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 映画 日記   2002年         池田 博明 


見た年   外国映画 題名  日本映画 題名
 2001年 
映画日記
 
(太字は大傑作)
沈黙の女、インビジブル、ワンダとダイヤと優しい奴ら、ロッキー・ホラー・ショウ、甘い抱擁、エクソシスト、JUST VISITING、ザ・メキシカン、フェイス・オフ、ガタカ、ブルース・ブラザーズ2000、リトル・ヴォイス、ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ、スリーピー・ホロウ、ダンサー・イン・ザ・ダーク いい湯だな全員集合、緋牡丹博徒・鉄火場列伝、一心太助・男の中の男一匹、家光と彦佐と一心太助、千と千尋の神隠し、喜劇・一発大必勝、隠し砦の三悪人、戦国野郎、名探偵ホームズ
   

2002年に見た 外 国 映 画 (洋画)
見た日と場所    作  品       感   想 (池田博明)
2002年10月23日
DVD
スパイダーマン
2001年、USA
 面白く見ることができました。惚れた女の子のために命がけという少年の想いがよく伝わってくる脚本でした。そういう意味では、現代ではファンタジーにしかなり得ない物語だと思いました。
 糸を使ってビル空間を移動するときのズーム感覚は、かなり新鮮なものでした。スパイダーマンの今回の敵は人体増強装置を開発した博士が扮するグリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー怪演)。この敵がなぜスパイダーマンとの戦いにそんなにこだわるのかが理解できないのですが・・・。
2002年10月19日
DVD
ミュージック・オブ・ハート
1999年、USA
ミラマックス
 実話をもとにした音楽映画。自分の人生でも離婚、子育てなど難題を抱えながらも、ハーレムの子どもたちにバイオリンを教えていく女教師の愛情。
 夫が友人と恋仲になって離別、二人の息子を抱えたロベルタ・ガスパーリ(メリル・ストリープ)はイースト・ハーレムの小学校で、臨時教員としてバイオリンを教えることになります。きびしい練習にもかかわらず、バイオリンの音は生徒の心を捉え、やがて定期的にコンサートが開けるまでになります。いつの間にか11年がたち、教え子は千四百人にもなっていました。
 ところが突然、市の教育委員会は予算縮小を決定。臨時教員の課外授業はカットされることになります。怒ったロベルタは父兄や親友と一緒にバイオリン・クラスを存続させるための、慈善コンサートを企画します。切符が好調に売れている途中で、予定していた会場が水害でダメになります。万事窮すのときに、救いの手を差し伸べてくれたのはアイザック・スターンら、一流のバイオリニストでした。彼女たちはカーネギー・ホールで演奏することになります。
 2年間120時間の取材をまとめた77分間のドキュメンタリーを見た製作のワインスタインが映画化を決めました。監督はウェス・クレイヴン、脚本パメラ・グレイ、撮影ピーター・デミング、音楽メイスン・ダーリング。
 ロベルタの母にクロリス・リーチマン、黒人の女性校長ジャネットにアンジェラ・バセット。カーネギー・ホールでの演奏シーンにはスターンやイツァーク・パールマン(彼は足が悪い)、マーク・オコーナーなどが特別出演しています。実際の演奏日1993年10月23日には五嶋みどりも出ていたそうです。
 主演のメリル・ストリープの演技はモデルになったロベルタ先生本人も驚くほどクセをよく捉えたものだそうですが、冒頭のバイオリンを転がしたトラックの運転手を口汚く罵る場面によく表現されていました。現実にありそうな人物像で、急に落ちこんだり、舞い上がったりします。モンローやオードリー、マックレーンのようなスター演技は過去の遺産になったなあと残念でした。 
2002年9月8日
BS2
キッスで殺せ!
1955年
USA
 ロバート・アルドリッチ監督作品で『Cult Movies』にも取り上げられている他、山田宏一さんが「犯罪暗黒映画」ベストを選出したときにベスト・ワンに推した白黒作品。フランスのカイエ・ド・シネマ同人に高く評価されていたのでしょう。アルドリッチは彼らに「偉大なボブ Le Gros Bob」とあだ名されていたといいます。
 USAからビデオを購入して一度見ていたのですが、私の英語力では人間関係をきちんと理解することができませんでした。このたびBS2で字幕付きで放映されたので、ようやく話がわかりました。

 女(クロリス・リーチマン)が暗闇を裸足で逃走してくる。女が飛び出したので急停車した車の運転手がマイク・ハマー(ラルフ・ミーカー)だった。女は素性を明かさない。“病院から裸の上にコート一枚で脱走した”という女を捜す警察の非常線も越えた。女はガソリン・スタンドで誰かに手紙を出す。その直後、マイクと女は別の誰かに囚われ、黒靴の男を黒幕とする組織の拷問によって女は死ぬ。マイクは女と一緒の車に乗せられ、谷底へ突き落とされる。
 原作はミッキー・スピレーンの小説。
 奇跡的に怪我から回復したマイクはパット(ウェスリー・アッディ)などFBIの監視を受けながらも、事態を探り始める。秘書のヴェルタ(マクセン・クーパー)にも協力を依頼し、もつれた糸を解きほぐしていく。アメリカのハードボイルド探偵らしく、名前を聞いて、それを手がかりに人に会ううちに事件の全貌が見えてくるという仕組み。しかし、今回はなかなか中心まで行き着かない。聞き込みを依頼した車の修理屋で気のいいニック(ニック・デニス)まで殺されてしまう。ハマーの事務所ではかかってきた電話に自動応答し、要件を録音するテープが回っている。ハマーはそのテープに録音し始めた伝言を聞いてから、電話に出るという用心ぶり。殺された女クリスティーヌには同居の友人リリー(ギャビー・ロジャーズ)がいた。引っ越してしまったリリーの住所を運送人から聞いたハマーは彼女のアパートを訪ねる。リリーは警戒を怠らず、ベッド上で銃を構えてハマーに応対する。科学者レイモンドが遺した大切な物の在処をクリスティーヌは知っていたらしい。富豪エヴェーロ(ポール・スチュワート)も加わってみんながそれを探している。
