散々で幸せな一日



 朝日がまぶしい。

 甘寧は、情事の後の気怠い、だが快い眠りの中にいた。せっかくのこの時間を朝日のせいで壊してしまうのがもったいないような気がして、出来るだけ目線から日の光を遮ってみる。

 その時。

「興覇ちゃん、父上はもう出かけちゃいましたよ! さっさと起きて下さい!!」

 大きな声とともに、勢いよく布団が剥ぎ取られた。朝っぱらから元気な声だ。ボーイソプラノは頭に響くからやめて欲しい……。 

「……ごめん、もう少し……」
「そんな時間なんて無いですよ! 俺ももう時間だから行きますけど、ちゃんと起きて下さいね!! 全く父上も中途半端なんだから! なんで興覇ちゃん置いてくかなぁ!」
「……あいつが遅刻するわけにもいかないだろう……」

 甘寧がのっそりと起き上がると、呂蒙の息子である呂覇が、てきぱきと朝の支度を整えてくれた。呂蒙の息子はよくできている。よくも父親の愛人の面倒なんてみれるものだ。

「ほら、服着て下さいよ! あぁもう、朝が大変なんだから、父上も全部脱がさなくたって良いだろうに……」
「え…」
 甘寧はゆっくりと自分の姿を見下ろした。本当だ。何も着ていない……。甘寧は昨日の夜のやりとりを思い出し、呂覇に気づかれぬよう、そっと赤くなった。

「興覇ちゃんも父上が変なことするときは、ちゃんと「嫌だ」って言って良いんですからね」
「言っても聞かねぇもん、あいつ……」
「全く父上ときたら……。髪は母が結いたがってましたけど、母上に結わせると城門閉まっちゃいますから、適当に括って登城しちゃった方が良いですよ。何なら俺が城で結いますから」
「……本当に閉まるぞ。阿覇、さっさと出かけた方が良いぜ」
 甘寧は本当によく遅刻をする。さすがに将軍である甘寧の毎度の遅刻は門兵にも有名で、普通なら遅刻者に開かれることのない門も「暗黙の了解」でさっさと開き、通報されたこともない。
だがもちろん、例え呂蒙の息子とはいえ、新入りほやほやの呂覇ではそういうわけにはいかない。
「じゃあもう行きますけど、本当に興覇ちゃん、ちゃんと起きて登城して下さいよ。二度寝しちゃ駄目ですよ。朝飯食ってる時間無いと思いますから、粥を啜る程度にしておいて下さいよ。あと俺はもう子供じゃないから、阿覇って呼ぶのはやめて下さいね。それから……」
「……さっさと行けって……」

 呂覇の世話好きは絶対に父親譲りだ。散々捲し立てるだけ捲し立てて、呂覇はやっと出ていった。



 朝まで一緒に過ごしても、呂蒙と甘寧が一緒に登城することはない。大っぴらに人に言える関係ではないし、次の都督と目されている呂蒙に悪い噂がついても良くないだろう。呂蒙が人に知られることを内心快く思っていないことを甘寧は知っているし、甘寧にしても綾統に知られるわけにはいかないと思っているから、やはり朝は別々に登城するのがベストだろう。

 まぁ大体、素行の宜しくない甘寧が、朝、きちんと起きるわけがないのだ。最初のうちこそ甘寧を叩き起こしていた呂蒙だが、あの几帳面な男が自分の朝寝坊に付き合いきれるはずもない。どうも呂覇はそんな父親を「愛情が足りない」と不満に思っているようだが(それも変な話だ……)、こういう所でルーズに付き合っている方が、甘寧は気が楽だ。
 干渉されすぎるといやになりそうで、そう思ってしまう自分に自己嫌悪する。寝てる甘寧をおいてとっとと登城する呂蒙に、甘寧は彼なりの愛情を感じていた。

 体には昨日の名残の心地良い疲労感がまだ残っていた。裸のまま布団に潜り込み直すと、さらさらと裸の体を布が覆い、まるで呂蒙に抱かれているみたいだった。いざ呂蒙がそこにいれば声も立てられなくなってしまうのだろうが、一人きりで思い返してみるのなら悪くはない。

 ……昨日の呂蒙は、本当に別人みたいだった。少し怖かったけど、ぞくぞくして、胸が震えた……。

 又あんな事をされたら嫌だけれど、でも、一度くらいなら良い経験だったのかもしれない。あんなに強引な呂蒙に抱かれるのも珍しい事だし、甘寧は強引な呂蒙が嫌いじゃない。

 布団の中で、甘寧は腕を伸ばしてみた。布団が絡みついてくる感触が、くすぐったくて気持ち良い……。
 甘寧は微笑んで、枕に顔をすりつけた。

 呂蒙の胸に抱かれている自分を想像して、そんな事を考えている自分の女々しさに呆れ、甘寧はもう一度、小さく笑った。



「きゃあ興覇ちゃん、まだ寝てたの!?」

 甲高い叫び声に驚いて顔を上げると、目の前には呂蒙の末娘、愛玲が立っていた。どうやら父親の寝室を片づけにでも来たらしい。
 ぼりぼりと頭を掻いて辺りを見回すと、日差しが随分きつい。どうやら自分はまた眠ってしまっていたらしい……。

