<酒田>
(さかた)山形県酒田市

旅行日 '94/12 '97/4

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 酒田は、日本三大急流のひとつである最上川が日本海に注ぐ河口に発達した町。江戸時代には北前船が、米や紅花、海産物などを大阪、江戸へと運び、港町として、商業の町として殷賑を極めました。
 右写真は日和山(ひよりやま)公園の北前船模型。江戸時代にはこのような船により、日本海、瀬戸内海を経て各地に物資が運ばれ、酒田に富と繁栄とをもたらしていたのです。




 駅から日和山公園までは2kmほど。レンタサイクルを借りてゆくのが楽(当然のこと雪の降る時分はペケ)。
 昭和51年の大火で焼け落ちた後、立派に整備しなおされた商店街を通り抜け、突き当たりの小高い丘まで自転車を進めます。ここが日和山公園。最上川河口と酒田港、そして日本海が望めます。



 芭蕉が酒田に到着したのは六月十三日(陽暦7月29日)。途中象潟への往復4日間をはさみ、二十五日(陽暦8月10日)まで、都合9日間この地に滞在しています。交易と商業が栄え、上方の町人文化が流れ込んでいた土地柄に水があったのでしょうか。あるいは暑さの厳しい折、長途の移動は控えたのでしょうか。
 ここでご厄介になったのが医師の伊東玄順。当地俳壇の中心人物で、俳号は不玉(ふぎょく)。右写真は不玉宅址に建てられた記念碑で「芭蕉逗留の地 不玉宅址・・」と刻まれています。


酒田の街はレンタサイクルでまわろう!

 酒田では観光用に町の方々でレンタサイクルの貸し出しをしています。嬉しいことに無料!。駅付近では観光案内所または駅前通りの土産物屋で貸してもらえます。駅でも借りられるのですがこちらは料金が必要(確か500円位)。

続いて、芭蕉の句(↓)へ。



<芭蕉の句>

 最上川河口の袖の浦に舟を浮かべながら、夕涼みしたときに詠んだ句。あつみ(温海)山吹浦(ふくら)の場所は、地図にてご確認ください。


 あつみ山や 吹浦かけて 夕すゞみ

(あつみやまや ふくうらかけて ゆうすずみ)

<句意>
(おりからの暑さに縁のある名の)あつみ山(が彼方に見え)、(頭をめぐらせば暑気を吹き払うという名の)吹浦(が見渡されるが、そこ)へかけての眺望を見渡しながらの夕涼み(をするのはまことに気持ちのよいことである)。

ここではもう一句ご紹介します。




 暑き日を 海に入たり 最上川

(あつきひを うみにいれたり もがみがわ)

<句意>
(ようやく夕方になったが)あつい一日を海に流し入れてしまった最上川(その河口のあたりから涼しい夕風が吹いてきた)。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より

 私は長いこと、真っ赤に焼けた夕日が海に沈んでゆく情景を詠んだものだと思っていたのですけれど、違ったのですね。



 左写真は日和山公園内「暑き日を・・」の句碑。ほかに「あつみ山や・・」句碑もあります。さらに公園内には与謝蕪村、斉藤茂吉、若山牧水、野口雨情、田山花袋などなどの歌碑、句碑、文学碑が立ち、散策コースとして整備されています。時間をかけてゆっくり眺めてまわりたいものです。



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