1938年東京生まれ。高校3年生(18才)の時、バプテスト派米人宣教師に導かれて受洗。旧約聖書エゼキエル書3:17〜21(下記)のみことばに促されて伝道者の道に入る。
 中央大学(文学部哲学科西洋哲学専攻)卒(1962年)、神戸改革派神学校卒(1965年)。和歌山伝道所牧師として3年間務めた後改革派教会を辞し、単立(独立)伝道の道に進む。金沢キリスト宣教館、府中家の教会牧師歴任。その後、聖霊のバプテスマ(新約聖書マタイ3:11)を受け、聖霊の賜物(新約聖書第一コリント12:4〜11)に眼を開かれる


 【どのようにしてキリスト者になったか?】
 ★その頃(高3の頃)我が家にも自分の心にも見出せなかった真の平安と喜びと愛とが、家の近所で開かれていた宣教師の家の小さな家庭集会の中にあるのを発見して、それらに渇いていた筆者はむさぼる様に聖書を読み始めたのです。読むうちに聖書のすばらしさに霊の目が開かれつつも、自分の生来の思いが突きつける疑問に悩まされ、その疑問を宣教師にぶつけてみましたが、満足のゆく解答は得られませんでした。しかし、出会ってからたった3ヶ月で彼は遠方の赴任地へ向かって去って行くことになったので、彼から受けておきたいと言う気持ちで十分準備のできてないまま洗礼を受けました。
 その後、筆者は聖書やキリスト教書を読みあさりながら神の道を模索し、試行錯誤の末、数年後やっと信仰による主にある心の平安と喜びと新しい命を見出すという過程を経てまいりました。もちろん、その間の主の格別なあわれみと諸教会のとりなしの祈りとがなかったら、今日の自分はなかったでしょう。
 このようなわけで、筆者の回心は、使徒パウロのそれのように劇的なものでなく可なり時間のかかった漸次的なものでありました。


【どのようにして伝道者の道に進んだのか?】
 ★
始めは、伝道者の道に進む気は全くなかったのですが、下記のエゼキエル書のみことばが「あなたが伝道者の道を回避するなら、その結果あなたから福音を聞いて信じるはずの人びとが、主イエスの福音を聞けず信じるチャンスを失って地獄に落ちた場合、その人々の滅びの責任をあなたに求める。」と言うことばとなって筆者の心に迫って来て、ついに屈服させられた形でした。もちろん人にではなく、神のみ声に。

 ★聖書
のみことば(エゼキエル3:17〜21) 
 「人の子よ、私はあなたをイスラエル(キリスト者は霊のイスラエルと呼ばれる。
ロマ2:28,29)の家のために見守る者とした。あなたは私の口から言葉を聞くたびに、私に代わって彼らを戒めなさい。私が悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言う時、あなたが彼の命を救うために彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は自分の悪のために死ぬ。しかしその血を私はあなたの手から求める。
 しかし、もしあなたが悪人を戒めても、彼がその悪をも、またその悪い道をも離れないなら、彼はその悪のために死ぬ。しかし、あなたは自分の命を救う。
 また、義人がその義にそむき、不義を行なうなら、私は彼の前につまずきを置き、彼は死ぬ。あなたが彼を戒めなかったゆえ、彼はその罪のために死に、その行なった義は覚えられない。しかし、その血を私はあなたの手から求める。けれども、もしあなたが義人を戒めて、罪を犯さないように語り、そして彼が罪を犯さないなら、彼は戒めを受け入れたゆえに、その命を保ち、あなたは自分の命を救う。」




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キリスト紀元2004年 8月 26日更新

     
 
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東浦三一キリスト教会
 新谷(しんや)寛牧師
2003年8月撮影