<江戸・千住>
(えど・せんじゅ)東京都足立区、荒川区
旅行日 '97/1
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元禄二年三月二十七日(1689年5月16日)早朝、芭蕉は深川を発ち、多くの見送りの人たちとともに隅田川を舟でさかのぼり、千住に上陸しました。
右の写真は千住大橋のたもとの公園に立つ文学碑。
むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそゝぐ
<訳>親しい人たちはみな、前の晩から集まって、(今朝は)舟に乗って見送ってくれる。千住という所で舟からあがると、前途三千里という思いで胸がいっぱいになり、この幻の(ようにはかない)世の別れ道に立って離別の涙を流す。
見送りの人たちとも別れ、この先曽良(そら)と同行二人。約5ヶ月に及ぶ『奥の細道』の旅の始まりです。
「行春や鳥啼魚の目は泪」
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。
<訳>「…下段参照…」この句を矢立の初めとして歩き出したが、(人々の名残惜しさに)行く道はなかなか進まない。人々は道に立ち並んで、(私たちの)後ろ姿が見えるまではと見送っているのだろう。
続いて、芭蕉の句(↓)へ。
<芭蕉の句>
行春や 鳥啼魚の 目は泪
(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)
<句意>
- 暮れて行く春に(に自分も旅立ってゆく)。(その悲しさに)鳥も鳴き、魚も目に涙があふれていることよ。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より
<お役立ちリンク集>
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