その18 甲州道中・信州路最高所

富士見駅→とちの木御射山神戸金沢宿→茅野駅

旅行日 '00年9月2日
所要 約9時間


 富士見駅、標高955.2m。昭和の初期まで日本最高所だった駅である。近年の夏の暑さのひどいこと! 9月に入ったものの残暑甚だしき折であった。少しでも涼しい所へと鈍行列車を乗り継いで信濃くんだりの高所までやってきた。冷涼な気候を期待していたのだが、今年の夏の暑さはこのくらいの高度も無視してしまうほどである。「富士見」という地名、富士山の見える地域ではごくありふれたものである。甲斐(山梨県)では当たり前のように見えた富士山も国堺を超え、信濃(長野県)に入ると平地部では富士が見えることはなかなかに少ない。そこでわざわざ「富士見」という地名がつけられたのだと思う。
 富士見は甲州道中からは外れた地にある。道中沿いの最寄地「とちの木」まで急坂を下り1.5kmほど歩くことになる。




 とちの木の集落のはずれ。「とち」の字は本来、草冠に「子」と書く。標高は900m程。のどかな風景が私の五感を楽しませる。ゆるゆるとうねった細道。私はこのような道を「うどんのようなカーブ」と勝手に呼称している。このような道は我々古街道ファンの心をくすぐるのだが、現代人の感覚からすれば、道は細いし見通しは悪いしクルマが運転しにくくてしょうがないとでもいいたい所かも知れない。



 とちの木から歩いて20分、1.3kmほどの所。原の茶屋集落のはずれである。地図で見る限りここらが甲州道中・信州路の最高所で標高は963m位であろうか。ここが富士川水系と天竜川水系の分水嶺。延々と続く甲州道中において笹子峠(1096m)に継ぐ高所である。ならば「甲州街道(信州路)最高所」とでも標識が欲しい所であるが、あいにくとそういうものは無い。概して言えることだか、甲州道中は我々古街道ファンに冷たい。この付近、一応富士見峠という名称がついているのだが歩いている限りおよそ「峠」という感じがしない。笹子峠をえっちらおっちら登った際の「ああ、ここが最高所だああぁ」というような感慨が一向に得られないのである。この辺の違いが盆地である甲斐の国と全体が高原の地である信濃の国の違いではなかろうか。原の茶屋集落の傍に富士見公園がある。我々関東人は当たり前のように富士を眺めているが(といっても私の住む辺りでは年間何日も見る機会は無いが)信州人にとっての富士のあり難いさが伺える。




御射山神戸(みさやまごうど)の集落。「ミサヤマゴウド」とは不思議な地名である。「御射山」と「神戸」の複合地名らしいのだが、どこからどこまでが御射山でどこからどこまでが神戸なのかは良く分からない。もとは純然たる街村で、街道にそって街は発達し賑わってきた。しかしそれも昔のこと。この辺はバイパスも作られずそのまま国道20号、現代の甲州街道として大形トラック・トレーラーを含め大小様々なクルマが駆け抜けてゆく。騒音や振動、排気ガスがひどい、駐車するスペースも無く商業地としての利も無い。もはや住むにも商売をするにも適さない所である。かつては街道沿いの一等地であったろう地も、今では櫛の歯が抜けたような状態であり、時代の変化というものを伺わせる。私もこんな所は用無しといきたいところではあるが、アタマからシッポまで甲州道中を繋げるという目標のためには仕方ない。缶ジュースで暑さをしのぎながら1kmほどこの道を歩く。




 東海道、中山道、そして甲州道中と随分と街道歩きをしてきた。もちろん一里塚もしくは一里塚の跡も数多く見てきた。市町村教育委員会の立てた説明版があったり「一里塚跡」と標識が一本立っているだけだったり、立派な碑が建てられていたり、何一つ痕跡と認められるものが無かったり、それらしい姿で一里塚が復元されていたりと色々である。あまたある一里塚跡の中でも古の雰囲気を保っている点ではここ御射山神戸の一里塚は随一であろう。うっそうと繁った樹林の中の道、歩いてゆくといきなり目前にそれと分かる塚と巨木が目に飛び込んでくる。昔の旅人でなくともここらで一服、としたくなる。土と木を使ったランドマーク。実用的であり、造形としても優れていると思う。なおこの一里塚は江戸から48番目(或いは49番目、結構イイカゲンなものである)のもの。写真では片方しかお見せできませんが左右、一対(つまり2基)ちゃんと残っています。古の雰囲気に酔っているのも束の間。この先はセ*コー、エプ*ンの社宅が立ち並ぶ近代的な住宅地となる。現代の移り変わりようは、我々古街道ファンをいつまでも酔わせるようなことをしてはくれない。




 この不自然なS字状のカーブ。先のウドンのようなカーブとはえらい違いだが、これは昔の枡形(ますがた)の跡。要するに古来のクランク型の曲がり道を、クルマが通りやすいように無理やりにS字状に引き伸ばしったものである。ここからが金沢宿。甲州道中についていうと、過去の宿場としての地位と現在の街の賑わいとが全く比例しないように思う。現在の金沢の街も特に商店の数が多いとか、各種施設が集中しているとか言うことも無い。よほどのことがなければ昔はここが五街道のうちの一宿場であったなどとは、気付くこともまずなかろう。さてここ金沢の集落には最近出来た金鶏(きんけい)の湯という実に立派な温泉施設がある。まだこの先あるというのに、貧乏性(=せっかくだから入っておかなければ勿体無いという心理)の私は1時間あまりもここで休んでしまった。のでこの日この先、茅野まで歩いたのですが到着した頃には日はとっぷりと暮れてしまいよい写真がお見せできないので、これ以後のご紹介は次回とさせていただきます。



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