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<六ヶ所村>
(ろっかしょむら)

<日本原燃(株)の事業内容>
事業名
着工
操業開始
ウラン濃縮工場
1988年10月
1992年3月
低レベル放射性廃棄物埋設センタ−
1990年11月
1992年12月
高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センタ−
1992年5月
1995年4月
再処理工場
1993年4月
試験中
MOX燃料工場
 
計画中



<六ヶ所村の概要と日本原燃>
 「六ヶ所」とは興味のそそられる村名だが、実は1989(明治22)年に倉内、平沼、鷹架(たかほこ)、尾駮(おぶち)、出戸、泊の6集落が合併して発足したからとのつまらない由来を持つ。人口は1万1千ほどと村としてはかなり多い。かつては牧畜や漁業が主産業であったが、現在では原子力関連施設の他に、国家石油備蓄基地 、風力発電所が立地し、まさしくエネルギーの村へと変貌した。
 この村に原子力関連施設が進出するまでには紆余曲折があり、1969(昭和44)年、むつ小川原開発計画として、石油化学コンビナートや製鉄工場を整備する大々的な計画が国によりぶち上げられたが、間もなく訪れる石油ショックで頓挫。結局、港湾の整備と国家石油備蓄基地が完成しただけだった。変わって、1984(昭和59)年に電気事業連合会が青森県知事に下北半島への原子力関連施設設置への協力を要請。1985(昭和60)年には、六ヶ所村と青森県がそれらの受け入れを表明。1986(昭和61)年のチェルノブイリ原発事故の影響もあって反対の声も大きかったが、何としても推し進めたい県、国、電気事業者の力に押し切られる形で事業は進む。1988(昭和63)年にウラン濃縮工場が着工されたのを皮切りに、次々に原子力関連施設が建設されるようになる。
 日本原燃(株)は1980(昭和55)年に発足した会社で、現在原子力発電所を持つ9電力会社と日本原子力発電(原電)を主要株主とする。名の通り原子力発電所の燃料(使用済みを含む)の製造や再処理・処分・貯蔵に関わる事業が主体。純然たる民間会社だが、国の施策の影響を強く受ける国策会社ともいえる。現在、本社は六ヶ所村の尾駮(おぶち)地区にある。3.11の直後なぜか入院してしまった清水正孝氏(当時東京電力社長)が、2011年6月まで日本原燃の会長職を兼職していた。
 右写真はむつ小川原港と六ヶ所村の主要部分。中央よりやや上に尾駮(おぶち)沼があり、この沼の周囲に各種の原子力関連施設が点在する。「」とは見馴れない文字だが意味は「斑(まだら・ぶち)」と同じ。わざわざ馬偏の漢字を使うのが馬を大切にしてきた土地柄らしい。


<原子燃料サイクル>
 右図が原子燃料サイクル(「核燃料サイクル」ともいう)の概略。カラーの部分が六ヶ所村で日本原燃が事業を展開している(またはその予定の)部門。このサイクルの要になるのが「再処理工場」。日本には「使用済み核燃料はすべて再処理しなければならない」という法律があるのだが、現在のところ全てをフランスやイギリスに再処理を依頼している。これを六ヶ所村で出来るようにすべく進めているのだが、現在は試運転の段階で、相次ぐトラブルでまだ完成には至っていない。この再処理工場は1993年の着工以来20年程の時が経つが完成予定時期の延長はすでに18回に及び、さらに今まで2兆2千億円の建設費がつぎ込まれており、また、放出される放射性物質や事故時の影響の大きさを懸念する人々の間からは根強い反対の声があるなど、様々な問題を抱えている。
 もうひとつ着目したいのが、放射性廃棄物の問題。放射性廃棄物は放射線の強さにより「低レベル〜」と「高レベル〜」に分けられる。「低レベル〜」はドラム缶に詰められた上、地下数メートルの所に埋められ処分される(一部例外あり)。一方「高レベル〜」は、近づくと20秒で100%の人が死ぬという物質で、数万年間人間の住む環境とは隔離しなければならないという。こんな厄介な代物を次々と作り出しているのだから人間という生き物は罪深いものである。現在のところ、六ヶ所村ではこの「高レベル〜」を一時的貯蔵・管理しているだけである。最終的には数百メートルの地下深部に埋設し処分する(「地層処分」という)ことになるのだが、この処分場はまだ日本のどこにも無く、それどころか処分場の受け入れを検討している自治体は日本にひとつも無い。
右図は六ヶ所村発行の資料より