「やべ…、愛玲、今何刻くらいだ……?」
「もうお昼になっちゃうよ。兄様起こしに来なかったの?」
「いや…。二度寝するなって散々言われたのに、やっちまったらしい……」
「あ〜ぁあ、兄様怒るよ。起こしたのにって」
 せっかく寝坊したんだから、ゆっくりお昼食べてから登城したら?と愛玲が可愛らしく提案する。愛玲は、顔は父親似でくりくりとした目が可愛いが、性格はどっちに似たんだか、結構大雑把なところがあって甘寧と一番気が合っている。(呂蒙に言わせるとこの性格は甘寧に似た、ということになるのだが、自分と出会う前に呂蒙が仕込んだ子供にまで、甘寧は責任を持てない……)

「どうしたの、愛玲? 何の騒ぎ?」
 先ほどの悲鳴を聞きつけたのか、母親―――呂蒙夫人が顔を出した。目鼻立ちのはっきりした美しい女性である。

 ……ただし、性格にはかなり問題がある……。

「あら、興覇ちゃん!! いやぁん、まだ居たのね? 今日はお仕事休むの?」
「いや、行かないとやばいから……」
「あん、ひどいわ! せっかくだから、一緒にお昼ご飯食べましょうよ。あ、髪の毛私に結わせてね。可愛く結ってあげるからvvv」
「……いやあの、城に行くから、可愛く結うのはちょっと……」
「もう! ひどいんだから!」
 甘寧の髪にしがみつくようにして口を尖らせている母親を、愛玲が必死に宥めた。
「母様、興覇ちゃんお仕事よ? 可愛く結うのは今度ゆっくりしてあげれば良いじゃない」
「んもう、そう言っていっつも興覇ちゃんったらいつの間にか旦那様のお部屋に直行しちゃって、ちっとも遊びに来てくれないんだもの」
「母様、興覇ちゃんは玩具じゃないのよ……?」
「まぁ愛玲、お前までそんな冷たい事言うの?」

 やばい人に捕まってしまった……。

 呂蒙の奥さんは、甘寧が心の底から「怖い」と思う唯一の人である。始めのうちこそ「奥さんは自分の旦那とあんな事やこんな事をしている俺に、嫌みのつもりで女物の服を着せたり髪に花を挿したりしているのに違いない」と思っていたのだが、どうやらこの人はただの趣味でやっているらしい……。

 ……怖すぎる……。

 男同士で愛だの恋だの言ってる自分と、「興覇ちゃんみたいにちょっぴりだけしか似合わない男の人が女物の服着せられてるって所が、無理矢理って感じでそそるのよね〜〜〜」とか言いながら、自分の旦那の愛人に嬉々として桃色の服を着せたがる夫人。
 ……どっちがより変態なのだろうか……。

「ちょっと母様、いつまで頭の爛れてること言ってるの? 外まで丸聞こえよ、みっともない」
 丁度良いタイミングで長女の美玲が入ってきた。涙目になっている甘寧をちらりと見ると、「いつまで裸でいらしゃるの? 男手が払っている時なんですから、そういうみっともない格好はやめていただけません?」と冷たく注意する。
「へいへい、すいませんね」
 甘寧が救われた気持ちで着替えに手を伸ばすと(これは呂覇が用意してくれた物だ……)、愛玲が美玲にくってかかった。
 
「ちょっと姉様、言っときますけど、興覇ちゃんを裸に剥いたのは父様よ。興覇ちゃんに言ったら可哀相じゃない」
「家族のいるこの家であんなことしてるって事が非常識なのよ」
「まぁ美玲、そんなこと言って、もう興覇ちゃんが来てくれなくなっちゃったらどうするの!? 母様、旦那様は帰ってこなくたって構わないけど、興覇ちゃんが来てくれなくなちゃったら、泣くわ!」
「……母様、言っておきますが、興覇ちゃんは男性で、しかも父様の愛人です」
「愛人なんて言葉、やめてよ! 何だか興覇ちゃんが日陰者みたいで可哀相じゃない! 旦那様と興覇ちゃんは愛し合ってるのよ!」 


