<福島・文知摺観音>
(もじずりかんのん)福島県福島市

旅行日 '95/10 '09/08

地図を見る(ここをクリック)


 芭蕉と曽良が福島に到ったのは五月一日(陽暦6月17日)。二人は宿場内のどこかのキレイな宿に一泊した後、文知摺(もじずり)観音へと出発します。曽良の日記によれば、宿を出て東へ約2q歩き、阿武隈川を渡し舟で越えて、さらに山側へ2q歩いてたどり着いたとのこと。現在では、バスが福島駅東口から一時間に1本ほどの割で出ていますが、時間がゆるせば片道はブラブラ歩いてゆくのも手かも。
 バス停から5分ほど歩くと文知摺観音。右写真は境内に建つ多宝塔で県重文。色鮮やかに彩られた斗組(ますぐみ)が印象的です。東日本で多宝塔は珍しいように思いますが、どうでしょうか?


 芭蕉がこの地を訪ねた理由は、もちろん著名な「歌枕」の地であるから。小倉百人一首にもある次の歌を、ご存じの方も多いかと思います。

みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
河原左大臣 源融(みなもとのとおる)
<歌意>
陸奥の国のしのぶもじずり(の乱れ模様)のように、(あなた以外の)誰のせいで、思い乱れはじめてしまった私ではないことですのにね(みんな、あなたのせいですよ)。

(「評解小倉百人一首」京都書房刊より)




 現在の福島市及びその一帯を、かつては「信夫(しのぶ)の里」と呼びました。その地にある文知摺(もじずり)石。「もじずり」とは聞き慣れぬ言葉ですが、模様のある石の上に布をあて、忍ぶ草をすり込んで緑色に染める、古来の技法。

 さて、受付で拝観料***円を払って、境内を進むと、高さ1m、幅2mほどの苔むした巨石に出くわします。これが文知摺石(見づらいかもしませんが、右写真の柵で囲まれた部分)。
 この石にまつわる話として、遠い昔、土地の長者の娘、虎女(とらじょ)が石の面をのぞき込むと、愛しい源融(みなもとのとおる)公の面影が浮かんで見えたとの悲恋伝説が有名です。
 また、麦の葉を石の面に擦り付けると、慕う人の影姿が見られるとの、俗信もあります(試してみたい!)。

続いて、芭蕉の句(↓)をどうぞ。



<芭蕉の句>

 芭蕉は「しのぶもじ摺」に期待してこの地を訪ねたのですが、実はとうの昔に途絶えていました。そして詠んだ句。

 早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺

(さなえとる てもとやむかし しのぶずり)


<句意>
(早乙女たちが苗代で)早苗を取っている手つきは、昔しのぶ文知摺を摺りそめた手つきをしのばれることであるよ。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より

 右の写真は境内にある、芭蕉句碑。以前来た時はカメラを忘れ「写るんです」で写したボケボケの写真しかなかったのですが、このたび14年ぶりに再訪し、やっとマトモな写真が撮れました。


二本松・安達ヶ原の頁へ
医王寺の頁へ

スタート頁(地図)へ


ホームページへ |「奥の細道」目次へ | メールはこちら