ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
信仰の証し
〈2〉 私の信仰体験記  

                   牧師 新谷 寛

 ★私の救いの体験は、牧師紹介ページに書きましたように、劇的なものでなく、家内のそれのようにあざやかなものでもありませんでした。長期間の間に徐々にじわじわと変化させられた新生体験でした。
 ★自分で、今になって自己分析してみると、キリスト信仰を心(霊魂)の問題としてとらえないで頭で理解しようともがいていたことを思い出します。また、幼い頃、七五三などで異教徒の両親に連れられて神社参りをさせられていたり、仏教幼稚園に入れられなどして異教の影響を受けていたことが、私の回心を困難にさせていたと考えられます。
 ★生まれた直後、両親によって神社でいわゆるお払いを受けたり、在来宗教、新興宗教、異端などに関わっていた人が回心して洗礼を受ける場合は、牧師は授洗前のその人のために悪霊追放の祈りをして置かなければなりません。昔のキリスト教会では当然のこととして行っていた事ですが、現代の教会では余り行なわれていません。その祈りをしないと受洗後その信徒が諸宗教の霊に悩まされ、信仰生活が難航することがあるのです。
 ★クリスチャンになってから、牧師紹介欄に書きましたように、エゼキエル書の御ことば
(3:17〜21)が重くのしかかって来ましたので、牧師(当時神学校在学中)に相談しましたところ、「その御ことばはエゼキエル本人に語られた神のことばであって、君に語られた言葉ではない」と言われました。しかし、そう説明されても、私の心の重荷は一向に軽くなりませんでした。
 ★後で知ったことですが、その時の牧師の説明は間違いであり、エゼキエル等聖書の登場人物に語られた御ことばを、聖霊が用いることによって、それが現代に生きる私たちキリスト者に個人的に語りかける神のことばに変えられることがしばしばあるのです。つまり、公文書としての聖書(ロゴス)が聖霊の御手によってキリスト者個人個人宛ての私文書(レーマ)に神の御心のままに変化するのです。
 ★さて、改革派神学校を卒業して、和歌山伝道所の牧師になりましたが、教団の一員として上部の命令に従順に従うより、自給自立の伝道生活をしてみたいという願いから、3年後に同教団を退会し、自給独立伝道を始めました。若気の至りと言うべき無謀な行動ではありましたが、今になって振り返る時、これは主の導きであり、最善な道であったとしみじみ思うのです。その理由は後に記します。
 ★学習塾を自宅に開設したり、タクシー乗務員になったりして家族を支えつつ、伝道して来ましたが、働きながらの伝道は予想以上に困難なものでした。何とか、聖霊の力がほしいと祈っている時、デニス・ベネット著「聖霊とあなた」やマーリン・キャロザース著の「獄中からの賛美」などの書物に出会い、聖霊のバプテスマや聖霊の賜物が聖書の中の出来事であるばかりか、現代のキリスト教会にも生きて働いているものであることを知らされたのです。
 ★救いの体験同様、聖霊のバプテスマも私の場合は何ら劇的なものではありませんでしたが、祈りと信仰によって確かに聖霊の賜物が与えられたと信じています。最近の経験では、家内が真夜中に急に激しい腹痛を訴え、救急車を呼ばなくてはならないかも、という思いがよぎった時、何はさて置き祈ろうと思い直して、主イエスの御名によって家内の腹に回復を命じ、激痛に退去を命じたところ、ほどなく家内の腹痛は消え去り、その夜は安らかに眠ることが出来ました。翌日医者に診てもらいましたが、異常は認められませんでした。
 ★これより以前、健康管理のために自宅で実践している体操の時、スクワット(両足の屈伸運動)をやり過ぎて、急性関節炎のような股関節の激痛が襲って来た時には、家内を呼んで痛む股関節の辺りに手を置いてもらい、私自身で「主イエスの御名によって、激痛よ去れ、関節よ癒されよ」と命じたところ、痛みが徐々に引いて行き、事なきをえました。
 ★私が改革派教会を去った後、神学校時代の同期生の一人が聖霊のバプテスマを受け異言を語るようになったと言うそれだけの理由で、改革派教会を除名になったと聞きました。自分には関係ない事と思っていましたが、聖霊体験をした後になって、改革派教会を退会したことが最善であったと確信できたのでした。主イエスの御名のために除名になることはクリスチャンにとって大きな名誉です
(ルカ6:22)。私は、聖霊のバプテスマを受けるのが遅すぎて、この大名誉を受け損ねました。
 ★
礼拝やメッセージの前に異言の祈りをする時としない時では、その霊的力に大きな違いがあることに気が付きました。これからは、祈りとトラクト(福音伝道用パンフレット)配布に留まらず、主イエスや使徒たちに習ってあらゆる形の伝道活動をこつこつ実践して行きたいと願っています。

 ★聖書のことば 
「天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤してものを生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者に糧を与える。このように、わが口から出る言葉も、むなしく私に帰らない。私の喜ぶところのことをなし、私が命じ送った事を果たす」(イザヤ55:10,11)。 


URL http://31church.net
キリスト紀元2004年 3月 30日公開