 ……奥さん、マジで言ってるんだろうか……。
 ……怖すぎる……。

「ごめん、美玲、俺もう行くから、その、後はよろしく……」
 手早く服を身につけて、甘寧がそそくさと部屋を出ていこうとすると、甘寧は三人の声に呼び止められた。
「待って、興覇ちゃん」と、夫人と愛玲の声。そして「お待ちなさい、興覇ちゃん」と、これは美玲の声だ。
 甘寧が恐る恐る振り返る。
「……何……?」

「髪!!」

 今度は三人が異口同音に叫んだ。



 結局、甘寧は夫人の手で丁寧に髪を鬟に結われ、しっかりと昼食のフルコースまで食べることになった。

 だいたい、甘寧は呂蒙と家族ぐるみで付き合うつもりなんて、当然だが全くなかった。美玲の言う通り、甘寧は呂蒙の愛人で、「日陰者」でなくてはならない筈だ。

 それなのに、呂蒙は当たり前のような顔で、そりゃ最初のうちこそこっそりとではあったが、甘寧を自分の屋敷に連れ込んでしまった。「俺が口を挟む事じゃないかもしれないけど、男連れ込んだりして良いのか……?」と訊いたこともあったのだが、「女連れ込むよりは良いでしょ?」と、呂蒙はまるで気にしていない。
 そのうち奥さんの玩具にされるようになり、末娘が「興覇ちゃん、私のお嫁さんにしたげようか!」と言い出し、嫡男が朝の面倒を見るようになって、とうとう一番冷ややかに見ていたはずの長女にまで身なりの心配をされるようになってしまった……。

 ……女じゃなければ良いのか……? そうか? 本当にそうか……?

 甘寧は水飲み百姓の家に育ったので、武人の家の人間が考える事はよく分からない。でも、いくらなんでも、これは絶対に何かが間違っていると思う……。

「興覇ちゃん、美味しい?」
 愛玲が楽しそうに給仕をしてくれる。
「……あぁ、旨いよ……」
「良かった! そのおかず、私が作ったの! ね、姉様」
「えぇ。興覇ちゃんが居ると愛玲ったら、急にお端仕事をやるようになるから助かるわ」
 美玲は甘寧が昨日脱がされた袍の、剣の当たる腰の辺りに裏布を当てて補強してくれている。こういうことは、女っ気のない甘寧の屋敷ではまずしてもらえない気配りだ。

 夫人は先ほどからまだ興覇の髪にご執心のようで、額のほつれ毛やうなじの後れ毛の形を指で整えている。
「興覇ちゃん、髪の毛少し痛んでるわよ。髪の毛、ちゃんとお米のとぎ汁で洗ってる?」
「いや……」
「ダメよ、ちゃんとしなきゃ! 興覇ちゃんの髪の毛、せっかく綺麗なんだからもったいないわ!」
 夫人は甘寧の美容に関しては並々ならぬ情熱を持っているようだ。

 ……怖くて涙が出そうだ……。

「でもほら、俺男だから、そんなに髪に気を使うことはねぇと思うんだけど……」
「あら興覇ちゃん、男だからこそ髪に気をつけないと。ただでさえそんな薄い髪、手入れしないとすぐに禿げて鬟も結えなくなるわよ」
 針仕事から目を上げずに、美玲が素っ気なく混ぜ返した。甘寧は、この長女の冷たい口のきき様を、実は結構気に入っている。

「まぁ美玲、興覇ちゃんの髪に向かってなんて事言うのよ! 興覇ちゃんの髪は猫っ毛でつやつやでこんなに綺麗なのに!」
「母様、つやつやだろうとサラサラだろうと、猫っ毛で細くって薄いのは事実だわ。私、心配してるのよ」
「やん、姉様ったら何だかんだ言って、興覇ちゃんのこと好きなんだからvv でも興覇ちゃんは私のお嫁さんになるのよ。姉様にはあげないわ」

 ……女三人寄れば姦しいとはこのことである……。

 仕事でも何でもまじめにするから、早く俺をここから逃がしてくれ……。
 そう考えて、甘寧ははっとした。まさか作戦か? これは俺をさっさと仕事に行かせようとする作戦なのか……?
 どうやら朝から(いや、もう昼だが……)どっぷり疲れているようだ……。思考回路に泣きが入っている……。



 ここから逃げ出し、ようやく城に着いた後、どんな一日が待っているのか、甘寧はまだこの時知らない……。

 そう、甘寧にはこれから、呂蒙にはたっぷりとセクハラされ、呂覇には「ちゃんと起こしたのに!」とこっぴどく説教される、散々な一日が待っている。

 散々で、幸せな一日が。 


宜しければ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。

●メール●



「小説部屋」
へ戻る

「泡沫の世界」
トップへ戻る

「新月の遠吠え」
メニューへ戻る