蒼い夜 | |
何となく息苦しくて、孫堅は城門から馬で外に出た。辺りはもう夕闇で、門番からは門を閉めるまでには戻ってきて欲しいと言われたが、別に門が閉まってもかまわないと思った。 何が息苦しいのか、自分でも分からなかった。何かに不満がある訳でも、腹が立つようなことがあった訳でもない。戦は勝ち進んでいるし、幕下を見回せば皆満足のいく顔ばかりだ。子供達は自分の子とは思えぬ程立派に育っているし、妻との仲だって悪くない。全てが順調で、全てが満ち足りている。息苦しくなる理由など何一つ見あたらないというのに、孫堅は時々無性に叫び出したくなるのだ。 そういう時は、ただひたすらに馬を走らせることにしていた。馬にきつく鞭を入れ、メチャクチャに走らせる。もっと速く、もっと遠くへ。誰も自分を知っている者がいない場所へ来た時、初めて孫堅は大きく息をつけるのだ。 城門を出ると馬の赴くままに馬首を廻らせ、孫堅は闇雲に走った。そうしてどれだけ駆けていたのかも分からなくなった頃。 「殿?」 向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「やっぱり殿じゃねぇですか。何かご用で?」 遠目から見ても、その男の姿はすぐに見分けられた。あんなナリをしている男が甘寧の他にいるものか。お前こそこんな所で何をしているのかと聞こうとしたら、遠くに土埃が見え、しばらくそれを眺めていると、百騎程の騎馬が姿を現した。 「馬を走らせていたのか」 「呂蒙のおっさんが最近馬を走らせる時間もないとこぼしてやしたんでね。なら俺が替わりに走らせてやるって、買って出たんでさぁ」 「あれは呂蒙の麾下か?」 「えぇ。おっさんが忙しいもんだから、下のモンまでなまっちまってるみてぇでね」 「ほどほどにしておけ。皆がお前のように飛んで回ってばかりいる訳ではないのだぞ」 こうして一人で駆けている時に、知っている人間には会いたくないと、いつもならそう思っただろう。特に自分の部将には。だが、何故か甘寧と会ったことは、不快ではなかった。 「殿、今日はどちらまで?」 「ん?」 「いや、もうこの暗さですからね。早く戻らねぇと、城壁が閉まっちまいますよ」 「閉まっても構わんのだ」 その言葉に、何か感じる物でもあったのだろうか。甘寧はそれ以上何も訊かずに、それなら、と馬首を景口に向けた。 走り去ろうとした甘寧を、何故自分でも呼び止めたのか分からなかった。だが気がついた時には、「せっかくだから供をせぬか」と誘っていた。 「それとも一仕事の後だから、今日はもう休みたいか?」 「いやぁ、馬を駆けさせるのなんか一仕事でも何でもねぇっすよ。それより、殿のお邪魔になりゃしませんか?」 「俺が誘ったのだ」 甘寧は少し首を傾げて孫堅を見たが、すぐに後ろに控えている兵達を振り返り、「お前達は先に戻っていろ」と声をかけた。呂蒙の麾下が姿を消すのを見届けると、孫堅はゆっくりと馬首を廻らせた。 「さてと。甘寧、どこか落ち着く場所を知らんか?」 甘寧が案内したのは、小さな洞窟だった。よくもこんな場所を知っているなと、孫堅は苦笑した。目の前には長江が広がり、ちょっとした竈がしつらえてある。洞窟の中には、ご丁寧に干し草まで敷いてあった。 「時々、ここまで息抜きしに来るんでさぁ」 「呉は気詰まりか」 「そんなこたぁねぇっすよ。呉の奴らはみんなすげぇ気の良い奴ばっかりで、俺にはなんだかくすぐってぇ位でさぁ。そんなことより殿、腹は?」 「なんだ、食糧まであるのか?」 「米がまだ残ってたはずで……あぁあったあった。魚はそこで釣ってくりゃあ良いんです」 なんやかやと支度を整え、それほど間を置かずに甘寧はちょっとした夕餉を用意した。