ゲームについて考えることは喜びである
連載『ザ・ゲームパワー』
第一章=社会の中のゲーム<第15回>
「ゲームへの偏見」を持つ人々は、ゲームが「プレイヤーを虚構の世界へ
逃避させる」と考えている。何のことはない、かつて幻想文学(ファンタジ
ー)が批判されていたのとおんなじ視点である。
私はかつてマイコンBASICマガジンで、「プレイヤー(の分身)を育
てていくゲームも、もっといろいろでてきてほしい」と書いた後に、「現実
世界ではできないことも多いから」と続けようとした。だが「それじゃ現実
からの逃避じゃないか」と考えて、「サクセスストーリーの予行演習として」
に変えた。
いま私は基本的に、いわゆる“育てもの”ゲームを、「サクセスストーリ
ーの予行演習」ととらえてプレイしている。『太閤立志伝』(光栄)からは、
いろんなことを学んだ。ゲームをプレイするという行為が、すべて「現実逃
避」に直結するわけではないのである。
まあでもよく考えてみれば、「現実世界ではできないことも多いから」で
も、別に構わないのである。どんな人間も、F1ドライバーとJリーガーと
読売巨人軍のエースピッチャーとWBAジュニアウェルター級チャンピオン
を兼ねるのは無理な話だ。ある1つのことに打ち込んでいる人間が、ゲーム
の中で別のことをやっていたって、とがめられる理屈はない。
ゲームと現実を別物と考えれば、「虚構の世界へ逃避している」と言われ、
ゲームと現実を結びつけて考えれば、「ゲームと現実の区別がついていない」
と言われてしまう。ゲームに対する非難など、所詮その程度のものでしかな
い。なにがなんでも、ゲームを悪者にしなければ気がすまないのだ。
ゲームファンは、もしテレビゲームがマスコミ等の集中攻撃を受けたとき
には、それらに反論するための、自分なりの言葉を、各々用意しておくべき
である。
言葉が思いつかない場合は、香山先生の本2冊を、肌身離さず携行して、
いつなんどき起こるかわからない攻撃に備えておくのである。
ファン自らの手で、「ゲーム文化」を守るのだ。
ちなみに私は「ゲームがプレイヤーの精神に悪影響を与える」とかいう人
がいたら、こう答えることにしている。
「ドン・キホーテじゃあるまいし」
私がこのホームページに「不定期刊マスコミ時評」なるコーナーを作った
のも、マスコミがゲームのことをどう報道しているか監視して、それらに対
するゲームファンの意見を、世間に伝えようと考えたからである。
もっとも、「マスコミ時評」を始めて以降、幸いにも“てんかん報道”の
ような、あまり大きな「ゲーム非難」は見当たらない。
「ゲームが存在すること」の善悪を論じる記事は減り、「ゲームが存在す
ること」を前提として、その先を論じている記事が増えている。
「任天堂、SCE、セガのどこが勝利するか?」という類の記事は、その
典型といえよう。
あの岩波書店が、『テレビゲームと癒し』のような本を出すようになった
こと自体、ゲーム界への世間の目が変わってきた証拠といえる。
これも、ゲームが文化として、というより、産業として、無視できない存
在となったからだと思われる。
ゲームメーカーの大企業化は、ゲームデザイナーのサラリーマン化や、ヒ
ットが即利益に影響しないほどの経営体質の肥大化など、様々な弊害をもた
らしたと、私は思っている。しかし、ゲームを「産業」として世間に認めさ
せた点は、評価しなければなるまい。
今回の「ゲームパワー」は、『テレビゲームと癒し』の中にある、この一
文で締めたい。
「人は与えられたゲームを受け身的にただプレイするだけではなく、こうし
てそこから物語を想像したり何かを新しく考えたりすることもできるのだ」
ゲームについて考えることは喜びである。(続く)
『ゲーム気分で診てみれば』(アスペクト)
『テレビゲームと癒し』(岩波書店)
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