 女が出した手紙の宛先はハマーだった。その手紙には謎の言葉、「忘れないで Remember me」が遺してあった。クリスティーナ・ロセッティの詩集の詩の一節だ。その詩を読み返したとき、忘れないでという詩句の次にある言葉、私の胸の中にある云々が謎を解く手がかりになった。剖険の医師に聞いたところ、胃の中から鍵が出てきたという。その鍵はHACのレイモンドのロッカーの鍵だった。
 ロッカーの中には皮製の箱が入っていた。それを少し開いてみたハマーは目もくらむような熱戦に手首をやられた。恐ろしい物質が入っているらしい。
 FBIから「マンハッタン計画、原子爆弾、三位一体」といった重要用語と、本物のリリーは既に殺されたことを聞かされたハマーは、怪しい画商ミストの所で睡眠薬の処方者・医師ソバリン(アルバート・デッカー)を探りだし、誘拐され人質となった秘書ヴェルタを助け出すべく、医師の海辺の別荘に行く。黒靴の男は医師ソバリンだった。彼は偽のリリーをハマーに接近させ、ロッカーの秘密を暴いていたのだ。
Kiss me Deadly  管理人を殺して箱を盗んだリリーは「箱の中身を教えて」と医師に迫るが、医師は「パンドラの函だ」とか「ロトの妻だな」「メドゥーサの首だ」とか曖昧な返事をする。値打ち物らしいとふんだリリーは「分けられない物なんだ」という医師を撃ち殺して、箱をせしめる。しかし、死ぬ前に「俺を地獄の番犬だと思って聞け。絶対に開けるな」と言った医師の言葉に反して、箱を開いた女は原子爆弾のエネルギーで燃えあがり、別荘は爆発するのだった。間一髪、女に撃たれたハマーは別荘からヴェルタと浜辺へ逃げ出し、難を逃れたが、背後では原爆が炸裂する・・・

 マイク・ハマーの名前について、リリーの「私はガブリエル。あなたはミカエルね」という台詞があります。ガブリエルもミカエルも共に大天使の名前です。『キリスト教辞典』(岩波書店)によれば、大天使ミカエルはあらゆる悪に勝利する戦闘天使、大天使ガブリエルは「神の人」の意味で、神の言葉を告げる預言者。この映画には、名前だけではなく、あちらこちらにキリスト教の暗喩が仕掛けられているように思われます。
 「キッスで殺せ Kiss me, deadly」という表題は最後の場面で、リリーがハマーに言う言葉、「キスして。愛情の無いうわべだけのキス、偽りのキス。あなた、得意でしょ」という意味の裏返しの表現だと思われます。
2002年8月16日
ビデオ
M:i-2
USA
2000年
 『フェイス・オフ』のジョン・ウー監督がトム・クルーズの要請に応えて作ったアクション満載の作品。『ミッション・インポッシブル』とは「不可能な任務」のこと。一作目はブライアン・デ・パルマ監督でヒットした。2作目はトム・クルーズ自身の製作。後半一気のアクション・シーンはよくぞここまでと驚くほどの連続。「メイキング」によると、トム・クルーズはかなり多くのスタントを自分でこなしているそうです。
 製薬会社が遺伝子組み換えで作り出した悪魔のウィルスとその治療薬を盗み、薬を売りつける組織のリーダー、ショーンにダグレイ・スコット。ショーンの過去の女で盗みの天才ナイアにサンディ・ニュートン。脚本はロバート・タウン。
 ゴム製の顔を貼り付けて別人になりすますという手法が効果的に使われています。製作者はトム・クルーズとポーラ・ワグナー。映画館に来たお客さんを1秒でもあきさせないというサービス精神を感じました。
2002年8月15日
ビデオ
スパイ・ゲーム
USA
2001年
 ブラッド・ピットとロバート・レッドフォードが初共演したトニー・スコット監督作品。
 予告編を映画館で見て、面白そうだなと思ってから一年、ようやくレンタル・ビデオで見れました。
 冒頭、中国の蘇州刑務所からの囚人脱出作戦があと数秒のところで失敗します。医師に化けて潜入したトニー・ビショップ(ブラッド・ピット)は、捕えられて拷問され、翌朝8時に死刑と決まってしまいます。あと残された時間は24時間しかありません。
 中国との国交正常化の直前に事を起こしたくないCIAは、この「サイドショー作戦」を無かったことにして、ビショップを見殺しにする方向で収拾を図ります。かつての上司R(レッドフォード)は本日、無事退職の身で、CIA幹部を前にビショップとのこれまでの「仕事」を語ります。
 休憩の合間に、彼は現状をできるだけ把握し、遂には自分の全財産をはたいて、ビショップ救出作戦をCIA長官の名前を騙って決行します。最後に見事、助けられたビショップが、飛行機の操縦士が話す作戦の名称を耳にして驚きます。「ディナー作戦だって?」、それは自分がベイルートで銃弾をかいくぐって、Rにご馳走したときの冗談でした。彼は誰が自分を助けてくれたのかを知ったのです。
 《組織に抵抗する個人》という物語は、『明日に向かって撃て!』『スティング』『ブルベイカー』などレッドフォード好みの設定です。今回は、CIAというとてつもなく手ごわい組織でした。彼の台詞に、「廃馬はどうするか?と聞かれて、叔父は答えた。自分の馬は自分で殺すと」と『ひとりぼっちの青春(原題.彼らは廃馬を撃つ)』を思わせるものや、「アルゼンチンに別荘を買うさ」など『明日に向かって撃て!』を思わせるものが語られます。
 クールなスパイを心がけながら、女性工作員エリザベスを愛してしまい、その女の救出に命を賭けるブラッド・ピットの役どころは『セブン』や『メキシカン』のイメージそのままの彼でした。
2002年7月18日
ビデオ
ハンニバル
USA
2001年
 『羊たちの沈黙』の続篇をリドリー・スコットが監督した話題作。前作を見ていない人には、FBI捜査官クラリスとレクター博士の関係や、レクター博士の位置づけが理解不能と思われます。
 面白かったのは、FBIの極秘捜査の手配書は一般には出回っていないため、レクター博士を一般人は知らないこと、レクター博士に個人的に復讐をたくらむヴァージル・メーソンへの連絡は「おかけになった電話番号は現在使われておりません」と返信した直後に先方からかかり直してくるといった注意深さであることなどです。
 クラリスを窮地に陥れることによって、博士をおびき出すというメーソンの作戦は図に当りましたが、全体としてクラリス側からの勧善懲悪物語になってしまい、博士主体の冒険活劇に見えてしまいます。最後に、レクター博士の逃亡を手助けした形になったクラリスの精神は今後どうなるのかが、心配です。
