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<大飯原子力発電所>
(おおいげんしりょくはつでんしょ)

大飯原発・場所 <基本データ>
所在地
福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1−1
運転開始日
1979年3月
事業主体
関西電力

<原子炉設備の概要>
 
原子炉型式
営業運転開始
定格出力
備考
1号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1979.03.27
117.5万kw
 
2号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1979.12.05
117.5万kw
 
3号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1991.1218
118万kw
 
4号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1993.02.02
118万kw
 



大飯原発の全景 <おおい町と大飯原発の概要>
 右上の地図を見て分かる通り、福井県には南西側に張り出す盲腸のような部分があるが、これが「嶺南(れいなん)」または「若狭(わかさ)」と呼ばれる地域である。県都である福井市とは遠く離れ、むしろ京都府や滋賀県の方がずっと近い。文化的にも関西圏の影響が強く、言葉も関西弁に近い。
 原発をめぐっては消費地である都市と供給地である地方格差の問題がよく言われるが、福井県内ではさらに、行政や産業の中心である「嶺北」と県都とは離れこれといった産業もない「嶺南」とで格差があり、さらにまた「嶺南」の旧大飯町内では鉄道や国道があり町としての機能がある陸側の集落と、道路網が整備されず船で行き来するしか交通手段がない半島の漁村集落とでは格差があったという。こうした幾重もの格差の一番最下層である、半島の先っぽの集落のすぐ近くに原発は造られた。
 右写真で、右奥から1,2,3,4号機で、1,2号機は円筒形で上にポコリと突き出た形状をしており、3,4号機はドーム型となっている。原子炉建屋の右側がタービン建屋だがひじょうに長くなっている。これは建設コスト削減のため、1,2号機、3,4号機それぞれで2基分のタービン建屋を一体化したからである。
右写真は原子力発電所PR館「エル・パーク・おおい」の展示パネルより



大飯原発・交通 <原発の近辺>
 右の略図でJR小浜線の若狭本郷駅付近が「おおい町」の中心部で町役場も駅の近くにある。この北側に大飯原発のある「大島半島」があるのだが、「半島」とは言っても実質的には「島」に近く、町の中心部からは1973年に完成した全長743メートルの「青戸の大橋」を渡って行くことにある。半島の道は「宮留」という所で行き止まりになり、その少し手前を左折して山側に少し行った所にあるのが、大飯原発のPR館「エル・パーク・おおい“おおいり館”」。また若狭本郷の駅から東へ1kmほどの所に「エルガイアおおい」という似たように名称の施設があるが、これも関西電力の運営する地元対策の施設。ここに何があるかは後述する。

<交通>
●北陸本線敦賀駅より小浜線約1時間30分、または東舞鶴より約30分、若狭本郷下車。駅付近が「おおい町」の中心部
●原発のPR館である「エル・パーク・おおい」へは若狭本郷駅より福井鉄道バス「宮留」行き終点下車(所要21分)、徒歩約10分。

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JR小浜線に電車が走るようになったのは比較的最近のことで2003年の事であった。それ以前は旧態依然としたディーゼルカーばかりが走行していた。関西圏への大電力供給地でありながら、そのおひざ元であるこの路線には電気で走る電車が走っていなかったのである。まさに供給地である地方と消費地である都市の格差という問題の縮図のような話である。電化にかかった費用は100億円ほどであったが、その半分以上は関西電力等の電力会社の福井県への寄付金で賄われたという。これも丸々電力会社に頼るしかない立地自治体の実情を垣間見る。


<地形図で見る大飯原発付近の変遷>
1958(昭和33)年12月発行の地形図より

まだ原発は影も形もなかった頃の地形図。現在原発の建つあたりは、山と山の間の狭隘な谷間で、ごく小規模に稲作が営まれていた。南側の「畑村」の集落との間には車が通行できない山道しかなかった。「西村」から「宮留」まで海沿いに小集落が点在する。町の中心部とを結ぶ道路は整備されておらず、往来の手段はもっぱら船であったことが伺える。まだ航空写真測量の技術のなかった頃の地図なので、右側の現在の正確な地図と比べると地形が微妙に違う。特に等高線の引き方はかなりデタラメである。
2004(平成16)年6月発行の地形図より

