第8題現代に残る古代国家

アジア的古代国家

 古代にあっては、国家は即ち国王(日本の場合は「天皇」)であり、国内のすべての富・財産、すべての人民の肉体に至るまで、ありとあらゆるものが国家=国王一人の所有物であった。国王から命令されたら、どんなに貴重な財宝であっても、またどんなに大切な娘であっても差し出さねばならないし、それが当然のことであった。そして国王に差し出して満足して頂くことが各臣下・人民の無上の喜びであった。なぜなら、このことによって各臣下・人民は国王との距離を縮めることができ、それだけ自分の一族の出世を約束されるからである。最高の栄誉は娘に国王の嫡子を生ませ、次の国王にさせることである。娘は王母となり、自分は王の後見人として大いに権勢をふるうことができる。自分たち一族を妨げるものはいなくなる。

しかしこのようなチャンスは多くの臣下・人民にもあるからこそ、他人の足を引っ張る者も多くなる。古代は国王という一人の人物に近づく地位を獲得するために、讒言・密告などの謀略が渦巻くなかを血縁一族が団結して勝ち抜く必死の努力をせねばならない時代であった。もし敗北することになったら、「謀反」「反逆」とされて、一族郎党・類九族に至るまで誅滅されることも珍しくなかった。

 唯一最高の地位にある国王はただひたすら自分の威厳を保持することに最大の関心があった。威厳とは国王一人と他のすべての人との間に、越えることの出来ない大きな隔絶を設けることに他ならない。豪華な宮殿、巨大な墳墓といったモニュメント、国家安泰と国王の長寿無彊を祈祷する大規模な寺社、国王の一声のもと数万人が動く厳粛な儀式、国王の行幸の際の一糸乱れぬ隊列とそれを参賀する大群衆、対外戦争を仕掛けて領土を拡大し、珍宝や美女を集めるなど、他の何者もが成し得ないことを可能にするのが国王である。国王の仕事は、威厳を保つためのものがすべてと言ってよい。

 

古代の国王と国家と国民

 国王は最高支配者であるから,自分を支配する者はいない。ということは、守るべき法はなく、また倫理・道徳に縛られることもない。贅沢三昧、酒池肉林、暴虐、放縦、我儘勝手‥‥何をしても許されるのが古代国家の国王である。

 実際にはその通りを実行した国王もおれば、そんなことに興味がなく文化芸術に熱中する国王や儒教や仏教の教えの通りに仁政を施す国王もいた。それは国王自身の資質・思想・趣味であって、個性というべきものだ。先代の国王と次代の国王との個性の違いは、そのまま国家の違いとなって現われる。

 そして国王が発する言葉が直ちにそのまま国家を律する法<日本の場合は「詔」(みことのり)という>となり、官僚やすべての国民を拘束する。

 国王と国家とがイコールな社会、それが古代国家である。

 国民にとって国王=国家は「お上」の一言で表現できる。お上は国民に対して負うべき義務というものはない。しかし国民は、お上に対してすべてを捧げる義務がある。お上の手を煩わせることなく租税を納め、労務提供を行ない、兵役を果たす。その時に怪我をしようが死のうが、お上は補償することはない。なぜならすべての国民は、お上の一人の所有する奴隷であり、人間の形をした牛馬であるからだ。国民はお上のために指示されるままに働き、どんな過酷な仕打ちを受けても黙って従う。怠業・逃散はあっても、抵抗ましてや闘争はあり得ない。それが古代国家の国民である。

 

現代に残る古代国家

 現在世界では百数十カ国の国家があるが、いわゆる発展途上国のなかには、とてもじゃないが近代的と言えない国家が少なくない。近代国家でないならどんな国家かと問われれば、それは古代国家である。

アジアでは日本のお隣の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)がその典型である。

この国は経済が長年にわたって崩壊状態にあるにもかかわらず、首都平壌には金日成像や主体思想塔などの巨大なモニュメントが林立し、金日成誕生日などの記念日には壮大な行事が毎年開催されている。これらは経済的生産に何の役にも立つものではない。また7080年代に在日朝鮮商工人らの援助によって、最新鋭の愛国工場が多く建設されたが、ほとんどすべてが失敗した。北朝鮮には近代設備を運営する能力と意思に欠けている。経済をいかに活発化させるか、生産をどのようにのばすか、という発想がなく、ついには国民に多くの餓死者を出しながらそれには全く手を打たず、金日成・金正日親子の威厳を保つためのモニュメントや行事・儀式のみに関心があるという国家は、まさに古代国家である。

また金正日総書記の口から発せられた言葉は「マルスム(御言葉)」と言われ、すべての北朝鮮国民を束縛する至上の法となる。マルスムに反する言動や行動は、どんな些細なことでも「反党」「反革命」として処断される。マルスムは古代の「詔」と変わらない。

 国家は党であり、党は首領であるという北朝鮮の「首領制」は特異なものに見えるようだが、国家と国王とがイコールであるという古代国家の理念を現在の北朝鮮風に焼き直して謳い上げたものと見れば、不思議な存在ではない。

 北朝鮮系の朝鮮総連は、かつて自分の祖国を「首領は頭、人民は手足」と解説していた。手足の一本や二本なくなっても頭さえあれば人間は存続できる。しかし、頭がなくなれば手足がどんな状態であっても人間は存在し得ない。この関係を国家と国民の関係にまで引き上げたのが北朝鮮である。国家と首領とがイコールなのである。金正日という首領は、古代の国王と変わるところがない。    

つまり北朝鮮は、古代に先祖返りしたとしか言いようがない。

 北朝鮮を古代国家であると見ると、現在の金正日体制は極めて安定している。国家の基盤は経済であり、その上に政治という上部構造が乗るというのは、近代国家の考え方である。古代国家では経済は政治に従属するのであり、経済が崩壊して餓死者が累々と横たわっていても、政治体制さえ磐石であれば、安定した国家なのである。2200万人の人口が2000万、さらには1500万に減少しようとも、金正日総書記のもとに国家が揺らぐことなく維持されている。それが北朝鮮である。

従って金正日総書記が健在である限り、朝鮮民主主義人民共和国という国家もまた健在であり、巷間言われるような崩壊はあり得ない。

 古代国家である北朝鮮は、何百年か前であったら目立たなかったであろうが、今は周辺の国々が近代化に努力しているなかで、この国のみが古代の道を歩んでいるのであるから、かなり目立つことになる。時には面白おかしく揶揄され、滑稽視される国である。

 古代国家とはどういう国家なのかと問われれば、お隣の北朝鮮に具体的で典型的な見本がある、と答えることができる。古代エジプトや日本の古墳・奈良時代はどんな社会であったかを考えるとき、今の北朝鮮をイメージすれば、姿形は全く違っているが中味が同じなので理解しやすい。

 過去の古代国家は人民の生命を軽視したが、今に至るも十分に鑑賞できる多くの美術品を遺産として残してくれた。しかし現在の古代国家である北朝鮮は人民の生命の軽視はもちろんであるが、美術的価値のあるものは乏しく、後世に残るような文化遺産は皆無であろう。この違いが生じた理由は何か、興味深い研究テーマである。

 

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