2002年7月4日
DVD
狼男アメリカン
USA
1981年
 日本公開の1982年、私はこの映画を『ブレード・ランナー』を押さえて、洋画ベスト1に推しました。ところが、この映画は日本の観客や映画評論家に、まったく評価されませんでした。当時は『ブレード・ランナー』も全然評価されませんでしたが、この狼男フリーク映画はそれ以上でした。
狼男アメリカン  一般にジョン・ランディス監督に対して日本の評論家は冷淡です。
 しかし、この映画は傑作。リック・ベイカーの変身特撮ばかりが宣伝されますが(アマデミー賞特殊メイクアップ賞受賞)、それだけではありません。この『狼男アメリカン』には、映画に対する愛情が脈打っています。それが理解できなければ、映画を見る資格はないと思います。
 タイトル・バックに流れる歌『ブルー・ムーン』が怪しい雰囲気を盛り上げます。アメリカ人のバックパッカーふたりが、イギリスの片田舎に迷い込んでしまいます。いかにも狼男が飛び出してきそうな「感じ」が、笑いになります。セットで建てたというパブ「屠殺された羊」が、異常な土地に入りこんでしまったアメリカ人の違和感を加速します。このコメディは、基本的にホラー映画の恐怖を煽る演出を笑いのめしています。最初から批評的な眼差しが感じ取れる映画になっているのです。
 全編、喜劇調で進んでいながら、変身場面と狼男のリアルさが奇妙な感覚を表現していて、日常のすぐ隣にある狂気を視覚化した傑作だというのが、私の結論でした。
 ランディス自身はこの作品はコメディではない、リアルさを追求した現代版の狼男だと主張しています。
 見返してみると、主人公が見る突然の悪夢が予期せぬ場面で現れ、私にインパクトを与えたことが分かりました。冒頭の暗雲を待って撮影したというロケや、ピカデリーでのスラップスティックは特に見事です。ただし、病院内から退院して看護婦アレックスの家に行く辺りの中盤は物語にやや緊張感が欠けるところがありました。
 ロンドンの警察官は銃を携帯していませんから、狼男を撃つことができません。そこがアメリカ社会と異なるので、狼男を街中で走らせるという設定に、なんの苦労も無かっただろうと推測されます。
2002年6月30日
レンタルDVD
O[オー]

2001年
USA
 高校を舞台に『オセロ』を下敷きにしたティム・ブレイク・ネルソン監督の映画です。
 『オセロ』の映画化として傑作です。
 イアーゴ役の主人公を演ずるのは『パール・ハーバー』『シャンプー台のむこうに』『フォルテ』にも主演しているジョシュ・ハートネット。撮影監督はラッセル・リー・ファイン。
 冒頭、主人公ヒューゴー(ジョシュ・ハートネット)のナレーション、「僕は空を飛びたかった。鷹のように」。しかし、背景に映っているのは鷹ではありません。白い鳩です。
 バスケットの試合の場面で、接戦を制したチーム・ホークス(鷹)のMVPは、唯一の黒人選手オーディーン(マーカイ・ファイファー)でした。鬼コーチ(マーティン・シーン)の息子ヒューゴーもオーディーンを助けていい動きをしていますが、コーチは自分の息子には(多分意図してでしょうが)辛く当ります。表彰式でMVPの盾を受け取ったオーディーンは、自分のプレーをサポートしてくれた殊勲選手として、ヒューゴーではなく、マイケル(アンドリュー・キーガン)の名を挙げます。また、鬼コーチはオー(オーディーンの愛称)を「わが息子 My own son」と呼んで絶賛します。ヒューゴはひそかに嫉妬します。
 オーは校長の娘デジー(デズデモーナ役。ジュリア・スタイルズ)と交際し始めています。デジーはエミリー(レイン・フェニックス)と同室です。ヒューゴーは鬼コーチの実の息子という設定が活かされています。
 ヒューゴはオーに覚醒剤も与えて、正気を失わせていきます。ヒューゴー自身は筋肉増強のために、売人からステロイド剤を注射してもらっているほどです。オーがデジーにあげたスカーフを、エミリーはヒューゴーに渡してしまいます。エミリーはヒューゴーに好かれようとして、その利用法を知らずに持参したのでした。そのスカーフはヒューゴーの手からマイクへ、マイクの手から愛人の手に渡って、オーの疑惑のもととなります。
 ヒューゴーの計略は、オーがデジーを射殺し、その罪をマイクにきせた後で、ロジャーがマイクを射殺して自殺に偽装するというものでした。
 ところが、ロジャーはマイクと取っ組み合いになり、怒りに任せてマイクの足を撃ってしまいます。自殺に偽装できなくなったヒューゴーはロジャーを撃ち殺し、デジーの部屋に駈け付けますが、そこでは既にオーがデジーを絞殺してしまっていました。デジーが試合を観戦に来ていないのを不審に思ったエミリーがちょうど戻って来て、スカーフの真相をオーに話します。ヒューゴーはエミリーを撃ちます。絶望したオーは警官に取り巻かれたなかで、「白人に罠にはめられた自分の人生」を呪い、自分を撃ちます。
 オーは、白人の高校にたった一人、バスケットの才能を認められて入学してきた過去に犯罪歴のある黒人青年という設定で、陰では「ニガー(黒人を意味する差別語)」と言われて蔑まれているという状況があります。彼は讒言に、簡単にはめられてしまいやすいのです。このような状況設定は説得力のあるものです。
 『オセロ』を意識しなくとも、青春映画として見ることができる作品でした。ジョシュ・ハートネットは父親に認められない孤独な陰謀家という屈折した青年を好演しています。セリフも現代的でした(脚本はブラッド・カーヤ)。
2002年6月15日
テレビ朝日
日曜洋画劇場
セブン
USA
1995年
 フレンチ兄弟の『カルト映画』に選出されたディヴィッド・フィンチャー監督作品。
 七つの大罪に見立てて連続殺人を犯す謎の犯人を追う刑事に、退職まで7日間を残す黒人サマーセット(モーガン・フリーマン)と小さな町から転勤してきたばかりの新米ミルズ(ブラッド・ピット)のコンビ。
 映画のトーンは暗く灰色で、ほとんどのシーンに雨が降っています。
 Gluttony(大食),Greed(強欲),Sloth(怠惰),Lust(肉欲),Pride(高慢)と五人殺したところで、突然警察に自首して来る犯人役のケヴィン・スペーシーは、最初のオープニング・クレジットには名前が出て来ません(ラスト・クレジットには最初に登場する由。野球の試合の延長もあってか、日本語版製作スタッフとともにクレジットはカットされました)。