狭隘な谷間は両側の山が大きく掘削され巨大な原子力発電所が建設された。海側は埋め立てられ港湾施設が整備された。原発からは南西に向かって3本の送電線が延びている。海伝いに原発へと向かう道はない。赤字で記した「エル・パーク・おおい」付近から北に向かう2本のトンネルが唯一陸路で原発構内へ続く道である。南側の小集落もやや規模が大きくなり道路も整備された。やや北側に山肌を縫うように延びる道路があるが、原発向けのバイパス道路といったところだろうか。

使用地形図・1/25000鋸崎(1958年12月28日・2004年6月1日)国土地理院発行


<大飯原発PR館「エル・パーク・おおい“おおいり館”」訪問記>
旅行日 2011.6.4

小浜線・若狭本郷駅
福井県おおい町・町役場
↑敦賀駅を朝一番に出る電車に乗って1時間30分、若狭本郷という駅で下車する。駅を出て振り返って見ると、それほど大きくはないがちょっとユニークな駅舎が目に付く。この駅舎は町が建設したものであり使われたのは電源立地交付金。1日の利用者は300人ほどの駅であるが、町の派遣した係員がおり「みどりの窓口」で切符や指定席券の購入ができる。駅付近が町の中心で町役場も駅のすぐ近くにある。
↑写真は「おおい町」の町役場。人口8500人の町として特別に立派な訳でもない。元は漢字で「大飯町」であったが、2006年3月に南隣の「名田庄村」と合併し、平仮名で「おおい町」となった。旧大飯町の地域と旧名田庄村の地域は大型車が通れる道路は整備されておらず、東の小浜市側を大きく迂回して行くことになる。財政的に恵まれているはずの原発立地自治体でありながら、足元にはこのような矛盾を抱えている。
↑さて、駅前から路線バスに乗り込む。一人乗ってきたよそ者と思われる男の姿に運転手は怪訝な顔を向けた。「大阪へ行くのですか?」。なるほどこの駅前からは大阪まで行く高速バスが運行されているのだが、その客が間違って乗ってきたのだと思われたのだ。路線バス高速バスを間違えて乗るほどの間抜けな客だと思われた事が少し可笑しかった。「いえ、原子力発電所のPR館に行くのです」「はぁ?」。私は手持ちの地図を見せながら、終点の「宮留」バス停から少し戻って山側の道を行くと、大飯原発のPR館があることを説明した。「はぁ、知りませんでしたわ。お客さんお詳しいですなぁ」。運転手は珍しい客がきたものだという様な顔をして、また前へ顔を向けた。
青戸の大橋
宮留の集落
↑駅を出て、すぐにバスは全長743mの「青戸の大橋」を渡る。この対岸が「原子発電所」のある「大島半島」である。この橋が出来る前は、まさしく孤島のような地域であった。写真は戻った後に撮影したもの。
↑バスは20分ほどで終点の「宮留」に着く。いかにも漁師たちの住む所といった風情。原発という化け物のようなものが直ぐそばにあるというのに、何事もないかのような静かで平凡な家並みであった。
大飯原発に通じるトンネル
エル・パーク・おおい「おおいり館」
↑バス停から歩いて10分ほど。目指すPR館のすぐ手前にトンネルの入り口がある。「関西電力・大飯原子力発電所」と書かれており、このトンネルを抜けると原発構内へ入る。警備員が一人いるだけで、ゲートとかは無いので多分一般の人間が進入しても構わないのだろうけれど、無用な誤解を受けたくないのなら行かない方が無難であろう。
↑前置きが長くなったが、ここが大飯原発のPR館「エル・パーク・おおい“おおいり館”」である。何とも分かりにくいネーミングで「おおい」という語がダブっているが立地自治体へのサービスであろうか。お椀をかぶせたような屋根は加圧水型原子炉建屋の上部をモチーフにしたのだろうか。外壁に描かれた絵は毎年変更されるとのこと。
ウォーターボーイくん
↑さて、玄関を入って真っ先に目に留まるのは、このPR館のキャラクター「ウォーターボーイくん」である。ちょっとシュールであまり可愛くない。口が肛門のように見えるし、額に青筋が入っているのも何やら怖いお兄さんを連想させる。