<六ヶ所村の原子力関連施設>
 六ヶ所村の原子力関連施設は、右図の通り、尾駮(おぶち)沼の北側の大石平地区と西側の弥栄平(いやさかえだいら)地区に点在する。

<PRセンターと温泉>
 尾駮沼の北西(右図の上方)に日本原燃が運営する「六ヶ所原燃PRセンター」という施設があり、展示物を通して事業活動の広報をしている。もちろん一般の人なら誰でも入れるのだが、2011年6月に反原発派の人々が施設内に「反原発」と書かれたステッカーを張り、警察に逮捕されるという事件が起きている。私がここを訪れたのはこの事件の起こった一か月後であった。自分の信条を表明したりする気はなかったかれど、警備員とすれ違ったりするとちょっと怖かった。なお、事前に予約を入れておくと、係員の方(私の場合、若い女性だった)が館内をいろいろ案内・説明してくれます。
 また、PRセンターから8kmほど南に行った所には(右図のさらに下側になる)「ろっかぽっか」というこれも日本原燃の子会社が運営する温泉浴場施設がある。使用済み核燃料から発する熱を利用しているというのならスゴイのだがもちろんそんなはずはない。原子力関係の会社が運営しているという珍しさを除けば、日本のどこにでもあるような大きくて立派で設備の整った今的な温泉施設である。地元対策のための施設とでも言えよう。
右図は六ヶ所村発行の資料より

「六ヶ所原燃PRセンター」のページへリンク
「ろっかぽっか」のページへリンク


<交通>
●青い森鉄道「野辺地」駅より下北交通バス「泊車庫」行きにて「大石運動公園前」下車、すぐ。
(平日・土曜は1日4便、休日は3便、所要約50分)
※「泊車庫」行きで終点まで行き、「むつバスターミナル」行きのバスに乗り継ぐと、東通原子力発電所のPR施設「トントゥビレッジ」に行くことが出来るが、バス便は非常に少ない。

●「ろっかぽっか」に行く公共の交通機関は無いのでタクシーを利用することになる。六ヶ所村には何社かタクシー会社がありPRセンターの受付で頼めばタクシーを呼んでくれる。所要は10分ほどで3000円程度の料金がかかった。さらに帰りは、6kmほど南にある追舘(おったて)という所までタクシーを使い(料金約2500円)、三沢駅へと向かう十和田観光電鉄のバスを利用しする。果たして合計5,500円もタクシー代を使っていくような所であろうか。

