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正面ヶ原A遺跡は縄文時代晩期前葉の集落跡
です。この遺跡からは土器や石器のほかにも石棒、石冠だけでなく、栃の実、クルミなどが多く出土しました。
石棺状土抗群と呼ばれる墓穴も多く発掘され、その覆土からも多量の
遺物が発見されました。また、この遺跡では地元の小学生や一般人による発掘体験も行われ、
参加した小学生が小さなヒスイ玉を見つけたときは大喜び。
あの子供たちの中から未来の考古学者が出るかもしれません。
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この住居址は上段地区の道尻手遺跡(縄文中期〜後期)
から発掘されたものです。この遺跡からはたくさんの土器や竪穴住跡などが発掘されました。
発掘作業を見ていると、どうしてそこに穴があるとわかるのか不思議に思うことがあります。
土のわずかな色の変化(ソイルマーク)を調べて的確な指示を出し、気の遠くなるような作業で発掘します。
一見楽そうに見えるがやってみると結構きつい作業だ。
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この土器も道尻手遺跡から出土しました。夕方
現場に立ち寄ると多くの土器の中でひとつだけ宙に浮いたようにして夕日に染まっている土器がありました。
私は発掘の専門家ではありませんが、掘り出されたばかりの土器は展示された土器よりも美しいと
思いました。
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この土器は堂平遺跡(縄文中期中葉〜後葉)
から出土されたものです。この遺跡からも多くの火焔土器や竪穴住跡、フラスコ状
ピットなどが発掘されました。
この写真はたまたま遺跡を覗きに行った時に出土していた
ものです。数日前には素晴らしい火焔土器が出てきたとのことでした。(下の写真)
出土されつつある土器を見ていると想像する楽しみがあります。
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この土器も堂平遺跡から出土されたものです。津南町が
世界に誇る一品です(本当は国宝級なんだけど・・)
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この土器は沖ノ原遺跡から出土されたものです。
文様が他の火焔土器と明らかに違うのが判ります、この土器は外国まで貸し出しされました。
今、欧米では縄文ブームが起こっています。イギリスに行ったときに驚いたことは、
津南町の土器とそっくりな土器が、美術館に展示してあったことです。しかもピカソや
ヘンリームーアといった世界的な巨匠の作品と肩を並べて展示してあったことを誇らしく思い、
岡本太郎氏が言っておられた「世界で通用するのは縄文土器だけだ」という言葉を思い出した。
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堂平遺跡のフラスコ状ピットから、まとまって発見された
土器の出土状況です。約20個体の縄文中期後葉の土器がほぼ完形のまま出土した貴重な事例です。
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中央の土器は午肥原(まごいっぱら)遺跡
から出土されたものです、蛇の文様がくっきりと浮き出ています。蛇は縄文人にとって
特別な意味があるのでしょうか、非常にインパクトがあります。
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左側が無文土器、右側が爪形・押圧縄文土器です。
津南町周辺は旧石器時代から2万8000年もの間絶えることなく人々が住みつづけました。
想像するとこの地域が豊かな森林に覆われ植物性の食材が豊富であったことと、
獲物となる動物たちが多かったこと、そして毎年秋になると信濃川を鮭の大群が遡上した
ことが多くの人々が住み、文化を築き上げた立地条件だと想像します。津南には総滝(そだき)
というところがあり信濃川唯一の大滝があったといわれております(北越雪譜より)
鮭はその大滝を越えられずに力尽きたことが、この地に冬声越えをするに十分な食料を人々に
与えてくれたのではないでしょうか。