー

 山根 森埼さんはどこへ配転になったんです?
 森埼 ぼくは脚本部に。だから、森崎みたいに監督と組んだときに脚本ばっかり手伝ってると、ああなるぞという一説が流れたってんですから。ぼくは野村さんだってそうだったし、『無宿人別帳』(一九六三)の井上和男さんのときも、ずーっとホンからタッチしてたんですね。で、配転されたあと、山田洋次さんのホンも書くようになったんですよ。
 山根 なるほど、『なつかしい風来坊』(一九六六)『愛の讃歌』(一九六七)『吹けば飛ぶよな男だが』(一九六八)などですね。脚本部には何年ぐらいいらしたんですか。
 森崎 何年ぐらぃでしょうかねえ。ぼくはクロ二クルがまったく弱い。一、二年か…。
山根 それが一九六九年に『喜劇・女は度胸』で監督としてデビューすることになる。脚本部に配転になったのに、やがて監督になったというのは、どういう経緯ですか。
 森崎 ずーっとホンを書いてたわけです。直しのホンとか、ずいぶんやりましたよ。それこそガンガン書いた。
それである日、俳優さんが誰か出れないっていうんで、喜劇映画のもうすでに決まってたのが流れたっていうんですよ。そしたら城戸さんが、時の製作本部長に怒ったっていうんですよ。 「役者のスケジュールとれないんで喜劇映画をつくれないっていうお前らの根性がおかしい。役者なんかに寄りかかるとダメなんだ」と。で「森崎と山田洋次を呼べ」と。「こう言つて俺は怒ってやったんだ。そうだろ、その通りだろ」「いやぁ、そうですね、そうですね」「そうだろう。だからお前ら二人で書け」「えーっ!」(笑)。
 つまり封切日が決まっていて、そこに穴があいたわけでしょ、役者のあれで。だから脚本がよければ、すばらしい喜劇映画が撮れるんだっていう証拠になるようなホンを二人で書け、と。
 山根 そのとき、監督は?
 森崎 決まってなかった。ぼくは山田洋次とはずーっとやってましたから。それで、わりかし城戸さんにおほめにあずかってたんじゃないですか。『男はつらいよ』はもうできてたのかな。
 山根 正確にいうと『男はつらいよ』の第一作が一九六九年八月二七日封切りで、森崎さんの『吾劇・女は度胸』は十月一日の封切りです。
 森崎 だから、こういうもんだ、と。ホンさえよければ喜劇映画ってのは、いい線までいくんだ、と。芸術的にも、作品的にも。それで呼ばれて、帰りに、「困ったな、こんなこと言われたってなあ」って話よね。二人で。
すると洋次さんが、このあいだ見た『約束』って映画、あの話が喜劇的シチュエーションだと俺は思う、なんて。ぼくは見てないのでよくわからんのですけど。じゃとにかくつくるかっていうんで……。それでね、ちょっと予感がしたんですよね。俺に撮れっていうんじゃないかなあ、と。
 こっちはね、もうそのころは、もともとひねくれてるのに、さらに二重三重にひねくれちゃつててね(笑)。 遅すぎる幸福は腹が立つ、というよりも、拒否するぞ、みたいな根性になってるわけですよ。
 それと同時に、今監督になったら食えなくなるな、と。監督になつて二本撮ったら契約になつて、三本目落っこったらもう食えないつていう状況が、ぼくはだいたいわかったですからね。だから、何かおだてられてやつてると、エライ目にあうなっていう……。ヌーベル・バーグがぺンャンコになつてる世の中で、嬉しがってやってても、こりゃヤバイんだから、俺の時代なんてのは、来るとしてもずっと後なんだから、と思ってましたからね。
 脚本家でお茶濁してる方が気が楽だ、来ちゃあまずいっていうんで「監督は誰がいいかねえ」っていう話になつたとき、すぐ言ったですよ。これは前田陽一だって。それで前田君で動いてたらしいんだけど、前田君は別に準備してたか何かでしょうね、きっと。洋次さんは聞かれても、ぼくが彼の脚本スタツフからいなくなるってことは、やつぱりまずいことだったんで、ぼくを推薦するってことはなかったと思うんですけど。
