ボコ題:01:叩く

都督の特権




 呂蒙が食堂で昼餉をとっていると、軽やかな鈴の音が聞こえてきた。甘寧だ。陸遜と喋りながら、呂蒙の全神経は入り口に注がれる。果たして、すぐに甘寧の笑い声と蒋欽の喋り声が聞こえて、食堂の中に二人の気配が入ってきた。
 敢えて甘寧の方を見るような真似はしない。呂蒙と甘寧の仲は公にできる物ではないし、いつもいつも甘寧ばかりの自分ではないと、甘寧に見せたい気持ちもある。
「そんでそん時の幼平の顔がすごくて」
「だからクマはいい加減主公から引っぺがしてやった方が良いって!」
「そりゃムリっすよ」
「まぁ、見ものとしちゃ良い見ものだけどよ」
 甘寧の声も淀みがなく、呂蒙の存在を気にかけている風ではない。
 だいたい、甘寧はいつもそうだ。二人の仲を秘密にしようと、別にお互いに確認した訳でも約束した訳でもないのに、暗黙の事としてその取り決めはできあがっていた。それをさらっと実行しているのは甘寧の方で、自分はいつもこんなに甘寧を気にしているのにと思うと、なんだか少し悔しくなる。
 俺だって甘寧ばかりを気にしている訳じゃない。そう見せつけてやりたいと思っている時点で、もう自分の負けなのに。
 甘寧達は支給された昼食をガツガツと食べながらバカ話をしている。
「そういやこないだ行った飲み屋の姑ちゃんが、興覇殿にまた来てくれってやたらと言ってましたよ」
「どこの姑ちゃん?」
「ほら、興覇殿が酒を三杯立て続けに飲み干したら、やたらきゃーきゃー言ってた姑ちゃんがいたでしょ。何かつまみをおまけしてくれて」
「バカ、そりゃ売り上げが伸びるからまた来いって言ってんだよ」
「違うって!あ〜もう、興覇殿は分かってないんだから〜!」
   何 の 話 ! ?
 呂蒙は、自分でも耳がでかくなっていくのが分かった。
 何!?飲み屋の女!?興覇に粉かけてんの!?マジで!?どこの女!?
「子明殿、そういえば先日の水利の……子明殿?」
「あ、何?」
 何?と言いながら、耳は完全に二人の会話を追っている。なんだか全身からイヤな汗が噴き出してきた。
「じゃあ興覇殿、いつも行ってるあの妓楼の姑ちゃんはどうなってんすか」
「どの妓楼?」
「……興覇殿、マメっすね……。そんなに通ってんの?」
「まぁ色々」
 興覇お前…!毎日のように男取っ替え引っ替えしてるくせに、その上複数の妓楼通い!?
「……あの、子明どの?」
「ああゴメン、何?」
「いえあの、どこか具合でも?」
「イヤ、別に大丈夫だけど?」
 こめかみに筋が立っている気がする。っていうか、陸遜おびえてる?……いやでも!
「あ、でもほらお前だって紅山楼の梅梅に大分入れあげてんじゃん」
「何で知ってんすか!」
 蒋欽の情報なんてどうでも良いから!
「あ!瑛枝でしょう!瑛枝から聞いたんでしょう!」
「あの二人、ホンモノの姉妹だって知ってた?」
「え…マジっすか?」
 瑛枝!?紅山楼!?っつうか興覇、わざと情報流してる!?俺がヤキモチ焼くの知ってて!?
「ごっそさん。イヤ、前から何か似てるなとは思ってたんだけど、化粧の具合かと思って気にしてなかったんだ。そしたら」
「ごちそうさまです。そしたら姉妹って?よくそんな身の上話しましたね」
「そりゃお前、馴染みになってから長いからさ」
 水賊出身の彼らは、いつも異様に食事が早い。体に悪いと何度言っても、その速度が変わることはなかった。宴の時などは一応みんなと同じ時間だけ卓についてはいるが、運ばれてきた皿の中身は一瞬で平らげられている。
 その時、そのまま出て行くと思っていた甘寧が、少し遠回りをして呂蒙と陸遜の方に足を向けた。
「あれ?興覇殿?」
 陸遜が少し驚いた顔をして甘寧を見上げると、「よう伯言、ちゃんと食ってる?」と言いながら、甘寧はいきなり呂蒙の頭に拳を落とした。
「いって…」
 呂蒙が頭をさすろうとしたときには、「ちゃんと食わないといつまでも細っこいまんまだぜ。じゃあな」と言いながら、甘寧は出て行ってしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「いや…大丈夫……。びっくりしただけ……」
「何でいきなり叩くんでしょう……」
「……えと、多分、いつものことだと思うけど……。伯言は叩かれたり小突かれたことがないの?」
 動揺を隠しきれずにいる呂蒙に、陸遜は小首をかしげて見せた。
「興覇殿に、ですか? さぁ…あまりないですけど……」
「……じゃあ伯言は興覇に気に入られているのかな?」
 はははとぎこちなく笑いながら、呂蒙は頭の中でちくしょ〜これはもう俺に呼び出せって事だよね!?と叫んだ。



