ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
   ★筆者から2 JR福知山線脱線事故に思う
  
★閲覧者から1 K姉のメールと信仰の証し「神の愛は勝つ」
  ★筆者から3 随想「私に委ねられた伝道の任務」


★このページの目指すところ


 先月(05年 1月 28日)パソコンが故障し修理に出している間に、このようなページの必要性を思い、設置することにしました。
 故障によって10日余りの間、不本意ながらパソコン休暇を過ごしている内に、このHP公開からの約1年半を振り返り、今後の計画を練り直すことができ感謝でした。
 このページは制作者兼管理人の筆者と閲覧者の皆様との交流・交わり・交歓を目指します。掲示板という道具立てもありますが、今回の故障期間のような管理人不在状態の中で当HPの意図にそぐわない内容の書き込みをされる場合もありうるので、当分は掲示板は使用しない積りです。
 筆者は、このページに閲覧者の皆様へのお知らせやその時々の思いなどをつづる小文などを載せて行きたいと考えています。読者の皆様においては当HPについての感想や関連するご意見や信仰の体験談や証しの短文を軽い気持ちでお寄せいただけると感謝です。その際、匿名希望であれば、そのことを明記してください。未信者、求道者、キリスト者、牧師・伝道者の別、性別・年齢くらいは明記していただきたいと思います。
 当HPの目的である「人をキリストに導く」ことに資する内容であれば、当HPに対する批判.・要望も取り上げて行きますから、遠慮なく忌憚のないご意見、ご感想、ご所感をお寄せください。

★今後の希望
 閲覧者の中のキリスト者で、ご自分の証しを公開したい方々のために、証し集のページを設置したいと思っています。その内容が、当HPと直接関係がなくても、信仰の証しであれば勿論構いません。その証しがすでにウェブ上に公開済みのものであれば、リンク集1キリスト者の証し欄にリンクという形になります。



筆者から
 キリスト紀元2005年 2月 10日

 
このHPはウェブサイトという形の路傍伝道のようだと思っています。不特定多数の人々の元に発信していますが、その中のごくわずかな読む目のある人々の目にとまり、その人の人生に何らかの影響を与えることができれば、そして何より未信者の方々が救われるなら、それに優る喜びはありません。



