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〈2〉道を誤る
タクドラ牧師の人生案内
 ★これはタクシー乗務員として新人の頃の筆者の失敗談です。高速道路の入り口で上りと下りを間違えたのです。中央高速調布インターは上り下りの分岐点が料金所を過ぎるとすぐ間近にあるのです。高速を走るのがその時で2回目だった筆者には行き先の標識が目に入らなかったのです。上り方向に進行すべきところ、下り方向に進入してしまったのです。しかも客を乗せていて、さらにまずい事にかなり走ってからそれに気づいたのです。都心に向かっているはずなのに、都心にはない山々が見え始めたのです。急用でない寛容なお客さんだったため料金の精算だけで許してもらえましたが、思えば、人迷惑な新人ドライバーでした。
 ★人生の道も選択を間違えると悲惨な結果になります。生きている時には気づかず、死んでからやっと気づく大失敗があるのです。それは、イエス・キリストという「人の歩むべき道」(天国への道)を知らずに、あるいは無視して一生を終える人の生涯そのものです。何しろ、自分が一生の間にしてきたこと、しゃべったこと、心の中で思ったことのすべてが、国家の法律ではなく神の法律にもとづいて神の法廷で裁判にかけられるのですから(キリスト教案内〈9〉神の法律「律法」十戒についてご参照)。国家の法律は、人の心の中まで裁けませんが、神は私たちの心の中までご覧になって裁かれます。「
人は一度死ぬことと、死後神の裁きを受けることとが定まっている。」(ヘブル9:27)とある通りです。
 ★しかし、イエス・キリストを救い主と信じる者は、自分の罪が一切裁かれず、死後天国に移され、キリスト再臨の後、再創造される新天新地で永遠至福の生活を許されるのです。なぜなら、罪のない完全な生涯を歩まれた主イエスが、私たちの罪の身代わりに十字架上で裁きを受け罪をあがない、死の力に勝利されて三日目に死なない身体によみがえってくださったからです。「
主は、私達の罪過のために死に渡され、私達が義とされ(罪ゆるされ)るために、よみがえらされたのである。このように、私達は信仰によって義とされたのだから、私達の主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。」(ローマ4:25〜5:1)。
 ★私たちキリスト者は自らの能力によらず、人の説得にもよらず、神の言葉・聖書を読み、羊の様にこれを反すうする中に、私たちの心の中で証言なさる神の聖霊の証しによって、このキリストのあがないによる自分の救いを心底から確信できるのです(「
聖霊は私達が神の国を継ぐことの保証である。」エペソ1:14)。
 聖書のことば「
神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開