** 平成16年 4月1日更新 **

タニシの奮闘記 脇野沢編   「北限のニホンザルとカモシカを求めて」
サル0
平成16年(2004)2月17日〜20日
青森県下北半島脇野沢村といえば同好会OB諸兄姉には説明不要でしょう。世界のサルの北限の地として有名な所です。
天然記念物に指定されています。
さらに「生物同好会と脇野沢」と聞いてピンときた方はおいででしょうか?
平成12年、生物同好会は創立50周年を迎えました。近辻宏帰氏や高田勝氏を招いて、盛大な記念式典が開催されたのは記憶に新しいところです。
同時に「早稲田生物」の50周年記念号が発刊されました。その中で脇野沢のカモシカ調査について蔵田美鈴さん(1993年卒)が報告しています。
毎年3月、雪に埋もれながら調査を続けたようです。
そして調査に協力し助けてくれたのが「脇野沢ユースホステル」の磯山隆幸さんご夫妻でした。磯山さんからも記念号にお祝いの言葉が寄せられています。
  磯山さんはプロの写真家でもあり、地元でサルやカモシカの保護活動も続けております。
私の訪問にあたっても温かく迎えてくれ、発信機をつけたサルを追って車を走らせてくれたりもしました。
カモシカ1
カモシカ2
かつて脇野沢のサルは村びととはお互いに干渉せず、それぞれの生活を送っているというごく自然な関係でした。
しかしだんだん「北限のサル」として注目を浴びてくると、もっと身近にサルを呼びたいと考える人たちと、サルを増やして観光客を呼びたいと考える人たちが増えてきました。
自然保護を考える人と、観光客誘致を考える人の意見が一致したのです。おりしも高崎山のサルが脚光を浴びていた時期でした。
村の人はサルに餌をやってみました。やがてサルは手渡しで餌を受け取るようになりました。餌付けの成功に村びとは大喜びでした。
サルも山から降りてきました。観光客も増加しました。めでたしめでたし、と言いたいところですが、それだけでは終わりませんでした。

そのうちサルは畑を荒らすようになり、家の中まで入ってきて部屋を引っ掻き回し、食べ物を盗むようになりました。
サルの被害に怒った農家の人たちはサルの駆除を叫ぶようになりました。村びとの意見が二つに割れてしまったのです。
現在脇野沢村ではサルを山に返そうという運動を展開中です。
また元の関係に戻ろうということでしょうか。人間の都合で、呼び寄せられたり追い返されたり、サルこそが一番の被害者ではないでしょうか。
 「自然保護」の難しさをつくづく感じさせられた今回の旅でした。
北限猿1
北限猿2
北限猿2

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