その15  石いろいろ
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  韮崎駅→祖母石穴山橋牧の原→日野春駅

旅行日 '01年3月10日
所要 約9時間


 韮崎駅から歩くこと30分ほど。十六石(といっても石は一つしかないが)なる石がある。天文12年(1543)若しくは13年、当時まだ晴信といった頃の武田信玄が、釜無川の治水工事のためにならべた堤防の石の一部だとのこと。




 祖母石(うばいし)の集落。全国どこでも火の見櫓は見られる。通信設備の完備したこの現今、こんなものが役立つとも思えないのだが、取り壊すほどの事情も見つからずなんとなく残っている、というものが多いと思う。
 集落の右手、断崖の上は武田家最後の居城となった新府城(しんぷじょう)。東西南北と見渡しが良く、最後の防衛線としてこの地が選ばれたと一般には思われているが私の考えは違う。実は断崖の上の新府城、東には富士山、西には八ヶ岳、南には鳳凰三山と絶景の地なのである。しかも周りは桃畑(戦国の世はどうだったか知らぬが)。まさしく桃源郷なのである。
 連戦連敗、もう戦さも何もイヤになった勝頼が「ああ、もうどうでもいいや。あとは好きなように残りの人生を楽しもう!」と浮世の名残にこの地に居を構えたのに違いない。



 先にも申したとおり、この付近の地名を祖母石という。不思議な地名だが集落のはずれ、田んぼの中に姥婆石(うばいし)なる地名の由来となった巨石がある。石の前の説明版には「あたかも姥婆があごを支える姿に似ていることから…」とあるがそう見えるでしょうか?




 穴山橋より。釜無川七里岩の断崖絶壁。


 上円野(まるの)の集落。明治天皇御小休所の碑


 本日の一枚。地形図と本日の食料。





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