ゲームについて考えることは喜びである

連載『ザ・ゲームパワー』
第一章=社会の中のゲーム<第8回>


 かつてはそれぞれ住み分けができていたファミコンゲームとパソコンゲー
ム。だが、最近この両者が、なんだか似通ってきた。
 「家庭用ゲーム機のシェアがパソコンに食われるのではないか」という話
まで、一部で出てくるほどである。
 無論、家庭用ゲーム機が、パソコンに食われるはずなどない。むしろその
逆である。パソコンゲームが、ファミコンゲームに食われているのだ。
 かつては、「大作ならパソコン」だった。『ドラクエI』はカタカナの一
部が使えないほど容量がなかった。『ドラクエIII』も2メガビット一杯に
ゲームを詰め込んだら、オープニングが入らなくなった。
 それでもRPGならファミコンでなんとかなったものだが、シミュレーシ
ョンゲームになると、さすがにパソコンとの差は歴然としていた。ファミコ
ンはコンピュータの思考時間が遅いのだ。またアドベンチャーゲームもやは
りパソコンのほうが強かった。グラフィックが全然違っていたのだ。
 ファミコンの末期に出た『メタルスレイダー・グローリー』(HAL研究
所)は、パソコン並のグラフィックで話題になったが、このグラフィックは
ファミコンとしては異例の8メガビットという大容量と、4年2か月の開発
期間を使って、ようやく実現したものだった。
 それが現在のゲーム機では、いとも簡単に実現できてしまう。32ビット
(Nintendo64は64ビット)のCPU。容量制限が気にならなくなったCD
−ROMの出現(しかも1枚で足りなければ2枚、3枚と使える)。パソコ
ンのほうも進化したが、パソコンとファミコンの差は、昔ほど大きなもので
はなくなった。
 むしろ動画の処理能力では、ゲーム機のほうが上回っているとさえいえる
(もちろん高級なパソコンならゲーム機に勝てるだろうが、値段が高くてそ
うそう手が出ない)。元々アクションゲームに用いられる機能では、ゲーム
機のほうが優れていたが、現在ではRPGでもシミュレーションでも、パソ
コンに比べて不便を感じるほどの機能の差はなくなった。
 そうなるとやはりマーケットの広い、ゲーム機のほうに良いゲームが流れ
るのは、当然の成り行きといえよう。
 ゲームの質も変わってきた。とくにRPGで顕著だ。パソコンのRPGは
『ウィザードリィ』『ウルティマ』から始まったが、ゲーム機のそれは『ド
ラクエ』が祖となっている。
 『ドラクエ』以前に『ドルアーガの塔』や『ハイドライドスペシャル』が
あったが、それらの流れを汲む後発RPGはあまりない。『ゼルダの伝説』
や『リンクの冒険』の流れを汲むRPGは、一時期多かったが、現在では主
流ではない。ゲーム機のRPGの主流は、鈴木みそ先生言うところの「盲導
犬RPG」である。
 現在「盲導犬RPG」は、ゲーム機の主流どころか、パソコンRPGの主
流にもなりつつある。パソコンRPGがファミコンのそれに近づいたといえ
る。ここでもパソコンゲームは、その独自性を失っている。
 最近の「ログイン」を見るかぎりでは、海外のゲームが元気なようである。
『DOOM』『ZORK』『GRAND PRIX2』『MYST』『DUKE NUKEM 3D』etc. 今度パ
ソコン版が日本語化される『MAGIC: The Gathering』も、海外ゲームといっ
ていいかもしれない。
 日本のゲームでは、一連の光栄のシリーズ。それとアートディンク、シス
テムソフト。ときどき日本ファルコム。売れ行きランキングを見ると、国内
ものも海外ものも、ゲーム機のゲームに輪をかけた大作が中心のようだ。
 パソコンにしろゲーム機にしろ、ゲーム界全体が大作指向に走っている。
だがそのことにより、ゲーム1本作るのにも、コストがものすごくかかって
しまうようになった。それがゲームメーカーにとっては、「足かせ」になっ
ているのである。(続く)

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