ゲームについて考えることは喜びである

連載『ザ・ゲームパワー』
第一章=社会の中のゲーム<第18回>


 引き続き、『GABALL SCREEN』について。
 イベントを見せるソフトなのだから、もう少しイベントが多くてもいいか
な、という感じはした。そうすれば、いったん「クリアするために」プレイ
した後でも、もう一度「世界を味わうために」プレイする楽しみが出てくる。
 もっとも、各ワールドの雰囲気がいいから、たとえイベントが用意されて
なくても、いろんなことが想像できる。つまり『GABALL SCREEN』は、繰り
返し楽しむタイプのソフトではなくて、プレイした後に、それぞれの雰囲気
を回想するタイプのソフトなのだ。
 そういう意味でも『マザー』に近い。
 「繰り返し楽しむソフトではない」という性格は、ゲームシステムにも表
れている。一つのワールドにある曲の断片をすべて集めて、別のワールドに
移動すると、もう元のワールドには戻れないのだ。ルート上、一度行ったワ
ールドにもう一度戻ってくることはある(パラソル・ビーチ、積み木の部屋
の2か所)が、そのときにはワールドの様子が変わっており、起こるイベン
トも変わっている。
(曲を探す順番は、自由に選択できる。選んでからのルートが一本道になる)
 あと、あるイベントを先に起こすと、別のイベントを起こせない場合があ
る。例えば音楽室では、窓を全部調べてしまうと、部屋の中の物が全部消え
てしまうので、曲の断片は手に入るが、もう部屋にあった物を調べることが
できなくなってしまう。
 この辺りが、事前に想像していたのと違ったので、私は面食らった。もっ
とも、メモリーカードを外してプレイし直せば済むだけの話なのだが。
 全体を通しての、統一したテーマは特にないようだ。曲・ワールドとも、
相互の関連性は薄い。「パラソル・ビーチ→大観覧車→クジラの海」という
ように、一つの曲が隠れているワールド同士の関連性はあるのだが、7曲・
20ワールド通しての関連性は薄い。
 ただ、1か所だけ例外がある。あるワールドに出てきた物が、別の曲が隠
れているワールドに、もう一度登場するのだ。ここ1か所だけだっただけに、
インパクトは大きかった。
 ワールドに相互の関連性が薄いということは、オムニバス的要素が強いと
いうことである。私は、全体に統一感を持たせなくて正解だったと思う。7
曲それぞれを、バラエティに富ませることができたからである。
 7曲(じつは+1有り?)の中で、私が一番好きな曲は、「SHUBI-DUBA
DUBI-DUBA」(1曲め)である。例によって歌詞がいい。もっとも、この曲
の歌詞に完全に共感するには、私もいささか年を取り過ぎた・・・。
 あと、篠原涼子さんの曲も、個人的には好きである。
 曲探しは4時間もあれば終わるので、ゲームとしてとらえれば、物足りな
さを感じる人が出てくるかもしれない。だが、ゲーム+ビデオクリップとし
て考えれば、¥3200は安いほうだろう。
 それにしても、『刻命館』『ナムコミュージアム』『GABALL SCREEN』と、
最近プレイステーションのソフトを、続けざまにプレイしている。
 PSが現在、サターンやNintendo64を抑えて、一人勝ちの状態にあるらし
い。なぜこうなったのか、私は不思議でしょうがない。話題性のあるゲーム
なら、むしろサターンのほうが多いわけだし、PS・サターン両方で出てい
るゲームなら、サターン版のほうが安く手に入る。「PS一人勝ち」現象は、
まさに「ゲーム界の七不思議」である。
 でも、そう思っていた自分が、最近PSばっかり稼動させている。
 PSはコマーシャルもまたいい。一時期の任天堂のCM(「ファイアーエ
ムブレム」「ゼルダの伝説」etc.)を思わせるマヌケさが、ゲームという分
野に合っている。Nintendo64発売以降、任天堂のCMがお堅くなってしまっ
たから、余計にそのマヌケさが目立つ。
 今度『FORMULA 1』も買ってしまった。これについてはまた次回。(続く)

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