食べてみると、意外な程それは旨かった。 「驚いたな」 「こういうとこで喰えば、何だって旨く感じるもんっすよ」 へへへっと笑う甘寧に、孫堅はなにか郷愁めいた物を感じた。 思えば、孫呉は皆がうまくいっていた。自分とその仲間で興した国が呉なのだ。皆が家族のように睦まじく、呉は本当にうまくいっている。 その呉の国に、投げ込まれた小石がこの男なのだ。 甘寧が皆とうまくいっていないという訳ではない。投降の口利きをした周瑜と呂蒙などは甲斐甲斐しく甘寧の面倒を見ていたし、父親を殺された凌統ですら、なんだかんだと言って、甘寧とは端で見ていればずいぶん親しげに見えた。 ただ、それでも甘寧はどこか異質だった。 水賊上がりというのなら、周泰も蒋欽も元は水賊だ。いや、「水賊退治で名をあげた」と言われている自分や黄蓋、韓当等古参の者達も、どこまでが「水賊退治」でどこまでが「水賊自身」なのか分からないようなものだった。だから、彼の出自が異質だという訳ではない。 それでも、甘寧は異質だった。 そう。自分が呉にいると息が詰まるように。それと同じ違和感を、甘寧も持っているのだろう。 それが何なのか、孫堅自身も知らない。呉に不満はない。ある訳がない。自分が興し、築き上げてきた国なのだから。 それでも何か気詰まりで、時々全てがいやになる。 孫堅は甘寧に気づかれぬよう、彼の姿を盗み見た。 甘寧なら、この違和感を共有できるとでも思ったのか? 自分はどうかしている。あまりの感傷に、なんだか目眩がした。 「馳走になったな」 「このくらい、いつでも言って下せぇよ」 甘寧はまたにやりと笑うと、器を手に、長江へ降りて行った。思ったよりもマメな男だと、孫堅は何となく微笑ましく思った。 戻ってきた甘寧は孫堅の所までは戻ってこず、手前の草むらに横になった。空には雲がかかっていて、月もぼんやりとしか見えなかった。 「腹が一杯になったら、なんだか体を起こしてるのがかったるくて……。構いませんか、殿?」 「おう。俺もそこに行っても良いか?」 「もちろんどうぞ」 甘寧の隣に横になると、二人は何となく押し黙った。沈黙が気まづい訳でもない。不思議な距離感が、この男との間にはあった。 どれだけそうしていたのか。眠っているのかと思った甘寧が、小さくくしゃみをした。 「さすがに夜は冷えてきやしたね」 「あぁ。そんな薄着をしていればさすがに寒かろう。なにか羽織る物は用意していないのか?」 「いやあ、そういうのは考えてねぇっす」 「ここに泊まっていくこともあるようだが、そういう時はどうしているんだ?」 「干し草にくるまっちまえば結構暖かいモンですよ」 「お前らしい……」 孫堅は腰当て代わりに巻いている虎皮をほどいて、甘寧に掛けてやった。驚いて返そうとするのを、孫堅はいいからと無理に掛け直す。 「すいやせん、殿」 「気にするな。旨い晩飯の礼だ」 洞窟の中の方が暖かいのだろうが、孫堅はもう少しここで空を見ていたかった。長江の音が、低く響いて心地良い。 「どうだ。呉にはもう馴れたか」 「はい」 「呂蒙とは親しいのか? あいつが自分の麾下をお前に任せるとは驚いたぞ」 「そうなんっすか? う〜ん、親しいっていうか、おっさんは暑苦しいくらい面倒見てくれるんで、こっちもなんか貰いっぱなしじゃ気持ち悪ぃし……なんて言うか、えっと……」 甘寧の台詞を聞いているうちに、また何となく孫堅は胸の中に違和感を覚えた。これは呉に対して持っている違和感とはまた違うものだ。甘寧はまだ巧い言葉を探して、呂蒙のことをぶつくさと言っている。 見れば、薄明かりの中に浮かび上がっている甘寧は、ずいぶん整った顔をしていた。