ゲームについて考えることは喜びである
連載『ザ・ゲームパワー』
第一章=社会の中のゲーム<第4回>
「不定期刊マスコミ時評」がここのところ、ほぼ週刊ペースとなっていた
関係上、「ザ・ゲームパワー」を書くのは2か月ぶりとなってしまった。
長いこと商業誌から遠ざかっていると、17字×95行でも、たいへんな
分量に感じられるものである。
さて今回、久々にこの17字×95行に挑戦する気になったのは、Ninten
do64のおかげである。
「不定期刊マスコミ時評」のネタ探しのため、いろいろな雑誌の広告を見
た。だが、発売直後だというのに、Nintendo64関係の報道があまりに少ない。
「FRIDAY SPECIAL」'96夏号で、Nintendo64、プレイステーション、サタ
ーン各陣営の現状と、今後の戦略を解説していた。
「宝島」7.10号でもNintendo64を紹介。わずか1ページの記事だったため
か、Nintendo64を持ち上げるだけ持ち上げて終わっていた。まあ、ここの出
版社は「64」なんて題の雑誌を出しているから、Nintendo64がコケたら困る
のだろう。さらば必本。君のことは忘れない。
これら以外に、Nintendo64の報道を見ていない。24日の「ズームイン!
朝」で、ゲーム関連のニュースが立て続けに2本続いたが、片方はスクウェ
アの株主総会(新作ゲームが遊べる株主総会。各マスコミで報道された)、
もう片方は、サターンが今後18禁ソフトを認めないというものであった。
PS陣営とサターンの話題があって、任天堂の話題がない。これがまさに
ゲーム界の現状を象徴している。もっとも、スーパーファミコンも、「ゼル
ダの伝説」が出るまでは苦戦していたのだ。Nintendo64も、「マリオ」に続
くヒットソフトが出る頃が、本当の勝負どころではないだろうか。
さて、Nintendo64が「めったやたらにソフトを出さない」方針をうちだし
ていることはよく知られている。「徹底してクソゲーを排除する」ことに主
眼が置かれているのだ。
したがって、Nintendo64は、クソゲーが出たら終わりのハードである。ソ
フトの選択の幅は狭いわ、ハズレはあるわでは、何のメリットもない。
では、そもそも「クソゲー」とは、どういうゲームのことを指すのか?
鈴木みそ先生はファミ通で「ある程度売れていなければ、クソゲーとはな
りえない」とおっしゃっている。「クソだった」という印象が、多くの人々
の共通認識として語られないからだ。
だが私の考えは逆である。売れるゲームには、売れるだけの要素がある
(ファミコン初期の頃はそうとも限らなかったが)。こういうゲームは少な
くとも、100%つまらないということはない。
むしろ、誰にも見向きもされない、救いようのないくらい、つまらないゲ
ームのほうが問題である。少なくとも、問屋や小売店はそう考えるだろう。
多くの問屋が、売れない不良在庫を大量に抱えて、にっちもさっちもいかな
い状態になっていると聞く。
「クソゲー、真似ゲーが多いからこそ、良質なゲームの良さがひきたつ」
某名作ゲームを世に送り出したメーカーのかたの言葉である。それはたし
かに一理ある。
だが、クソゲーが多いほど、それをつかんで泣きをみるユーザーも多くな
る。このような被害は最小限度に食い止めておかなくてはならない。つかん
だ人がかわいそうである。
予備知識のある人なら、こういうゲームはつかまないし、つかむとしても
事前にある程度覚悟してつかむ。しかし、ゲーム雑誌を読まない、ゲーム初
心者なら、間違ってつかんでしまう危険性がある。
救いようのないクソゲーは、そういう「ゲームファン予備軍」を、ゲーム
から遠ざけてしまうのである。
さて、そうしたクソゲーを、Nintendo64は排除できるのだろうか? 現状
を見るかぎりでは、「クソゲー排除」を成し遂げるのは、ちょっと難しいよ
うな感じがする。(続く)
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