95.10月総選挙以降のザンジバルの状況について


昨年の10月に行われたタンザニアの総選挙は、ザンジバルにおいて今もなお政治的混乱の影を落としている。タンザニアという国はTanganykaと呼ばれる本土とZanzibarと呼ばれる島嶼部が、それぞれの独立の後に、1964年4月27日合邦し、Tanzaniaという一つの国を形成した。
合邦以前も互いに交流はあったが、その文化は相当違いがあり別の文化圏と見た方が妥当である。具体的には、ザンジバルは95%の住民がイスラム教徒であるし、本土ではキリスト教30%、イスラム教30%、その他40%といわれている。
また政治的にも、ザンジバルでは合邦後も内政面を中心に自律が認められていて、独自の国会と大統領を持っている。ザンジバルの大統領はタンザニア連邦の正副大統領に自動的になり、一方でザンジバルの住民はタンザニア全体の大統領と、国会議員の選挙権も持っている(しかし、Tanganyikaつまり本土独自の大統領、議会は存在しない。つまり、ザンジバル自治区という感じであろうか?)。
Tanganyikaは61年12月に独立を果たしたが、これは平和に行われた。一方Zanzibarの方は93年12月独立を果たす。そのとき行われた総選挙でスルタンを元首に戴く勢力が政権を握ったのだが、実際の投票率では社会主義を標榜しスルタンを追放する野党勢力の方が、上であった。このことをもって、64年1月12日野党が革命(クーデター)を起こし、政権を奪取した。その後、合邦するのだが、ザンジバルのカルメ大統領は自治権を行使し、本土とは別に独裁的な圧制を行い、そのことによって72年に暗殺された。暗殺はしかしクーデターにはならず(つまり、カルメ政権の継続的な、しかし実は根本的な改革が行われた。ザンジバル革命(1964.1.12)以後の政治状況を、参照)、その後も政治的な党派的駆け引きが続いた。このためザンジバルの政治地図は一党独裁時代から本土に比べて非常に不安定だったわけである。
この混乱は、ザンジバル内の地域という形も取っている。ザンジバルは大きく分けると2つの島からなっている。Pemba(ペンバ)とUnguja(ウングジャ)である。後者が政治経済の中心であり普通にはザンジバルと呼ばれている。Pembaはかつてクローブ(香辛料)のプランテーションでザンジバルの経済を支えていたのであるが、近年はクローブ貿易の衰退でザンジバル本島に比べ産業がなく、多くの島民は本島に出稼ぎに来ているのが現状である。実際に、電気・道路などのインフラは立ち後れ、高等学校も少なくそれ以上の教育を受けるには本島に出てくることになる。このことでPembaの島民は不満を抱いているし、本島の人間はPembaの人間を田舎者と見たり、実際には政府予算を回さないといったことで差別しているとも言える。
今回のザンジバルの国会選挙では野党CUFは50議席のうち24議席を占め、そのうち22議席はPembaで獲得した。一方与党CCMは26議席全てを本島から得ている。そして、CCMは閣僚を今までの慣習に反して、全て本島出身者から選んだ(かつては半々であった)。ここに来て、両党の対立は地域的紛争の形も帯びてきた。
両党の政策的な対立について、わたしはほとんど知らない。これは野党CUFが選挙前実質的に地下に潜らざるを得なかったためである。わたしが青年海外協力隊の美術教師として、ザンジバルの美術学校に滞在した92.12から94.12の間、CUFの話を人前でするのはタブーであった。それが、話しかけた人に不利益を与える可能性が多かったし、そのことで外国人として自分がマークされることも考えられた。実際にわたしは学生と一緒に民主主義とは何かを話し合ったこと(当然CUFについては触れていない)で、後日省に呼び出され国外退去や、身柄の拘束を示唆された。しかし、この時期タンザニアでは複数政党制は認められ、一党独裁制の時ですら党内の民主主義は奨励されていたはずなのである。
