OZ's電影中心(1999) |
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「北京も、台北や香港と同じで、カッコいい!」と感じさせる、5つの ラブ・ストーリー。
中国映画には、文革も含めて時代物が多い、という印象がある。しかし、 これは全然違うのだ。
北京を舞台としていながら、天安門広場も故宮も出てこない。きれいなフロ ーリングの内装をしたマンション、ミニコンポやテレビを持つ高校生、高層の オフィスビルが両側に並ぶ広い道路、商品がいっぱいのデパート…これが今の 北京の「ふつう」の生活なのだという。実際、数年前に訪れた北京は、個人の 住宅の中は見ていないが、それ以外はこの作品のとおりだった。
しかし、「カッコいい」北京だけではもの足りない。次は、その北京で生き る、私と同世代の人々の違う面も知りたい。たとえば、エドワード・ヤンが 「エドワード・ヤンの恋愛時代」でテーマとした、急速な経済成長の中の価値 観の混乱のようなことを。
最初から最後まで雨の中の映画。
蔡明亮の作品には、やたらと「水」が出てくる。それも、きれいなものではなく、 部屋の排水口からあふれた水(「青春神話」)だったり、どしゃどしゃと流れ込んで くる雨漏りや汚れたドブ臭い川の水(「河」)だったりする。
今回も例外ではなく、楊貴媚演ずる女の部屋は、水道が漏れて水浸しになってい る。しかも、外ではいつも雨が降っていて、スクリーン中がじめじめしていること このうえない。
李康生演ずる男の部屋では、水道工事でなんと床が貫通して、穴=hole、が開い てしまう。
そして、階下の女の部屋は、壁紙は湿って剥がれ落ちるわ、部屋中トイレット ペーパがあふれているわ、である。さらに、じめじめさに追い打ちをかけるように、 最後には奇病にかかってそのトイレットペーパーの山の中にもぐりこんでしまう のだ。
孤独な世紀末。でも、その穴からコップの水が差し伸べられる。まぁ、世の中 捨てたもんじゃない、ってところだろうか?
ところで、作中のラジオ・テレビから流れてくる放送。これがまた、人を 食っていておもしろい。 カップラーメンに漬物をのせるだけの料理教室だとか、ゴキブリのように床を 這い回り、暗いところにもぐり込むという症状の奇妙な伝染病とか、ついつい 聞き入って(というより、字幕に見入って)しまった。
私がこの作品を観たのは1997年のリバイバル上映の時だ。その前に、この作 品のスチール写真はたくさん見ていた。その中でいちばん印象に残っているの が、ヒロイン・ミンを演じるリサ・ヤンが、こちらを向いて拳銃を構え、まさ に引金を引こうとしているアップの写真だ。
このミンという少女は不思議な役回りだ。おとなしそうで真面目な印象なの に、何人かの不良少年と関係がある。少年たちがいったいミンのどこに魅力を 感じているのか、ちょっと理解しかねるのだ。
拳銃を構えるシーンでも、拳銃は、ミンへ想いをよせる主人公・スー(張震) に対して、半分いたずらで向けられている。背後では、少年たちが戦争ごっこ をやっている。よく見ると、拳銃を構えるミンの表情には笑みさえ浮かんでい て、「不気味」でもあるが、これがリサ・ヤンの魅力だろう。
ところで、この作品が描いているのは、1960年代−台湾では「白色恐怖」の 時代−だ。
作品中では、少年たちは、住んでいる場所(親の置かれた立場を反映してい る)によって、グループに分かれ、対立を続けている。いわゆる「本省人 対 外省人」の対立、「反共」を旗印にした独裁政治の影響が、少年たちにまで も及んでいることに、息苦しさ−時代の閉塞感?−を感じる。