 それでぼくは病気だって言ったんですよ(笑)。ほんとにそのとき、夏だったのかな、冷房病になっちちゃったんですよ。ずーっとこもって書いてたんで。へんな具合になってて、前に肝臓で入院したことがあるんですけど、同じなんですよ、脱力感で、なま汗が出てね。それで「また肝臓になったらしい。ついては、もし監督ってことになってもできませんからね」ってなこと言ってた。そしたらやっぱり来たですよ。「どうだ、やる気はないか」「いやいやダメです。ぼくは肝臓ですから」(笑)。
 何度か言われて、しょうがないからお医者へ行って、おしっこの検査だとかしてもらって、その症状がなければ、ということになった。そして、診てもらったら、出てないんですよ、反応が。冷房病だって気がつかなかったんですが、そのうち宿を出て家へ帰って、のんびりしたら直ってきちゃった(笑)。
 山根 でも、ここで一本撮ったらまずいぞと、誰でも思うものでしょうか。食えなくなったって、監督のチャンスは逃がしたくない、と思うのが普通じゃないんですか。
 森崎 いや、みんな、こういうシビアな状況になってきて、監督第一作とこられたときには、たとえば『なんとなく、クリスタル』の松原(信吾)君にしたって、やっぱりひじょうに考え込んだでしょう。これで勝負できるだろうか、と。勝負するんなら、一本でパンクしたって、これぞと自分で思える素材でやりたい、と。ところが、爆破寸前みたいな、いわばそういう感じでしょう。一人で特攻隊に行くみたいな。それならそれで華々しく爆破したいとかいうふうなこと考えるのは、おそらく全部おんなじじゃないですか。で、ぼく自身も、いえばこの程度の作品じゃいやだな、と……。自分で書いておいておかしいけれども。
 山根 すると、俺がやるんだったらこういう映画だっていうイメージは、別にあったんですか。
 森埼 だって、フランス・ヌーベルバーグの後ですから。『勝手にしやがれ』とか、『大人は判ってくれない』なんてのが出てですよ、松竹でもそういうのをやろうと思えはやれた時代ってのがあって、それがダメになって、次なるそういう機会が来るのは何年後かなあ、しよぅがないなあ、波の下時代だなあ、誰が長くもぐれるかっていう気分でいるわけでしょ。だから、具体的なイメージとしてはないですけど、そういう感じですよ。
山根 脚本部に回されて、また監督になるといケースは、よくあるんですか。
 森埼 ないです。ぼくだけじゃないですか。助監督部から他へ配置転換で回されるってのは。ぼくらが第一回ですよ。返り咲くつてのも。
 山根 じゃあ、脚本部に回されて、脚本をせっせと書いているときは、監督になることをあきらめてました?
 森崎 もうまつたくあきらめてました。そうなりたいと思ってると苦しいから。苦しくてホンなんて書けないから。
 山根 シナリオ・ライターで行くつもりだったんですね。
 森崎 そうです。それだと、助監督の屈辱はないですからね。なんか、しょうもない監督についてですね、椅子を持って行ったりですね、「あのバカが!あんなイメージで。なんで俺はこんな走り回らなきゃならんのか」なんていう、そういう屈辱はないわけですから。こっちが書くわけですからね。「血がドバッと吹き出す」って書きゃいいんだから(笑)。
 山根 それで結局、『吾劇・女は度胸』で監督としてデビューして、どんな感じでした?
 森埼 一本きりだと思ってましたよ。監督になると思つてないもんですから。ずーっと脚本部でいくんだな、と。それで停年まで給料もらいたかったですよ、正直いうと(笑)。脚本部は社員ですから。
 山根 撮っているときは、どんなふうだつたんですか?