 残る二人の遺体を見せるという犯人に付き添って刑事たちが行くのは郊外の荒地。貨物バンによって、小荷物が届けられる。その中には当日の朝殺したばかりのミルズ刑事の妻の首が入っています(映像では写されません)。ミルズは犯人を射殺し、Envy(嫉妬)とWrath(憤怒)の大罪が完結します。
  「七つの大罪」を確認するのに、ダンテ『神曲』やチョーサー『カンタベリー物語』などを読む学究肌の黒人刑事が登場し、ブラッド・ピットも面倒臭そうにしているが結局は読んでいることが台詞から分かるという衒学趣味。調査本のなかに『人間の絆』も出てきます。『人間の絆』の作者はサマーセット・モームで、サマーセットという刑事名はここから取ったもののようです。
 都市になんとなく嫌悪感を抱いている妻にグゥイネス・パルトロウ。サマーセット刑事に人間的なふれあいを求めて、食事に誘ったり、妊娠の相談をしたりします。この妻役に関しては、脚本家の書き込みが足りないかも。もっとも、本編は127分もあるので、日曜洋画劇場では30分近くカットされていると思われますから、内容について確定的なことは言えませんが。 
2002年5月17日
DVD
ハリー・ポッターと賢者の石
USA
2000年
 主人公に感情移入しやすい物語で、わくわくどきどきしながら2時間半が楽しめます。
 定番の敵役(ポッターの叔父や叔母とその我がままな甘えっ子。スリザリン寮生で家柄のいいマルフォラン。学校の教師たち)が魅力的だし、チェス好きの友人ロンや勉強家のお転婆娘ハーマイオニなど、ポッターの味方も見事な助け合いを発揮します。
 たくさんの鷲やさまざまな怪物や妖精たちも見所です。
 死んでしまった自分の両親を映し出す鏡にポッターが魅了されてしまったとき、校長はこんなことを言います。これは、心の底の欲望を映し出す鏡だが、これに見入ってしまうことで、人生をだめにしてしまった人たちがたくさんいる、もうこの鏡を見てはいけないよ、と。自分が今できることに最大限取り組むことが未来を切り開くのだというメッセージを感じました。
 また、印象深かったのは、ホグワーツという学校のシステム(全寮制で寮ごとに勉強や生活を競うシステム)は当然のこととして受け入れられていることでした。2001年末の荒俣宏・野村祐香のハリー・ポッター案内番組によると、このような教育システムはイギリスの進学校では今でも普通のようです。“古き良き時代”の話ではないんですね。
2002年4月28日
NHK教育
世界名画劇場
サンセット大通り
USA
1950年
 つい先日亡くなったワイルダーの傑作。脚本(チャールズ・ブラケットとワイルダーの協同)が秀逸。
 登場人物は、売れない脚本家ギリス(ウィリアム・ホールデン)、サイレント時代の過去の栄光に生きる女優ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)、執事として仕える過去の名監督で最初の夫マックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)、新進脚本家を夢見る女性ベティ(ナンシー・オルソン)。
 自分が凋落した原因であるトーキー映画を呪っていて、サイレント映画しか認めない女優が、自分主演で書いた脚本が『サロメ』だというのが興味深い。ホールデンが自分に好意を寄せるナンシー・オルソンに対し、ある距離を保っているのが映画のサスペンスを支えています。執事マックスの正体が明らかになる場面はショックですが、最後の場面で殺人を取材する報道機関のカメラマンに「カメラ用意、アクション!」と声をかけるシュトロハイムは画竜点睛の演技。
 ストーリーは下記ウェッブ・ページ参照(英文)。
 セシル・B・デミル監督がデミル自身として出演します。
 映画に対する愛情を陰画として描いた作品とも読めます。これほどまでに映画は人を魅了するものだったのだと。
 「最初にグロリア・スワンソンの名前をあげたのはジョージ・キューカーだったかもしれない。スワンソンはもう世捨て人のようになっていたし、不吉の象徴みたいに思われてもいた。かつてパラマウントを大損させたことがあったからだ。それでも私は彼女に固執した。恰好の人選だと思った。彼女自身サイレント時代の大女優だったし、エリッヒ・フォン・シュトロハイムと一緒に映画も作っていた。その映画、『クィーン・ケリー』(1928)は映画のなかで彼女が自宅の映写機でかけてみせるものだ」(ワイルダー,1999)。
 http://www.geocities.com/Hollywood/Theater/6980/sbstory.htm
2002年4月19日
BS2 衛星映画劇場
ナチュラル
USA
1984年
 野球映画に限らずアメリカのスポーツ映画はたいてい、失敗者や負け犬の起死回生の物語で、スポーツや野球が人生そのものであることを教えてくれる正義もの、一種のアメリカン・ドリームものとなっています。野球を扱った映画『がんばれ、ベアーズ』『メジャーリーグ』『プリティ・リーグ』、アメリカン・フットボールを扱った映画『ロンゲスト・ヤード』などなど。この『ナチュラル』もその例にもれません。『ナチュラル』では、スター選手は、名声やお金よりも、「子供に夢を与える」ことが一番大切という視点が重視されています。したがって、主人公ロイ・ホッブスは自分の給与にもこだわりませんし、父親とのキャッチボールの思い出を大切にしていますし、野球選手になれというのは父親の夢でしたし、父親に教わりながら自分で作った稲妻マーク入りのバット「WONDER BOY(奇跡の少年)」を大事にしています。ラスト近く、優勝を賭けた試合で、大きなファウルでこのバットが折れてしまうと、ロイは球団のボール・ボーイから自分自らが教えて作らせたバットを受け取って、最後の打席に向かうのでした。原作はユダヤ系作家のバーナード・マラマッド。
 『ナチュラル』は「自然体で」という意味でしょうか。田舎出身のロイ・ホッブスがメジャー・リーグの入団テストを受けに行く汽車の停車中に、メジャーの《大砲》打者を3球3振に打ち取ってしまう一騎打ちの場面から、一転してスポーツ選手を銀弾で暗殺する趣味の女に撃たれて瀕死の重傷を負う場面までが、一気に展開します。そして16年後、負け続きのメジャー球団ナイツ(Knights)に中年選手ロイが入団してくるところから、先の読める物語が進行します。
