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信仰の証し
〈1〉 私がクリスチャンになったわけ   

                 牧師夫人 新谷 初穂

 ★約50年前、中学二年生の終りに私は当地兵庫県淡路島にある仮屋中学校(現東浦中学校)から石川県の鶴来町という町に父の仕事の関係で転校して行きました。
 ★熱心に教えてくださった先生方、仲良しだった級友との別れがつらく、泣きながらの転校でした。けれども、神様はその町に、一人のアメリカ人宣教師との出会いを用意していて下さったのです。
 ★高校三年生の頃、公民館の一室で、キリスト教の集会が開かれていました。そこで、私は一つには英語が目当てで、一つには生きる目的、勉強の目的等の疑問に対する答えが見つかるかもしれないと言う漠然とした期待から、集会に出席しました。
 ★驚いたことに、宣教師の先生は開口一番、「私たちは神様の前には、皆罪人です。」と言われました。私はその頃、大学受験を目指して一生懸命勉強しており、特に悪いことをした事もなく(その時はそう思っておりました)、ましてや、法律に触れる事など何もした事がなく、ごく普通の人間であり、自分が善人だとも思っていませんでしたが、「罪人」だなどと一度も考えたことはありませんでした。
 ★けれども、聖書には「あなた方も外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法で一杯である」
(マタイ23:27,28)と書かれており、ドキンとしました。悪い思い、欺き、うそ、嫉み、そしり、高慢、憎しみ等々、本当に私は神の前に罪を犯したことがないのでしょうか?自分の心の中をさぐる時、私は如何に何度も心の中で人を憎んだか、ねたんだり、うそをついたりしたかを悟らされ、身の縮まる思いでした。
 ★「聖霊が来たら、罪と義と裁きとについて、世の人の眼を開くであろう。罪についてと言ったのは、彼らが私(主イエス)を信じないからである
」(ヨハネ16:8,9)。造り主であられる神を信じないで生きていることが何よりも大きな罪だとも分かりました。それは、丁度、子が親を親と認めないのと同じ様なものではないでしょうか。「人は、一度死ぬ事と、死後神の裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9:7)。このままでは私は間違いなく、死後神の裁きのもと、地獄に行くことになると確信しました。
 ★ある夜、夢を見ました。それは、自分が真っ暗闇の中に、たった一人ポツンと立ちすくんで、暗闇の孤独の中に取り残されている夢でした。神様が夢を通して、私に神の裁きの恐ろしさを教えて下さったのだと思います。
 ★「主イエスは私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられた」
(ローマ4:25)。イエス様が私の罪の身代わりに、十字架にかかって死んで下さったことを私は素直に信じ、牧師先生の導きにより、神様の前に悔い改めの祈りをしました。「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ(罪を赦され、罪のない義<ただ>しい者とみなされ)、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:9,10)
 ★こうして私はクリスチャンとなり、心は平安としみじみとした喜びとに満たされました。その後、また夢を見ました。自分が白い衣を着て、光に包まれ、穏やかに流れる川のほとりで憩っている夢でした。とてもはっきりとした夢で、45年たった今でも昨日のことのように覚えております。神様が夢の中でも私に救いの恵みを示して下さったのだと確信しております。
 ★クリスチャンとして歩み始めてからも、いろいろの試練があり、苦しいこと、悲しいこと、困難なこと、病気、経済的困窮等々ありましたが、主はその都度必要な助けと恵みを与えてくださり、弱い私を今日まで守り導いてくださいました。

 ★聖書のことば 
「この大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さを思いやることの出来ないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべての事について私たちと同じように試練に会われたのである。だから、私たちは、あわれみを受け、また、恵みに与って時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」(ヘブル4:15,16)。 ハレルヤ(神を賛美します)、アーメン(真実に)。


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キリスト紀元2004年 3月 30日公開