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ガラビガマの話

  一、沖縄のガマの話  沖縄に戦時中、野戦病院として使用されていた壕がある。現地ではガマと読む。黙祷のため懐中電灯の光輪を消すと、その前に行った戦跡地よりもいっそう肌を逆目に掻き上げるような感覚が残った。
 光りの入ってこない完全な である。この の中で人々は死を迎えた。ヨードチンキと包帯の他に医師と看護婦がいることで病院と呼ばれたにすぎない。貧弱な医療品も尽きる。撤退の朝、負傷者には全員に青酸カリが配られた。
 やはりここで死ぬことになるのだ。ここから出ていっても武器も食料もない。
「外にはアメリカーの兵士たちがいて、捕らわれの身にでもなれば恥である。」
曹長はそういった。捕らわれざるためには隠れねばならない。
またここに戻ってくるのだ。 「なれば、今ここで、自害するこそ心である。」
ある島では自害する武器がないため村の人が互いに撲殺し合うという凄惨な集団自決が行われたという。青酸カリのあるこのガマはまだ幸せだ。自分の意志で自分の行く先を決めるのだ。しかし、青酸カリは効き目を現してくれない。致死量に足りなかったのか、古くなって変質してしまったのか。死にたくてもがいているのか、死にたくなくてもがいているのかわからない。誰かが首筋の動脈を切った。仕方なく軍の人間が死にきれないものを銃剣で刺しているのだ。これは自害ではない。
私は私という一個の生が の側へ変質していくのを感じた。

 ガラビガマから帰るとき石を拾った。私はあちこちで石を拾ってくる。そのときは十歩ぐらい歩いたところで手放そうかとも思ったのだが、やはり絶ちがたく、持って帰った。今はその石をもてあそびながら書いている。案じたとおり何か連れて帰ってしまったようだ。これは、その 何者か が私と同調して書かせた文章らしい。