一方で、政府が運営するテレビでは毎日のようにCCMの政治集会が映し出され、そこではCUFの批判が行われていた。だから外国人にとってはCUFの活動は見えないし、相当弱小な党であり危険な活動をしているのでないかという先入観を持ってしまう状況ではあった。実際テレビではCUFの党首がザンジバルをルワンダのような内戦状態にさせると、語ったと報道したことがあった。このことをテレビ局に勤めていた協力隊員が見てきたように語っていた。実際にはCUFの党首がこのままCCMがCUFを集会妨害等の政治的弾圧を続けるならば、自分も党員に対して制御できなくなるから、結果として内戦状態を招来する恐れがある。だからCCMは複数政党制の精神を理解し政府はそれを遵守せよとアピールしていたことが、CUFシンパによって知らされた。このころからわたしは、テレビや他の協力隊員からの政治的情報を疑ってかかるようになった。
昨年から続く政治的混乱は、CCMによってもたらされているものだということは、疑う余地がない。選挙前のCUFへの政治活動の弾圧、選挙での票の取り扱いの不正、選挙後のCUFシンパへの弾圧**、政治的対立を地域的対立にまで持っていき、それを激化させようとしていること、等々。一方でCUFは議会をボイコットしたままである。このことを批判するザンジバル人も多い。しかし、逆にCUFが暴力に訴えないで今まで耐えてきたことの方が、わたしは立派だと思っている。 また、この間CUFはタンザニア司法当局に色々な形で提訴もしてきたし、一方で、選挙監視団を派遣し不正が行われたことを認める国々対して働きかけてきた。4月以降タンザニア大統領ムカパ氏がザンジバル政府のやり方を支持する談話を出し、そのことに力を得てザンジバル政府(CCM)は積極的なCUFの弾圧をはじめた。このことで、4.23ノルウェーが、5.7スウェーデンとデンマークが、5.22フィンランドが、それぞれCUFへの人権侵害に抗議して、ザンジバルへの援助の凍結、新しい援助の見送り等を発表した。また、日本の大使代理のShigeyuki Suzuki氏がザンジバルテレビ局への援助の式でCUFとCCMの関係に関して懸念を表明した。
北欧の国々はタンザニアとは友好の深い国々である。援助の額は日本やUSAなどに比べれば少ないだろうが、彼らの国の対援助国としてはトップクラスだろうし、肌理の細かい援助を行っている。また、建国の父ニエレレ大統領の信任も厚い。これらの国の行動はタンザニアにとっては小さくないはずである。実際にこれらの国に対して、ザンジバル政府は内政干渉だとか、CUFが外国諸国と手を結んでザンジバルを混乱におとしめようとしている、というような談話を発表していない。 わたしは、この後ザンジバル政府(CCM)が強硬な方針に臨むのか、CUFとの対話に臨むのかその岐路に立っていると思っている。
わたしには何もできないが、多くの人にこういうザンジバルの状況を知ってもらいたいと思っている。
1996.5.30 荒井真一

