84 「通名と本名」考

民族性を隠さない在日一世

 私自身が在日一世と直接話す機会は、二十人以上はいただろう。その多くは1930年代に来日したオモニやハンメ(おばあさん)で、運動とは何の関係もない人々だった。彼女らは実にあっけらかんと通名(日本名)を名乗り、使っていた。本名(朝鮮名)については「普段使わないから」あるいは「本名使うとややこしいから通名使ってくれ」と言う人もいた。本名を名乗る人がいても、「日本名は何や?」とか「朴さんか、だったら新井さんとちゃうか、朴の日本名は新井というのが多いからなあ」、「申の本貫(ポンガン 氏族の祖先の本籍地)は平山(ピョンサン)というところが多い、平山さんやろう」などと言って、通名を聞くのが当然のようであった。私の出会った一世はすべて、通名を呼び名乗ることに何の違和感も持たない人々であった。彼女らはその年齢からして創氏改名の体験者であるはずなのに、奪われたとか強制されたというような被害者意識は全くない、としか言いようがなかった。そして自分が朝鮮人であることを全く隠そうとはしなかったのである。

 

一世は方便で通名を名乗る

 朝鮮で生まれ育ち、日本に来ても朝鮮訛りの日本語を堂々としゃべる生粋の在日一世は、極端な表現かもしれないが、煮ても焼いても朝鮮人という民族性を消し去ることはできない。彼女たちは初めのうちは日本語でも、興奮してきたら日本語の単語混じりの朝鮮語でしゃべりあっていた。彼女らがよく口にした「日本に住んでいるんやから日本名でええやないの」という言葉は、日本名であろうが何であろうが我が民族性に変わりはないとする自信から出てくるものだ。日本名は彼女らにとってなんら民族性に影響を与えるものではない。日本が戦争に敗れ朝鮮が独立した後も、日本に在住する朝鮮人たちが日本名という通名を持ち続けたというのは、それが方便でしかなかったということではないか。

 

二世は日本人を装うために通名を名乗る

日本で生まれ育った二世は、幼いときは「ブーフーウー」を喜んで見たし、小学校になれば「月光仮面」や「鉄腕アトム」などの番組にかじりつき、大きくなればプロ野球の熱狂的ファンとなるなど、日本文化を享受してきた。家庭や近所では通名を呼び合い、日本語でコミュニケーションしていた。家庭内ではキムチやチャンジャなどの朝鮮料理や祭祀(チェサ)といった朝鮮を感じさせるものがあっても、二世の子供たちの民族性は大きく日本へ傾かざるをえなかった。

 しかし日本人の多くは、単に朝鮮人に対する差別感だけでなく、戦後の闇市や犯罪率の高さ、韓国の李承晩ラインでの日本漁船拿捕事件が相次ぐなどで、朝鮮に対する悪いイメージを長く持ち続けてきた。そのイメージを露骨に朝鮮人に投げつける日本人が多かったのである。

 日本文化を大いに享受し、「日本人」として見せることが可能な二世は、そういう日本社会のなかで、朝鮮人であることを恥であるかのごとく隠すようになった。このような二世たちにとって通名は方便というものではなく、自分を日本人のようにふるまい、日本人のように扱われるための仮面であった。

 

二世の被差別体験

 しかし子供の世界ではそんなことは容赦しない。仮面であることはすぐさま見破られ、「○○は朝鮮だ」「朝鮮ニンニクくさい」というからかいが日常茶飯事となり、そしてそういった言葉が朝鮮人の子供たちの心を傷つけた。

 

自分が朝鮮人であることがバレるのを恐れて、日本人の友達と一緒になって他の朝鮮人の子を「やーい朝鮮」「何を!この朝鮮」とからかい、喧嘩したという人。

オモニが朝鮮料理材料店に入っていくのを一緒に入らず、友達に見つからないかと周りを見ながらオモニを待ったという人。

魚屋に行ったとき、鮮魚の「鮮」という字にギョッとして目をそむけたという人。

電車で横に座った二人が「あいつ朝鮮やったんやなあ」「ほんまに朝鮮というのはかなわんなあ」などとしゃべり合っているのを聞いて茫然となったという人。

なんで朝鮮人に生んだや、と泣いて親に詰め寄ったことがあるという人。

‥‥

 