筆者から2
  JR福知山線脱線事故に思う

 キリスト紀元2005年 4月 30日

 ★2005年4月25日にJR福知山線快速電車が脱線した事故で死者はついに107名に達したと新聞・テレビが報じていました。一人の未熟な運転手の操作ミスが未曾有の大惨事を引き起こした訳ですが、事故の原因の調査や事故の背景に関する報道から浮かび上がって来たことは、どうやらJR西日本の特殊な体質に事故の重大要因が隠されているらしいということです。更なる徹底した調査が行われ、日本ばかりでなく世界の鉄道の安全に役立ててほしいものです。
 ★亡くなられた方々を主の御手に委ねつつ、遺族の皆様に心からなる哀悼の意を表明し、心の痛みと悲しみが速やかに癒されますようにお祈いたします。また、怪我をされた方々の一日も早いご回復と従来通りの日常生活への復帰を祈ります。
 ★人災、自然災害を問わず、大勢の犠牲者を伴う大災害が起こるたびに思うことは、人はいつなんどき死に巻き込まれるか分からない、人間は死と隣り合わせに生きていることを自覚しなければならない、だから、いつ死んでもいい準備をしていなければならない、ということです。イエス・キリストが世に来られ、十字架にかかり、死んでよみがえられたのが、まさにこの死に打ち勝つ「永遠の命」を私たちに与えてくださるためであると言う真理に目を開いて頂きたいということです。聖書の教えを忠実にたどる限り、人は死後、罪を悔い改めて救われるチャンスは全くないのです。地上に生きている今が救いの時なのです。「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(
2コリント6:2)
 ★もう一つは、23歳の運転手の運転操作の誤りが107人の尊いいのちを奪ったように、一人の行いが多くの人々の命運にかかわることがしばしば起こるということです。アダムの罪の結果が全人類に及んだと証言する聖書の教えが真実であることを分かってほしいのです。医者は患者の命を、教師は生徒の将来の人格形成を左右する立場にあることを自覚してほしいのです。医者や教師だけでなく、すべての職業の人が、身近な隣人に対して、また家庭にあっては子に対して親が重大な影響力をもっていることを自覚して頂きたいのです。
 ★さらにもう一つ付け加えて置きます。このHPの熱心な閲覧者の一人から先ごろ電話を頂きました。この方は事故の起きた福知山沿線にお住まいの方で、同じ町内から今回の事故による4,5人の犠牲者が出て、葬式で大忙しだったとのことです。この方が仰るには、今回の事故発生から今に至るまでに、電話・メール・ファックス・手紙等による問安は息子さんの一人を除いて、親類・縁者・教会関係から一通もこの方の所に来なかったということです。筆者は先のパソコン・トラブルでメール・アドレスなどの記録を不本意ながら消失してしまい、この方に問安メールの発信が出来ませんでした。
 ★文化庁長官で臨床心理学者の河合隼雄氏がテレビで「自分は不況でうつ状態になっている日本社会を仕事の効率重視社会から文化的価値に目覚めた独創的社会に転換させるために文化庁長官の職に任じられたものと思っている」という事を言っておられました。河合氏が言うには、うつ病は創造的病い(クリエイティヴ・イルネスcreative illness)であり、この病気を契機として新しいものが生まれ、創造されるチャンスでもある、ということです。
 ★私たち一般国民も、こういう憂鬱な不景気な時代だからこそ、自分のことばかり考えないで、人を思いやる姿勢を忘れず、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く者」
(ロマ12:15)であるように努めたいものです。
 ★また、この度の鉄道史に残る大事故の被害者とそのご家族ばかりでなく、すべての泣いている人々、苦しんでいる人々が、その苦悩を契機として死に勝利する永遠の命を人類に与えるために世に来られた神の御子、救い主イエス・キリストを心に迎え入れ、キリストにあって造り替えられ、キリストにある新しい人に生まれ変わってほしいのです。


聖書
 「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。2コリント5:17
 「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ない』」。
 「あなたがた今泣いている人たちは幸いです。今に笑うようになるからです」。ルカ6:21




閲覧者から1 


K姉からのメールと信仰の証し
「神の愛は勝つ」

キリスト紀元2005年 7月 14日
 公開

 ★先日、関西地方在住のK姉ご一家5人が旅行の途中に当教会に立ち寄ってくださり、礼拝を共にして行かれました。お母様、ご本人、娘さん御夫婦、小学生のお孫さんの5人家族全員です。お孫さんに至るまで4代全員がクリスチャンという主に在って宝石のように貴重なご一家でした。当HPによって初めて当教会を知り、来会されました。当方とは初対面でした。
ご帰宅後、早速当ページにメールを送ってくださいました。以下がそのメールです。

 ★K姉からのメール
 全知全能の神様を心から賛美致します。この度は突然家族で東浦三一教会の礼拝に出席させて頂き有難う御座いました。新谷先生の飾らない誠実なお人柄に魅せられました。奥様も謙遜で、親しみ安いお人柄で、すぐさま神様の家族として打ち解けました。 又、先生の聖書に忠実で真髄を突いた内容のメッセージに感動しました。特にバラバの今まで知らなかった本当の意味
(注1・下記)を教えて頂き驚きました。毎週母教会で礼拝を守っていますが、久し振りに霊とまことによる礼拝が出来た気が致しました。一同リフレッシュされて嬉しさ一杯で帰途に着きました。ご当地は因習の硬い(人口過疎にして伝道困難〈筆者加筆〉)地域ですが、福音の種を蒔き続けていればきっと実って刈入れる時が来ると信じます!!本当に有難う御座いました。東浦三一教会の為に微力ながらお祈りさせて下さい。どうぞ健康にもご留意下さいます様に。シャローム(
注2)