 森埼 一本だから、やりたいようにやりゃあいいんだつていう感じで、予算もだいぶオーバーしたでしょうし、しゃにむに渥美清さんに出てもらったり、わりかし言いたい放題のことをいって、何の制限もなかづたりして…。ほら、だって、会長命令だから。もうお墨つきですからね、大いばりですよ。で、一本撮りゃおしまい、お役ご免だって思ってますから。
 山根 脚本は大西信行さんといっしょに書かれてますね。
 森崎 NHKのテレビのホンをいっしょに書いたんですよ。ひじょうにもの知りでね、ああいう庶民ものにくわしいし落語の研究家でもあったりして。それでお願いして。
 山根 自分の作品『喜劇・女は度胸』ができあがったとき、もともと持っていた映画のイメージ、いわゆる独立プロ系の映画のイメージとの違いについては、やっぱりいろいろな思いがありましたか。
 森埼 ええ、あったんでしょうねえ。正直いって、わりかし評判よかったものだから、そのぶん「こんなもんでいいのかい、こりゃ困つちゃった」と。つまり「俺が考えてんのは違うんだけどなあ」というやつですよ。そういう意味では、おそらく日活時代の鈴木清順さんだって、こんなもんでいいのか、こんなもんだったら二百本だって五百本だって……と、そう思ってたに違いない、ええ。
 何しろ、ほら、それがいいことか悪いことかは別として、ひとと似てないものを作りたいってことが欲求としてあるわけでしょ。ものを作るやつには。ぼくには特にそういう傾向が嫌味としてあるんじゃないかって気が、自分でもしますよ。ひとの撮ったとおり撮る人もいるじゃないですか、ねえ。そういう意味では、素材が何であろうと、ひとの撮ったようには撮りたくないというふうなことは出てるだろうという……何ていうんですかね、欲求不満の逆遂行感というか……それはありましたね。
 山根 そこで思い出すのは、義兄のお爺さんの話ですね、例の、影絵と涙の話……。
 森崎 ええ、原点ね。
 山根 そういう人たちに見せる映画としては、『喜劇・女は度胸』は、じつにピタッといってると思いますね。だから、森崎さんとしては、青年時代に意識的に目覚めた時の左翼独立運動プロの映画のイメージから、むしろ原点に近いところへ来たわけですよ。
 森崎 そうですね。つまり上原謙と高峰三枝子が出てですね、バックに大病院の乗っ取り事件なんかがあったりしてという映画はクソくらえって、やっぱり思ってましたよ。自分の現実感覚とはまったく関係ないですものねえ。だから、ぼくの第一作というのは、 「そういうもんではないぞ!」という気持てつくったっていうことはあるんですよ。そのぶんだけ気がいったという……。
 山根 そのとき、お客さんはイメージしていました?
 森崎 もちろん。だから、その姉婿みたいな人がどう言うか、だから、その姉婿みたいな人がどう言うか、だいたいわかってましたよ。つまり、洋次さんといっしょに『男はつらいよ』を何本かテレヒでもつくったりして、姉婿がそういうものに対して、満足じゃなくても、ひじょうにいい点をくれてるってことは、だいたいわかってましたよ。
たとえば,「お前ら、労働者は貧しいねぇ」って寅さんが言うでしょ。あれはその兄貴のセリフなんですよ。そのとおりには言わないですけどね。ぼくが大牟田に帰りますね。そうすると、彼は挨拶がわりに運転手に言うんですよ。「貧しかね、あんたどもは」とか「なんば食うとるか」なんていうふうに(笑)。それは彼一流の付き合いの仕方なんですね。そういうのは入れてあるわけだから。だからその線でいけてるって感じがあるわけですよ。
 そういう側面でだけいえば、ぼくは『男はつらいよ』を含めてですね、そっちの方向にはもうバツチリ行ってる、それはある種の勝利ではある、と思いますね。自分の勝利とは関係ないですけど。つまり、大船小市民映画といわれ、女優さんのスターが雲の上にいるごとくいわれてきた、ああいう種類の作品群とはまったく違うと、それは誇ってもいいんだというふうには思いますけども、本来の、つまり最初に影響を受けたのが、『無法松の一生』だとか『姿三四郎』だとかだから、エー……どういえばいいんですか;…テーマは何でした? (笑)