こんな顔をしていたのかともう一度甘寧の顔を見つめた拍子に、不意に目が合った。 甘寧が、瞬きをする。ずいぶんゆっくりな瞬きだと、そう思った途端、孫堅は甘寧の頬に触れていた。 「…殿?」 頬は、思ったよりも柔らかかった。まだどこか青臭さを残しているのは、彼の性格が真っ直ぐな為だろうか。 胸の中に疼くように何かが広がり、孫堅はそれが何なのかを知りたくて甘寧の頬に触れたまま起きあがると、彼の上に覆い被さった。 「何です、殿?」 「もう少し、つきあって貰おうか…」 「殿?」 頬に置いた指をゆっくりと降ろしていくと、孫堅は甘寧の口に親指を差し込んだ。孫堅が何を求めているのか分からずにいるのだろう、甘寧はされるままにしていた。 何をしたいのか。 そう、自分は何をしようとしているのか。甘寧は男で、自分の部将だ。正気の沙汰ではないと、そう思う心の一方で、もう一方の心が自分を急き立てていた。 今しかないのだ、と。 今をおいては、もう二度とこのような真似はできぬのだぞ、と。 それは江をうねる水の響きに似て、低く、だがしっかりとした確かさで、自分を追い立てていた。 甘寧の瞬きが、やけにゆっくりと感じた時、孫堅はその首筋に唇を埋めた。 「殿…!?」 本当は、唇を唇で塞ごうと思ったのだ。だが、それはなんとなく違うような気がした。夫婦の真似事がしたい訳でも、女との情事をなぞるつもりもないのだ。 いいや違う。そういう事ではない。 自分の親指を意味も分からぬままに含んだあの唇に、唇を重ねてしまったら、多分もう後戻りはできないのだ。 触れてはならない。 あの唇には、触れてはならない。 孫堅はそう自分を戒めると、堪らなくなって甘寧の首筋を強く吸った。 「殿、殿、何を…?」 「黙っていろ」 そう言われると、甘寧は何を思ったのか本当に押し黙った。自分がまさか孫堅の欲望の対象にされているとは分かっていないのだろう。こうする事には何か特別な意味があると、まるで儀式の生け贄にでもなったかのように、じっと息を殺している。 鈍いのか、子供なのか……。そうやって押し黙られると、今度は甘寧の声を聞きたくなる。いつまでもそうやって、澄まして等おかせない。 首筋から唇を離すと、そのまま唇は胸元を辿り、胸の突起を探した。そこはまるで誰にも触られた事がないかのように、ひっそりと息づいていた。 神殿の処女を、奪うようだ。 孫堅はいきなりそこに舌を這わせ、立ち上がらせると丁寧に歯の先で挟んだ。 「あっ…」 歯で傷つけないように、優しく、時に強く甘噛みすると、甘寧はそれでも声を立てないように、震える息を切なげに吐いた。 だが、それも長くは続かなかった。当たり前だ。攻めているのはこの自分だ。そうそう平静を保たれて堪るものか。 「うっく、ふあ…!」 「ずいぶん感じやすいな。された事があるのか?」 「なにを…う、あぁ…!」 「まだ分からないのか?」 「殿…、どうしてこんなことを……」 「お前が誘ったのだ」 「何を…」 胸を嬲りながら、指先は盛り上がった腹筋を辿っていく。見事な体だった。この体を、まさか男が弄ぼうとは思ってもいなかったようだ。孫堅は喉の奥で小さく笑った。誰も触れた事がないのだと思うと、自分でも不思議な程胸が震えた。 指が腹を離れ、脇腹を辿ると、甘寧の体に細かく鳥肌が立った。腰帯をほどくと、辺りに軽やかな鈴の音が響く。 「殿、本気でやってるんすか……?」 体を覆う数少ない衣服が剥ぎ取られる事に、恐怖でも抱いているのだろうか。甘寧の声は、頼りない程掠れていた。 「俺は最初から本気だ。やめるつもりもない」 孫堅の指が無防備になった腰骨を辿った時、甘寧の体は小さく叫んでびくりと震えた。 「お前、こんな所が弱いのか?」 