 ★私達としては少々ほめられ過ぎで、おもはゆい感がありますが、礼拝を喜んでくださったことは大変感謝です。当教会のための執り成しのお祈りをよろしくお願いします。
 ★注1.その日の礼拝は、ヨハネ福音書18:28〜40をテキストに「ピラトによる主イエスの裁判」に関する説教で、、「バラバの名の語源は『父の子』であり、神の御子イエスが罪を負って下さることにより、バラバのように罪人であり、普通の父の子である私達の罪のあがないが成就したことの雛形(モデル)としてバラバは釈放された」と言うことを語りました。
 ★注2 ヘブル語で「平安がありますように」と言う意味の挨拶のことばです。

 ★続いて、信仰の証しの投稿を依頼しましたところ、快く応じてくださり、下記の証しを送って頂きました。


 ★K姉の信仰の証し「神の愛は勝つ」
 流石新谷先生ですね。早速の返信メール有難う御座います。昨夜のメールは夜半でしたし、普段でも弱い頭脳の上、旅行疲れで眠い目と、働かない頭で、とにかく感謝と御礼を述べようと支離滅裂な文章で済みません(そんなことはありません。上記のメールは99%無修正です。/筆者)。 証しは毎日が感謝の証しですね。沢山の証しの中で、何度も体験したお話をします。

 ★若い頃(今でも若いですが?::)ある中小企業に勤めていました。その会社の社長は熱心な仏教徒で、必ず朝晩仏壇にお供えをして、お経を唱える方です。私がクリスチャンと知ると「クリスチャンは何かにつけ、愛、愛と言うがこの厳しい世の中は愛だけでは渡って行かれへんのや!」と、言って馬鹿にしたり、ことごとく辛く当っていました。ビジネスにおいては、毒舌で相手を泣かせたり、平気で嘘でごまかして、不当な利益を得て、それが又自慢なのです。その反面人様のお世話も良くされていました。・・・と、いっても何かの見返りを計算した上でのアクションなのです。お互いに利用し合っているのですね。一見社長の周りには多くの親友がいらっしゃる様に見受けました。 
 ★その様な汚い裏を沢山見せ付けられ、他の事務員との余りにもひどい差別に耐えられないで、ついに退職致しました。するとどうでしょう!後で解った事なのですが、知り合いの方々に「クリスチャンの事務員はいないかな?」と、あれ程嫌って敵対視したクリスチャンの事務員を求めている事を、友人から聞いて驚きました。二〜三ヶ月してから「コンピューターを他の事務員に教えてやってくれないか・・・」との理由で週に一回が、二回になり、ついに再度勤める事になりました。その後結局二十数年勤めました。その間私達家族もお世話になりました。だんだん社長も年を経るごとに『寂しい、寂しい,人間て孤独やなあー』あれほど多くの仲間とカラオケや、旅行を楽しみ、財産も多く残して何不自由ない人生(栄華を極めたソロモン並?)だと思いますが、今では過去にあざ笑った私達の家族を羨んでいます。何度か教会にもご一緒しましたが、
 ★やはり仏教が・・先祖を粗末にする事が出来ないようです。 社長は常に「わしを生んでくれた親や先祖があるから、現在のわしがあるんや・・先祖が守ってくれてるから、毎日仏壇に手を合わせて感謝してるんや」と、言われますので 私は
 ★「その親や、ご先祖をたどっていくとどうなるでしょうね?一番初めの人間を創られた方がいらっしゃるのではないでしょうか?現に母親の胎内に宿っている赤ん坊など、親がお腹の中にいる赤ちゃんの顔や、手足を好み通りに造れますか?やはり目には見えないお方が創造されたのだと思います。宇宙やこの自然界も偶然ではこれだけ精巧には出来ないです。その方を私達は神様と信じているのです」と何度もお話しましたが、理論では理解出来たようですが、悲しいかなやはり先祖様から離れられないようです。
 ★真の神様を信じるってなかなか出来ないものですね。やはり聖霊が必要なのですね。私のような者が選ばれた事を何よりも感謝しています。
今では「あんた達の神さんが勝ったな」と、言って下さいます。そうです!真の神様の愛、イエス様の十字架の愛が最後には勝利するのですね。色んな所で何度もこの経験を致しました。その内のワンフレーズのお証しでした。