 山根 監督第一作とスクリーンにケツ向けた爺さんたちとの関係です(笑)。
 森崎 それは、スクリーンにケツ向けてたお爺さんたちに、こっち向けと言って、「こんなもんも、お前ら、影絵で泣いたり笑ったりというふうに否定するか」と、そういうぐらいのことは言ってる。いう自信はありますね。そこは「いけた!」と思ってますよ。死にましたけどね、クソ爺どもは(笑)。 死んじゃったんで、ひじょうに淋しいんだけども。
 山根 そういうイメージの観客に対して何か言えたんじゃないかっていう手応えはあったんですね。
 森崎 ええ、ええ、それはもうバッチリありましたね。ぼくのいちばん上の<キネマ旬報>をうんと買ってた兄は、ひじょうに映画青年だったに違いないんだけども、渥美清のファンだったんですよね。で、あのシヤシンは、やっぱり渥美清って人で成り立ってますからねえ。そういう意味じゃ、ひじょうにぼくは頑張ったんですよ。渥美清が出てくれなければやらない、とまで言って。
 山根 『喜劇・女は度胸』は一種の家族ドラマで、その家族ってのが、父と子、兄と弟と、喧嘩ばっかりしてますね。あれは森崎さんご自身の家族関係のあり方と何か関係がありますかね。
 森崎 うーん:…親子喧嘩なんか、ぼくの家ではまったくなかったですよね。
 山根 さきほどからの話では、どうもそうらしいですね。とすると、あの花沢徳衛の親父と渥美清の長男がバットを振り回して喧嘩するイメージは…:。
 森崎 何ですかね、あれ(笑)。ですから逆にいうと、あのとおりの関係が家の中であったとしたら、ぼくはやらないってことじゃないですかね。とてもじゃないけど。だから、やっぱり兄貴のことに関わるわけですけども……。
たとえていえば、ルイス・ブニュエルの兄弟喧嘩の夢のシーンなんて、あるじゃないですか。あれは原因が食べ物だったり、経済的なことだったり、もろに政治的なことだったりするわけで、我が家ではそういうことはまったくなかったんですけども、精神的なぼくの兄貴との競争感ていうんですか カボチャ先生が生まれる前に知恵を取られたなんて言ったその理不尽さ、そういう次元でのルイス・ブニュエルの兄弟的状況てのは、ぼくの中には少なくともあったんですねえ。
 そうすると、その兄見にだけいい頭があって、容貌もぼくよりはるかに男前で、という不合理感、不公平感が、ぼくの中にあったに違いないわけですから、ぼくんちでの平和な肉親愛なんてのは嘘だっていう感じが、ぼくの中にあるんじゃないですか。ひじょうにいやらしいけど。認めたくないですけども。だから、そういうものをぶっこわしたいって感じ、まずあると思いますよ。
 兄貴に対するコンプレックスってのはいいたくない。正直いうと(笑)。でも、それは知っている。だからメチャクチャにしたい。それもなるべく悲劇の形でなく喜劇の形で。笑いとばしながら。そうすると少しは溜飲がさがるといいますかね。どこにも持っていきようがないわけですから。まさかお袋に、「何でそういうふうに生んだの」っていうわけにはいかない(笑)。
 山根 そういう森崎さんの家族観がやはり映画に出ていることはたしかなんでしょうが、ストレートにではなくて、二重三重に屈折して出てるようですね。
 森崎 家族が揃っていて外には冷たい嵐が吹いてて、「ほら、さあ、何とかちゃんも早く帰ってくればいいねえ」なんて言いながら親と子が、ストーブの火を前にしゃべる、という図がテレビでよくありますね。虫酸が走りますねえ、正直いって(笑)。もう肉体的にたまんないっていうか。そういうのもなかったわけですから、ぼくの家には。どっかにあるとしても、見たくない(笑)。そんなのから見離されてたから。ぼくの家に関しては嘘だ、と。だから、つまりひじょうに美しい家庭というものを、メタメタにしたいという欲求があるってことじゃないですかねえ。
 山根 そうはいっても、家族という単位が、人間が暮らして行くときにいちばん大事な単位なんだとは思っていらっしやるでしょ?