「や、ちが…!」 その時。 雲が動いて、月光が甘寧の姿を孫堅に曝した。朱く震える頬に、涙ぐんだ瞳が自分を縋るように見つめている。 「……そんな顔をされて、男が我慢できると思うか?」 「何言ってるんっすか! お、俺がどんな顔…!」 甘寧は最後まで続ける事ができなかった。先ほど触れられた腰骨に、孫堅が舌を這わせ始めたのだ。ジンと痺れるように、腰骨から下腹にかけて何かが走った。 「や、めて下せぇ……、殿…!」 甘寧自身に手を伸ばすと、さすがにそこは力無く震えていた。軽く揉みしだいても、形を変えそうにない。 「そう怯えるな。痛い思いをさせたい訳ではないのだ」 甘寧は震える顎を左右に振った。自分がこれからどうされるのか、さすがに分からない訳ではない。 怖いのだ。 男に抱かれるということが、本能で怖い。 自分が自分でなくなるということが、恐ろしいのだ。 「やめて下せぇ……」 自分の物とは思えない程掠れた声。喉がひりついて、うまく口を動かす事ができない。 「殿、他の事なら何でもします。だから……」 「他の事なら要らぬ」 孫堅は、そのまま甘寧を口に含んだ。「あ…!」と小さく叫び、甘寧が背中を硬くする。 だが、孫堅の柔らかい口腔に締めつけられ、舌が、歯が、最も敏感な部分を刺激すると、甘寧は悲しい程正直に、その身を変化させた。 「いやだ、殿……、こんな…ふっ、無理…無理だっ! うっ…!」 目眩がした。痺れる程の快楽だった。甘寧は、今までそんな愉悦を味わった事がなかった。 もちろん、女との経験がない訳でも、口淫の経験がない訳でもない。それなのに、孫堅の与える快楽は、恐ろしくなるほど強烈な物だった。膝ががくがくと震え、息づかいがどんどん荒くなっていく。これが自分の吐く息だとは、とても思えなかった。 何も考えられない。そう思った時、甘寧は不意に放り出され、別の場所…誰にも触れせた事のない場所に、唇が触れるのを感じた。 「殿!?」 「大人しくしていろ」 「やめて下せぇ! 俺、今日一日馬を駆けさせて……!」 「おかしな奴だ。そんな事を心配するより、自分の事を心配していろ」 そのまま、孫堅は後庭に舌を這わせた。丹念に蕾を辿り、時々引きつったように蠢くそこに、舌を差し込む。 「やめ…、やめろ……!」 「嫌ならば殴ってでも止める事だ。俺を君主と思って遠慮はするな」 無情にそう言い捨てると、孫堅は唾液に濡れた蕾に、ゆっくりと指をあてがった。最初固く閉ざされていたそこは、だがもう一度自身を口に含むと、時々不意に弛んだ。それは甘寧の嬌声とリンクしていて、なるほど、と、孫堅は妙な感心の仕方をした。 「それならばこういう事か」 「殿…!? あ、あ、やぁあ!」 孫堅は甘寧を飲み込むようにして喉の奥まで含み込んだ。舌は付け根の辺りを揉みしだく。甘寧は堪らずに、太ももで孫堅の顔を締めつけて、達った。 「あっ…は、んんっ!!」 体が弛緩した瞬間に、孫堅は自分の中指を根本まで、甘寧の中に埋め込んだ。初めての感触に、甘寧は痛みと、それを上回る不快感に叫び声を上げた。 「どれだけ叫んでも構わん。どうせ誰もいやしないのだ」 「や、やめっ…! あ、あぁあ!」 嫌々をするように激しく首を振る甘寧の表情が、孫堅が指をくっと曲げた時、微かに歪んだ。 「あ!? やめ…、うぁ!」 「ここか?」 指の先で弾くようにそこに触れると、甘寧の目から涙がこぼれた。戸惑っているのが分かる。先ほど果てたばかりのそこが、また力を得て震えていた。 「殿? との、何か来る…!」 「怖がるな。男の体にもそういった箇所がある。ここなのだろう?」 「や!? さわ…触るなぁ……!」 甘寧は、無意識なのだろう、孫堅の首に齧りつくようにすがりついていた。