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| ■父と母 | |
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| 夏の終わりに母と父が相次いで右大腿骨を骨折して、相次いで同じ病院に入院して、そんなこんなでわたしもめちゃくちゃに慌ただしい日々を過ごした。入院したてのころはまだ日中暑くて汗ばむほどだったのに、いつのまにか涼しくなって、そして、寒くなっている。季節の移り変わりを味わっている余裕がまったくなかったので、夏の終わりからいきなり冬になってしまったような感じさえある。 連日の実家との往復は、車で高速を使っても1時間以上かかり、しかも大混雑の幹線道路を通るしかなかったので、もう若くない身体には結構応えてしんどかったけど、現在では母がすでに退院して、父が別のリハビリ専門の病院に転院している。この出来事はわたしにとっては今年一番の大きな出来事となった。 |
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わたしの両親は夫婦仲がよくない、と思う。もちろん自分の親ではあるが夫婦のことなので、ホントのところは二人のみぞ知るということだろうけど、どちらからもどちらの悪口とグチをしょっちゅう聞かされて来たわたしとにとっては、仲良く年老いていく老年夫婦という理想像からは、激しくはずれた夫婦に見える。ふたりともわたしにとっては大好きな父と母なのだが、両方から聞かされる悪口はたまらん。 もちろん、昔から仲が悪かったわけではなかった。高度経済成長期に陰りがさして、実家の商売が傾いてきたころからだったと思う。いろんなことが原因となってお互いに不平や不満がたまっていったみたいだ。 |
| 父は典型的な昭和一桁の男だ。妻は自分に従うもので、どんな時でも自分に意見することなど我慢ならない。母に対しての振る舞いは自分中心のわがまま男。一方、母はそういったことをその時代に生まれた女として、当然のこと、仕方のないことと受け入れてはいたものの、だんだん耐えられなくなってきてしまったのだろう。多人数兄弟の長女として幼いころから兄弟の世話を強いられ、女というだけで進みたかった道をあきらめさせられ、追い出されるように強引に見合いで結婚を親から決められてしまった母にとっては、もういい加減にしてくれの気分だったのかもしれない。 それでもわたしが結婚して子供を産んだころは、初孫かわいさでか、それなりに和が訪れていた。仲良くそろって孫の顔を見に訪れる二人がわたしは嬉しかった。しかし、その後父が病気で倒れてからはまたマズくなってきた。 |
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父にしてみれば突然のリタイアだった。いきなり身体が不自由になり、歩くこともままならぬようになった。商売も自分で始末をつけることも出来ずにいきなり店をたたんだ。悔しかったと思う。切なかったと思う。そんな状況がもともとわがままだった父をいっそうわがままにした。母は母で傾いてきた店を案じて、自分で別の仕事を始めていた。結構年がいってから新しく仕事を自分で始めるのことは容易なことではない。まして女ひとりで始めたのであったから、それこそ無我夢中、髪振り乱しての毎日で、父のことを親身になって思いやる余裕はなかったのだろう。ことに父が倒れて収入の道がなくなったのだ。母にとってだって苦しい毎日だったのだ。 父からは母の悪口の電話が頻繁にわたしにかかってくるようになっていたし、実家に行って母と話しているとすぐに父の悪口になった。 いい加減うんざりしてしまったし、わたしにとってはやはりつらいことだったので、育児や毎日の生活に追われるのをいいことのして、ずっと両親のことは深く考えないようにしていた。 |
| こんな状態での突然の両親の入院だった。入院してもなお、同じ入院患者の母に対して横暴に振る舞おうとする父にはほとほと困ったが、それでもリハビリ病院に転院してからは、母の面会が待ち遠しいようである。あんなに悪口を言っていたって、母に甘えきっている。 母はけがをする少し前に、年齢的なこともあって仕事をやめていた。仕事をしなくなって気持ちに余裕ができたのか、母の父に対する態度が以前よりはうんと優しくなったような気がするのだ。あるいは、母自身も骨折して不自由に過ごすことによって、父の不自由さや悔しさが理解できたのかもしれない。父のわがままをしょうがないと受け流し、愚痴りながらも暖かく接している。 実際の話、相変わらず仲が良い夫婦のようにはあまり見えないのだが、それでも入院前よりは少しはましだ。それに、父の母への嫌悪は甘えの裏返しなんだろうなと思えるようになってきた。 何よりもそんな両親と久しぶりに長い時間を共にして、話をして、ふたりを見ていてわたしの気持ちの持ちようがうんと変わってきた。 |
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本当に夫婦のことは夫婦にしかわからないのかもしれない。父のことも母のことも大好きで心から感謝しているのに、こんなことを書いてしまって、実はとても気がとがめている。本人達が読んだら何を書いているのかとさぞかし嘆くであろう。 若かったころは不仲な両親に心底嫌悪した時期もあったのだが、自分も結婚して、年も重ねて、父の気持ち、母の気持ちが少しはわかるようになってきたのだと思う。以前は自分にとっての両親はちゃんとした両親であって欲しいと勝手に理想像をえがいていたのだと思う。でも、父だって母だって人間なんだ。完ぺきであるはずなど無く、その弱さももろさもすこしは理解できるようになってきている。わかっていたつもりでも、うんざりして気持ちを遠ざけていたわたしには、そんなことが見えなくなっていたし、あえて考えないようにしていた。 |
| 両親の不仲がちょうど結婚適齢期のころからだったので、自分自身が結婚するときに一番に心に誓ったことは、不仲な両親にはなるまいということだった。不仲な両親では子供がかわいそうだからと思った。少しはいろいろなことがわかるようになってきて、別に両親が不仲だろうとなんだろうとたいしてこたえなくなった自分が今はいる。 それでも、たいしてこたえていなくたって、そしてこんな年になっても、やっぱり両親は仲良くして欲しいと思うのが本音のところだ。やはりいくつになっても子供は子供というところなんだと思う。 もう一つ、ついでに懺悔をさせてもらうと、わたしは結婚するときに、自分の実家や両親に嫌気が差して逃げ出してしまったようなところがあった。両親からは親としてずっとどんな時も過分なことをしてもらっているのに、なんと親不孝なことだと思ってずっと後ろめたかった。父が倒れたときにも私自身が子供を産んで育てていたりで、娘として何も出来なかった。今回、ようやく少しは役に立ったみたいだ。 今年の夏の終わりの実家のアクシデントは、本当にわたしにとって大きな出来事だった。いろんなことを気づかせてくれた。そしてあらためて、いつまでもダンナとは仲のよい夫婦でありたいなと思うのである。 |
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| 2001.11.30 | |
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