〜光無の巻〜

「きっと美しい娘なのであろうな。」

そう言った神は、盲目の貌を真っ直ぐ娘に向けた。
金華竜はそっとかぶりを振り、消え入るような声で答えた。
「いいえ、..ちっぽけな、つまらない娘です。」

神は、黙って娘を差し招いた。
「あなたは深い悲しみを抱えているね。..おそらくは、好きな人と結ばれぬ悲しみを。」
「えっ。」
金華竜はたじろいだ。どうしてわかったのだろう。
差し伸べられた手が触れようとする瞬間、金華竜はビクッと身をすくませた。
「申し訳ありません。私には、神様に身をゆだねる資格はありません。」

 イツ花に打ち明けられないまま、ここまで来てしまった。誰も知らない事でも、この神の見えない目は全てを見通しているに違いない。
改めて、犯した罪の大きさが認識される。
「光無ノ刑人さま、私は、...私の身は、汚れています。」

 これで神の怒りに触れ命を失っても構わない、と金華竜は思った。
兄緑玉が金華竜の身を汚したのは、ひとえに朱の首輪をつけたせいだ。兄に罪は無い。だが、この自分はそうとわかった後もそれでもいいと思ったのだ。それどころか、密かに、出来る事ならもう一度兄の腕に抱かれたいと願ってきた。これが罪でなくて何であろう。

 だが。
「さぁ、おいでなさい。私では、あなたの好きな人の代りになれないかもしれないけれど。」
優しい言葉に、金華竜は耳を疑った。
「そんな..。勿体のうございます、私は、...あっ。」
刑人の手が思わぬ強さで金華竜の細い腕を掴み、金華竜はそのまま温かな胸に抱き寄せられた。
「!!」
金華竜は戦慄を覚えた。何ということだろう。畏れおののく気持ちと裏腹に己の肌は兄の感触をありありと思い出している...。
「..お許し下さい..私は、私は..」
「良いのだ。..あなたは、あなたの好きな人の事を思っておいで。私はそれをなんとも思わないよ。」
「ええっ..刑人さま..」
金華竜は思わず刑人の盲いた顔を見上げた。刑人は、静かな微笑みをたたえていた。その端正な唇が、優しく、言葉を問いかける。
「あなたは、悲しみに耐えて来たのだね。..さびしかっただろう?」
「...はい。」
優しく抱きしめられ、金華竜は素直にうなずいていた。涙がこぼれ出た。刑人の胸に顔をうずめる。
「そう、..素直になって良いのだ。..思い出して良いのだ。好きな人との逢瀬は楽しかったのだろう?」
「はい、..とても。」
楽しかった。恐れおののきながらも、兄と結ばれてうれしくて、夢中になった。
「時間が過ぎるのがとても早く感じたのではないか?」
「はい、とてもとても!」
あの時、兄が口づけてくれた感触。
刑人が優しく唇を求め、金華竜は小首をかしげて小鳥のようなキスを受け入れた。なんて久しぶりなのだろう。なんて素敵なんだろう。
「あぁ..」
兄の匂いとも少し違う。刑人の吐息が甘く金華竜の鼻をくすぐる。
「その人の事を、死ぬほど好きだったのだろう?..この人と結ばれるなら死んでもいい、と。」

 それで、ふいに金華竜は気付いた。
「刑人さま、もしかして...。あなたにも、愛した方がいらっしゃったのでは?」
刑人は優しく笑った。
「おやおや、カンが鋭いね。....あぁ、そうだよ。
..あなたに会うまでは、ただ義務を果たすだけの事だ、愛して果たせなかった娘の面影を重ねていようと思っていた。だがあなたに会って、あなたの心が私よりもっと血を流していたから、私は、せめてあなたの思い人の代りをしようと思った..。」

「そんな、あなたが..神のあなたが。..好きな人と心ゆくまで睦み合いたいと誰もが思うのに、..死ぬほど好きなのに触れられない..あんな辛い思いをしておられたなんて。」
金華竜は目を見張った。

「あなたはいじらしい人だね。そして芯は強い。...私がかつて愛した娘があなたの半分でも強い心を持っていたら。..いや、そうではないんだ、私がもっともっと力を持っていたなら。」
「刑人さま..。」
刑人がたまらなくいとおしかった。金華竜は夢中で刑人にすがりついていた。
「刑人さま..身の程知らずかもしれないけれど、私こそ、刑人さまをお慰めしたい..その苦しみを少しでも紛らわせて差し上げられるなら私はそれでいいの。抱いて下さい。好きです、刑人さま。兄さまよりももっと好き。」
 本当に、緑玉よりも刑人の事を好きだと、金華竜は思った。





 刑人の、闇に閉ざされてきたその心に、暖かな小さな光が一つ灯った。

「金華竜....驚いたな、この私に火をつけるなんて。」
心を尽くして愛し合った金華竜の、可愛いらしい寝息を立てて眠る姿を優しく見やりながら、光無ノ刑人は、心からくつろいで微笑んでいた。



















関連のある他の巻:暗の巻(金華竜、緑玉) 弓の巻(前編)(金華竜、緑玉)

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