指を二本に増やした時も、三本に増やした時も、甘寧は泣きながら孫堅の背中にしがみつき、爪を立てた。 甘寧の爪痕。 孫堅は、それを刻んで欲しくて、片手だけで器用に服を脱ぎ捨てた。裸の胸に、甘寧の肌を感じる。それは滑らかで弾力があり、汗でじっとりと濡れていた。 孫堅が甘寧の中から指を抜き去り、替わりに己の物をあてがおうとしたその時。孫堅はいきなり横顔に衝撃を受けた。まさかそんな事ができると思っていなかったので、油断していたのだろう。甘寧の鋭い蹴りを横っ面に喰らわされたのだ。 「っ!」 「っは、はぁ、はぁ、遠慮するなって言ったの、殿だからな!」 素早く立ち上がろうとしたのだろうが、甘寧にできる反撃はそこまでだったようだ。下半身に上手に力が入らないらしく、もたついた足首を孫堅は軽々と持ち上げ、大きく左右に割り開いた。 「じゃじゃ馬め、やってくれたな」 「うあ!」 「ならば俺も遠慮はしないぞ」 「や、やめ…!」 そのまま孫堅は甘寧の中に押し入った。初めてであろう甘寧に、ただでさえ苦しい前合わせを強要する。苦しめたい訳ではないのだ。孫堅は、そこから先はゆっくりと進める事にした。 甘寧の眉が苦痛にきつくすり寄せられる。生理的に流れる涙が、ぽろぽろと宝石のようだった。 時々立ち止まるようにしながら、孫堅が最後まで甘寧の中に入るのには、結構な時間を要した。 「ゆっくり息をしろ、興覇」 字でそっと呼んでみる。愛おしむようなその声音に、甘寧の目が少しだけ開いて、孫堅を見た。 「大丈夫か、興覇。ほら、全部入ったぞ」 「……苦しい」 「そら、深呼吸してみろ」 甘寧は小さく頷くと、大きく息を吸おうとしたが、それはすぐに切なげな息に変わった。 「との…、口から出てくる……」 「吐きそうか?」 甘寧は小さく首を振った。 「殿のが、出てくる…」 孫堅は軽く瞬きをしてから、小さく笑った。 「まさかそんなに長くはないぞ」 「でもぜってぇ出てくる。腹ん中、殿のでいっぱいになってる……。突き破って出てきそうだ……。怖ぇよ、殿…」 「可愛い事を言いおって。そら、少し動くぞ」 「やっ! 動かないで下せぇ…!」 「バカを言うな。俺が限界なんだ」 先ほど見つけた箇所をえぐるようにこすってやると、甘寧は細い嬌声を上げた。最初はゆっくりと。だが徐々に強く、叩きつけるようにそこを突き上げると、甘寧は首を左右に振りながら、絶え間なくあられもない声を上げた。 「殿、との、あ、あぁあ…! や、う、くぅ…ん、んん、は、あぁあぁ!」 「興覇、興覇、少しは良いか?」 甘寧は涙を浮かべて大きくかぶりを振ったが、孫堅の腹に当たる彼自身は、隠しようもない程の快楽を叫んでいた。 甘寧は自分の痴態を認めたくないようだった。無意識に自分の口を塞ごうと、手が顔を覆うのを孫堅は許さなかった。顔から腕を剥ぎ取ると、そのまま自分の背中に回してやる。 爪痕を、刻んで欲しかった。 この場限りの事かもしれないのだ。だから、いつまでも消えない傷跡を、今日の形見に、自分の背中に刻みつけておきたかった。 「うく…っ! あ、あ、殿……んんん…っ!」 しがみつくように背中に甘寧の手が絡みつくのを感じると、愛おしさに孫堅は口づけた。先ほど感じた躊躇いは、跡形もなく消えていた。後戻りなんか、できなくても良いと思った。始めたのは自分だったが、引きずり込まれ、溺れたのも自分だ。だが孫堅、はそれで良いと思った。 無理に体を折り曲げて、唇を貪りつくす。体の中が自分でいっぱいだというのなら、口中を犯せば甘寧の中余す所なく、自分がいることになるだろう。甘寧の舌は怯えたように逃げを打ったが、許さずに孫堅は舌を捕らえ、きつく吸い上げた。 