沈丁花

 自室に戻ってくるなり、甘寧は臥牀に倒れ込んで、泥の様な眠りについた。丸々三日眠っていないのだ。孫権に周泰との関係の事で二人してとっ捕まり、「Hの仕方を指南してやろう」とか訳分かんねえ事を言って迫られたのが三日前で、それから甘寧は登城もしていなければ一睡もしていなかった。今日はとにかく寝るぞ。誰が何と言っても寝るぞと、甘寧は布団も掛けずに速攻で眠りに入った。
 が。
 いきなり体を掴まれ、甘寧は眠りの縁から引きずり起こされた。どれだけ眠っていたのか―――自分ではさほど眠っていたとは思えないと頃。それでも起きかけの浅い眠りにしがみついていようとしたのに、強引に体を仰向けにされ、しかも首筋とか鎖骨とか胸とかを囓られて、甘寧はとうとう根を上げて叫んだ。
「だ―――!! 何しやがんだ! 人がせっかく眠ってるのにお前はぁ!!」
 上に乗っかってるのが誰かは、そんなもの眠ってる時からもう分かっていた。こんな風に人に齧りつく奴は、一人しかいない。
 目を開けると、案の定そこにはむっつりと押し黙った周泰がいた。
「……何故登城しない」
「んなこと訊くのに人に乗っかる必要なんかねぇだろ!」
 周泰はそのまま押し黙ってしまったが、甘寧の上から降りる気配はなかった。
「……何の用だよ。文句言いに来たってんなら聞いてやるからさっさとしろ」
「……そんな事で来たのではない」
「ならなんだよ! さっきから文句しか言って…うわ!」
 甘寧はそのまま唇をふさがれた。相変わらずがっつく様なキスで舌が痛くなったが、それはひどく求められている気がして、何となく、疼いた。
「ん…んくっ、周た……ちょ、よせって…!」
 長すぎるキスの後、甘寧は赤くなった頬を誤魔化す様に、周泰の体を強引に押しのけた。周泰は珍しく憮然とした顔をしてなかなか言う事を聞こうとはせず、そのまままた唇を重ねてこようとした。
「何だよ! こんな夜中にそんなにキスがしたいのか!?」
「……三日分だ」
「……な!」
 今度こそ甘寧は赤い頬を隠す事ができなかった。三日分!? なんて純情な!
「何言ってやがる! 今までそんな毎日キスなんかしてねぇじゃねぇか!」
「……三日も会っていなかった」
 周泰は真面目にそう言うと、甘寧の体を骨も折れよと言わんばかりの力で抱きしめた。これが奴なりの最上級の抱擁なのだということは薄々分かってはいるのだが、最上級だろうと何だろうと、マジで肩が外れそうなんですけど!
「痛えって周泰!! 離せこの馬鹿力が!!」
 何とか周泰を引き離そうともがくが、周泰は腕の力を少しは緩めてくれたものの、甘寧から離れようとはしなかった。
「……殿に、色々聞いてきた」
「あ?」
「……痛い思いをさせてすまなかった」
「……おう」
 周泰がそんな人並みの事を言うのに驚いた甘寧は、そのまま何となく大人しくなった。
 そっか…たった三日会ってねぇだけっつっても、こいつにしてみりゃ色々試してみたくてウズウズしてたって事だから、そりゃがっついてもしょうがねぇよな……。
 首筋に貼りついた唇がきつく吸い上げる痛みと共に、小さな火が灯った。どうしたいのか自分でも分かっていないかの様に、手が小刻みに頬や胸や腰や脇腹を撫で回す。それはしっくり来る場所を探している様な、甘寧の存在を確かめている様な、腹を減らして泣く赤子が母親の乳房を探す様な仕草で、妙に甘寧を優しい気持ちにさせた。
 仲間だとしか思っていなかった周泰と、別にイヤじゃないから寝ているだけだと思っていたが、こんな時甘寧はガラにもなく、周泰ってやっぱ俺の事好きなんだなぁ、とか、っていうかひょっとしてこれで満たされてくる俺ってまさか結構周泰に惚れてる?とか考えて、狼狽える様な、それでいて頬がにやける様な甘酸っぱい気持ちになった。
 が、そんな事を考えていられたのもほんの僅かな間だけだった。体の奥に、何かぬちゃりとした物を塗りつけられたのだ。それはひどく熱く、甘寧は我に返って少し焦った。
「な、何だ!? おい、なんか熱いぞ!!」
