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      メッセージ

9〉人を赦す方法

 ★「もし人を赦さないならば、あなた方の父も、あなた方の過ちを赦してくださらないであろう」マタイ6:15
 ★「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはならない」エペソ4:26,27
 ★「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐は私のすることである。私自身が報復する。』と書いてあるからである。」ローマ12:19
 ★「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。私があなた方を休ませてあげよう」マタイ11:28
1ペテロ5:7

 ★隣人が自分に無礼な言動を行い、あるいは罪を犯し、自分の感情を害した時、それにどう対処したらよいかについて考えて見ましょう。聖書に従って
(マタイ18:15〜17)、まず、一対一で当人をいさめます。その時、相手が素直に謝れば、楽に赦せるのですが、相手が我を張って謝らない時、相手を赦すことは難しくなります。神の前では自分の罪を懺悔しているキリスト者が人にはなかなか素直に謝らないということがあるのです。神には感謝しても、人にはなかなか感謝のことばが出てこないのと同様です。
 ★その場合、相手に対する怒りを持ち続け、相手を赦さない心の状態を持ち続けることは、クリスチャンとして非常に不健全な状態を招くことになる、危険なことなのです。上記エペソ書の「憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。」とは、その警告のことばです。
 ★「憤ったまま日が暮れる」状態が続くと、悪に対する義憤という本来罪のない感情が、人への恨み、赦さない心という罪の思いに変質するのです。「人を赦さない者は、父なる神も赦してくださらない」とみことばが断言していますから、隣人の罪が原因で自分が断罪され、キリストの救いを失う結果になるという悲劇が起きるわけです。
 ★ですから、私たちクリスチャンは、今日一日の怒りの感情を今日中に処理しておかなくてはなりません。国でも、町でも、家庭でも、一日のごみをその日のうちに処理しておかないと、腐敗して悪臭を放ったり、ゴキブリやねずみを大量発生させる原因ともなります。
 ★キリスト者が人への恨みを抱き続けると、聖霊を悲しませ、キリスト者としての喜びや平安や輝きが失われ、悪霊を心に住まわせる霊的暗黒状態に落ち込むことになります。
 ★そこで、この悲劇を避けるため、人を赦す聖書的方法を考えましょう。私たちの救いの根源はキリストにありますから、人を赦す方法もキリストのうちにあります。キリストはご自分を十字架にかけた人々について、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないからです。」と祈って赦されました
(ルカ23:34)。罪の懺悔もしていない彼らを赦しておられるのです。そして、最終的裁きと復讐の権利を父なる神の御手にゆだね切っておられるのです。
 ★私たちも同様に、キリストの十字架のあがないの故に、相手の罪を赦し、相手への怒りと復讐権を、明け渡すべき重荷として、主に全く明け渡し続けて行かなくてはなりません。「続けて行かなくてはならない」とは、これは大方一回だけの決断で済む処理作業ではないからです。何度も舞い戻ってくる恨みと憤りの感情とのある程度の継続的戦いの期間があるからです。そして、その戦いは、恨みと赦さぬ心の肉の思いとの戦いであると共に、恨みや赦さぬ心と言う悪臭を放つごみに住み着くネズミのような悪霊との戦いです。そして、この戦いは、ほどなく主にあるわれわれの側の勝利で終わる戦いです。
 ★インマヌエルなる主との絶えざる交わりの中に歩む時、「私が聖(きよ)くあるようにあなた方も聖くありなさい」
(1ペテロ1:15,16)と言われる主のみことばに聖められて、このようにして日々主と同じ姿に聖化されてゆくのです。
メッセージ〈6〉悪魔に機会を与えてはならない ご参照



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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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