↑他に誰もお客がいなかったからかも知れないが、館内は係員の人が丁寧に案内してくれた。まず「ウェルカムホール」という部屋でおおい町の紹介ビデオを見せられる、いや見せて頂ける。その後このPR館の館長さんが「東日本大震災後の大飯原発の取り組み」ということでスライドを使いながら説明。とりあえず私は津波の想定高さと活断層の件だけ短くツッコんでおきました。
↑このPR館の目玉は何といっても「3分の1ワールド・原子力シアター」という、原子炉格納容器内3分の1の大きさで再現した模型である。写真は右から炉心圧力容器(上に突き出している沢山の棒は制御棒)、中央に2本立っているのが蒸気発生器、左が1次系冷却材ポンプです。
↑関西電力には、大飯・美浜・高浜合わせて11基の原子炉がありますがすべて「加圧水型軽水炉」と呼ばれる型です。圧力容器の模型の横にはモニターがあって、ウォーターボーイくんが分かりやすく(?)この「加圧水型軽水炉」による発電の仕組みを教えてくれます。
↑角度を変えて、大きくそびえる「蒸気発生器」の全景。この蒸気発生器は「加圧水型」にしかないもので、福島第一などの「沸騰水型」にはありません。詳しい仕組みを伝えるのは面倒なので、他サイトでご自分でお調べください。
↑3.11以後、日本の原発は定期検査に入ったものから次々と運転を停止し、2012年5月にはついに全原発が稼働停止という状態になったが、私がここを訪れたのはまだ3.11から3カ月も経ってない頃で、ここ大飯も美浜も高浜も運転中でした。
大飯原発PR館・土産物屋
大飯原発PR館・グッズ
↑館内にはこのようにお土産品を売る店があり、当館オリジナル・グッズも揃っています。
↑そして購入したオリジナル・グッズ、ストラップ2種類と「ウォーターボーイくん」の形をした消しゴム2つ。原発事故で苦しんでいる方々が大勢いるのに原発グッズなんて「不謹慎な!」と責められそうですが・・・。「エル・パーク・おおい」のご紹介はここまで。
↑バスが無い時間帯だったのでタクシーに乗って再び町の中心部へ。青戸の大橋の橋詰めの近くに「エル・ガイア・おおい」という、先ほど訪ねた所と良く似た名前の施設があります。ここも関西電力の運営する施設ですが、いわゆるPR館とは性質が違います。タクシーの運転手さんいわく「無駄に大きな子供の遊び場」。
↑で、館内に入る。向かって右側は「シアター・ガイア」といい、ワイドスクリーンで映像を見せてくれるコーナー。左側は「コスモユニット・エネルガイア」で、案内パンフには「“21世紀後半、宇宙空間に設置された発電所”をコンセプトに、エネルギーや宇宙について楽しく学べるアトラクション」と書いてある。なんの事やら?
↑まず「「シアター・ガイア」へ。3種のプログラムが時間毎に上映されるが、次の回は「東大寺・大仏の世界」とある。実は私は社寺巡りが趣味でもあるのだが、せっかく原発のある町へ来たのだから原発のビデオを見たい。受付のお姉さんに相談すると「他にお客様がいらっしゃらないのなら、予定を変更をして原子力発電所の映像を上映します」と言って下さった。そして目出度く原発の映像を見られた訳で有り難く思うが、ひっくり返せば土曜日の昼時分なのに、私以外に誰もお客がいないということだ。
↑原発のビデオを見終えて、次は「コスモユニット・エネルガイア」へ。平たく言えばテレビモニターなどを使ったゲームコーナーだ。私はテレビ・PCゲーム等は一切やらないポリシーの人間なので、遠目に見ただけでご遠慮しておく。内部の撮影は禁止されているので入り口の写真だけお見せします。右側の4人は松本零士先生の描いたキャラクターですね。まだお伝えしたい事もあるのですが、長くなるので大飯原発関係の話題はここまでとさせて頂きます。



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