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   主イエスのたとえ話

  
〈20〉ミナのたとえ タラントのたとえ

聖書
 〈ミナのたとえ〉
 ★人々がこれらの言葉を聞いている時に、イエスはなお一つのたとえをお話になった。それはエルサレムに近づいて来られたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。それで言われた、
 ★「ある身分の高い人が、王位を受けて帰って来るために、遠い所へ旅立つことになった。そこで十人の僕を呼び、十ミナを渡して言った、『私が帰ってくるまで、これで商売をしなさい』。ところが、本国の住人は彼を憎んでいたので、後から使者を送って、『この人が王になるのを我々は望んでいない』と言わせた。
 ★さて、彼が王位を受けて帰って来た時、誰がどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕達を呼んで来させた。最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナ儲けました』。主人は言った、『良い僕よ、うまくやった。あなたは小さいことに忠実であったから、十の町を支配させる』。次の者が来て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五をミナ作りました』。そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町の頭になれ』と言った。
 ★それから、もう一人の者が来て言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。私はそれをふくさに包んで、しまって置きました。あなたはきびしい方で、お預けにならなかったものを取り立て、お蒔きにならなかったものを刈る人なので、恐ろしかったのです』。
 彼に言った、『悪い僕よ、私はあなたの言ったその言葉であなたを裁こう。私が厳しくて、預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈る人間だと、知っているのか。では、何故私の金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、私が帰って来た時、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。
 ★そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている者に与えなさい』と言った。彼らは言った、『ご主人様、あの人はすでに十ミナもっています』。
 ★『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。しかし、私が王になることを好まなかったあの敵どもを、ここに引っ張って来て、私の前で打ち殺せ』」。 ルカ19:11〜27


 タラントのたとえ〉
 ★「また天国は、ある人が旅に出る時、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラント与えて、旅に出た。
 ★5タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、他に5タラントをもうけた。しかし、1タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
 ★だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰って来て、彼らと計算をし始めた。すると5タラント渡された者が進み出て、他の5タラントを差し出して言った、『ご主人様、あなたは私に5タラントをお預けになりましたが、ご覧の通り他に5タラントもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかな物に忠実であったから、多くの物を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。2タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたは私に2タラントをお預けになりましたが、ご覧の通り他に2タラントもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかな物に忠実であったから、多くの物を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
 ★1タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、私はあなたが、蒔かない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで、恐ろしさの余り行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ご覧下さい。ここにあなたのお金がございます』。
 ★すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたは私が、蒔かない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、私のお金を銀行に預けておくべきであった。そうすれば、私は帰って来て、利子と一緒に私の金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取り上げて、10タラント持っている者にやりなさい。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っている物までも取り上げられであろう。この役に立たない僕を、外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』」。
 マタイ25:14〜30




はじめに
 
主がミナとタラントの二つの類似したたとえを語られたことは、このテーマが私たちキリスト者にとって重要であることを示しています。


T.これらのたとえの要約と2つのたとえの比較

 A.二つのたとえの共通する内容の要約

 ★ある人が旅に出るに当たってしもべ達に財産を分け与え、これで商売をするように命じた。旅から帰った主人はしもべ達と決算をして、もうけを上げた者をほめ、怠けた者をこらしめ、持っている物も取り上げ、一番多く稼いだ者に与えた。

 B.ミナのたとえとタラントのたとえの比較
 ★相違点

ミナのたとえ タラントのたとえ
・人々が神の国がすぐにでも現れると思っていたこと
・主人は身分の高い人で王位を受けるために旅に出る
・10人のしもべ達に1ミナづつ預けられる
・10ミナ儲けた人に10の町の支配を5ミナ儲けた人には5の町の支配が委任される
・本国の国民がこの人が王になることを望まないことと、その国民が滅ぼされること
・主人の旅の目的は語られていない
・しもべ達には能力に従って、あるものに5タラント、ある者に2タラント、またある者には1タラントが預けられる
・5タラントもうけた僕と2タラントもうけた僕は全く同じ賞賛の言葉をかけられる
・役立たずのしもべは外の暗闇に追い出される


