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   主イエスのたとえ話

  
〈32〉一家の主人のたとえ

 聖書 「51あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」とこたえた。52そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。マタイ13:51,52


はじめに
 ★このたとえ話はたった1節(52節)という短いものなので、たとえ話の中に数えられずに、見過ごされることが多いのですが、主イエスのたとえ話の一つであることには間違いないので、ここで取り上げることにしました。
 ★日本語訳聖書のこの節も、前回の「忠実なしもべと不忠実なしもべのたとえ」(ルカ12:35〜48)の場合同様、残念ながら翻訳における不十分さが見られます。
 ★このマタイ13:52の英語訳はキング・ジェームス版を始め筆者の手元にある英語現代語訳のすべてに訳出されている「宝」という言葉が日本語訳聖書にはどれにも訳出されていません。筆者が現在、日々のデボーションで読んでいる英語版聖書 New International Version のマタイ13:52は次のようになっています。本文と私訳を並べてあげておきます。

He said to them,“Therefore every teacher of the law who has been instructed about the kingdom of heaven is like the owner of a house who brings out of his storeroom new treasures as well as old”.

「彼は言われた、『それだから、天の御国について教えられた律法の教師は、自分の倉の中から古い宝と同様に新しい宝を取り出す一家の主人のようなものです』」。

このたとえから学ぶこと

 
T.天の御国の福音を信じるすべてのキリスト者はキリストの弟子であると共に御言葉の学び手かつ教師であらねばならないこと

 ★このたとえで学者、律法の教師と訳されている言葉は、主イエスを訴える口実を探すためにいつも主イエスの言動に注目していた人々、そしてついに祭司長らと一緒になって主イエスを十字架にかけた人々を指す名称と同一です。主はキリストの弟子たちは天の御国の学者でなければならない、と言っておられます。
 ★旧約時代の律法の学者がどのような任務を与えられていたかを知るには、律法の教師であり預言者であったエズラについての次の聖句によって知ることができます。

 
「エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた」。エズラ7:10

 律法は広い意味で聖書全体のことですから、新約時代の聖書の学者、すなわち天の御国の弟子となったすべてのキリスト者は『み言葉を学び、これを行い、人々に教える聖書の教師』でなければならないと言うことになります。

 ★聖書の教師と言っても、すべてのキリスト者に聖書学校や神学校の教師となれと要求するのは非現実的であり、主イエスのみ心でもありません。
 ★ただ、
 「また、あなた方のうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(Tペテロ3:15後半)。

 とのみことばに従って、聖書を忠実に学んで、非キリスト者、未信者、求道者の質問に難なく答えられる心の備えが出来ている程度の聖書の学び手であることを主は望んでおられるのです。

 ★エズラは律法の教師であると共に実行者でした。天国の福音の教師もみことばの忠実な学び手であると同時に実行者でもあらねばなりません。そして、キリストの弟子になる条件は今まで自分にとって宝であったものを捨てて、命をかけてキリストに従って行くことです。

U.天の御国の福音を証しする旧新両約聖書は宝物であり、旧約は古い宝、新約は新しい宝である

 ★旧約聖書と新約聖書とが分割されて2冊の本になって売られることもありますが、これは単なる便宜上のことで、聖書としては旧新両約聖書は一体であって、実質的には2つに分けることは出来ません。
 ★主イエスは「聖書(つまり旧約聖書)はわたしのことを証ししているのだ」と語っておられます(ヨハネ5:39)。旧約聖書はキリストとその福音が奥義として隠された書物です。この意味で旧約聖書は古い宝です。

 
「その言葉の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義はあなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」。コロサイ1:26,27

 ★新約聖書は神の福音そのものであられるキリストが明確に表されているという意味で新しい宝です。

 それから弟子たちの方に振り向いて、ひそかに言われた、「あなた方が見ていることを見る目は、幸いである。あなた方に言っておく。多くの預言者や王たちも、あなた方の見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなた方が聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。ルカ10:23,24

 ★畑に隠されていた宝をたまたま発見した人のように、求めていなかったにもかかわらず、キリストが自分の救い主であることに気付いた人も、良い真珠を探していて、やっとの思いで高価な真珠を見出した宝石商人のように、必死に救いを求めてついにキリストの救いを発見した人も、自分の全財産をはたいてそれを手に入れようとします(マタイ13:44〜46)。

 ★そのように、キリストの天の御国が人が一生の間に手にすべき最高の宝であることに気付いた人は自分の命と全財産を捨てて、キリストに従うのです。

V.倉から宝を取り出す一家の主人

 ★キリストの天の御国という宝は、自分の倉にしまいこんだままで一人でほくそ笑むべき類の宝ではなく、自分の心から取り出して日常生活の中で人々に伝達せずにおれない類の宝物です。
 ★この同じマタイの13:24〜30に出てくる毒麦のたとえの中に出てくる「一家の主人」は明らかにキリストご自身を表しています。従って、このたとえでも「一家の主人」とはキリストのことであり、天国の弟子となったみ言葉の学徒であるキリスト者は、キリストに似た者であるということをこのたとえは言おうとしています。
 ★私たちキリスト信仰者の中に聖霊によってキリストが住んでおられるので、キリストの御霊によって私たちは旧約聖書という古い宝の中から預言され隠されたキリストを取り出して人々に証しし、また新約聖書に明確に証言された十字架と復活のキリストを証しするのです。


聖書
 「生きているのは、もはや、私ではない。キリストが私の内に生きておられるのである」。ガラテヤ2:20
 「そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべてのことを信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。こう言って、モーセやすべての預言者たちから始めて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、解き明かされた」。
ルカ24:25〜27


結び
 
★私たちキリスト者はキリストという宝を内側に入れた土の器です。この土の器が御名のための苦しみを通して砕かれる時、その割れ目を通してキリストの福音の宝の光が輝くのです。



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キリスト紀元2010年 4月 1日公開

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