「……香油だ」
「こう…油か!?」
 確認させる様に、周泰はその香油を甘寧の腹にたらした。立ち上る甘い香り。一瞬ひやりとしたが、体に塗りつけられると、それはたちまち熱をもった。
「…香油って、何の匂いだ、これ? ずいぶん甘ったるいな」
「……沈丁花だったと思うが」
 そんな花の名前を周泰が知っているという事も、そんな花の香油をこいつが選んできたという事も、甘寧には驚きだった。いや、まさかそんな筈は……。
「殿が持たせてくれたのか?」
「……買ってきた」
「お前が!? 自分でか!?」
 周泰は憮然とした顔で頷いた。どんな顔をしてこいつがこれを買ってきたのだろうか。
「……気分が落ち着くと言っていた」
 腹に垂らされた香油を、周泰は更に手のひらで押し広げた。いつもの焦った様な愛撫とは違い、そのゆっくりとした動きは香油のぬるぬるとした感触と相まって、不思議な感覚を甘寧に与えた。
「……周泰、それ……」
「……いやか?」
「いや、そうじゃなくて……んっ」
 胸の奥が小さく痺れる。強引な周泰に馴れた体には、その動作は新鮮な悦びでもあり、焦らされている様でもあった。甘寧は知らずに腰を動かし、周泰の足にすりつけた。
 疼くのだ。堪らなく。何という快感。
 そのまま、いつもの三倍は時間をかけて、周泰はゆっくりと甘寧の体を辿っていった。体中が香油にまみれて、ぬるぬるとしている。甘寧はもちろん、体を密着させた周泰の体も香油で濡れ、そのまま2人で抱き合うと、くすぐったいんだか悦いんだか分からなくなった。夢の中で抱き合っている様な気がするのは、このクソ甘い匂いのせいだろうか。
 その時、ひときわ濃く、沈丁花が薫った。周泰が瓶の蓋を開け、また自分の手にたらしているのだ。もういい加減匂いが鼻につくからやめろよと言いかけて、甘寧は周泰が何をしようとしているのか思い当たった。そっとまさぐられ、体の深いところに熱い指が触れる。甘寧は開きかけた口を閉じた。辺りには自分の湿った吐息と、周泰の荒くなった呼吸だけが響いていた。
 小さな期待が首をもたげる。
 焦らされた体はもうはけ口を探していた。無意識に周泰の荒々しい行為を思い出し、甘寧は甘い吐息を吐いた。もっとこうされていたいという気持ちと、いつもの様に乱暴にされてしまいたい気持ち、そのどちらも嘘ではなかった。
 辿々しい指使い。それが孫権に言われた通りの動作だとしても、周泰が持てる限りの理性で必死に欲望と闘っているのかと思うと、何となくその不器用さが嬉しかった。
「ん……」
「……どうだ?」
「あぁ…悦いぜ、周泰……」
 甘寧は周泰の背に腕を回した。それを合図に、そっと周泰の人差し指と中指が甘寧を押し広げる。そのまま何度もその動作を繰り返されているうちに、甘寧はとうとう細い嬌声を上げた。
「うっ…んぁ、周泰…も…もう……!」
 甘寧は自分で周泰の手を掴み、そのままきつく握りしめ、自分の蕾に押しつけた。
「……甘寧? イヤなのか……?」
「バカ、違……すげぇ悦いいんだよ……! も、挿れてくれよ……!!」
 そう言った途端。
 まるで時間が凍りついたかの様に、周泰の動きがぴったりと止まった。全く動く気配のなくなった周泰にまだ焦らす気かと叫ぼうとした瞬間。
「……甘寧……!!」
「うわ!?」
 いきなり周泰は、もう爆発寸前だったらしい自分自身を甘寧の中に突っ込み、頭の骨が折れるんじゃないかという程の激しさでガンガン打ちつける様にして甘寧の体を揺さぶり始めた。
「ちょ…おま…まだ中ほぐれてねって…やめ……や……殺す気か……!!!」
 甘寧の声はどうやら周泰の耳には届いていない様だった。それはそうだ。周泰は初めて甘寧に「おねだり」されたのだ。そりゃたかが外れたとしても、誰も周泰を責められやしないだろう。
「ちょ…んっ、や…あ……っ周た……こら…あっ、あぅ……!」
 叫ぶたびに舌を噛みそうになりながら、甘寧はもうこんな目に遭うくらいなら、多少(多少?)痛くたって今まで通りで良いと、真剣にそう思った。



