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     メッセージ

〈6〉悪魔に機会を与えてはならない

怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはならない。(エペソ4:26,27)
 
 ★クリスチャンも悪霊の被害者になることがあります。聖書が教えるその原因には、神と共に過ごす時間を犠牲にせざるを得なくなるほどこの世に関わり過ぎること(
1コリ7:31)、また上記のみことばが警告するように「悪魔に機会を与えること」があげられます。
 ★「悪魔に機会を与える」の「機会」という語「トポス」は場所、座席という意味もあります。「自分の心の中に悪魔が居座ることのできる場所や座席を提供してはならない。」ということです。悪魔に場所や座席を提供することになる心の隙間にはどんなことがあるのでしょうか。
 ★サタンは罪と悪の創始者ですから、クリスチャンの心に悔い改めて捨て去っていない隠れた罪や悪があるなら、それが悪魔のつけ入る場所となります。その中で一番多いのが人を赦さないことです。人を赦さない思い・恨みが心の奥底に潜んでいるとそこを嗅ぎつけたサタンがその場所を足がかりや取っ手にしてその人を悩ませ苦しめ、その人の心の自由を奪います。
 ★主イエスが語られた「友人を赦さなかった下僕のたとえ」の中で、このしもべの「主人は立腹して、負債全部を返すまで、彼を獄吏に引き渡した」
(マタイ18:34)とあります。この獄吏が実は悪魔なのです。人を赦さない者は父なる神様にも赦されることなく(マタイ6:15)、サタンの手に渡され、心の自由を奪われ、人への恨みの中で悶々と暗い人生を歩むことになります。
 ★ある教会の礼拝の中で、一人の中年女性信徒が信仰の証をしました。その中で、彼女は「私は夫を殺しました」と言うのです。ギョッとなって満場の聴衆が静まり返る中で、彼女は続けました。「私は別居している夫を憎んでいます。聖書は人を憎むものは人殺しだと言ってますから、私は人殺しに当たります」。聴衆はホッとしたのですが、残念ながら彼女の口から最後まで、「私は、この夫を今は主にあって赦しています」という告白を聞くことが出来ませんでした。
 ★私たちクリスチャンは、自分自身の心をキリストに服従させることのできる権威をもっていることを自覚してその権威を実生活で用いることを学ぶ必要があります。第二コリント10:5に「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物(悪しき思想、習慣など)を打ち壊し、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ」とあります。口語訳の「すべての思い」のところは、新改訳では「すべてのはかりごと」と訳されていますが、ここで「はかりごと」と訳されているギリシャ語「ノエーマ」はピリピ4:7では口語訳共々「思い」と訳出されています。私たちは主イエスの御名の権威によって
(マタイ28:18)自分の不従順な心をとりこにして御言葉に服従させることができるのです。もちろん、信仰と祈りによってです。赦さぬ心をいだいたことを懺悔しつつ、「主イエスの御名によって、引き下がれサタン」とサタンに退去を命じ、「わが心よ、主のみことばに服従せよ」と自分の心に命じるのです(詩篇116:1で「わが魂よ、主をほめたたえよ」と詩人の霊が自分の魂〈精神〉に命令しているように)。そして、「主にあって私は彼(彼女)を赦します」と宣言し、「聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」(ローマ5:5)ことを信じて、口で告白し、サタンが退去した後の心の隙間が神の赦しの愛で満たされることを祈り続ければ、その通りになってゆくのです(マルコ11:24;マタイ21:21,22)。これこそ、私たちクリスチャンの日々実践すべき信心(敬虔)のための訓練・鍛錬(1テモテ4:7)の一つです。信仰をもって実践してください。主の祝福がありますように。



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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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