「下北交通」のページへリンク
「十和田観光電鉄」のページへリンク


<「六ヶ所原燃PRセンター」・「ろっかぽっか」訪問記>
旅行日 2011.07.15

↑今回の旅の始まりは、青い森鉄道の野辺地駅。駅前から「泊車庫」行きのバスに乗り込む。終点まで1時間40分もかかるロングラン・バスである。さっそく乗り込むが、何しろ人家がひじょうに少ない地域なのでバス停とバス停の間がやたらと長い。
↑バスは荒涼とした山野のウネウネ道をひたすら走る。揺られること50分。「大石運動公園前」というバス停で降りると目指す「六ヶ所原燃PRセンター」は目の前だ。上部がV字型に二つに割れた特徴的な建物が目をひく。
↑玄関で出迎えてくてる謎のカエルの人形。ちっともカワイクないところが逆にカワイイ。昔、薬局の入り口の脇でよくこんな人形を見かけたような気がするが気のせいだろうか?
↑謎のカエル人形の台座を見ると、「日本原燃広報キャラクター玄関で“ツカッテモ・ツカエルくん”」とある。直球を投げたつもりで大きくはずしてしまったこのセンスがなかなか好ましい。もちろん核燃料のリサイクルを念頭に置いたもの。
↑私は事前に予約していたので、係員(若い女性)の案内を受けて館内を見学する。なにやら博覧会のコンパニオンを思い出す。ちなみに係員の姿の撮影は禁止だとか。テロの標的になったりするのだろうか。最初に連れられたのが最上階の展望ホール。あいにくと霧で視界は悪い。
↑晴れればこんなふうに、尾駮(おぶち)沼の周囲に点在する原子力関連施設を見ることが出来るそうだ。プロペラの回る風力発電のタワーが所々に見られるが、これは日本原電とは一切関係ないとのこと。
↑毎度おなじみの記念スタンプでございます。いい年した大人としては、こういうものは帰りがけにコッソリと押したいものなのだが、今回は最初に訪れた展望階にスタンプ機があるということでいきなり押すことになる。
↑PRセンターの南8km程の所にある温泉施設「ろっかぽっか」でこのスタンプを提示すると、なんと入館料が200円引きになると書いてある。ちなみに「ろっかぽっか」へはバス便がなくタクシーを使うことになる。私の場合、往きと帰りのタクシー代で5,500円かかりました。
↑階段を下って2階へ。このフロアでは原子力発電の一般的な情報を展示してある。「原発は安全だ」とか「二酸化炭素を出さないので温暖化防止に役立つ」とか、どこでも喧伝しているような事が書いてある。
↑同じく2階の「放射線物知りコーナー」。おやモニターに映っているのは“ツカッテモ・ツカエルくん”ですね!。一般の人が今一番関心があるのがこの点だろう。放射線の種類とか、自然界にも放射線はあるとか、そんな事が書かれている。
↑再び階段を下って1階に。ここがこのPRセンターの目玉で、日本原燃の原子力関連事業を模型を見ながら見学できる。上のパネルは「再処理の工程」を表した図。再処理とは、使用済み核燃料使える部分(ウラン・プルトニウム)と使えない部分(核分裂生成物)に分ける事。
↑デンデンムシのオブジェではありません。これは「溶解槽」。再処理の工程のうち「溶解」といわれる部分で、細かく切断した使用済み核燃料を硝酸の溶液に溶かす。上写真もその工程の模型である。
↑再処理の「分離」の工程。使用済み核燃料を溶解した溶液を、ウラン・プルトニウム・核分裂生成物の3種に分離する。左上の「赤・黄・緑」の混じった光(溶液)が、「赤」「黄」「緑」の3種類に分離される様のイメージ模型。
↑「ガラス固化」の工程。分離された「核分裂生成物」をガラス溶液に混ぜ、キャニスターと呼ばれるステンレス製の容器(写真の下部)に流し込み固化させる。これを「ガラス固化体」というが、要するにこれは「高レベル放射性廃棄物」と呼ばれる、とんでもなく危険な代物である。日本原燃の「再処理工場」は1993年に建設工事が始まったが、試運転の段階でこの「ガラス固化」の工程のトラブルが解決せず、未だ完成に至っていない。「再処理」についてはここまで。
↑変わって「高レベル放射性廃棄物」について。六ヶ所村には「高レベル〜貯蔵管理センター」というのがあるが、「貯蔵」であり、あくまでも一時的に保管しておくというだけなのである。最終的には「地層処分」と言い、深度数百メートルの地下深部に埋設処分する予定なのだが、そんな核のゴミを受け入れるなんという自治体はどこにも無く、処分場の候補地でさえ未だ決まらない状態である。
↑「高レベル放射性廃棄物」の「地層処分」のイメージ模型。ガラス固化体オーバーパックと呼ばれる鉄製の容器に収納され、さらに緩衝剤と呼ばれる粘土に覆われた状態で地下深くに埋設する計画。日本原燃はこの「地層処分」の事業に関わっておらず、青森県でも処分場を受け入れない事が決まっている。
↑堅苦しい話しが続きました。他にも「低レベル放射性廃棄物」だの「MOX燃料」だのあるのですが、長くなるので館内の展示物の説明はここまでにします。受付の傍らには土産物屋がある。「原発グッズ」とかあるだろうか?
↑残念ながら「原発グッズ」は無かったが、「六ヶ所村オリジナルまんじゅう」というのがあった!
↑土産物屋には「原発グッズ」は無かったが、実は「原発グッズ」があるのである。予約をして係員の案内を受けて見学した人だけ貰える、PRセンターのロゴ入ったボールペンシャーペンのセット。ピンクと青のバンザイをしたキャラクターだがこれが良く分からない。PRセンターの建物と同じくV字型に二つに割れた帽子をかぶっている。よく見ると胸に「6」の数字が入っているが、もちろん「六ヶ所」の「6」であろう。
↑PRセンターからタクシーで10分ほど。日本原燃の子会社が運営する「ろっかぽっか」という温泉入浴施設へ行く。はるばる関東から来た人間がタクシーを使って行くような所ではないのだが、原発関連施設という迷惑この上ない物を押し付けられた現地の人向けに、どのような金の使われているのだろうかとの興味から行ってみる。右側の銀色のオブジェは数字の「6」をモチーフにしたものであろう。
↑「ろっかぽっか」のキャラクター。「6」にこだわる六ヶ所村、やはりキャラが6匹いる。実はひとつひとつに名前が付いていて、一番大きな黄色のキャラが「Rocca」、前列左からオレンジ色が「Pocca」、緑色が「Pecca」、青色が「Picca」、紫色が「Rucca」、赤色が「Ricca」である。もちろんこんな事を覚えても何の役にも立たない。
↑「ろっかぽっか」の内部の写真。日本のどこにでもあるような浴場施設で、浴室のほかに休憩室、食堂、マッサージルーム、自動販売機、ゲームコーナーなどがある。設備の整った施設であるが、やはりタクシーを使ってはるばる行くような所ではない。
↑スペースが余ったので、「ろっかぽっか」の食堂でとった食事を。「びっくり仰天丼」なるもの。身体が大きい割には胃の小さい私は、半分以上残してしまいました。
↑「ろっかぽっか」のオリジナルグッズ。という事で六ヶ所村の短い旅も終わりです。お付き合い頂き有り難うございました。



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