無理な姿勢のために接合は深くなり、甘寧の下半身は孫堅の腹にもみくちゃに押しつけられて、先走りでぐしょぐしょに濡れていた。 「もう達きそうか?」 首筋を舐め上げ、耳朶を甘噛みしながら訊くと、甘寧は涙を浮かべて首を左右に振りながら、それでも指先がぶるぶると震えていた。 「無理をするな。今、楽にしてやるから」 孫堅が握りしめてやると、甘寧は嗚咽のような声を漏らした。そのまま先端を親指の爪先で押しつけるように刺激すると、甘寧は堪えきれずに孫堅の背に爪を立てた。 「あ、あぁあぁああ! 殿、との……!!」 自分の名を呼びながら、甘寧が自分の手の中に精を吐き出すと、孫堅はたまらずに自身を甘寧から引き抜き、彼の胸の上に、白い飛沫をぶちまけた。 甘寧が目を覚ましたのは、日がかなり高くなってからだった。昨日はあれだけでは止められず、かなり無理をさせてしまったのだ。仕方ないと思う半分、このまま起きないのではないかと不安になりもしたが、ふと目を開けると、甘寧はそのままあっけない程簡単に目を覚ました。 「あぁ、気づいたのか」 「…殿? 何してるんすか?」 「何って、食事を作っていたところだ」 いそいそと作っている食事には、驚いた事に兎の肉が入っていた。 「こんな肉、どこで…?」 「何、お前に少し精のつく物を食べさせないとと思ってな。兎でも猪でも、何でも良かったのだが」 当たり前のように笑う孫堅は、弓など持っていなかったはずだ。仕掛けでも作っておいたのだろうか。主君の意外とマメな姿に、甘寧は苦笑した。 「どうだ、旨いか?」 「あぁ、すげぇ旨いっすよ」 「そうか。なら良かった」 満足そうに笑う孫堅は、昨夜の彼とは別人のようだ。 昨夜の孫堅。 甘寧は事の顛末を思い出し、どんな顔をして良いのか分からなくなった。 「どうした? 何か変なものでも入っていたか?」 「……なんで、あんな事……」 自分の声が、ずいぶんとか細く聞こえた。 昨夜の孫堅は、征服する者の目をしていた。優しい声を出してはいたが、それでも甘寧には恐ろしくて、喰らいつくされるのかと思った。 「あぁ…、自分でも、良く分からんのだ」 「分からんって、殿!」 急に朱くなってしまった甘寧に、孫堅は済まなそうに笑って見せたが、確かにそんな返事では納得できないだろう。今朝起きてからずっと、自分でもそれを思い出そうと昨夜の事を思い返していた。だがそれでもまるで分からなかったのだ。分からないものは分からないと、正直に言うしかないだろう。 「お前と一緒に空を見ていたら、なんだか急にお前を自分の物にしたくなったのだ。なんでそう思ったのか、それが自分でもよく思い出せん」 そんな無責任な、という甘寧の声をどこか遠くで聞きながら、孫堅は無駄な事とは思いつつ昨夜の事をまた思い出そうとしてみた。 二人で曇った月を見ている間は、確かにそんな気分ではなかったはずだ。何か満ち足りたような、そんな気持ちがしていたのだから。 では何故、急にそんな衝動を覚えてしまったのか……。 「そりゃあ殿はそばにいる奴なら誰でも良かったんでしょうが、でも俺はあぁいうのはもうご免です。これからは他の奴を当たって下せぇ」 「なんで他の奴なんかとやらにゃならんのだ。俺だって男なんかご免だ」 「な、何言ってんすか! だってずいぶん、な、馴れてたじゃないッすか!」 「そりゃあ俺も若い頃は色々やったが、今はもうこの年だし、何もわざわざ男を抱こうとは思わんよ」 「昨日は散々やったじゃないっすか!」 「だから、お前は別だったらしい」 抱き寄せた頬に唇で触れたら、甘寧は朱い顔のまま固まってしまった。微かに震えているのは、まだ怖いのか、それとも屈辱に震えているのか……。 