home illustration essay memo bbs scrap profile link ▲ESSAY CONTENTSに戻る

■松山旅日記
 2002年4月30日の午前2時頃から5月1日の午前2時頃までかかった四国の松山への0泊2日の旅は、とっても過酷なものだった。

子供たちを連れずに、夫とふたり。何年ぶりのことだろうか。
そう、これが快適な乗用車で、あちらに宿でもとってあって(松山には坊ちゃんで有名な道後温泉がある!)、のんびりと行ってこれたならなんてしあわせだろうと行く前から思っていた。

しかし、今回の旅の目的はダンナの仕事だった。
片道500km以上の行程。しかも、用事が済んだらとんぼ帰り。出かける前から不安がつのっていた。
子供たちは学校があるしこんな行程ではとてもつれていけない。おばあちゃんの家から学校に行かせてもらうことにして、夕方から荷物をまとめさせて近所のおばあちゃんちへ行かせた。

夕食後、少しだけ仮眠をとったダンナを起こして、支度をして家を出たのは4月30日の午前2時を少し過ぎていた。
くどいようだが、快適な乗用車での旅行ならそれなりの楽しみもあろう。
わたしもダンナもドライブは大好きだし運転だって嫌いじゃない。
だけど、だけど、乗っていった車は、これなのだ。
積載車。キャリアカー。カーキャリアとも言う。
普通免許で運転できる1台積みのものである。
男の子を持つ親なら一度はこのおもちゃをねだられたことがあるのじゃないだろうか。
(これは瀬戸大橋の途中の与島PAの駐車場。根っから鉄ちゃんのダンナは、瀬戸大橋の下の段を通る列車に熱いまなざしをおくる)
ダンナの仕事については詳しくはごかんべんをなのだが、ようするにこの車の荷台に乗っている乗用車を松山まで運ぶのである。

はっきり言って、乗りごごちはサイテー!!
長距離を走るための車ではないのだ。よく高速道路などで見かける多数台積み(大型免許がいるはず。牽引もいるかな?)のものなら長距離用の装備も整っているのかもしれない。でも1台積みのものでは普通はそうそう長距離はしないし、きっとこんな無理な日程はとらない。
騒音と振動は激しく、高速道路を走っている最中はダンナとの会話も絶叫状態。やけにのどが疲れた。
シートもリクライニングなどするはずもない。この車に乗って喜ぶのは、働く車大好きのちびっ子ぐらいのものだ。
この車で往復1100km! そして、さすがにこの車はわたしは運転出来ない。
出発前からこの旅には不安を抱かずにはおれなかった。。。


名神に入ったのは真夜中、30日の午前3時頃だった。小雨が降ったり止んだりしたかと思うと、時折激しい雨に変わった。
途中、2回ほどSAに立ち寄って休憩を取るが、いつもの乗用車に比べるとスピードが出ないので、かかってる時間の割にはちっとも進んでいかない気がする。

こんな車なのでなるべく一般道を走るのを避けるために、名神ー中国ー山陽ー瀬戸大橋ー松山道のルートを選んだ。ゴールデンウィーク中といっても30日は平日の火曜日なので、それほど世の中は休みじゃないのだろうか。時間的に早朝だったせいもあるだろうが、名神ではいつもどおりの大型トラックの激流だったのが、中国自動車道にはいるとだんだんすいてきて、山陽道に入るとがらーんとしてしまった。他に走っている車がいない。名神や東名を走り慣れているわたしたちにとっては驚き!
時折路肩にパトカーが回転灯を回してとまっていた。
横を通り過ぎるときに何だろうと思って覗き込むと、中でおまわりさんが寝ていた。
そんなパトカーをわりと何台もみかけた。

スピードの出ない悲しさでよたよたと孤独に左車線を走っていると、時折ものすごい勢いで右車線を乗用車が駆け抜けてあっという間に見えなくなる。やっと、自分たち以外の車を見かけたというのに、また孤独。。。淋しいじゃないかー。
しかし、よたよたといってもこちらだって瞬間的には100km/hオーバーぐらいは出てるのだ。
なんで、そんなに急いでるんだ・・・
何台もパトカーが路肩にいたのが妙に納得できた。

それでもなんとか朝の7時頃には瀬戸大橋の根元に到着した。
わたしもダンナも四国に渡るのは初めてなので、車の振動と騒音、そして疲労でもうすでに頭の中は壊れかけているのに、妙に嬉しくなってしまった。