 主人公ロイにロバート・レッドフォード、幼な馴染みアイリスにグレン・クローズ、ファム・ファタル(運命の女)メモにキム・ベイシンガー、やり手の球界記者マックスにロバート・デュヴァル。監督バリー・レビンソンは引き気味の視点で、少し前の思い出物語を語っています。
 八百長をもちかける悪人たち、球団乗っ取りを企む《判事》や、《ノミ屋》の富豪ガイ(ジョー・ドンベイカー)もしっかり描かれています。  

2002年に見た 日 本 映 画 (邦画)
見た日と場所 作  品        感  想     (池田博明)
2002年12月25日
ビデオ
忍びの者、続・忍びの者、新・忍びの者
昭和37年-38年(1962-1963年)
大映作品
 市川雷蔵主演、村山知義原作、高岩肇脚本、渡辺宙明音楽、監督は1作目は山本薩夫、2作目は山本薩夫と助監督・西村鋭治、3作目は森一生。
 石川五右衛門は伊賀の下忍だったという設定で、忍者組織の非情さを描いた映画です。1作目が展開の妙もあり、もっともイキイキしています。伊藤雄之助が伊賀のふたつの忍者組織・百池組と藤林組の頭領を兼務して、双方を競わせるという仕組みと、五右衛門を追いつめる罠は寓話的でした。忍者の掟は生きるときも死ぬときも無名でなければならないという点で非情で、よほど貧乏な者でなければ掟を守ることができるほどせっぱつまることはなかったでしょう。
 2作目は明智光秀を唆して信長を暗殺させる、3作目は徳川家康と組んで秀吉を死亡させるという筋ですが、それだけ忍者の動きは少なくなり、興趣も失せます。
 忍びの者はシリーズ化され、8作まで続きます。復讐に燃える雷蔵は2作目はテロリストの相貌となり、『眠狂四郎』や『ある殺し屋』に続くことが理解されます。
2002年9月27日
BS2
午前1:30
戦争を知らない子供たち
昭和48年(1973年)
東宝作品
 鬼才・松本正志監督デビュー作。製作は針生宏。この作品は完成後、なかなか公開されませんでした。公開後もすぐに上映が打ち切られてしまったので、私も見ていませんでした。高校生がキスするだけでなく、男二人女一人の間で肉体関係を持ったり、女子高生レイコ(加藤小夜子)がドサ回りのストリッパーになったり、少女がゲバ学生に輪姦されたりといった“過激な”内容が、東宝カラーに合わなかったためと思われます。なにせ脚本が大和屋竺・藤田敏八(他に古俣則男・松本正志)といった面々ですから、ただの青春物語ではありません。原作はベストセラーとなった北山修のエッセイ集『戦争を知らない子供たち』(ブロンズ社刊)ですが、内容はほとんど関係がありません。30年近くもたってようやくBSで見ることができました。
 大人のいかがわしさと、自分探しで迷う高校生・一郎(島村美輝)のとらえどころのない漂白感と挫折が描かれていました。
 放課後の教室でキスして抱き合っていた生徒が発見され、教職員は大騒ぎとなります。ヒロシ(沢井正延)とレイコの二人でした。二人を隠したイチロウとともに三人は、生徒派の教師(酒井和歌子)の弁護も空しく、無期謹慎になってしまいます。謹慎中に男子二人は自衛隊進駐反対闘争の場面を目撃したりします。レイコは仲間に声をかけて7名で屋上を占拠しますが、アジ演説に応える生徒はいません。歯が抜けたように脱落者が出た後、説得に来た先生を追い返そうとして、反対派の暴行にあい、怪我をした三人は、信州に旅に出ます。挫折した若者たちが田舎へ落ちていく・・・藤田敏八監督の問題作『赤い鳥、逃げた?』(東宝)のようです。持ち寄ったお金が無くなって、三人はドサ回りの劇団に転がりこみます。劇団の上演作品はなんと長谷川伸の『瞼の母』。下働きをしていた三人でしたが、やがてストリッパーの劇団が合流して、舞台を盛りたてるのに応えて、女達と喧嘩するほど気の強いレイコはストリップをマスターします。ヒロシは去っていき、一郎はヒロシの代りにレイコのヒモになります。やがて一郎も歩いて都会に帰ります。一郎に憧れる劇団の少女がついてきますが、一郎はこの少女を抱いた後、バリケード封鎖をする先輩達に差し入れとしてこの少女を差し出します。少女は一郎のためならと身を投げ出すのですが、この挿話は突然途切れて、バリケード戦士たちが何をしてどうなったのかは二度と出て来ません。
 一郎が学校に戻ってみると、既にヒロシは教室に戻っていて、明るく彼を迎えてくれます。先生もよく帰ってきたわねと暖かく迎えてくれます。
 学校に隣接した工事現場から戦争時の不発爆弾が発見され、大騒ぎとなります。一郎はこの爆弾に走り寄って爆弾を抱え込んでしまいます。たちまち群がる報道陣。機動隊は遠巻きに彼と爆弾を包囲します。一郎の父親が説得に来ます。戦争中に立派な少尉だった父親が、息子を理解すべきだったというメッセージ「戦争に対するお前の本当の気持ちを理解していなかった」と述べる件りは真実味がなく、空しく響きます。
 学校の屋上から自分を狙うスナイパーに気づき、爆弾を叩いて爆破する一郎・・・と思いきや、それは幻想で、新しい靴と制服に身を固めて放心した一郎が母親に見送られて学校へ通う場面で幕。この作品で圧倒的な存在感を示したのは加藤小夜子でした。
 松本正志はこの後、『狼の紋章』というカルト映画を撮ります。志垣太郎主演映画で唯一の傑作です。松田優作も出演しているので再評価される機会があるかもしれません。驚嘆すべき美術を担当したのは『戦争を知らない子供たち』と同じ竹中和雄でした。
 そして、松本正志の第3作は本宮ひろ志原作の『俺の空』。小田原東宝で封切りを見たときの客は、私ひとりで、映写技師は客が見えなかったらしく、まだ終了しないうちに上映を打ち切ってしまいました。映写技師の人が「あっ、お客さんがいたんだ」と驚いていた記憶があります。これは原作負けした中途半端な作品でした。
2002年9月21日
DVD
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

1984年
東宝,キティ・フィルム提携作品