 森埼 ええ、思いますねえ。
 山根 たとえば『喜劇・女は男のふるさとヨ』では、森繁と中村メイコのことを、踊り子たちが、お父さんお母さんと呼びますね。そんなふうに、新宿芸能社というところが、単なるビジネス的関係じゃなくて、擬似的な親子関係、家族関係で成り立っていて、家出したマタタビ笠子がまた戻って来る家庭みたいなものになっている。そこには家庭という雰囲気がたいへん濃厚ですよ。
 森崎 ええ、ええ。でもそれは、肉親てことじやないでしょ。それで、『喜劇・女は度胸』の渥美ちゃんも、ほら、血が混ってたわけでしょ。なんか、ああいうふうにしたいんですよ。つまり、渥美ちゃんがやっぱりあそこで嫡子で、押しも押されもせぬ、というふうになることが面白いとぜんぜん思わない。また、森繁とお母さんに、ほんとは子供がいてね、東大かなんか行ってて、「帰って来たよ」なんて言うて、「こんな商売やめたらどうだい」なんて言ったりする話は、絶対考えもしない。
そこには、平地に乱を起こしたいという気がありますねえ。だから、家庭を丸ごと肯定してしまうというふうにはまったくならない。逆に、挺似家庭っていうか、擬似肉親ていうか、そういうものに何か意味を見つけたい、と。というふうな傾向になってるんでしょうかねえ。
 山根 しかし、『喜劇・女は度胸』では、花沢徳衛が渥美清の父ではないんだということがわかっても、最後にはちゃんと家族っていうふうになるわけでしょ。
 森崎 うーん……。あれはやっぱり、清川虹子さんの自己主張に花沢がひれ伏してしまった、その中では天皇は清川で、花沢天皇ってのはもうない、という、むしろ逆転の方にポイントがあるわけで、そこであるスタイルをとりつづけるってことに、まつたくぼくは意味を見ないんですよ。だって、家出すれば少しは見所があると、末っ子に関しても母親は言いますね。末っ子は家出しますね、最後に。
それで兄貴も出ていきますよね。あれはもともと風来坊だけども。そういう意味では、あの家は瓦解してるわけですよね。それで親父も出て行くと言う。それが尻の下に敷かれちやったということで、わずかに、親子じゃなくて、夫婦としての形態で形をとっているにすぎない。よしんば親父が出て行ったって、清川さんがいる以上は、あれは家として機能するんじゃないですかね。つまり、ときたま帰ってくるとしても。そんなふうに、家族の誰でもいい、そこに強烈な自己主張があってしかるべしだ、と。それはなるべく頭のいい長男坊主だとか、出来のいい奴じゃなくて、あの場合、清川さんはどーんとしてるわけだけど なるべく疎外された奴がいて、家庭内秩序もひっくり返しちゃって、という欲望があることは、何を隠そう、ありますなあ。テメエのことですよ、つまり(笑)。
 といって、現実に、ぼくが森崎家に帰って行って大きな面したいってことじゃまったくない。ですけどね。帰りたくないですよ、現実には。足元が明るいうちに帰って来いと言われると、もう、ぞっとしますものね(笑)。 それはまあ、ぼくの野心の挫折を証明することになるからってことがまずありますけども。
 山根 だけど、そうおっしゃるにしては、家族ということにこだわってますよね。
 森崎 こだわってますねえ。

  家族ってのは恥ずかしい。

 山根 森崎映画をずっと見てゆくと、いろんなテーマが出てきますけれど、家族のテーマが根幹にあるって気がします。
 森崎 それは、花田清輝式にいうと、家族というものを否定的媒介にすることで、肉親の中での自由イメージってのは何だと、ぼくは問いたいわけですよ。ぼくには自由はないわけですから。兄貴との競争の中で、ないわけでしょ。もう生まれてきたときから兄貴はいたんだし、そういうことは、もう競争にならないわけでねえ。しかし、それじゃ根源的に肉親ということではないんだからっていわれりゃね、ぼくの全思想は存在もかけて無になっていくわけで、それは困るわけですねえ。