 ★世の光・地の塩として堅実なクリスチャン生活を歩んで来られたK姉の尊い証しを感謝します。なお、K姉のご希望により匿名と致しました。



筆者から3

随想 「私に委ねられた伝道の任務」
キリスト紀元2005年 7月 14日 公開

 ★
4年前の2001年5月に当地に参りました時、神戸ナンバーの車が町中を走っているのを見て、「神戸の車がこんなに沢山、橋を渡って来ているなら、当地の伝道の見通しは明るい」などと、甘い考えに浸っておりました。しかし、この見通しが大間違いであることに気付かされるのにそう時間はかかりませんでした。というのは、少なくとも現在の淡路市全域が(ひょっとしたら淡路島全域が)神戸ナンバーであることに気付かされたのです。考えてみれば、いや、考えるまでもなく明石海峡大橋の通行料の異常な高値(普通車片道2600円)のもとでは、神戸の車がそうちょくちょうくこちらに渡って来れる訳がありません。
 ★郵政民営化関連のニュース解説を見ていましたら、当地淡路市全体が人口過疎地帯として色分けされていました。最初から分かっていることではあっても、何とも悔しい思いがします。明石海峡大橋の通行料が今の半額にでもなっててくれれば、多少対岸の神戸・明石地域から人が移動しやすくなり、移住してくる人々も出てくるだろうに、と思うからです。
 ★市町村合併で市に格上げされたとは言え、中身は変わらないどころか、年々人口が数は多くは無いが減りつつあるという現実があるのです。とはいえ、私たち夫婦はこういう実情を大まかに認識した上で、自分たちのついの住処とし当地を選んだのですから、あせらずこつこつと御言葉の種まきを続けるのみです。なぜなら、伝道によって人が救われる時ばかりでなく、人が御言葉を聞いて拒絶する時にも、神の栄光は表され、神は私たちのその実らない働きをも善しとされるからです。

 ★「私たちは救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストの香りである。後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては。命から命に至らせる香りである」
(2コリント2:15,16)。
 ★
筆者は約40年前日本キリスト改革派教会で御言葉の教師としての按手礼を受け、それ以来、曲がりなりにも牧師・伝道者の務めを果たしてきました。これからも、生きる限りこの務めを果たして行きたいと願っています。なぜなら、この務めは御言葉(エゼキエル3:17〜21)を通して神から与えられた私の任務であり、どうしても、辞めること出来ない使命だからです。
 ★「私が福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、私はそうせずにはおれないからです。もし、福音を宣べ伝えないなら、私は災いである。進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは、私に委ねられた務めなのである」
(1コリント9:16,17)
 ★
ですから「わが思い通りにではなく、神の御心が最終的に行なわれますように」というのが、私の祈りです。救いに定められた人々が(使徒13:48)、少数ではあっても(マタイ7:14)救われることが神の御心であることが、聖書によってはっきりしていることなので(2ペテロ3:9)、何の心配もありません。
 ★上記1コリント9:17の後の18節で筆者パウロは言っています。「それでは、その報酬な何であるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、私が宣教者として持つ権利を利用しないことである」。
私も現在、どこからも援助なしで年金だけで生活しながらの伝道です。しかし、将来教会が建ち、牧師給が払えるほどになれば、頂こうとは思います。しかし、このまま自給伝道者でい続けることが御心ならそれも結構と思っています。その時は、パウロと同様に、来るべき世で神の報いを得ることができるという望みがあるからです。

 ★聖書 「兄弟たちよ。私はすでにそれ(最終的救いの完成)を捕らえたとは思っていない。ただこの一事に努めている。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」
(ピリピ3:13,14)





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