浮気日記


 
 三月十五日。
 城門を出ようとして、一人の衛士と目が合った。衛士は慌てたように礼をすると、急いで甘寧から目線を反らせた。
 厚い胸板が少しだけ気に入った。無骨そうな腕の太さも、良い。男の顔は心なしか赤らんでいた。粉をかければ落ちそうだ。
 甘寧はニヤリと笑って唇の端を舐めた。今日のお持ち帰りはこいつにしよう。
 甘寧は、男の肩をポンと叩いた。



「……お前、昨日太成門の衛士をお持ち帰りしなかったか?」
 君主が臣下を捕まえて、朝っぱらからする話ではないが、孫権の目はニヤニヤと笑っていて、もうこの話がしたくてしたくて堪らないらしい。甘寧はしょうがなく、話口調をくだけた物に改めた。
「あぁ、頂いてったぜ。何かまずかったか?」
「いや、別に仕事の明けた衛士が何をしようとわしが口を突っ込む事じゃないしな。しかしそれならわしんとこ来りゃ良いじゃないか」
 ニヤニヤと笑う孫権を、甘寧はあきれ顔でつついた。
「主公はこないだ後宮に入れた美女にまだ夢中だろ?」
「うむ! まぁ、いい女だからな。で、どうだった?」
 聞きたかったのはそこらしい。人の床事情などどうでも良さそうなものなのに、このゴシップ好きめ……。
 だが相手は曲がりなりにも自分の使える主君である。いくら普段から友達づきあいだのベットの相手だのをしていても、まさか本当に友達というわけではないのだ。だから他の奴らのようにいい加減に巻いてしまって言う事をきかない訳にもいくまい。甘寧は半ばげんなりしながら、それでも訊かれた事には素直に答える事にした。
「あぁ、まぁ、それは結構ご馳走様って感じで。まぁ機会があったらもう二、三回は喰ってみようかなって感じ?」
 それを聞くなり、孫権はわざと呆れた顔をして見せた。
「お前さ〜、お前としたい奴なんて屋敷に帰りゃごまんといんのに、何でわざわざそう新規開拓すんのかな〜」
「そりゃ主公だろ。毎日同じモン喰ってたら飽きるって、あんたがいつも言ってる事じゃん」
 今の台詞は聞かなかった事にしたらしい。孫権は自分の事は棚に上げて、大げさな溜息をついた。
「ひどい言い種だな」
「だからあんたが言ったんだっての」
 そろそろ軍議の始まる時間だ。こんな暇人の相手なんかしてられるかと、甘寧は孫権に向かってバカ丁寧な礼をした。
「それでは主公、軍議が始まります故、某はこれにて失礼致します」
「え〜、もう少し良いだろう?」
ブーブーと文句を言ってる孫権を残して、甘寧はさっさと引き上げる事にした。



 四月十日。
 調練を終えて帰る途中、まだ調練中の蒋欽に出くわした。歩兵を騎兵に合わせて走らせる訓練をしていたようだが、甘寧の姿を見ると、蒋欽は調練をしまいにする事にしたらしい。
「熱心じゃん」
「いや、うちはこの間の徴兵で集めた新参者が多いから、まだ全然ダメっすよ。根性がちっとも入ってなくて」
「少し預かってやろうか」
「……半分以上殺すつもりでしょう……?」
「調練で死ぬような奴はそこまでの奴さ」
 新参者の面を眺めていると、古参の兵士と目が合った。前にも何度か見た事のある奴だ。好色そうな目が挑むように笑っている。なかなか良い根性をしてやがる。とりあえずお持ち帰りしてみたが、自意識過剰でテメェ勝手なセックスをしやがったから、途中で臥牀の上から蹴り落としてやった。



「頭、何腐ってやがるんです?」
「あ〜、今日味見した奴が最低でさ〜。自信満々にしてるからさぞかしかと思ったら、もう独りよがりなヤローでさぁ。腹立ったから途中で蹴り倒して帰ってきた」
「なら俺で口直しって事で」
 覆い被さってくるのは錦帆賊時代の右腕、虎青だった。テクはいけてる。甘寧の知ってる中ではピカイチと言って良い。だが、その事を自分でもよく知っていて、それが明ら様なもんだから、さっきの奴とどっちがどっちという気がしないでもない。まぁしかし、確実にこっちの方が巧いだろうから、ここいらで手を打っとくか。……だがそれもなんとなく……。
「あ〜、子明んとこ素直に行っときゃ良かった」
「……頭……」
「あいつ今忙しくてさ〜。行っても相手してくんなさそうだからな〜。しょうがねぇ、お前で我慢するか」
「……泣かしますよ」
「そーゆーテメェ勝手なとこがうぜぇんだよ。やっぱ利斉んとこ行こ」
「わー!! そりゃないッスよ!! 絶対満足させますから!! 大体、副頭より俺の方が巧いでしょ!?」
「そういうのがうぜぇっつーんだよ! それに利斉癒し系だし。おーい、利斉〜」
「待っ!! 待って下せぇ、頭!!」
 結局その日は顔を出した利斉と揉め会ってるうちに、工廠頭の文波が漁夫の利を漁っていった。
「気がついたら頭いないし!」
「ってゆーか何で文波!?」
 翌朝二人にギャンギャン喚かれたが、あのままどっちかとやってたら、何か余計面倒くさい事になっていたような気がする……と思ったり思わなかったり。