 ちょっと引例が悪いのかもしれませんけれども、ぼくと死んだ兄貴とが、ある日歩いてたんですね。ぼくは泳げないんですよ。すると、兄貴がね、後から突いた、ドボーンと。「こういうふうにして泳げるようになるんだ」と、こうぬかした(笑)。
 フロイトなんかによく出てくる話じゃないですか。それが実際にあったんですよね。強烈に覚えてますよね。どうしようもない子供ですから、不信の念ていうのありますよね。もともと競争だと思ってるわけだから。そういうふうなフロイト式の作品群『白い恐怖』だとか、ああいうの、とってもいやですね。ひじょうに見たくないですよ。自分にとっても隠してる部分がありますからね。
 だから家族がもし出てくるとすれば、あくまでもそれは否定的媒介として、肉親の中における自由は成り立つかということですね。やっぱりメチャクチャにしたいということじゃないかなあ。
 山根 森崎映画では、それが、具体的に家をぶっこわすという行動において描かれるんですね。『喜劇・女生きてます』では橋本功が怒り狂って新宿芸能社の庭を破壊するし、『女生きてます・盛り場渡り鳥』では山崎努が、柱を揺すって家じゅうをゆさゆささせるし、『街の灯』では、電車が走るだけで、家全体がガタガタ揺れる。
 森崎 あの山ア努が揺らす、あれ、ぼくは別に意味を含めてんじゃないですけど、やりたいんですよ。なぜかゆさゆささせたいんですよ。
 山根 家というものは、こうやったら揺れるんだよってことをやりたいんでしょ。
 森崎 ええ、だから、ドーンと動かない堅牢な家があると、そういう家は見たくないですよ、現実でも。なるべく、こう、トタンのへらへらがあってね、揺れそうな家を見ると、なんかとてもいい気分になる(笑)。
 山根 壊してどうなると思ってるんですかねえ(笑)。
 森崎 壊して、三男坊主も長男も、何かもうメチャメチャになって、雨に濡れて、同じものをこうやって食ってるイメージじゃないですかねえ(笑)。 ろうそくみたいのがあってね、みんな権威がなくなっちやって、こう、しょぼたれて……。そういうふうになりたい。草の生えてるとこをさすらいたい。そうすると三男坊主の知恵を吸い取られた人間だって、そこにいたっていいし、「みんな同じだ」と言ってりやいいっていう……。
 山根 強大な存在としての父親に対して、そんなふうに思うというのなら、よくわかるんですが、たった三つ年上の兄さんに対して、そんなに……。
 森崎 そりやあ、だって、親父よりも兄貴のほうが、競争相手としては……。
 山根 でも、あくまで競争相手でしょ? 父親の場合には、競争にもならないってところがあるのじゃないですか。
 森崎 ぼくはよく煩悶しますよ。ぼくの八十五になる親父は元気でいるんですけビ、人間的に見て、これは傲岸でもなんでもなくて、親父のほうがはるかに優れてると思いますね、ぼくより。現実にいって、たとえば、親父は今ほうぼうに地面持ってますよ。いつ買ったのかわかんないですねえ。山だとかね。ちゃんと値上りするのわかってたって言うんですよね。没収されましたけビ朝鮮にも持ってたんですから。そんな財力は別にないんですよ。それて、お袋が死んだら、今好きな人といっしょにみごとに生きている。
かなわないですね。絶対かなわないし、親父の方もやっぱり今でも、映画監督なんて、えらそうなこと言ってるけども、人間的なあれからいうと、こんなもん(指先)だと思ってるんじゃやないですか。
 山根 なるほビ、森崎さんはそんなふうに思うわけですね。
 森崎 『黒木大郎の愛と冒険』を見たときに、「前のよりちったぁいいかなあ」ってなことを言いよる(笑)。シナリオなんか置いとくと、読んでね、「喜劇にしてもちょっと上すべりしすぎじゃないか」なんてことをグサッと言うわけですよ。
 山根 いいお父さんだなあ(笑)。
 森崎 だからあの人が、ちゃんと大学まで行って、今ぼくと同年齢で、この仕事に入ってりゃ、あっちの方がいい線いってるんじゃないかって気がしますねえ(笑)。しかし、そりゃわかりませんけどね。そんな一生懸命に映画なんかつくるような人間じゃないですから。もっとこう、金儲けの、ねえ。