瀬戸内海といえば海である。狭くたって、海である。その海に橋を架けちゃうなんて、本当にすごいじゃないかーーー!!。ふたりでいたく感心した。瀬戸内海に浮かぶ小島も美しく、素晴らしい眺め。
あ〜〜〜、来てよかった。とこの時ばかりはわたしもごっきげーん♪ ずっと車の中でこの道行きにぶつぶつと不安や不満を言っていたので、「勝手なヤツめ。」と言いたげなダンナの視線が冷たかった。
お約束の瀬戸大橋の写真。
途中の与島PAの展望台から。
展望台の自販機の上にとまっていたツバメ。
やはりこちらの方はずいぶん暖かいのか、ツバメがいっぱい飛んでいた。

四国に入ってから走った松山道は山陽道に負けないくらい空いていた。前後左右、走っているのは私たちの車だけ。こんなんで採算が取れるのかと真剣に心配してダンナと議論が白熱した。
余計なお世話である。


松山に着いたのは10時を回っていた。
いろいろと行かなくてはならない所もあって、まったく初めての土地で道が不案内だというのに、デッカイ図体の小回りの利かない車で市内をうろついた。
おまけに四国に渡ってきたら、とても天気が良くなってしまったので、名神で雨に降られて汚れてしまった積み荷の乗用車を洗わなくてはならなくなった。
スタンドで給油したついでに水を使わせてもらった。
(写真は松山市内を走る市電。ミッション車なので運転しながら写真が撮れなくて悔しがってるダンナの代わりにわたしが車の窓越しで撮影)




昼過ぎにようやく用事が終了。
疲れ果てたのと、ヤケになったのとでダンナと道後温泉でひとっプロあびることにした。
しかし、このでっかな車をどこに停めればいいんだ。
この車で観光客のひしめく町中に入っていくと、道行く人や車がとっても邪魔で迷惑そうだというような顔をしてこちらを見ていた。
観光客がひしめく観光地の細い道にはとことん似合わない車である。


それでも探せばあるもので、何とか駐車場を探して「坊ちゃん」で有名なお風呂屋さんに入った。
浴衣を貸してくれたり、お茶がゆったりと飲めたりするいろいろなコースもあったのだが、一番安い、一人300円也のお風呂に入るだけのコースにした。充分だった。


その後、遅い昼食をとるためにうどん屋さんに入った。
私たち夫婦は「四国でうどんといえば黙っていたって讃岐うどん」だとかなり乱暴な思い違いをしていたので、お店のお姉さんににこやかに「松山うどんもおいしいですよ。」とたしなめられてしまった。ごめんなさい。確かに松山のうどんもおいしかったです。



本当は本当はもっとゆっくりしていたかった。片道8時間以上もかかっているのだ。これからまた帰るために費やされる時間と距離のことを思うと、わたしもダンナもどんよりと暗くなった。
それでも、帰らなくてはならない。積載車の稼働予定の関係で明朝までにはどうしても帰り着いていないといけないのだった。
わたしとダンナは再びあの騒音と振動の車に乗り込んで、身体に残っているだろう、いや切実に残っていて欲しい体力を頼りに帰路についた。
日帰りで四国に行くやつなんているだろうか?
しかも積載車で・・・・

帰路の途中については二人とも頭がもうろうとしていて、あんまり記憶が無い。ただただ、必死で帰ってきた。
それだけである。

自宅に戻ってくると日付が変わって5月1日になっていた。時計を見ると午前2時近くだった。
ふたりともほとんど何も話さずにベッドの中に潜り込んだ。ベッドの中が天国に思えた。

もうこれは1年近くも前のことなのであるが、あまりのハードさに行ったことが本当に現実だったのか夢だったのかよくわからなくなってきている。
でも確かに帰ってきた日のわたしの身体はがたがたで使い物にならなかった。
ダンナも仕事中に(帰ってきた日、2時過ぎに寝て朝から仕事だったんですよー!)抜け出してきて自宅で仮眠をとっていた。もう、そう簡単に疲れが抜けきるような年ではない。

積載車のトリップメーターは一回りして150を示していたとダンナが言っていた。
全行程1150kmの過酷な旅であった。


おまけ *****************************************
夕食に立ち寄った吉備のSAで見かけた桃缶。
ただの桃缶と思う事なかれ。
これはその売っていた桃缶の値札部分のアッーーープ。ひかえおろ〜。
1缶1370円もする超高級桃缶なのだ。
でもこれ、お土産でもらっても、そんな値段だとは絶対思わないだろうな〜〜〜。
気合のわりにはちょっと悲しい桃缶である。
≪■BEFORE 
HOMEイラストエッセイNeco's MemoBBSScrap Bookごあいさつリンク