85題 ()「本名を呼び名乗る運動」考

 

1、本名を呼び名乗る運動への疑問

これは20数年前の出来事である。

在日は本名(朝鮮名)を名乗るべきだと強く主張する活動家Kさんがいた。彼は通名(日本名)を名乗る在日に会ったら、本名を名乗りなさいと言い、在日の子供たちにも本名を名乗るよう強く指導していた。

 このKさんの運転する車に同乗した時のことである。警察の検問にあった。警官から「お名前は?」と尋ねられると、彼は「Fです」と通名を答えた。私はビックリした。相手が警察なら本名を名乗らなくてもいいのだとその時は無理に納得させたのだが、本名を呼び名乗る運動への疑問を持つきっかけとなった。

 

2、差別がなくても通名を使う

本名を呼び名乗る活動家のHさんの実家にお邪魔した時のこと。お母さんが彼に「Mちゃん、これ食べるか?」と通名で呼び、Hさんは素直に答える姿を実見した。その家庭では通名が当然のごとく使われていた。

また在日は家庭内だけでなく、朝鮮人集住地区(いわゆる朝鮮部落)内や民族団体内の同胞どうしでも普段から通名を呼び名乗りあっていることも体験した。

このような家庭、地区、団体は日本社会の差別構造とは全く無縁の場所である。そこで通名が使われているということは、差別があるから通名を名乗らざるを得ないとする活動家たちの主張と矛盾する。

 

3、一世は民族性を隠さず、二世は隠す

在日一世たちに名前のことをお聞きすると、うちらの国は同じ名前が多い、通名を使ってもらわんと誰だか分からん、日本にいるんやから日本名でいい、などと朝鮮訛り丸出しの日本語で言っておられた。

 一世のほとんどは通名を名乗りながらも自分の民族性を隠さない。ところが二世以降になると隠すために通名を使う場合が多く出てくる。

ある在日氏から掲示板に次のような投稿があった。

 

私が中学1年生の時、ハラボジ(祖父)が亡くなりお葬式がありました。喪主であるアボジ(父)は一世のですので、当然の如く朝鮮人丸出しの葬儀をしました。次の日、私が学校に行ったときの教室の空気たるや、あれは忘れる事も出来ません。通名(日本名)で生活をしていた私はその時以来、朝鮮人という事がばれてしまいました。まさにこれが「チョンバレ」です。約一年後、我が家はその街を離れました。

この体験談では一世である祖父・父は通名を使っていても、朝鮮人であることを全く隠していない。ところが二世である彼はバレることを極端なほどに恐れていた。これは彼個人だけの体験ではなく、1950〜70年代に成長期を過ごした二世以降の特徴であると考えられる。このことについては、ある在日華僑の方から次のような発言を聞いたことがあった。

 

ぼくは朝鮮人きらいやねん。むかし近所の子らと公園で野球してたら、ある子が近寄ってきて『ぼく日本人みたいやけど、ほんまは朝鮮人やねん』と耳打ちしよったんや。そんなことするんやったら、最初から僕は朝鮮人やとみんなに言うたらええねん。

 

民族性を隠して日本人のように見せるために通名を使い、分かってくれそうな人だけを選んで打ち明ける秘密とする在日の性向は、ある時代と世代に特有なものである。そしてこれは周囲より好感を持たれるものではなかったのである。

 

4、本名問題は在日自身の課題

在日が通名を使うのは日本の責任であるという考えは間違いであることを確信している。本名問題は日本からの差別があろうがなかろうが関係なく、在日自身の課題であるべきものである。本名を呼び名乗る運動は、同胞社会に向かって本名を名乗りましょうと呼びかけて意識改革をめざすべきものであって、日本社会に向かって責任を問うべきものではない。

ある学校では入学する在日子弟に本名を名乗らせる取り組みを熱心にしている。しかしこれは学校という公権力が在日内の問題に介入するものであって、基本的に誤りである。この場合は、本名か通名かについては本人の希望の名前を使います、しかし通名を使う人の場合には本人特定などの必要時に本名も併せて使いますよ、で十分である。

 