「興覇? 怒っているのか?」 「飯食うんで、邪魔なんでどいてて下せぇ」 ふてくされたような顔で箸を動かす甘寧を、孫堅は微笑んで見つめた。この様子なら、それほど深刻に捉えているのではないようだ。安堵の息をつくと、急に昨日の甘寧の蹴りを思い出し、喉の奥で笑った。 「何笑ってるんすか」 「いや、確かに遠慮するなとは言ったが、まさかお前が本当に足蹴りを噛ましてくるとは思わなかったからな。俺を邪魔だと言ってのけるのもお前くらいの者だろうし、そう思うと、まぁ、お前はやっぱり他の奴とは違うんだろうと思ってな」 「そんな理由でやられたんじゃ、俺の立つ瀬がねぇっすよ!」 「まぁそう言うな。それより興覇、体はきついか?」 興覇、という名前に、甘寧は少しの間唇を噛んで孫堅を睨んでいたが、そのうち諦めたように溜息をついた。 「今すぐ馬に乗って城に戻れって言われたら、そりゃちょっとはきついっす。でもぐずぐずしてたらまた城壁閉まっちまいますから、無理しても帰りやすよ」 「俺が一緒にいるのだ。いくら何でも門番だって門を開けるだろうさ」 甘寧は少し首を傾げた。どうやらこの男は、考え込む時にこうする癖でもあるらしい。 「でも昨日は…」 「あぁ。昨日のは、どっちかというと締め出しを喰らいたかったのだ。そういう事は、お前にだってあるだろう」 甘寧は何となく納得したらしい。少し休んでから帰るから、横になっていろという言葉に大人しく従って、甘寧はそのまままた倒れ込むように眠った。 二刻ほどすると、またもや甘寧はいきなり目を開いた。辺りは孫堅がすでに帰り支度を済ませた後で、食糧も食器も、きちんと元の場所に隠してあった。甘寧は軽く頭を振ると、立ち上がって小さく体を動かし、そのまま自分の馬の様子を見に行った。 「帰れそうか」 「はい」 荷物を馬に積み上げると、甘寧は身軽に馬に跨った。そのまま暫く轡を並べて並足で走っていたが、何を思ったのか、いきなり甘寧は馬に鞭をくれた。 「おい、無茶はするなよ!」 慌てて孫堅も鞭を入れると、何とか甘寧の馬に並んだ。今朝まであれだけへばっていたのに、なんという体力か。馬の振動が体に響いていないはずがないのに。 「おい、興覇!」 「興覇とか呼ぶの、やめて下せぇ!」 「何を言って…」 「殿、他の奴の事、字でなんか呼ばねえくせに! なんでいきなり俺の事字で呼ぶんっすか!」 顔を見ると、ひどく朱い顔をしている。なるほど、城の中でまでこんな気分を引きずりたくないという事か。 孫堅はニヤリと笑った。甘寧がその気なら、こちらにも考えがある。 「よし、興覇。ならば勝負だ」 「勝負?」 「どちらが先に城につくか。お前が先につけば俺はもう二度とお前を字では呼ばずにおくが、俺が先につけば俺がお前を何と呼ぼうが俺の自由だ。どうだ、興覇。早駆けならお前に歩があるだろう。乗るか!?」 「へっ! そういう事で俺が負けるかっての!」 「よし、手加減はしないぞ!」 二人は一斉に馬に鞭を入れた。孫堅も甘寧も、いつも戦で乗っている、自分の愛馬に跨っているのだ。負ける訳にはいくまい。 それから一刻半、二人は息もつけぬ程の速さで馬を走らせた。馬は孫堅の方が駿馬だったが、体重は甘寧の方が軽い。体の鍛え方も馬の鍛え方も、甘寧の方がずっと厳しくやっているのだ。いつもの孫堅と甘寧では、比較にならぬ程の大差が付いたろう。 だが、先に城壁についたのは孫堅だった。 城壁の彼方から凄まじい砂埃を立てて馬が走ってくると報告を受けた周瑜と呂蒙が門前で待ちかまえる前で、孫堅が先に馬を降りた。 「何事です、殿!」 「後半刻戻るのが遅ければ、捜索隊を組織しようと思っていた所ですよ!」 