在日朝鮮人の被差別体験の実話を体験者から直接聞いたり、あるいは本なんかで読んだりしたことが多くあった。その実話の多数はこのような子供のときで、時代的には1950〜1980年のことであった。

 

二世は民族性を秘密とした

 通名は一世にとっては方便であっても、二世にとっては朝鮮人であることを隠し、日本人を装う真剣な仮面であった。そして朝鮮人であることは、分かってくれそうな人を選んでこっそりと打ち明ける秘密となっていった。親しくなった友人に意を決して、実は私は朝鮮人なんですと打ち明けてみたら、私もそうですと言い、お互い外国人登録証を見せ合って笑った、というエピソードを聞いたことがあった。

 中華料理屋の主人と親しくなったことがあった。その人は華僑の二世で許(きょ)さんという名前であった。許さん曰く、

 

ぼくは朝鮮人きらいやねん。むかし近所の子らと公園で野球してたら、ある子が近寄ってきて『ぼく日本人みたいやけど、ほんまは朝鮮人やねん』と耳打ちしよったんや。そんなことするんやったら、最初から僕は朝鮮人やとみんなに言うたらええねん。

 

となかなか厳しかった。

 私の経験からしても通名を名乗る二世は、自ら言うかあるいは誰かに聞くかしないと、朝鮮人であるとは全く気付かないものだ。一世は通名を名乗っていても言葉使いや雰囲気から朝鮮人であることがすぐ分かるし、また自らも隠そうとしなかったが、二世は通名という仮面をかぶると、日本社会のなかで「日本人」のごとく見せることが可能なのである。

 しかしさっきの許さんの話のように、在日二世が自己の民族性を秘密にしようとする性向は、周辺の人には好感を持たれるものではなかったのである。

 

世代は交替し民族性の中身は変化する

 朝鮮人であることを自己嫌悪・自己否定し、隠そうとしてきた二世の一部から、朝鮮人として堂々と生きていこう、通名を捨てて本名を名乗ろうとする考えが出てきた。しかし多くの一世の親たちは子供の本名宣言に「何もわざわざ本名を名乗らなくても」と反対した。通名と自らの民族性とはなんら関係がないとする一世は、日本文化を享受し「日本人」としての内実を持つ子供が本名を名乗ることによって自らの民族性を回復しようとすることに、理解ができなかったのである。

 いま一部の二世は通名を捨てて本名を名乗るが、大多数の二世は通名を使い続けている。本名を使う人が差別に負けない立派な生き方で、通名は差別に負けているというような考えは無意味だと思う。なぜなら今という時期は、「朝鮮人」性を消し去ることのできない一世から「日本人」性をますます獲得していく二世への世代交替の時期であり、その変化は自然で避けられない変化である。その世代交替のなかで、ある者は本名宣言を行ない、ある者は通名を持続している。それは時代の流れのなかのそれぞれの人生の選択というべきものであって、一方が善で他方が悪というものではない。

 これから三世・四世と世代が移っていくが、おそらく確実に言えることは、この世代になると「朝鮮人」性をさらに完璧に喪失していくことである。朝鮮語を解することができないだけでなく、祭祀(チェサ)のやり方が分からない、キムチを漬けることができない、朝鮮料理は普段の食事に出てくることがない、本国に住む親族・宗族と行き来がなくなる、自分の本貫を知らない、北であれ南であれ本国の朝鮮人と出会っても摩擦を感じる、男系の血脈を重視する伝統的家族観になじめない、等々の事態がどんどん現れてくるだろう。

 世代交替に伴ってこういう状況に進むことが避けられないなかで、民族性を維持していくということはどういうことなのかが重要な問題となるのではないか。

 

(追記)

拙著『「民族差別と闘う」には疑問がある』(199312月刊)の一節の再録。一部改変。執筆したのは今から10数年も前のことです。在日社会はもう三世・四世の世代に移行しています。

 

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