 コトが終わってぐったりと伸びきっていた甘寧の体を、周泰が恐る恐る整えていた。こういう細かい事ができるなら、もっと前にやるべきことがあんだろうと言ってやりたいが、口を開けるのも億劫で、何も言う気にならない。そもそもがもう眠たくて眠たくて堪らなかったのだ。途中で気を失っても良さそうなものなのに、痛すぎて気も失えないというのを、甘寧は初めて経験した。
「……明日は登城できそうか……?」
 かなり遠慮がちなその台詞が気に障って、甘寧はかなりきつめに「あぁ?」と訊き返してやった。周泰はかなり気後れした様だったが、それでも義務感の塊の様に、先を繋いだ。
「……ずっと、無断で休んでいる……」
「……行かねえっつっても担いでくつもりなんだろ?」
 声を出したらほんの微かな声でしかなかったが、これは散々叫ばされたせいか。周泰の無言の肯定が憎らしい。
「……行くよ。報告書、仕上がったし。お前、明日竹簡担いでってくれ」
「……何?」
「何って、そのために三日も寝てねえし、無断欠席もしたんだろ。明日それ提出して、晴れて自由の身あ〜んど荊州行き決定だ……」
 喋っている間にやっと意識が朦朧としてきて、甘寧は望んでいた眠りをとうとう手に入れた。耳元で周泰が「……だが竹簡は殿の部屋に……」とかなんとか言っているのが聞こえてはいたが、もうその声は頭の中にまで届いては来なかった。



 翌日。
「何!? 甘寧がやっと報告書を提出してきた!? だが竹簡の山は私の部屋に保管してあるのだぞ!?」
 あの山の中には確か呂蒙の筆の入った物もあったはずで、そいつがないと報告書は完成しないはずだ。孫権は提出されたという甘寧の竹簡を前にして、うなり声を上げた。中を確認すると、確かに全て揃っている。自分の部屋に保管してあるはずの書類まで、そこにはきちんと並べられていた。
「どういう事だ?」
 呂蒙は何故甘寧の竹簡が孫権の部屋に保管されているのか、詳しい事は突っ込まない事にして、それらが確かに本物かどうかだけを一緒に確認する事にした。本当なら甘寧が報告書を提出してさえくれればそれで良いのだが、主君につきあってやるのも部将の努めだ。
「地図も私の書き付けも、確かに渡した時のままですな。一度きりしか渡しておりませんし。殿、殿のお部屋にあるという竹簡の方は確認なさいましたか?」
「おう。あいつが置いていった日に……って、まさか!?」
 二人で部屋に戻ると、うずたかく積まれた竹簡の山をひもといた。が、それは呂蒙の思った通り、まっさらな新品の山だった。
「……すり替えられましたな」
「しかしいつの間に!? 表には護衛もいるし、こないだの事があるから外の警護も厳重に……」
 二人は顔を見合わせた。それから、孫権は露台に出ると、窓の下に向かって、まるでそこに甘寧がいるのではないかという勢いで叫んだ。
「あんの錦帆賊―――――!!! お前水賊じゃなかったのか!! こそ泥みたいな真似しやがって〜!!こうなったらもう立場にものを言わせて、足腰立たなくなるまで可愛がってやるから覚悟しろ―――!!!」
 呂蒙はそんな主君を見なかった事にして、そっと目を閉じた。この勝負、どう見たってはなから殿には分が悪い。
 先ほど甘寧が提出した報告書から薫った沈丁花の香りを思い出し、呂蒙は太い溜息をついた。
 あの甘寧があんな風流な真似をしてくれたというのに、殿のあの騒がしさはどうだ。せめて平時の時くらい穏やかな城中を望みたいものだが、この主にそんなことを期待するのは、贅沢な望みというものだろうか……。
 傍らにいる呂蒙の嘆きも知らず、孫権は何だかやる気満々の様だ。
 呂蒙は目をつむって天を仰ぎ、可哀相な甘寧の身をちょっと他人事の様に祈った。
宜しければ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。
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