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   主イエスのたとえ話

  
〈33〉実を結ばないイチジクの木のたとえ

 聖書
 「それから、このたとえを語られた、『ある人が自分のブドウ園にイチジクの木を植えて置いたので、実を探しに来たが見つからなかった。そこで園丁に言った、「私は3年間も実を求めて、このイチジクの木のところに来たのだが、いまだに見当たらない。その木を切り倒してしまえ。何のために、土地を無駄にふさがせて置くのか」。すると園丁は答えて言った、「ご主人様、今年も、そのままにして置いてください。その周りを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。それでも駄目でしたら、切り倒して下さい』」。
    ルカ13;6〜9

はじめに
 ★このたとえ話はルカによる福音書にだけ登場する話です。そして、この話の直前に、ピラトがガリラヤ人の捧げるいけにえにガリラヤ人自身の血を混ぜた事件が記されています(ルカ13:1〜5)すなわち、ピラトによるユダヤ人虐殺事件です。その時、主イエスは「あなたがたも悔い改めなければ、みな同様に裁かれます」と語っておられます。その意味は、「聴衆であるあなたがたも罪を悔い改めなければ、ガリラヤ人同様の神の裁きを受けることになりますよ」ということです。
 ★従って、この「実を結ばないイチジクの木のたとえ」で主が聴衆に訴えたいことは、父なる神は罪の悔い改めとその悔い改めの実を人々に求めておられるということです。

T.このたとえ話は誰に向かって語られたか
 ★先ずは、主が「子供たち」(マタイ15:24〜26)と呼んでおられるユダヤ人(イスラエル民族、神の選民と言われる人々)です。
 ★次に、地球上に生を受けたすべての人々です。
 ★そして第三に、主イエスがお遣わしになった使徒たちから福音を聞かされ信じた私たち異邦人クリスチャンです。


U.罪の悔い改めとその実とは何か
 罪とは

 ★罪とは、聖書に表された神の御心にそむく思い、言葉、行いのすべてです。その神の御心は旧約聖書の十戒に要約されていますが、その十戒に対する違反が罪であり(ローマ7)、その罪と裁きから私たちを救うために人となられた神の御子イエス・キリストは私たちの身代わりに十字架の死刑を受けて下さったのであり、このイエス・キリストを救い主と信じる人は誰でも罪を赦され、永遠の命を与えられるのです(ヨハネ3:16)
 悔い改めとは
 ★罪の生活から180度方向変換をすることであり、神の御霊の助けによってキリストを信じて神の子供として新しく生まれることです。
 
悔い改めの実とは
 ★信仰と聖霊の御助けによって御霊の実を結ぶことです。その実については、ガラテヤ書5:22,23に書かれています。

 
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」ガラテヤ人への手紙5:22,23

V このたとえ話の教え
 神が私たちの所有者、主人、主権者であること

 ★聖書の神は天地万物の創造主であり、私たちが認めようが、認めまいが、私たちの主です。従って、主なる神の御心を知って、主の御心にかなう生活という実を結ばねばなりません。
 ★ところが、大多数の世の人々は、この神さまに服従することを快しとせず、神への反逆を重ねています。彼らが進化論を喜んで信じる理由はただ一つ、進化論が人も動物も神なしに進化を続けていると教えており、進化論の立場に立てば神を信じなくて済むし、神の命令を無視出来ると思込んでいるからです。


 主である神は私たち人間に期待しておられること
 ★何を期待しておられるかというと、神を喜ばせる実を結ぶ人生を私たちが歩むことです。
 ★主を十字架にかけたユダヤ人にも、その罪を悔い改めて、イエス・キリストこそユダヤ人の待望していたメシヤ(救世主)ご自身であることを信じて神との平和を得てもらいたいのです。
 ★偶像礼拝者である日本人のすべてに、偶像の背後にいる黒幕であるサタンの支配から脱して、まことの神、主の下に立ち返ってもらいたいのです。
 ★すべてのキリスト者にその名にふさわしい上記の御霊の実
(ガラテヤ5:22,23)を結ぶ生活を歩んでほしいのです。言いかえるなら、キリストに似た品性を結び、キリストの香りを放つ人格形成に励み、今いる家、職場、教会、近隣で地の塩、世の光としての役割を果たす人間であってほしいのです。
 ★従って、何らかの業績をこの世で上げることを主は私たちに求めておられるのでなく、私たち自身の人格をキリストの形に生涯をかけて刻んでいってほしいのです
(ロマ8:29)
 ★次の主のみ言葉はこのたとえ話を理解する上で注目すべき言葉です。

「私に向かって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけんが、入るのである。その日には、多くの者が、私に向かって『主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』というであろう。そのとき、私ははっきり、こう言おう、『あなた方を全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』と」 マタイ7:21〜23

 ★聖霊の賜物
(Tコリント12:4〜11)を発揮して力あるわざを行う者が、必ずしも聖霊の実を結んでいる成長したキリスト者であるとは限りません。聖書の中で預言者(Uペテロ2:16)とも占い師(ヨシュア13:22)とも呼ばれているバラムがその実例のひとりです。

 主なる神は忍耐して待っておられるが、忍耐にも限界があること
 ★イチジクの木の所有者であられる父なる神は、3年待っても実を結ばないその木を無用の長物として直ちに切り倒すことを命じておられますが、園丁としての救い主イエス・キリストはあと1年の猶予を求めて父なる神にとりなしの祈りを捧げておられます。
 ★主なる神の忍耐は御子キリストのとりなしの祈りによって実現しているものであり
(ヘブル7:24,25)、キリストのとりなしがなければ、私たちはとうの昔に裁かれているのです。


結び
 ★このイチジクの木はブドウ園という恵まれた環境に、神に期待されて植えられた特別な木です。ブドウである選民イスラエルとは違った味のある異邦人クリスチャンに特別な期待を込めて、主なる神は私たちを地上の神の御国である教会に植えられたのです。
 ★神は私たち異邦人クリスチャンに特別な期待をもって、御霊の実を結び、キリストに似た品性という実を結ぶ時を待っておられます。父なる神の期待に反してその生活に何の実りも見られないならば、主に呪われて枯れたイチジクの木のような運命が待っています
(「枯れたイチジクの木について」)。



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キリスト紀元2010年 11月 28日公開

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