 執務室に戻るなり、呂蒙は甘寧を呼びつけるうまい口実がないかと考えたが、こういう時に限って何もない。悶々としているうちに、なんだかいろんな事で腹が立ってきて、もう考えるより先にその辺にいた部下に「ちょっと甘将軍を呼んできてもらえるかな」と声をかけた。
「それと、将軍が来たら人払いを」
 その場にいた者達は皆「何事か?」と少し緊張したようだが、重々しい顔をしておけば、後は難しい話だろうとみんなが勝手に想像してくれるから、勝手に想像させておけば良い。こういう時に大都督の特権を使わずして、何のための特権か!
「呼んだ?」
 しばらくして顔を出した甘寧は、先ほどのことなど忘れたような顔をしている。
「……瑛枝って誰?」
「紅山楼の娼妓だって、さっきの話で分からなかった?」
「だから、それって誰?」
「俺が面倒見てる娼妓だけど?」
 前置きもなしかよ、とぼやきながら、甘寧は呂蒙の隣にどっかりと腰を下ろした。
「心配すんな。面倒見てるだけで、別に男と女の関係じゃねぇから。俺だって女によりは男に体力使いたいし」
「娼妓の面倒見ておいて、男と女の関係にならないわけないでしょ!?」
「まぁ、何回かはしたけど。一応形だけでもしておかないと、面倒見るわけいかないからさ」
 甘寧はそういって、呂蒙の頬をぺろりと舐めた。
「こ、興覇…?」
「でもお前最近俺のこと構ってくんねぇんだから、俺がよそ行っても文句は言えないよな?」
 目が、誘うように笑っている。
「……言うよ。俺以外の人のとこに行くの、俺が許すわけないでしょ?」
 呂蒙の手が甘寧の背に回る。さっき自分がされたのと同じように甘寧の頬を舐めると、そのままゆっくりと体重をかけていく。
 その時。
 ガンッ!!
「いって!」
 呂蒙はまた鼻面をグーで叩かれた。
「興覇!?」
「ここ、お前の執務室だぞ」
「誘ったの興覇でしょう!?」
「俺としちゃこういうシチュエーションも好きだけど、困んのお前だぞ」
「困るって!?」
「ニオイとか汁とかどうする気だよ」
「汁言うな!」
 わざと自分の萎えワードを言ってくる甘寧が小憎たらしい。だいたい、なんで俺がこんだけ鼻息荒くしてるのに、興覇はしらっとしてるんだ!!
「瑛枝は親に売られて妓楼に来て、慣れない仕事で体を壊しかけてた。だから客を取らなくても良いだけの金を毎年払って、一応借り上げてる形にしてるんだ。俺はたまにあいつんとこ行って飯食って朝まで寝て帰ってくるだけ。まさか妹まで売られてくるとは思ってなかったから大分ショック受けてて、それで最近あいつの様子を見に行ってるんだけど、公奕が妹の面倒見てくれそうだから、とっとと身請けさせようって、ちょっと目論見中」
 甘寧は一気にそう言うと、いたずらっぽく「心配してるみたいだから、一応それだけ言いに来た。今度はちゃんと用件作って呼び出せよ?」と呂蒙の頬を両手で挟んだ。
「……それで、俺はこの生殺しのまま?」
「そう、焦らしプレイ」
 そう言って、甘寧は呂蒙の唇を軽く噛んだ。
「じゃ、俺もう行くから。あ、俺さっき主公から景口の弟君の所へ書簡を頼まれたから、しばらく留守にするわ。続きはまた帰ってからな」
「え…ちょっ、待っ!! 何で俺の知らないところで甘寧がお使いに行くの!?」
「そりゃ主公の私用だもん、都督府通す必要ないだろ」
「将軍の采配は俺の管轄だよ!?」
「事後承諾とか、そういうのあの主公が気にするかよ。そのうち主公から話し回ってくるんじゃん? じゃあな」
 呼び止めるまもなく、甘寧はさっさと執務室を後にした。
 もちろん、大都督の特権で甘寧の出立を足止めし、出立するまでのわずかの間、毎晩のように甘寧の屋敷を呂蒙が訪なった事は、言うまでもない。

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