ある日常の中の一日

宴会になると、いつも呂蒙は甘寧を大声で呼びつけた。呂蒙の声は少ししわがれているが、それでもよく通る。酒が回ると、いつも呂蒙は堂内に響けとばかりに、その通る声で甘寧を呼ぶのだ。

「興覇ぁー! おぉい、興覇いないのかぁ!?」
「うっせぇな、おっさん。何の用だよ」

 いつものことにも係わらず、甘寧は必ず用を訊いた。用事など決まっている。呂蒙は甘寧の腕をおもむろに掴むと、力一杯引き寄せて、自分の膝に抱え込んだ。

「あー、ったく又かよ、この酔っぱらい!」
「又かよって、分かっていて来る方が悪いのだ」
「てめぇがでかい声で叫ぶからだろ」
「聞こえていないのかと心配になってな」

 呂蒙はよほど甘寧を気に入っているのか、それとも単なる嫌がらせか、酔えば決まって甘寧を膝に抱き、そして何をする訳でもなく、普段通りに周りの者と酒を楽しむ。呂蒙にすればそれが楽しいのだろうが、周りの者は困惑してそっと溜め息をついた。それはそうだろう。だいたい、それにどう対応して良いのか別れと言う方が無理な話なのだから。最初のうちこそ甘寧が抵抗して暴れてくれたから、周りも甘寧を言い訳にたしなめてもみたのだが、この頃は甘寧のあきらめも早くなってしまった。甘寧があきらめてしまえばもうたしなめる言い訳のネタもなく、どう扱って良いのか分からずに引きつった顔で、一緒に酒を飲むしかないのだ。

「何だ子明! 又おもちゃを抱えておるのか!」

 若い声に振り返ると、呉主孫権が臣下の席まで降りてきていた。傍に座っていた陸遜がそっと席を立って主に譲ると、孫権はすまんすまんとそこに座った。

「興覇もご苦労なことだなぁ!」
「殿! このおっさん何とかして下せぇよ!」
 思い出したように暴れ出す甘寧を片手でいなし、呂蒙は旨そうに酒を呷った。
「子明、興覇もこう申しておるぞ。お前、何ゆえそうしていつも興覇を抱えておるのだ」
「ははぁ、殿がそう仰有るからには、お答えせねばなりませぬなぁ」

 どんな返事が返ってくるのかと皆が遠巻きに見守っている中、呂蒙は孫権が注ぎ足した酒を一息に飲み干し、口元をぬぐった。

「まぁ強いて言えば、こいつの重さが某の膝にはちょうど良いのですよ」

「そんな簡単な理由ではあるまい、興覇は漬け物石ではないのだぞ」
「これでは納得いただけませぬか。弱りましたなぁ」
 ちっとも弱っちゃいなさそうな声である。漬け物石扱いされた甘寧こそ良い迷惑だ。
 呂蒙の口を軽くしようと、孫権はどんどん彼の盃に酒を注いだ。いっそ甕ごと呑ませろと、言い出したのは甘寧だ。

 呂蒙がいつまでも甘寧を膝の上に抱えているから、終いに孫権は儂にも興覇を貸してみろと言い出した。
「そんなに程良い重さなら、儂の膝にも乗ってみよ」
「何言ってんスか、殿!」
 慌てたように腰を浮かしかけた甘寧を、呂蒙はぐいと引き戻して抱え込んだ。

「殿に渡すと壊されそうですから、ご免蒙りましょう」
「ほう、やはりそういう腹づもりか」
「はい。某は、こいつを臥牀の上に転がして、揉んで捻ってあんあん言わせたいと、常々思っておるのですよ」

 あんまりさらりと言ったので、皆は一瞬呂蒙の台詞を聞き逃した。聞き逃した後で「あんあんって何!?」と思っても、皆が知らぬ顔をしているので、今それを口に出すと自分だけそんなことに興味があるように見られそうで、それも怖くて口に出せない。

「そうかそうか。それは悪かったな。儂もそこまで野暮なことは言わぬ。存分に抱えておるがよい」
「は。お言葉、痛み入ります」
「おっさん達、何人のことすっ飛ばして話してんだよ! 放せよ! 人のこと何だと思ってんだ!」
「漬け物石だそうだ、興覇」
 孫権は愉快そうに笑うと自分の盃をくっと乾し、「邪魔をしたな」と席を立った。

 何となくそれが合図のように、座が終わった。
 「あんあんって何!?」という疑問を抱え込んだまま、皆は三々五々、ただ家路につくしかなかった……。



 さて、呂蒙である。呂蒙は一同が姿を消した堂内で最後の酒をゆっくりと楽しんでから、「さて、行くか」といきなり甘寧を肩に担ぎ上げた。

「おっさん!? 何すんだよ!」
「ん? あぁ、さすがに酔ったなぁ」

 肩の上で甘寧が暴れるのに一向気にした風もなく、呂蒙は少しも乱れの見えない足取りでずかずかと歩いていく。足の向く方向はちゃっかり自分の家のようで、酔ってなんかねぇじゃんかよ!と甘寧がどれだけ叫ぼうが喚こうが、酔った酔ったを繰り返し、どうやら聞く耳は持たぬらしい。
 家に戻れば出迎えた家人にのっそりとした声で「飯は喰ってきたゆえいらぬ」と言い置き、皆が肩のモノに驚き呆れて声が出ぬうちに、呂蒙はさっさと自室に下がった。部屋には当然臥牀がある。

 臥牀?
 甘寧は先ほどの呂蒙の台詞を思い出した。
 臥牀の上に転がして?