U.二つのたとえの共通の教え

 A.キリスト者生活は神の賜物の管理人の生活である

 1. 神の賜物の管理人の責任は、まず神を知り、神の御心を知ることである
 ★管理人は賜物の管理を始める前に、賜物を授けてくださった主の御心を知り、主ご自身をよく知る必要があります。主の賜物、主の財産であれば、主ご自身が喜ぶ仕方で管理しなければならないからです。
 ★主イエスの弟子のマリヤがほめられ、マルタが忠告を受けたのは、マリヤがまず主の御心を知るために、みことばに熱心に耳を傾けたのに対し、マルタは主の御心を知ることより、主をもてなすことの方を先に考えたことにあります
(ルカ10:38〜42)
 ★また、世の終わりの日に、主のために大きな働きを沢山したのに、主から「私はあなたを全く知らない。」と言われる人々が出るのはこのためです
(下記参照)。すなわち、主と主の御心とをよく知ろうとしないで、従って、自分の心と品性とをみことばと御霊によってみがいて、日常生活で良きサマリヤ人の生活を送ることが先決問題であることを知らないで、「主のために」と言って仕事の実績を上げることばかりに夢中になっていたからです。

 ★「私に向かって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいます我が父の御旨(みむね)を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、私に向かって『主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。その時、私は彼らにはっきり、こう言おう、『私はあなた方を全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」(マタイ7:21〜23)

 
★たとえ主のための仕事であっても、仕事で実績をあげることより、キリストに似た品性を自分のうちに造りだす努力をしてくれることを主は私たちに望んでおられるのです。

 2.神から預かった賜物で商売をして儲けを出すということは、聖書全体の教えから判断して、まず第一に日常生活の中で良いサマリヤ人の行いができるような人間性を自分自身の中に養うことである
 ★与えられた賜物を用いて多くの実を結び、実績を上げると言うと、誰もが使徒パウロを思い浮かべ、自分には到底無理だと思い勝ちです。しかし、、誰もが伝道者であるわけでなく、パウロのような賜物も使命も与えられている訳ではありません。
 ★これに対して、使徒行伝9:36に出てくるタビタ(またの名をドルカス)のような働きなら誰にでも出来ます。主の女弟子タビタは多くの老いたやもめ達のために下着や上着を作る奉仕をしていました。
 ★良きサマリヤ人やタビタのように隣人愛を日常生活の中で、隠れた所で見ておられる主に対して行うように実践すること、これが賜物を使って地上で商売をするということの本当の意味です。


 3.この世で神の賜物の管理人として良く努めた者は、来るべき世で更に多くの賜物の管理人に任ぜられる
 ★上記のような生き方で地上生活を生きた者は、小事に忠実な者とみなされ、来るべき世では、大きな働きに用いられる人とされるのです(ルカ16:10)
 ★「この世の生活は、来るべき世、すなわちキリスト再臨後に再創造される新天新地での新にして真の生活に備えるための人生道場である」と言うのが、これら二つのたとえと聖書全体の根底にある教えです。
 ★従って、私たちは賜物の真の所有者であり、私たちの主であるキリストの御心に従って、自分自身を整え、準備して行かねばなりません。

 B.持っている者は更に与えられ、持たない者は持っている物まで取り上げられる
 1.どんな賜物も能力も使って磨かないと、使い物にならなくなります。車などの機械ものも、人間の身体もこまめに動かし使っていないとすぐにさび付いてだめになってしまいます。霊的賜物も、肉体的、精神的賜物同様に使ってみがけば伸びるし、使わず磨かないと成長は止まります。
 2.ミナを風呂敷に包んでしまっていた人、タラントを地に埋めて使おうとしなかった人は、ミナ、タラントという主の財産を預かっていながら、「あなたは預けない物を取り立て、蒔かないものを刈る酷い人だ」と決めつけています。これは、「自分が持っている財産・賜物は主から預かったものではない、自分の物だ。私が自分のものをどう使うかは、私の勝手だ。私に干渉しないでほしい」と言っているのに等しいのです。この態度は主人を憎み、主人が王になることを望まず、宗主国に使節を送った本国の民(ユダヤ人)と同じ態度です。
 ★聖書は
「人が為すべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である」(ヤコブ4:17)
と言っています。積極的に犯罪行為を行わなくても、為すべき務めを怠る事は罪なのです。