 押井守監督の劇場アニメ第2作。とうとうDVD化されました。大抵のビデオ・レンタルショップには、この第2作だけが置かれていませんでした。配給元が他の『うる星やつら』と異なるため、ほとんど出回らなかったようです。押井監督第1作『うる星やつら オンリー・ユー』を傑作と評価する人がいますが、その意見には賛成できません。『オンリー・ユー』では、「うる星」のたくさんのキャラクターを処理することに比重がかかっていますし、展開はありふれたもので、むしろ退屈といってもいい位だからです。
うる星やつら2  しかし、この第2作では、F・K・ディックさながらの迷宮世界が展開されます。TV時代からの「うる星」ファンには「訳が分からない」と評価されなかった作品だったと思います。興行成績もふるわず、劇場での上映も早々と終わってしまったという記憶があります。私は「大傑作!」とふれ回ったものの、その声に返ってくる反響も無く、空しい思いがしました。今回のDVDにはエッシャーの絵を模した表紙の劇場用パンフレット縮小版も付属しているという凝りようです。好きな人はいるものですね。
 これで公開当時の低評価に私が憤っていた映画は、TV版『ルパン3世,ファースト・シーズン』にしろ、『ビューティフル・ドリーマー』にしろ、若い人に見てもらえるようになりました。後は、勝新太郎の劇映画『顔役』だけです。
 唯一この作品で惜しいのは、夢邪鬼が夢の説明をするシーンです。説明も、絵解き風な場面も月並みですし、やや蛇足の感もあります。説明しないで物語の展開で処理した方が良かったと思います。ディック原作の映画化で成功した『ブレード・ランナー』や『トータル・リコール』がそうだったように。そして押井さん自身が脚本を書いたTV版『うる星やつら みじめ!愛とさすらいの母』が最後の場面で母親自身が「こりゃあ、あたしの趣味じゃないなあ」とつぶやくほど、不可解だったように。
 公開当時の拙評があります。→「池田映画評:キネ旬ボツ評
 DVD化に当って、押井守・西村純二・千葉繁が画面に沿ってコメンタリーを付しています(聞き役は池田憲章)。
 押井“(冒頭の日照りの海岸シーンで)ゴダールの『ウィークエンド』みたいなものをやりたかった”、“最初はびっしり書いた2枚くらいのメモで、脚本は製作しながら作っていった。後に行くほど辻褄あわせに苦しくなった”、“文化祭の準備というよりバリケードみたいなもの”。
 “(養護のさくら先生は美人なのに声が低いとか最初の半年評判が悪かったが)女性の声はみんなおばさん、一番若いのはしのぶの島津冴子さん。さくらの鷲尾真知子さんは勿論、女性の声はわざありの人ばかり”、“最初の方の給湯室の女たちの会話は気に入っている場面”。
 “『オンリー・ユー』ではキャラクターを全部出さなければと思い込んでいた。しかし、この作品では友引高校関係者だけと決めていたのでやりやすかった”、“TVシリーズのときから基本的に『うる星』は「繰り返しの世界」だから”、“作品の構造自体がエッシャーだから”。
 “絵が90点でもダビングのとき、絵が無かったらやりにくいので、絵は70点でもいいから、ほぼ全部入れてダビングした。(したがって、星勝さんの)音楽も絵にぴったり合わせることができた”
 “妄想に根拠を与えたいという気持ちでやっているのかもしれない”。
 “しのぶの風鈴シーン、お好み焼き場面等はゲっという出来・・・(でダメ)”
 “廃墟で遊びまわる場面は、学校が廃墟になったら行ってもいいなという不登校時代の感覚ですね”
 “あたるの母について、主婦はなんにでも対応できるキャラ、声の佐久間なつみさんのことも気に行っていたのかな。七色の声を持つ人だから。TV「みじめ愛とさすらいの母」は局の方から社長に何か言ったらしい。社長に呼ばれた。現場は別に問題も無く楽しくやったけれどね”
 夢邪鬼の説明シーンについては“台詞が長いんだよね。もっと追い込めって言ったんだけれど”。DNAのモデルのシーンは“色のついた球を動かす動画担当が大変だった”。作画監督はやまざきかずお・森山ゆうじ。 
2002年9月1日
DVD
荒野のダッチワイフ
1967年
 1970年頃、藤田真男氏が高く評価していた大和屋竺脚本・監督の第2作。ピンク映画館で上映されていた作品です。遂にDVD化され、市販されました。信じられないようなことが起こるものです。私は今回、初めて見ました。
 1973年ごろ、札幌日活館で若松プロの作品が連続上映されたことがありました。若松孝ニ監督『犯された白衣』、大和屋竺監督『裏切りの荒野』を見た覚えがあります。しかし、大和屋監督『荒野のダッチワイフ』『毛のはえた拳銃』は上映する館が無く、札幌では見られませんでした。ビデオも無い時代ですから、映画館がかけてくれるまで「待つ」しかなかったのです。
 「待って」待ってもう30年近く・・・・ようやく家のテレビで『荒野のダッチワイフ』を見ることができました。不動産会社の社長に雇われた殺し屋・翔が、過去の自分の恋人の仇と狙う相手・高と組織の手から、社長の女を救出しようとする、しかし、現実と幻想がないまぜになって物語は進んでいく。粋な台詞や都筑道夫のミステリー『なめくじに聞いてみろ』ばりの会話が即興的に織りこまれた作品。
 アップが続く中盤から後半は、私にはほとんど理解不能でしたが、ありきたりの解釈を受け付けない、観客がスクリーン内に侵入していくタイプの映画でした。
2002年8月14日
東京12
修善寺温泉殺人事件
「水曜:女と愛とミステリー」
100分
 朝の読売新聞の試写室(高)で森埼東監督作品と知りました。最近のTVガイドや新聞にはテレ・フィーチャーの監督は記載されていないことが多く、森崎作品も1999年の『苦い夜』以降、お目にかかっていないのです。
 しかし、この吉村達也原作の愛川欽也・国生さゆりの親子刑事ものを演出した森崎さんは手堅い演出ぶりを見せてくれました。さすがに往年のゴッタ煮的要素は無くなってしまいましたが、刑事達が、上下関係が逆転した夏目親子のもとで働くのを気疲れするとボヤく場所が警察の便所であったり、国生さゆりが死んだお兄ちゃんの代わりに自分は警官になったんだと告白するしんみりした場面、左時枝扮する母親が最後の場面で自分が産んだ子と(今は事故の後遺症で盲目となっている)再会する場面などに、森崎さんのハートは感じられました。森崎さんも、もうだいぶお年だと思いますが、がんばって下さいね!