 四月二十八日。
「将軍、浮気して回るのも大変ですねぇ」
 馴染みの呑み屋で酒のつまみ程度に夕飯をやっつけていると、呑み屋の兄ちゃんが笑って一本おまけしてくれた。
「なんかたまにはこう、体の相性のばっちり合う奴とさ〜、何の後腐れもなくスパ〜っとしたいんだけどさ〜。あんた嫁さん貰っちゃったしね〜」
「おや、まだ俺にも声がかかるんなら、俺はいくらでも都合つけますけど?」
 マジで?と顔を覗き込むと、兄ちゃんはマジでマジでと優しく笑った。



「あのさぁ、興覇殿。要するにあんたの場合はさ、他人を使ってスポーツしてるだけじゃん?」
 お互いがお互いの床事情を何故か熟知している朱桓に、甘寧はズバリと言われた。あんまり明ら様な気もするが、本当だからしょうがない。
「あんたにとっちゃセックスはスポーツなんだろうけど、相手の人間にも心があるって事を、少しは学習した方が良いと思うんだけど?」
「どういう事だ?」
「あんたにとってのスポーツが、相手にとっちゃそれだけじゃないかもしれないって事。いつか刃傷沙汰起こすよ?」
 それはもう耳が痛くなる程言われている台詞である。次に来る台詞も大体決まっている。
「スポーツがしたいだけなら、相手を取っ替え引っ替えしなくったって良いじゃん。もう固定メンバーだって沢山いるんだしさぁ」
「そうやって説教されたくて取っ替え引っ替えしてんだよ」
「またそういう事ばっかり言って……」
 朱桓は本気で嫌そうな顔をした。
「ガキの頃からクマ公一筋のお前と一緒にされちゃたまんねぇよ」
 七つの頃から従軍し、その頃から?沢に猛烈なプッシュをかけて、十七の年にとうとう念願かなってモノにした朱桓は、当然ながら?沢以外の男を知らない。甘寧と朱桓、お互い体のタイプは全く違うが、それで不思議にウマが合っているのだ。
「まぁさ、あんたの人生なんだから、俺が口を出す事でもないし。子明殿が認めちゃってるとこもあるから、それならそれで良いんだけどさ。ただやっぱ、病気と夜道には気をつけなよ」
「子明認めちゃいねぇって」
「俺から見れば、認めんてんのと一緒だよ。あんたのこと野放しにしてんだからさ」
 朱桓はそれだけ言うと、「新兵に飯奢る約束してるから、俺もう行くわ」と甘寧の肩を叩いた。去っていく朱桓の背中を見送りながら、甘寧は「刃傷沙汰ねぇ」と小さく呟いた。
 どれだけ説教をされても、今ひとつピンと来ないのだ。言葉の意味一つ一つは分かるのだが、遊び相手達が呂蒙と同じ気持ちを持つとはどうしても思えない。世の中には朱桓や呂蒙のような奴もいるのだろうが、自分のように体を使ってスポーツするのが好きな奴だってたくさんいるのだ。イヤ、むしろそんな奴の方が絶対多いはずだ。事実、甘寧が出会ってきた人間の中のほとんどがそんな奴だった。女ならば誰でも良い、イヤ、むしろ自分の欲求を満足させられるのなら、相手は何でも良い、そんな奴が一体世の中にはどれだけいることが。
 気がつくと、もう日が落ちている。風も冷たくなっていた。
「おっといけねぇ。そろそろ行かねぇと」
 今日は久しぶりに呂蒙が家に帰って眠れそうだと言っていた。わざわざ自分の目を見ながらこんな事を言うのだから、「押しかけてこい」という意味だ。
 呂蒙と一緒にいられる時間は少ない。少しも無駄にはしたくなかった。甘寧は自然と頬が弛むのを感じながら、呂蒙の屋敷へ続く道へ、足を速めて歩き出した。


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