V.ミナのたとえの教え
 1.しもべ達みなに等しく1ミナづつ預けられていること

 ★永遠の命は、地上の命・人生と同様すべての信徒に等しく平等に与えられています。しかし、これを用いて使徒パウロのように偉大な働きを成し遂げる人もいれば、「良いサマリヤ人」や「金持ちとラザロのたとえ」のラザロのように人目に隠れたところで善行に励むことによって、主に高く評価される人もいます。また、アブラハムの甥ロトのようにソドムの町から命からがら、かろうじて救われる人生を送る人もいます(創世記19章;Tコリント3:10〜15)。これは、人それぞれの能力によるばかりでなく、それぞれの人生観や信仰によると言えます。

 2.1ミナで10ミナもうけた者は、10の町を、5ミナもうけた者は5つの町を支配する者に任じられる
 ★地上の生活で、主の賜物の忠実な管理人としての生活をまっとうした人は、来るべき主の再臨後の新天新地で主によって重く用いられることを、この言葉は言い表しています。
 
「小事に忠実な人は大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」(ルカ16:10)/〈6〉不正な家令のたとえ参照
 ★地上生活で誰が10ミナもうけたか、誰が5ミナもうけたかを判定なさるのは主ですから、その日、私たちは「先のものが後になり、後のものが先になる」
(マタイ20:16)という主のみことば通り、全く予想外の結果に驚かされることになるでしょう。

 3.主を憎み、その支配に服さない者は滅ぼされる
 ★主イエスの時代に、ヘロデ大王の息子アケラオがユダヤの地を治める王位を受けるために、遠くローマに旅立った時、ユダヤの国民がカイザルに「我々はこの人が王になることを望んでいない」という意思を伝えるために使節団を送った、と言う史実があります。主イエスはこの史実をもとにこのたとえ話を語られたのかもしれません。
 ★ミナのたとえで王位を受けて帰ってきた王が、
「私が王になることを好まなかったあの敵どもを、ここに引っ張って来て、私の前で打ち殺せ」(ルカ19:27)と言っているように、主イエスの再臨後、主イエスを王として崇め、その支配に服さない者は皆、永遠に裁かれることが定まっています。
 ★世の人々は、「キリスト以外に救いなし、キリストを信じない者は死後裁かれる」と言う言葉に反発します。また、教会側も世の人々に遠慮してこの真理を堂々と世に向かって宣べ伝える教会は多くありません。しかし、「キリストを信じる者は永遠の命を受け、信じない者は死後さばかれて地獄に落とされる」ことは、聖書が明確かつ断固として宣告する真理なのです。



W.タラントのたとえの教え
 1.能力に応じた働きが期待されていること

 
★5タラントで5タラントを、2タラントで2タラントをもうけた僕が共に全く同じ賞賛の言葉を主人から受けていることは注目に値することです。
 ★それぞれが、持てる力をフルに働かせて稼いだものは、他者と比較して多少の違いがあっても、主の目には等しい価値があるとみなされるのです。

 2.忠実なしもべは主人と喜びを共にする者となる
 ★聖書は
「あなた(主なる神)の御前には満ち溢れる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」(詩篇16:11)
と言っています。主の賜物の良き管理人として豊かに実を結ぶ人生を送った者は、主の御前で永遠の命を喜び楽しむ者となるのです。


結び
 ★ミナのたとえは取税人の頭のザアカイが悔い改めて主イエスを信じた出来事(ルカ19:1〜10)の直後に語られました。このたとえ話によって主は、信仰を告白した者は、その後の生活において行いで実を結ぶことによって自らの信仰を実証し、クリスチャン品性を確立して行く責任があることを示しておられます。
 ★タラントのたとえは、花婿を迎えに出てゆく10人のおとめのたとえ
(マタイ25:1〜13)の直後に語られています。これは、花婿であるキリストの再臨を迎える準備の「ランプの油の備え」は、主から預かった財産の賢明にして忠実な管理によって、豊かな内面性を磨き上げ実を結ぶ人生を送るためには、御霊と御言葉が欠かせないことを語っています。



URL http://31church.net
キリスト紀元2005年 11月 30日公開

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