 山根 森崎さんはたいへんいい家族の中で育ったんですねえ。
 森崎 そうですかねえ。助監督になって、もう七年も八年もたってね、三十六で結婚したんだけど、その後も、つまり三十七ぐらいになるまで、言われてましたからね。足もとの明るいうちに帰って来いって。家の専務でも常務でも重役の場をあけてるから、と。うちはもう会社組織ですからね。
 山根 映画をやることについては、ご両親はどう思ってたんですか。
 森崎 それはだって、小津さんとか、昔の社会的地位からいうとよかったわけでしょ。ほんとは法学部なんか行ったんだから、それこそ園田直みたいになって欲しかったんじゃないですか。まあ映画監督ならいいだろうってことじゃないですか。なれりゃ、ね。なれんのだったら、最低だから、早く帰って来い、顔向けができん、という感じだったんじゃないですかねえ。
 山根 こういうことはありましたか。肉親、とくに父親や母親のことを、他人の前でなんか恥ずかしく思うってことが。『 喜劇・女は度胸』でも、弟の河原崎健三は、親兄弟のことをひどく軽蔑してますね。あれは、恥ずかしさから来てると思うんです。思春期から青年期にかけては、よくあることなんじゃないですか。
 森崎 それはありましたねえ。ぼくはひじょうにあったですねえ。たとえば兄貴の例でいうと、兄貴はやっぱり日記に、あれはぼくが許せないと思うんですけど、ぼくのお袋の容貌のこと書いてるんですよ。ね、けしからんと思うんですよ。ふざけるんじゃないよ、と。あとでまあ、調子のいいこと書いてますけどね。いくら青春のある時期の、ね。ぼくだってあったんですから、ね。正直いうと、兄貴なんかよりももっとありましたよねえ
たとえば「おい善徳丸」と言われると、もうカーッと屈辱で燃えあがりそうになるという……。今考えると、どうってことない(笑)。そりゃやっぱりね、そいつの親父は一橋大学出だったりするわけですよ。それで三池中学に行って。彼も一ツ橋大学に行ってるみたいな。それが小学校時代、そいつの兄貴さんがいて、「おーい、善徳丸が来てるよ」なんて言われると、カーッとね(笑)。あいつを乗り越えることなんてできないのかと思うわけですね。そういう意味で、容貌にしてもですね、体型にしてもですね、すべてそれはありましたし。やっと、それからもう、いい年になって来たんで、少うし自由になれたかっていう程度ですよね。
 山根 少うし、ですか(笑)。
 森崎 ええ(笑)。
 山根 それでもだけど、家族ってのは、こう、どうしょうもないわけで、認めるしかないというか……。
 森崎 何かとりあえず恥ずかしい。家族ってのは、全部含めて、腹切った人間まで含めて、何となく恥部だっていう……。まあ、腹切ってね、偉そうにしてるから、何となくこいつのことについては、あんまり恥でもないっていうふうにしゃべれますけども、やっぱり家族ってのは、ずーっと長いあいだ、恥の感覚でしか、恥部でしかなかった。自分も含めて。だから、そのことについて触れないで、そこを何か体裁よくやっちゃう作品がもしあるとするなら、それはもう、そのことだけで嘘だ、という感じがありますよね。だから、もろにそこへ触れたいという、焦りの感覚っていうか、それがあるから、ああいうふうにつくった、ああいうふうにすぐつくりたがるということだと忠いますね。
 山根 ところが、そんなふうな森崎さんが、あるときから自分の家族を持つようになった。
 森崎 これは、困りますなあ(笑)。
 山根 やっぱり(笑)。
 森崎 これがどうしようもないねえ。やっぱり恥部でありつづけるちゅうか、第二部の恥をまたやってるって感じがありますよ(笑)。
 山根 ご自分が父親になってまでそう言ってるんだから、相当のもんですね(笑)。家族ってのは、なければないほうがいいと思いますか。