2002年8月11日
NHK
焼け跡のホームランボール
NHK制作,80分
 原作は井上ひさしが岩波書店の総合雑誌「世界」に連載した『下駄の上の卵』。井上ひさしの最高傑作ですが、彼の小説群のなかでは正当に評価されていません。山形県の一地方である置賜(おきたま)弁(山形県は地方によって言葉がまるで違います)と、頻出する置賜地方の地名のせいで、山形県人以外のヒトには理解しにくいところがあるのかもしれません。
 このテレビ・ドラマは少年たちの東京での冒険を中心にしており、演技や演出はややギクシャクしているものの、原作の本質をよく押さえた脚色でした。
 点景として描写されている戦後日本の人々の様相(闇米、ストマイ、GIバンド、闇市、疎開、騙し合い、浮浪児、パンパン)は、私にはある程度納得のいくものでしたが、現代の若い人たちにはどのように理解されるかが、分かりません。
 複眼的な視点が感じられるのは、バンド・マスターの娘で歌手の少女です。少女は少年たちを「いなかっぺ、田吾作」と呼んで毛嫌いします。自分の歌を鼻にかけている嫌味な少女ですが、その原因には、疎開時代のミカンの皮を干して食べるような貧相な食料状況があります。田舎の子供はそのそばでおにぎりを食べていたというのです。少年のひとりが「自分も疎開者だが、田舎の人たちは自分の子供たちにはボロを着せて、一張羅を自分たちに着せてくれた」と抗弁しますが、少女は彼を「なによ、裏切り者」と批難します。また、この少女は父親の浮気や両親の不仲に心を痛めている背景が描かれます。
 バンド・マスターも進駐軍の威光を着て、わが世の春ですが、つい先日までは戦地慰問団として、戦場を巡回させられていたのです。闇米かつぎの元特攻隊員が苦労しているのと同様に、戦争中は辛酸をなめさせられていたという時代状況に翻弄される庶民の生活が語られます。
 少年たちが好演しています。
2002年6月
BS2
頭痛肩こり樋口一葉
紀伊国屋ホール
1984年
 これは映画ではありません。井上ひさし原作の芝居です。1984年の初演が28年ぶりに再放映されました。頭痛肩こり樋口一葉
 私は教育テレビでの初放映を見ています。あまりにも面白かったのでビデオを取るのを忘れてしまいました。後悔したもののもう遅く、高校生たちに見せたかったと悔やみました。それから多くの年月が流れ、とうとう再放送されたのです。娘たちには1994年ごろのこまつ座の紀伊国屋ホールでの公演を見せたことがあります。そのときの一葉役は宮崎美子でした(私は根岸吉太郎監督『俺っちのウェディング』以来、宮崎美子のファンです)。娘たちは感動して、その後、井上ひさしの女性中心芝居『マンザナわが町』も『貧乏物語』も見に行きました。
 今回は録画するだけのつもりでしたが、見始めたら途中でやめられなくなってしまいました。それほど面白いのです。初演の役者さんたちのテンションは異様に高く、一葉の母・多喜役は渡辺美佐子。お広さまが上月晃、八重が風間舞子、一葉・夏子が香野百合子、妹が白都真里です。花蛍役は初演から現在まで一貫して変わらない新橋耐子。台本が初演の数日前に完成したとは思えないほどの熱気でした。
 初めて見たときは、お広さまと八重の強烈さに圧倒されて、一葉・夏子の主役ぶりがかすんでしまった印象でしたが、見直してみると、夏子の役柄は重要ですね。1984年当時、私は香野百合子という役者に対して知名度が無かったので、軽んじてしまっただけでした。過剰演技というほどのハイパワーぶりですが、これはこの強烈な個性のぶつかり合う芝居に是非とも必要なものだったと思います。
 紀伊国屋書店からこまつ座劇場(2)として『頭痛肩こり樋口一葉』のビデオが出ています。初演の舞台を見直した後で、このビデオも購入しました。つなぎのシーンに提灯を持つ子供たちが墓場を駆ける場面が挿入されていて、効果的な映像でしたが、役者さんたちは初演よりも熱気が低下しており、円熟したといってもいいのかもしれませんが、特に老練な淡路恵子の多喜と、落ち着いてしまっている未来夏子の夏子は、物足りませんでした。
 あらためて、初演のビデオ映像を、生徒たちに見せてあげたいと思いました。そして亀井秀雄氏の傑作『明治の文学』(岩波書店)の一葉の項目を紹介してあげたいものだ、と。 
2002年4月24日
BS2
トットチャンネル
東宝
1984年
 斎藤由貴主演、脚本・監督大森一樹。原作は黒柳徹子で、トットのNHK研修生時代が主に描かれます。封切り当時に見たときには、物足りなく思えたものですが、このたび見返してみますと、さわやかな映画に仕上がっていて、目が離せなくなってしまいました。
 テレビ番組がまだ白紙だった時代に、まるで演技経験もなく、常識もない白紙の子として採用されたという愛すべきキャラクター、トットちゃんを斎藤由貴が好演しています。大森監督が斎藤由貴と組んだ前作『恋する女たち』も次作『「さよなら」の女たち』も、斎藤由貴がいちばんいきいきしていた時代を記録した作品だったと感じました。
2002年1月25日
ビデオ
野獣都市
東宝
1970年
 福田純監督の東宝ニューアクション。名のみ高くて見ることの出来なかった作品を中古ビデオ市場で、ようやく発見し、入手することができました。