5、姓不変の民族伝統は疑問

Kさんという在日の女性がいた。高校時代に朝鮮問題に熱心な先生がいて、その影響で本名を名乗っていた。Cさんという在日男性と知り合い、結婚。子供が出来たが、事情があって離婚。次に日本人のNさんと再婚した。彼女は本名を使わねばならないと固く思っていたので、子供は前夫の名前であるCを名乗らせていた。すると今度の家庭では、父はN、母はK、子はCと三人が違う名前を名乗ることになった。本名を名乗るという考えをそのまま実践したのである。子供は大きくなるにつれ名前で悩み、みんな同じに名前にして欲しいと言い出した。結局、母子が帰化して全員がNという名前になったという話であった。

韓国では母子家庭の生活の困難さが社会問題になっている。子供は前父の戸籍から離脱できず、いつまでもその名前を続けねばならない。子連れの女性は前夫と関係の切れない子供を抱えるために、再婚しようとしても上述のように父母子で三様の違う名前とならざるを得ない。名前を変えることの出来ない韓国では、子連れ女性の再婚が難しいとされる所以である。

姓不変という朝鮮の伝統が民族の美風であるという言説があるが、それは疑問である。

 

6、在日の葬儀での名前

在日の多くは日常生活において本名ではなく通名を使う。だから亡くなった時の葬儀でもその名前となるのが普通である。しかし普段は通名だが、民族団体等で本名を使う人がいる。この場合の葬儀は日本名の次に括弧付きで本名を入れることになる。あるいはまた近年では常日頃から本名を使っている在日が出てきているので、この場合は本名での葬儀となる。

 つまり在日の葬儀は特に遺言がない限り、通名にするか本名にするかについては、故人と参列者の関係を考えれば生前に名乗っている名前をそのまま使うというのが自然なことであろう。それはまた故人の意思を尊重することでもある。

ところが前述の在日氏からは引き続いて次の投稿があった。

 

私のハルモニ(祖母)が7年前亡くなりました。私は関東に住んでいますが、実家は大阪です。その知らせを聞いて大阪に帰ってみたところ、葬儀は通名で準備されていました。帰化をしている、また通名を名乗っている兄弟達にとっては仕方の無いことでしょう。その時、アボジ(父)は病院の集中治療室にしましたので、喪主は私の兄が務めました。私はハルモニの葬儀が日本名で行われようとしている中で、家族を呼び集め、本名でしようと提案しました。真に厳しい要求であったことは言うまでもありません。しかし、そこはやはり「譲ってはならない一線」であると強く求め、兄はそれに応えてくれました。

 

 彼は祖母の葬儀において、故人の遺言もないのに、通名ではなく普段使うことのない本名にせよと喪主に要求し、しかもそれが「譲ってはならない一線」であると主張したというから驚きである。

他人の葬儀をとやかく言う必要はないが、本名を呼び名乗る運動が在日家庭にこのような葛藤を惹起させたという話は参考になるものであった。

 

(関連論考)

第21題 「本名を呼び名乗る運動」考 第31題 「本名の朝鮮語読み」考

第84題 「通名と本名」考 第12題「創氏改名とは何か」

 

(追記)

 韓国では 家族法が改正されました。戸籍(家族籍)を個人籍にして、さらに姓不変のというこれまでの伝統を改めるもので画期的です。しかし余りに急な変化ですので、果たして現実はどうなるのか。施行は2008年と先の話ですが、じっくりと見守りたいと思います。

 

http://asj.ioc.u-tokyo.ac.jp/html/031.html

韓国憲法裁判所は、200523日、戸主制に対して憲法不合致の判決を下した。そして、戸主制廃止を骨子とする民法改正案が32日の国会本会議で確定され、ついに戸主制は廃止された。これにより、200811日からは戸籍の代わりに一人一籍の新しい身分登録制が採用されることになる。また、主要な改正としては、夫婦が合意すれば子供に母親の名字を付けることが可能になったこと、再婚家庭の子女が名字を変えることが出来るようになったこと、同姓同本禁婚制度が廃止され近親婚禁止制度に変わったこと、女性に対する再婚禁止期間規定が削除されたことなどがある。このような改正で、韓国社会において法律上の男女不平等は完全になくなった。

(2006年1月7日記)

 

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