花 び ら


 日が浅く差していた。薄い金色の光が、聞仲の髪を透かすように照らしている。聞仲はよくこうして、自分の駅を飾る花を眺めていた。時間を持て余しているようにも、花を慈しんでいるようにも、思いでの中に浸っているようにも見えた。そうやって長い間庭を眺めて聞仲を、飛虎はよくこうして眺めていた。

 俺と聞仲って、何だろう。

 聞仲の美しい立ち姿を眺めながら、飛虎は最近その事ばかりを考えていた。
 聞仲と体を繋ぐようになって三ヶ月。
 長すぎる生のためなのか、あまり体の交わりが得意でないらしい聞仲のためにも、そして聞仲と自分の関係を巧く定義つけられない飛虎のためにも、二人の行為はごく稀なものだった。だがそれでも、二人は時折思い出したように、だがひどく真剣に、そして情熱的に、お互いの体を確かめ合った。

 俺と聞仲って、何だろう。

 体を繋いでいる以上、ただの友だちとはいえないだろう。だが、では恋人かと問われればそんなに甘やかな関係ではないし、もちろん夫婦でもない。
 そんな考えに沈むとき、飛虎は聞仲に申し訳ないと思いながらも、妻とのことを思いだしていた。

 賈氏。

 慎ましくて気丈な、それでいて華やかさを失わない、かけがえのない女性。
 彼女と初めて唇を交わしたとき、こんなにも柔らかな物がこの世にあったのかと、胸が高鳴ったのを覚えている。次第に馴れていったお互いの体を、だが飛虎は甘美なものとして、いつまでも大切に思っていた。

 彼女への気持ちは嘘じゃない。

 そしてそれと同じように、聞仲への気持ちも。

 とてもよく似ていて、それでいて全く違う二つの気持ちを、同時に抱くことは可能だろうか。聞仲との関係は、賈氏への裏切りなのだろうか。
 もしかして俺は、心に浮かぶその問いを振り切りたくて聞仲と自分が「何」なのかを知りたがっているのだろうか。


 不意に、聞仲が振り向いた。
 そして、聞仲と目が合う。
 逆光を浴びて陰になった聞仲の顔が、謎めいて美しかった。
 聞仲の顔が暗いまま近づいて、そっと、唇が、触れた。

 ことん。

 飛虎が驚いて目を開けると、聞仲の長い睫毛が目の前にあった。慌てて飛虎が目を閉じると、またことんと大きな音がして、今度はその音をちゃんと聞こうと耳を凝らした。

 その音は、聞仲の胸から聞こえてきた。
 そして、自分の体の中からも。

 どきどきした。

 どきどきして、もっと触れたいと思った。

 聞仲の唇。

 もっと、もっと深く触れたい。

 聞仲にこんな気持ちを持つなんて、飛虎には不思議だった。
 それでも唇は甘くて、そっと忍び込んでくる舌を自分の舌に絡めると、胸の奥が甘く痺れた。

 もっと触れたかった。

 もっと知りたかった。

 この気持ちが何なのか、この甘い高鳴りが何なのか、飛虎はもっと知りたいと思った。

 名残惜しそうに唇が離れると、聞仲は少し照れたように笑い、風が出てきたから窓を閉めようと、飛虎に背を向けた。

 本当だ、花びらが降ってくる。
 その花びらの中に、くすくすと愛らしい賈氏の笑い声が聞こえたような気がした。

『大切な人と一緒にいるのだもの、それで宜しいではありませんか。そんなに悩んでいるなんて、まるで違う人のようですわ』

 花びらが、まるで二人を祝福するように、静かに降り注いでくる。


「飛虎? どうした?」
 聞仲が振り返った。

 大切な人。

 そうだ。こいつは俺の「大切な人」だ。

 飛虎は自分から聞仲の肩に手のひらを当て、そっと唇を重ねてみた。聞仲が驚いたように目を見開き、そして柔らかく笑った。飛虎も小さく笑うと、もう一度二人は唇を交えた。

「この三ヶ月で、俺ら結構キスしたよな」
「そうだな」
「変だな。今までキスしても普通だったのに、さっきからドキドキするようになった」
 率直な飛虎の言葉に、聞仲は呆れたような苦笑いをした。
「今まではドキドキしなかったというのか?」
「おう。だって、そんな余裕ねぇよ。俺、あぁ見えて結構必死だったからよ」
 言ってから、それなら今は余裕が出てきたってことかな、と飛虎は小首を傾げた。
 
 余裕?

 恋をする、余裕?

 聞仲はもう一度笑うと、わざとおどけたように腕をを開げて見せた。
「私など、初めてのキスからドキドキしていたというのに」
「今もか?」
「むろん」
 ほら、と飛虎の手を取り、聞仲は自らの胸にその手を導いた。あぁそうだ、さっきもここはドキドキ言ってたっけ。

「俺、鈍感なのかな」
「まぁ確かにスロースターターではあるな」
「鈍感か?」

 重ねて尋ねる飛虎に、聞仲は少しだけ幸せそうな笑みを見せた。
「真剣なのだろう。真剣に、答えを見つけてくれる。そうして今、やっとお前の中で答えが出て、それが染みこんでいったのだろう。ゆっくりと出した答えだ。きっとこの胸の鼓動も、いつまで高鳴っていてくれるのだろう」
 聞仲の手が、飛虎の胸を押さえた。その手のぬくもりに、切ないほど胸が疼いた。

 聞仲が手を離すと、そこにひとひらの花びらが隠れていた。

 賈氏の声がした。

 大切な人の手を、いつまでも離さないでいてね、と。

 二人はもう一度、小さなキスをした。



 窓の外では、きらきらと、いつまでも花びらが降り続いていた。 



宜しければ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。

●メール●


小説トップに
戻る

「東岳大帝廟」
トップに戻る

「新月の遠吠え」
メニューに戻る