口々に責め立てる二人に少々辟易していると、ようやく甘寧の馬が城壁にたどり着いた。 「…ちくしょう……!」 一呼吸おいて甘寧が崩れるように馬から降りると、驚いた呂蒙が甘寧を抱きかかえるように支えた。 それを見るなり、孫堅は「あぁそうか!」と声を上げた。 「殿?」 「そうか。お前が呂蒙の話なんかするからだ」 「なんの話です?」 当の甘寧まで不思議そうに自分を見ているが、自分だけ納得していればいい事だと、孫堅は曖昧にごまかした。 なるほどそうか。自分も存外青い…。 孫堅は苦笑すると甘寧に「賭は賭だぞ、興覇」と笑って肩を叩いた。 「ちくしょう…!あぁったく!!」 地団駄を踏む甘寧に、逆に孫堅はよくもまぁ昨日の今日であれだけ馬を乗りこなせるものだと内心で舌を巻いたが、素知らぬ顔で押し通す事にした。あの状態で賭に乗ってしまった甘寧のうかつさと、言えない事もないのだ。そう。勝負は始めからついていた。孫堅は、負ける賭を仕掛ける男ではない。 二人の様子を黙って見ていた周瑜が、ふと何かに気づいたように甘寧を見つめ、一瞬孫堅を睨んだ。 「呂蒙、甘寧は相当具合が悪そうだ。早く屋敷に送ってやれ。あまり人には見つからぬようにな」 その口調に呂蒙も気づき甘寧をちらりと見下ろすと、慌てたように首の辺りを抱え直し、だが口調だけはいつものようにもっさりと「分かり申した」と甘寧を促した。 去っていく背中に、孫堅が声を掛ける。 「興覇、またあの旨い晩飯を喰わせてくれるのだろう?」 「それは条件に入っちゃいねぇっすよ!」 「そう言うな。期待しとるぞ」 二人の姿が消えると、周瑜は孫堅に向き直り、今度こそ孫堅を睨みつけた。 「殿。あまり甘寧に無茶をさせないで下さい。あれは見た目程すれちゃいないんですよ」 「うむ。ばれておったか」 「甘寧の様子を見れば一目瞭然です。第一首筋にあんな痕をつけておいて、ばれておったかはないでしょう」 「見える所にはつけないように気をつけておいたのだが」 わざとつけたんでしょうと睨む周瑜に、それは気の回しすぎだと苦笑する。 夢中だったのだ。 あの時は、後の事など考えられなかった。そういう余裕が出てきたのは甘寧が愉悦に身を染め始めてからで、もし全身で拒絶してきたらと、そう思うともう後先の事など考えられなかった。 「とにかく殿、殿にはもう少し一軍の大将という自覚を持って頂かなければ。何も言わずに消えてしまって、どれだけ我々が心配したかお分かりですか? おまけに調練中の甘寧まで連れ出して! 猪突猛進が二人も揃ったものだから、途中で何が起きても不思議はないと…」 「あぁすまなかったすまなかった。これからは気をつける」 「殿はいつも口先だけです」 せっかく良い気分だったのに、つまらない説教で台無しにされるのはまっぴらだ。説教を聞かずに済ませられるのも君主の特権だと孫堅は適当に手を振りながら、後ろを見ずに自室に戻った。 自分の部屋に戻ってくると、鎧を脱ぎ捨て寝台の上に倒れ込む。 背中がぴりりと痛む。服の上からそこに触れると、爪痕は思ったよりも深そうだった。 柔らかい寝台の上、昨夜の行為を反芻する。固い地面の上だった。俺ももう少しやり方があったろうにと苦笑する。 久しぶりの激情だった。あんな気持ちになったのは、いつ以来の事だったろう。戦の中で、どこかに置き忘れてきた感情だと思っていたのに。 瞼の奥に、昨夜の光景が浮かび上がる。 青い月明かり。 低くうなる長江の流れ。 草いきれの中で、夜露に濡れた興覇の体……。 「参ったな…。本気になりそうだ……」 孫堅は低く唸りながら、それも悪くないと思った。
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