![]() | 福島県 中屋沢地区の古墳4(耶麻郡塩川町) |
塩川町中部の中屋沢地区田中にある舟森山古墳。 稲荷社を載せたかたちで残っているものですが、調査により前方後方墳と推定されています。 |
![]() | 南西から。駒形小学校の南に隣接して後方部のみ残存した形になっている。東北地方最大の前方後方墳である可能性があると言われている。この稲荷神社には水不足に困窮した村民の訴えに応じて出現した白狐が走り去った残雪上の足跡を掘削したのが狐堰用水だとする伝説がある。 |
西から。道路と墳丘の間にわずかな幅の余地がある。周囲にはかつて周堀の痕跡があったとされるが現状ではどこか不明。 | ![]() |
![]() | 墳丘上の様子。実に広々としており稲荷社が余裕をもって置かれている。高さも周囲の民家の1階の屋根を超えている。墳丘上からは土師器片などが採取されたという。参道改修の折粘土槨が露出したが簡単な範囲確認調査後に埋め戻された。 |
後方部上から南方向。こちら側にあったはずの前方部は宅地化して失われたが地籍図の分析により前方後方墳と推定された。 | ![]() |
![]() | 北方500mほどにある前畑古墳から見た明蓮寺古墳群のある丘。西端をかすめて駒形堰用水が通っている。群集墳の立地としては典型的な地形であるが左手(東)方向に斜面がなだらかに立ち上がって行く先に雄大な磐梯山をのぞめるのがこの土地ならではの風景である。 |
東から。現地は竹屋観音の300mほど北東である。右側が古墳群所在地だが墳丘は視認できなかった。 | ![]() |
![]() | 丘陵先端西側の道から。このように踏み込むことも困難な様子。福島県の古墳、特に群集墳からの出土遺物は少なめだそうだが、1号墳からは須恵器が出土したという。5世紀後半から6世紀にかけて造営されて群集墳と推定される。 |