**例えば、わたしの友人島岡さん(通称、革命児)は自力で道場を作り、ザンジバルで柔道を長年教えている(彼は青年海外協力隊とは全く関係がなく、一人NGOといった人でアフリカの人民とともに平和と幸福を目指すべく、ザンジバルで生活して10年近くになる青年だ)。彼はその功績が政府に認められて、数年前ビザも専門家のものに切り替えられていた。しかし選挙運動期間中、彼の弟子のほとんどがペンバ島出身者ということで(CUFのメンバーが多いだろうという推測で)道場を閉鎖された。現在も道場は閉鎖されたままだ。彼らの弟子はタンザニアではトップクラスで、ケニヤ遠征もする強者たちである。このまま、もう1年にもなる閉鎖が続けば彼らの力は低下する一方だ。また、それよりもビザの取り消しという措置についての危惧で島岡夫妻(奥さんも日本人)の生活も不安定な状態が続くだろう(ザンジバル政府は、このような件に対して一切の異議申し立てを認めないだろうから、いったんビザの継続が認められなければ、彼らのザンジバルでの生活は苦しいものになってしまう。道場は政府に没収されるだろうし)。
**追記(1996.7.25)一昨日島岡さんから手紙が届き、道場が再開されたとのことです。よかったです。しかし、ザンジバルの状況は膠着したままで、このまま次の4年後の選挙までいくのではないかと、楽観的で諦観した雰囲気も出てきているとのことでした。

「ムカパ連合共和国大統領はザンジバル政策で失敗してしまった」

05-04-1996、ンドゥル・モイガ(Nduru, Moyiga)@ダルエス・サラーム
Inter Press Service English News Wire


ムカパ(Benjamin Mkapa)氏のタンザニア連合共和国大統領就任からの6カ月は概ね好評である。
ただし、ただ一つの例外がある。
それは、インド洋の島々ザンジバル(ザンジバル島+ペンバ島)での政治的危機に十分対応できてこなかった点である。この地の識者は、ムカパのザンジバルで頻発する暴力的な政治的騒動の沈静化をあからさまに拒絶する態度が、彼がこれまでやってきたことへの信用だけでなく、最近また契約を更新した援助国や投資国の信頼にも影響するだろう、と言っている。建国の父であり引退後も与党CCMでかなりの影響を持つ、ニエレレ元大統領の後ろ盾を得、ムカパは他のCCMの大統領候補に対しては政治腐敗に対する強い姿勢で、党の指名を受けた。そして今回の大統領選挙の争点は、政治腐敗=汚職構造をどうするかであった。
そして大統領に就任すると、公約どおり自分の資産を公開し、内閣からかつての閣僚をはずし、改造を行った。汚職に対して、具体的な、つまり処罰が示されたわけでもなかったのだけれども、識者によればジェスチャーこそが大切だったのだと言うことだ。「ムカパの真価は、国立商業銀行をはじめとした、準国営企業での広範囲で大規模な汚職構造にどう対処できるかにかかっている」と、タンザニア選挙監視委員会(非政府系の監視団体)の政治学者ムヒンナ氏は語り、「内閣以外については、行政の各レベルで問題になった人物がそのまま役職に就いている」と語った。「結局、周囲が未だそうなのだから、現存の構造にムカパは縛られていくだろう」とも、語る。「しかし、政府ではなく、市民のレベルで公金の不正運用にたいする監視と暴露を進める風潮が形成された」とつけ加える。「汚職に対して手つかずだった、前大統領ムウィニの代では、そういうことはなかった」。
東・南アフリカ大学調査組織(独立系の政治・経済シンク・タンク)を主宰するマリヤムコノ氏は「汚職は至るところに存在しています。しかし中央省庁から汚職がなくなれば、ついには汚職がなくなるでしょう。そして経済的には、ムカパの方向は正しいと思います。一般大衆の生活は改善されたわけではないが、彼の就任後の2カ月でタンザニアシリングは強くなってきたし、色々問題はあるが援助国は援助撤回を止めたし、投資もよくなった」と語る。
しかしながら、最近ムカパがザンジバル問題に対して行った厳しい声明は、少なからぬ人にショックと危惧感を与えた。その妥協のない姿勢は、彼がこれまで成し遂げたことを台無しにしてしまうのではないだろうか?
