小人閑居して不善をなす

「窓」の向こうで、
いつも
魔女が笑ってる

いきなり注記
この文章は、ちょっとほかとテイストが違う。
はっきり言って「ぬるい」(笑)。
ま、同じ生物が書いているのは事実なので、たまにはこういうのもいいかと。
いつもと逆だが、俺のHPで「ぬるい」文章を期待していない人(笑)は読まないように。


ついにWindowsマシンを手に入れてしまった。
今更、珍しいことではないけれども。
ただ、数年前よりMacintoshユーザーとなって以来、
周辺機器やらソフトやらで着実に借金の額が上昇している一人前(?)のMacユーザーであり、
それなりに長いパソコン生活の中で、
シェアNo.1のパソコンやOSを使わないことを誇りとしてきた
天の邪鬼な私にとって、これはそれなりに大事件だったりする。
そういう個人的な問題はさておき、特に熱心なMacユーザーの間では決して高く評価されることのない
Windows98というOS。これは果たしていかがなものか。
と、使い始めは興味津々だったのだが、まず問題なく使える。
そりゃあそうだ。そうでなければ、シェアNo.1になぞなるはずもない。
これで性能・機能ともにNo.1でもあったらいいのに。
はっきり言ってよく似ているという印象は間違いない。
しかし、サル真似とか、そういうことを言及しても栓ないので、
Macユーザー的視点から面白いと思ったところを言ってみることにする。
すなわち、Windowsには魔女が住んでいる。
魔女。この言葉に邪な意味はないのだが、Windowsには間違いなく魔女が住んでいる。
「ウイザード」と呼ばれるものがそれだ。
正確には「魔法使い」って訳すところだろうが、
とりあえずFF8やった俺様としては「魔女」と呼びたい気分だったりする。

FF8関係の話題(あんましいい話じゃないけどな)はこっち
向こうへ飛んでもここに戻れるのでご安心

正確にカウントする気にもならないが、Windowsには一体何人の魔女が住み着いているのだろうか。
確かに、これら魔女のおかげで、さまざまな設定がスムーズに行える。
これは魔女たちの功績であり、確かに素晴らしい。
実際、買ったその日にとりあえず使えるようになってしまったことには驚いた。
ま、躾には多少時間がかかったけれども。
かつて、仕事で使用していたMS-DOSマシンは、まともに使えるようになるまでMS-DOSの勉強を含めて1ヶ月を費やしたため、今回もそれを覚悟していたのだ。
だからWindowsの魔女は概ね良い魔女ばかりだ。
もしも、Windowsの魔女たちがかなりの腕の持ち主だったら、私はWindowsに移行したはずだ。
だが実際は、この魔女が実はそれほどの腕前ではないものだから困ってしまう。
現実にはあらゆる面において私の意にそわないことが多い。
これでは出来が悪いくせに口数だけは多いお手伝いさんと同じ。即刻解雇を命じたいくらいだ。
例えば、ウインドウ内のフォルダーや書類を整理整頓しようとした場合、
Windowsでは各書類を隙間なくきちんと整列させてくれる。
対してMac OSは基本的に位置を揃えるだけで隙間は空きっぱなし。
魔女はかいがいしく手を貸してくれるが、整頓だけでかゆいところにまでは手が届かず、
Mac OSはほとんど何もしてくれない。
つまり、誰が見ても奇麗に整頓されるのはWindowsだが、
Mac OSの場合は、ユーザーが自分で整理整頓をしなければならないがために、
結果的にきちんと整理ができると思う。
そのせいもあって、Macintoshのデスクトップやシステムフォルダからはユーザーの人柄がうかがえる。
Mac OSに人肌の温もりを感じてしまう部分だ。
反面、Windowsでは魔女たちの手をすり抜けてほとんどすべてのファイルにアクセスできるのに対し、
Mac OSは基本的には寛容だが、手を触れてはいけない部分には、触るどころか見ることもできない。
強いて言うなら、Mac OSには神様が住んでいるといったところ。
そのため、基本的には自分なりに使えるが、タブーを犯したときには例外なく神罰が下る。
ああ、何度厳しい罰を受けたことか。
今も絶好調で罰を受けているぜ! イエーイ(焼糞)

その手の愉快な話題はこっち
向こうへ飛んでもここに戻れるのでご安心

一見似ている両者だからこそ、こうした明確な違いがあることが気になる。
考えてみるに、どうもWindowsの中のもうひとつの存在、
MS-DOSの亡霊のせいではないかと思われる。
ファイルの階層構造の見せ方などまったくMS-DOSだ。
これはこれでわかりやすく、相応の知識を有している人にとってMS-DOSはシンプルにして極めて使いやすいOSだったことは間違いない
(Windowsを否定するつもりは毛頭ないことを付け加えておく)。
それ故、すでに統合化されたとはいえ、
基本的にMS-DOSにGUIという名の皮をかぶせるという発想に立つ
(繰り返すが、Windowsを否定するつもりは露ほどもない
Windowsでは、デスクトップなど、外見のカスタマイズにはかなり自由度がある。
とくにアクティブデスクトップ機能は秀逸なアイデアだ。
こうした違いは、それぞれのOSの生い立ちにその理由があるとわかる。
余談だが、私はデスクトップまわりのカスタマイズがかなり好きなので、
Windowsマシンでは相当やり込んでいる。
ただし、Macでは逆鱗に触れることが多いため、お許しの得られる範囲にとどめている。
閑話休題。
元々完成したOSであるMS-DOSに、GUIを追加した理由は使いやすさの向上が第一にあるのは間違いない。
現在のパソコンの流行はそれによるところが大きい。
そして、第2の要素がフールプルーフと呼ばれる安全対策。
言葉の意味を調べればわかるとおり、私は必要性こそ認めるもののフールプルーフという言葉が嫌いだ。
つまり、Windowsでは、ユーザーが間違いを起こさないように魔女が厳しく管理しているというわけだ。
よちよち歩きの初心者ならば、これは心強い。
が、いつまでたってもその保護者から開放されないというのはちょっとうっとおしい。
その姿が見え隠れするから、よけいに腹立たしい
私見だが、Windowsだって、Mac OSのように魔女ではなく神様を住まわせたかったに違いない。
(魔女的存在はアシスタントであれば良いのだ)
が、元々MS-DOSができた全ファイルへのアクセスを、Windowsでできなくしてしまうわけにもいかなかったのだろう。
ほとんどすべてのファイルにアクセス可能な自由度の高さと、それを制限する安全対策。
相反する2点が同居したOS、それがWindowsではないかと思う。
内部に孕む矛盾とそれがため永遠に未完成なOS。うーむ、Windowsもなかなか人間臭いじゃないか。
使い始めて2週間。
そろそろ1ヶ月。
何度か魔女の手をすり抜けるような真似をしたため、手ごわい呪いをかけられたこともあったが、
今ではそこそこ私らしいマシンとなった我がWindows機。
それでもなお、私には窓の向こうで微笑む魔女の姿が見える。
戦いはまだまだ続きそうな気配である。


我が愛機のデスクトップ。写真ではわからないが壁紙は時間によって変化する仕掛 け。
よくしゃべるうるさい奴で、オペレーターは伊吹マヤだ(笑)。

さて、「続・新春放談」の残りでも読みにいってやるかな。

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