 黒沢年男扮する有馬が、曙製薬の社長・三国連太郎に趣味の銃の腕を買われて運転手として雇われます。黒沢は天涯孤独の身で、大学工学部(化学科?)の院生ですが、大学は学生紛争の真っ只中で、勉強どころではありません。三国の娘・高橋紀子は政略結婚で大商社の御曹司との結婚が予定されています。三国の占領軍時代の麻薬仲間・小松方正が恐喝に来たときから、歯車が狂い始めます。
 福田純監督の演出は石松愛弘の脚本(原作は大藪春彦)を追うのがやっとで、切れが悪く、編集も稚拙です。例えば大学で黒沢たちの勉学を阻止するゲバ棒を持った学生たちは、まるで迫力が無く、ただの烏合の衆にしか見えないのです。一般学生を脅すときにきちんと固まって、整列している暴力学生なんているでしょうか。曙製薬の乗っ取りを図り、手先に使われる暴力団・花山組の面々も、組長・内田朝雄、青木義朗、草野大悟など、役者はそろっているのですが、非情さが十分に出ておらず、中途半端な責めで終わってしまっており、挙句の果ては主人公に簡単に撃ち殺されてしまいます。役者の動きにスピード感がありません。同じ役者が日活や東映で見せる動きに比べると、これはもったいぶった演出の失敗だと思います。
 小松方正の娘役で登場する岡田可愛もいつのまにか、物語に関わらずに消えてしまいます。高橋紀子は捨て身の演技ですが、まだ硬くて、演技以前のところが魅力となっています。
 陰の黒幕である金森会長の家の木造ドアが簡単に壊れてしまうのも興ざめなら、警護が手薄で、主人公が楽に突破できてしまうのも、興ざめでした。
 ジョン・フリン監督の傑作『組織』や『ローリング・サンダー』とつい比べて見てしまい、あまりにも安易ではないかと思ってしまいました。
2002年1月24日
DVD
メトロポリス
角川映画・東宝
2001年
 原作・手塚治虫、脚本・大友克洋、監督・りんたろうのアニメ作品。
 地上の独裁国家、地下世界ZONE1に住む民衆と革命家、ZONE2のゴミ処理世界、ロボットと人間の共生社会、死んだ娘に似せたサイボーグ=超人による世界征服の野望を持つ総統などの設定は、“いつか見た世界”の感があります。“冒険もの”として“懐かしい”のです。しかし、複雑な現代世界を知ったものとしては、クーデターの計画や失敗などの設定を、“牧歌的”と感じてしまうのは不幸なことでしょう。ポール・グリモーの『王と鳥(やぶにらみの暴君)』やフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』などに繋がっています。崩壊する都市の情景は印象的でした。
2002年1月23日
DVD
みじめ!愛とさすらいの母
TVアニメ作品
 TV版『うる星やつら』第101話の傑作です。TVシリーズDVD第20巻(第98話「そして誰もいなくなったっちゃ」、第99話「火消しママ参上」、第100話「ダーリンが死んじゃう!」、第101話)に収録されています。この回からオープニング・テーマとエンディング・テーマも新しくなっていました。
 脚本・押井守、作画監督やまざきかずお、演出・西村純二。ル=グインの『天のろくろ』のような夢の世界が現実化してしまい、夢と現実の迷宮に入り込んでしまう“あたるの母”の話です。押井守脚本・監督のアニメ映画の傑作『うる星やつら2・ビューティフル・ドリーマー』の前進的な作品です(それにしても『ビューティフル・ドリーマー』は、配給が異なる関係からか、いまだDVD化されていない)。「みじめ!愛とさすらいの母」は、何度見返しても傑作ですが、「うる星やつら」シリーズをまったく見ていない人には、登場人物のパロディも理解できませんし、物語もまったく理解できない世界かもしれません。
 第100話「ダーリンが死んじゃう!」も押井テイストじゅうぶんな作品でした。
 (2007年8月のBS2「とことん押井守」シリーズでは、TVシリーズから視聴者に押井作品ベスト4を選んでもらう企画があって、なんと本作はベスト1に輝いた。ちなみに2位は129話「死闘!あたるVS面堂軍団」、3位は87話「さよならの季節」、4位は20話「ときめきの聖夜」)
2002年1月22日
DVD
必殺仕置人
TVシリーズ
 「必殺」第二シリーズ。藤田まことの中村主水が中心になって登場するようになった必殺シリーズです。脚本家たちが苦労して書いたオリジナル作品なので、大変に水準が高い物語になっています。仕置人の面々は山崎努(念仏の鉄)、沖雅也(棺桶の錠)、野川由美子(鉄砲玉のおきん)、津坂匡章(おひろめの半次)、牢名主の高松英男(天神の小六)。監督・工藤栄一ファンで、かつ野川由美子ファンとしては、どうしてもこのシリーズは揃えないわけにはいきません。ちゃきちゃきの江戸ッ子を好演する野川由美子を見ていれば、それだけで満足というところですが、さらに仕置きされる悪人たちのワルぶりが見ものです。
 貞永方久監督の第1話(盗賊の首魁として無実の百姓が斬首される)・第2話も見事な演出で、面白く出来ています。工藤栄一監督は第9話(ニセ検校を仕置きする話)から登板していました。
 仕置人を取り巻く脇の面々で三島ゆり子(女郎のお島)も活躍。次にDVD化されるのは「必殺必中仕事屋稼業」(緒方拳、草笛光子)シリーズだそうで、これも傑作が多い内容だった記憶があります。

シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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