ザンジバル島とペンバ島は1964年の本土との合併以後も、本土政府から自律したザンジバル政府によって治められてきた。昨年の選挙では与党CCMのアムール(Salmin Amour)が、野党CUF(the Civic United Front)のハマッド(Seif Shariff Hamad )を破って、二期目の大統領になった。しかし、野党CUFは選挙における不正や、両候補の得票率の差が0.4%という事から来る彼らの訴えを、無視され続けるので、議会をボイコットし、選挙違反追及の市民キャンペーンを展開している。これに対して、アムール大統領率いる与党CCMは脅迫と嫌がらせと野党がいう方法で応えている。変電所を爆破したという事で、CUFの党員が40人以上逮捕され、党首ハマッドの家は武装警察によって捜索された。この状況へのムカパ大統領の干渉と仲裁が望まれたが、無視され続けたため、事態はより深刻になった。
野党党首ハマッドは、今週ニエレレ元大統領に仲介を求めた。そのとき彼は「タンザニアがブルンディ危機で大切な役割を担ったのに、国内で広がる危機に対処できないのは皮肉だ」と語った。本土では、最大野党のNCCR-Magueziのムレマ(Augustine Mrema)党首が、全ての野党に、この問題での共闘会議を呼びかけた。
国際的な抗議も大きくなってきている。ノルウェーはザンジバルへの援助を凍結したし、米国はこの状況への憂慮を表明した。アフリカ統一機構の書記長でザンジバル出身のサリム氏(Salim Ahmed Salim)も仲裁を呼びかけ、与党CCMが野党を尊重するように促した。 しかし、これらの情勢にもかかわらず今週はじめ、ムカパは野党CUFへの迫害の報告を否定し、アムールをザンジバル大統領として支持していくと声明した。ほんの少しの識者が、野党CUFが選挙結果を受け入れるべきだという、ムカパの方針を支持した。先出のマリヤムコノ氏は「ザンジバルとペンバについて語ることに、疲れてしまった。1%の人々の問題が、後の99%の人々の問題を隠蔽する」と語った。しかし、大方はムカパの方針に対して否定的である。「彼の声明に多くの人が驚いた。人々はそれが不合理だから、辛くなった」と先出のムヒンナ氏は語る「ムカパのザンジバルCCMへの、特にアムールへの支持は、彼がアムールの失礼で不服従で非合法的で独裁的な振る舞いに寛容であることを示しています。タンザニア連合共和国の大統領としては、傷口が永遠に残ることにならないように、この状況を終わらせなければならない。彼の声明は和解への扉を閉めてしまう、悲しくて、驚くべきものだった。残された道は、野党CUFがこの抗議行動に疲れて止めるか(これはとうてい考えられない)、CCMがこの状況に対して強硬姿勢を強めるしかない」。
ムカパの行動については、色々な理由が考えられ流布している。皮肉なのは、来るべきCCMの議長選挙で ザンジバル人への票の譲渡に嫌気がさしたからだというもので(訳者文意不明)、というのはザンジバルは党内でいつもよく代表されていたからである。またある人は、CUFがザンジバルを治めることになれば、合併について公式に再考する恐れがあり、それをCCMが恐れているという。理由はなんであれ、ムカパがアムールと密接な関係を取るのは、問題である。
この危機は、ザンジバル島とペンバ島という地域問題も蒸し返している。確かに、CUFはペンバ島の21全議席と、ザンジバル島での3議席、それに対してCCMはザンジバル島だけで26議席を獲得した。一般に決まり切った見方だと、ペンバ島人はザンジバル島人に劣り、アムールによってずっと搾取されてきたというのが、CUFからアムールへの公然とした非難である。ペンバ島は常に行政的に重要視されなかった。64年の革命以降全てのザンジバル大統領は、ペンバ島ではなくザンジバル島出身者である。「しかし、CUFがザンジバル島でも3議席取ったというのは、かなりの支持をザンジバル島でも持っていることになり、ペンバ島党ということにはならない」と、ムヒンナ氏は語る。「ザンジバル指導者が、搾取と焚付けること(迫害)によって、憎しみと民族対立を激化させているのです。税金収集の改善に対する懐疑的対応などを通して、援助国はムカパ氏に対応している。ムカパはこういうリスクを今援助国に持っているが、そのうちに、そのコストを払うことになるのではないか?」とムヒンナ氏は警告し、「ムカパ大統領が彼が主張するように民主主義者ならば、ザンジバルでの人権侵害行為を続けさせてはならないのです」と語った。
*オリジナル英文はE-mail from Anonymous: June.19,1996にあります。
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何故ぼくはザンジバルの総選挙に関心があるのか?