57 北朝鮮と小中華思想

近頃の北朝鮮を論じる本や雑誌の論考を読むと、内情暴露あるいは崩壊待望といった調子のものが多く、なぜそうなのかを分析するものがなかなか見当たらないように思える。そのような状況のなかで歴史を研究する者として自分なりにこの国を論じようとしたのが下記の論考である。

 

第8題 「現代に残る古代国家」  第45題 天皇制と首領制の比較 

 

ここでは北朝鮮は古代国家であるというかねてからの持論を展開した。それはそれなりに当を得ているのではないかと考えているが、当然のことながらその一面を論じたものでしかない。この国についてもっと的確に説明し、分析するものはないかと探してみたところ、古田博司さん(筑波大・東洋政治思想史)の次のような発言を見つけ、目から鱗が落ちた気がした。

 

1992年の4月22日付「労働新聞」から始まる平壌宣言(引用者註1)は、金日成の生誕八十周年に際して世界七十の社会主義政党が社会主義を堅持することを宣言したもの。署名したのはラテンアメリカやアフリカの社会主義政党ばかりで、中国共産党やキューバ共産党などは署名していない。実際は虚構。ところがこれがどんどん増え、93年の末には二百に達し、99年の末までには約二百五十。その数の多さを論拠に平壌宣言を第二の共産党宣言と呼び、ソ連崩壊後の社会主義時代の中心国になったと主張しはじめ、金日成死後の1995年3月からは、朝鮮が「強盛大国」になったと表現。98年には人工衛星・光明星一号を打ち上げる。北朝鮮が技術大国になったという宣伝を行なった。これには社会主義の優越性の象徴、経済発展の虚構という意味があります。

次に2000年の「歴史的」な南北首脳会談が起こる。これは国内では朝貢にやってきたという認識なんです。金大中が朝貢にやってきた。ロシアのプーチン大統領が来て、アメリカのオルブライト国務長官の訪朝も行なわれた。これらはすべて金正日を欽慕して、大国になった北朝鮮の首都平壌に、金融危機で経済が崩壊した韓国の指導者、社会主義再建に向かうロシアの大統領、凋落しつつある大国の米国の高官が訪問するという構図になっている。‥

昔、明国が滅びたときに、野蛮人の清に服属することを嫌った朝鮮が明国の後継、小中華と自ら称したのと同じ。ソ連が解体し、北朝鮮が変わって小中華になった。

鼎談「伝統思想を問い直す 古田博司+小倉紀蔵+川村湊」

(『思想読本6 韓国』作品社20025月)15

 

今の北朝鮮の精神状況は、ソ連が社会主義を放棄したために我が国がその正統性を後継したというものである。そしてこれは中世において、夷狄である清国は中華ではなく、我が国こそが中華を継承しているというかつての<小中華思想>と同じなのである(註2)。もう少し分かりやすく言うと、この思想は政治的・実質的には清国に従属しながら、心の中では我こそはあんな野蛮とは違う文明人だ、我が国が文明の中心だと勝手に思い込むものである。これは日本人には素直でないという印象を持つもので、ちょっと分かりにくい。しかし朝鮮民族を理解するのに重要なポイントとなる思想なのである。

北朝鮮はこの思想を社会主義で再現した、と古田さんは喝破した。これを知ると、この国が超大国アメリカとの二者間の協議に固執する理由が見えてくる。かつてソ連が米帝と渡り合ったように、ソ連亡き後に社会主義の中心地となった我が国が渡り合わねばならない、と考えているのである。

工業や農業は崩壊状態、食糧難で餓死者多数、社会基盤整備は放棄、投資適格性で常に最悪の評価といった極貧国家が、なぜ分不相応に核を保有して世界を脅かすのか。また一方ではこの国が中国やロシアを資本主義に堕したと非難しながら、なぜ何かと頼ろうとするのか。<小中華思想>にそれを解く鍵がある。

北朝鮮の実状を報告・指摘するいわゆる「北朝鮮本」は新たな事実を知ってありがたいのだが、その異常性を慨嘆・揶揄するだけではなく、なぜそうなったかという過去の経緯を踏まえた分析が必要と考える。<小中華思想>という過去の朝鮮民族の精神状況を振り返れば、現在の北朝鮮のかなりの部分が読み解けるのではないだろうか。

 

 

(註1)この平壌宣言については、朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」に簡単な解説がある。

http://210.145.168.243/sinboj/sinboj1997/sinboj1997/sinboj97%2D5/sinboj970513/sinboj9705138siten.htm

http://210.145.168.243/sinboj/sinboj1999/sinboj99%2D4/sinboj990423/sinboj9904238key.htm

 

 

(註2)小中華思想については、歴史家の姜在彦さんが次のように簡潔にまとめている。

「朝鮮の儒者たちが、朝鮮を中国と同質性をもった<小中華>と自称し、他を夷狄視した思想。‥李朝前期には朝鮮にとって明は<大中華>であり、<以小事大(小を以って大に事える)>の事大=宗属関係があったが、女真族=清が明を滅ぼし、1627年、1636年に朝鮮に侵入すると(丙子の乱)、政治的には清との事大=宗属関係を維持しながら、精神的には中国は夷狄化したとし、朝鮮を唯一の小中華として自負した。‥」

『朝鮮を知る事典』平凡社1986199

 

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