「おいおっさん……臥牀の上に転がしたり何だりすんのか?」
「ほう、覚えていたか。そうだそうだ、臥牀の上に転がして、揉んだり捻ったりしてあんあん言わせてやろうと思ってな」
 言うと同時に、呂蒙は勢いよく甘寧を臥牀の上に放り出した。勢い余って、甘寧の体がぽんと転がる。

 臥牀の上に転がして? 本当だ、人って意外と転がるな……。

 甘寧はどこか遠いところで、ぼんやりとそんなことを考えた。
 えっと、そんでなんだっけ? 揉んだり捻ったりして? 捻られるのか? この俺が?

「おい、俺にケンカで勝てるつもりか? そう簡単に捻られたりしねぇぞ?」
「何だ、そこまでは覚えていないのか? 言ったろう? 揉んだり捻ったりして、だ」
「だから、揉んでやろうとか、捻り潰してやろうとか、そういう意味だろう?」
「うーん」
 呂蒙は大仰に顎をさすると、思いついたように手を打った。

「もう一つ付け足すことができるぞ。揉んだり捻ったりこじ開けたりして、あんあん言わせてやるんだ」
「こじ開ける…?」

 こじ開けるって何だろう……。甘寧のボキャブラリーの中にある「こじ開ける」という単語の意味に、「揉んだり捻ったり」が咬み合わない。

「つまりこういうことだ」

 呂蒙の体が、甘寧の上に陰をつくる。呂蒙がどんな顔をしているのか、逆光になっているのでよく見えないのがもどかしい。

「……おっさん?」

 そうして言葉通り甘寧は、「揉んだり捻ったりこじ開けられたりしてあんあん」言わされる羽目になったのだった……。



 翌朝。

「興覇、そろそろ起きなさい」
 目は覚めているのだろうが、先ほどからふて腐れたように布団をかぶって出てこない甘寧を、呂蒙は布団の上からいじくり回している。
「ほら、興覇」
 布団の中に差し込まれた手を、甘寧は強引に払いのけた。

「なんだよおっさん! 何で人にあんなことしやがったんだよ!」
「常々したいと思っていたからだと、昨日言ったろう」
「だから何で常々そんなこと思ってんだよ!」
「お前が常々そんな風に思うようにし向けてたんだろう」
「してねぇよ!」
「してたんだ。そんな襲ってくれと言わんばかりの格好しやがって」
「これのどこが!?」
「色っぽい生チチ見せてるだろう」
「野郎のチチはチチとは言わねぇよ!」
「今お前だって言ったろうが」

 ああ言えばこう言う呂蒙に、甘寧は歯がみした。なんて厭な奴なんだ!

「俺、あんたみたいな奴、大っ嫌いだ!」
「そうかそうか。分かったから、ほら、出てこい。そろそろ城門が閉まるぞ」
 その言葉に、渋々、と言った態で、甘寧がやっと顔を出す。見ればその目はうっすらと涙をためているではないか。

 ……堪らなく可愛い……。

「おっさん、もう二度としないって、誓え」
「分かった、誓う」
「本当だな!?」
「あぁ、本当だ」

 確約を取り付けて、安心したようにやっと布団から出てくると、甘寧はいそいそと夕べ剥ぎ取られた衣服を身につけた。

 ……猛烈に可愛い……。

 もちろん呂蒙にはそんな約束を守るつもりなんて、はなから無いのである。あんな口約束一つに乗せられる甘寧の、何と可愛いことよ……。

「おっさん! 今目がスケベっぽかったぞ!」
「そうか?」
「そうだ!!」

 ぷんぷんしている甘寧に、涎が垂れそうになるのを何とか堪え、呂蒙は甘寧を伴って城に向かった。

 城内には、昨日の宴の様子から、二人が連れ立って登城する様子を物見高く眺める奴ばらが、さぞ沢山いることだろう。甘寧の与り知らぬ所で勝手な噂が盛大に流れ、これで悪い虫一匹出てくる心配もなくなるだろう。

 呂蒙が喉の奥で低く笑っても、それは当然というものである。

「何笑ってんだよ、おっさん!」
「いや、お前のせいですっかり遅くなったなぁと思ってな」
「おっさんのせいだろ!?」
「そうか?」



 石頭城は、もう目の前。



終わり


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