 森崎 エー、つまりね、たとえば『喜劇・特出しヒモ天国』をね、子供が見るって言ったら、具合悪いですよ、これは(笑)。そういう意味じゃ、ぼくの自由にとってはマイナスですよ。
 山根 やっぱり子供には、お父ちやんはこんなに立派な映画を撮っんだと、ほんとはそう言いたいんですか(笑)。
 森崎 うーん……山田洋次が妬ましいって感じがありますね。あそこは家族全部で見に行くんですから。奥さんも含めて。
 山根 へえ、それはすごいなあ(笑)。
 森崎 妬ましい。チキショウ、妬ましいな(笑)。
 山根 森崎家では、そういうことはないんですか。
 森崎 まずいじゃないですか、『喜劇・特出しヒモ天国』じゃ(笑)。ちょと人様にはいえない感じ。ああいうのを親子で見に行って……(笑)。
 山根 娘さん三人が、もう映画をちゃんと見ることができる年ごろになっているとなると、やっぱり気になりますかね。映画をつくるときに。
 森崎 だから、その、やっぱり、あいつらとは、たまたま何が生物学的な因縁で親と子になっただけで、ぼくの魂に関しては無縁なはずだ、と。ええ、そう思いながらつくってますね。だから今度つくる映画なんてのは、もう見せたくない……っていうと、こだわってるってことになりますけど。ただ、じゃ特別に無菌状態でおきたいのかっていうとそうじゃなくて、ぼくの映画がそんな黴菌にまみれてるとはいわないけれども(笑)、そのくらいの何か黴菌には、ちゃんと抵抗力をつけるというか……。そういう言い方もおかしいなあ(笑)。
 たとえば、今度の作品で、中学生が出て来るとすれば、ぼくの娘が中手生ならば、ちゃんと見て、その中学生の中の一人として、そいつの作品に対する感覚として、つくった人間の意図はちゃんと読みとれるようてあってほしい。何だかうすぎたなくて、何だか下がかって、下品で不潔、というふうに言われると、ぼくは勘当したくなりますねえ(笑)。もう勘当だ!そいつが学校に行くんなら、学費は出してやりたくないですね(笑)。
 やっぱりそういうふうに育ってもらいたいっていう気はありますよ。親の感覚として。ただこのあいだ12チヤンネルが来て、児童年だから、こういうふうにお子さんを育ててるという何かプリンシプルがあつたら、取材したいって来たんです けどね、どう考えても人様に見せるようなこといえないですね。それはもう嘘でもいえない。
だいぶ考えたですよ。そんなの逃ける必要ないんであって、やっぱり親子のことについては考えてるし、教育についても考えてるし、父親は子供を教育えきるのかっていう命題についても、ぼくはぼくなりに考えてるし、何かを与えなくちゃならんし、というふうに思ってはいますよ。そんな逃げてばかりいませんから。でも、やっぱりそれはいえなかったし、やつぱり基本的にはぼくは逃げてんじゃないか、と。そうすると、家族のことなんか、作品上ではいろいろいてて、現実ではまったくおりてるのか、そこでは無能力者なのか、と言われると、ひじょうに弱いですけどね。
 山根 森崎さんの家族をぼくなりに見てる範囲でいうと、父親森崎東は、たいへんうまいところにスポンと位置しているという感じがしますね。そのことを説明しようとすると、森崎家の内幕をバラすことになるんでやめますけど(笑)。ただ、ちょっと気になるのは、仕事がないときに父親である森崎さんがずっと家にいることですね。フリーで仕事をしてる人は、誰でもそうなんですが、そのことは子供たちにとってどうなんでしょうね。
 森崎 うちの家族ん中で、いちぼん家にぃるのは、ぼくですからね(笑)。娘は学校に行ったりするでしょ。女房は何だかね、野菜の会なんかに行って。ぼくがいちばんいるんだものなあ(笑)。
やっぱり、でも、太宰治がいうように、子供より親が大事だ、といいたいですね、ぼくは(笑)。親のつごうでありたいですよ。家庭も親のつごうで動く。うん。
 

その3 へ行く)

II .心の結ぼれををほどく芸能を求めて
その4 へ行く)

III. エトスを美的に娯楽的に刺激したい