その19  上諏訪の湯をめざして

青柳駅→金沢宿茅野上諏訪宿→上諏訪駅

旅行日 '01年3月30日
所要 約7時間


 昔、といっても私の経験している昔なのでそれほどの昔ではないが、新宿から中央本線経由で長野まで行く鈍行の夜行列車があった。新宿を夜の23時55分に出発し、終着の長野到着が翌日の午前10時過ぎというものすごい列車で(ちなみに現今は朝一番の新幹線を利用すると午前8時頃には長野へついてしまう)アルプスの山々を目指す山男、山女がめいめいに陣取り、一種独特の雰囲気がある名物列車であった。山登りこそしないが汽車旅の好きな私もよくこの列車を利用した。とある夏(高校生の時分だったと思う)私が初めてこの列車を利用したとき、3人がけのシートで身体を休めていた。目が覚めた。今どの辺りか。外を見ると「あおやぎ」の駅名板が見えた。辺りには朝霧が立ち込め素敵だった。
 この青柳駅つい最近建て替えられた。地色むき出しのコンクリート造り、小さな待合室があるだけのなんとも素っ気の無い駅である。今日はここからスタートする。




 青柳駅を出発し、大型トラックの行き交う国道20号を10分ほど歩くと金沢宿である。甲州街道もずいぶんと歩いてきたがここ金沢宿は、出桁(でげた)、出格子の家屋が結構残っており旧宿場としてのそれなりの雰囲気はある。もっとも空家となってるもの、廃屋寸前のもの(←写真参照)も多く、この家々が見られるのもあと数年といったところであろう。
 さて、前回もここ旧金沢宿を歩いているが、その時は宿を抜ける辺りでいきなりのにわか雨に祟られた。そして今回も宿のはずれ辺りでお天気様の不機嫌に祟られた。今回は雨ではなく横殴りに吹き付ける"雪"である。「ああ、まずい。このまま諏訪まで歩いていかなければならないのか…」と思っていたら、雪は10分も経ったら止んでしまった。もう30分も経つと青空まで覗きだした。金沢宿の西側には狐塚なる所がある。前回も今回もここを無視してしまった。果たしてこの狐様のご仕業か…、そんな戸惑いがチラッと頭の中をかすめた。



 旧街道を歩いていて不思議に思うことはいろいろあるが、その最大のものは"宿場"の配置についてである。この茅野は"宿"では無く間宿(あいのしゅく)であった。この前後金沢宿と上諏訪宿の間は三里十四丁(13km余り)もある。茅野は江戸時代より商業の町として賑わった所である(現に今では人口5万5千もあり、もちろん"市"制も施いている)。ならばここに"宿"を配置しても良かったのでは…。
 さてその茅野の町。繁華な商店が並ぶ…、と言いたいところだが、ここも例に漏れず商店街衰退の波にさらされている。春の掻き入れ時だというのにシャッターを閉じた店が多い。歩く人の姿はまばら。クルマは多けれど通過するだけ。そのクルマが止まる所と言えば銀行か役所か、といった有様である。駅前のとある大型店の「買い物をしなくても*時間まで駐車場無料」という張り紙が、駅前商店街の苦しさを物語っている。日本の町の姿もあと十年もしたら大きく変わるのではなかろうか。



 茅野の町を抜け、しばらくは国道20号の喧騒と共に進む。上原八幡社の辺りから甲州道中は国道筋を外れ、山側のひなびた民家の並ぶ細い道筋へと入る。神戸、桑原、普門寺(←鉄道ファンならお馴染みの名前)、細久保と小集落を進む。いかにも旧街道と言ういい風情だ。
 この付近の見物といえば、民家の造りではなかろうか。左写真は神戸集落の諏訪のたてぐるみと呼ばれる独特の造りの民家である。ごらんのように土蔵を家がすっぽりと抱え込んだような造りで、諏訪の辺りでも限られた地域でしか見られない。さらに面白いのは最近建てられた(と思われる)住宅でもわざと(だと思うが)この"たてぐるみ"スタイルを取り入れた家があること。この地域での一種ステイタスなのであろうか。見れば見るほど不思議なのであるが、なぜこのような意匠の家が建てられるのか。この地域の人は土蔵に頻繁に入らなければならなあい事情でもあるのだろうか。そんな考えをあれこれ巡らせながら歩くのも面白い。



 ついでにもうひとつ。写真左側は長野県南西部に多い、妻の頂部に烏おどしを備えた民家。写真右側は諏訪地方独特の雀おどりを飾った民家。どちらもなかなかの威風で見ていて楽しいのだが、どうして"烏"が"おどし"で"雀"が"おどり"なのか?
 私なぞは、都市の郊外で生まれ育った人間なので、烏は忌まわしく雀は可愛い、なんて言われると間に受けてしまいそうだが、農家にとっては米を食い荒らす雀こそ最大の害鳥なのではあるまいか? ああ、またくだらぬ考えがあれこれ頭を巡る…。

 以上、民家の項は「民家ウオッチング事典(吉田桂二著:東京堂出版)」を参照させて頂きました。



 さてさて、上諏訪の街にたどり着いたのは夕方の5時過ぎのこと。今日は寒かった。慌てて家を飛び出し薄着のまま来てしまった(まさか雪まで降るとは思っていなかった)。ここらでゆっくり温泉に…、とは最高のパターンである。ありました! お気軽に入れる温泉が! 市営の公衆浴場精進湯。資料によると江戸期よりの由緒のある浴場で、この地が手長社の参道筋にあたるのでこの名があるとのこと。昔からの庶民の湯でうれしいことに今も公衆浴場として誰でも入ることが出来ます。外観こそ近代的なビルへと建て替えられていますが…。もちろんタオル一枚ぶら下げて入浴してみました。5人も入ればいっぱいになってしまう極々小さな浴場で、バスクリンの香りが妙に印象に残りました…。



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