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     メッセージ

〈33〉自給伝道者の誇り

聖書
 6それとも、私とバルナバとだけには、労働をせずにいる権利がないのか。7いったい、自分で費用を出して軍隊に加わる者があろうか。ぶどう畑を作っていて、その実を食べない者があろうか。また、羊を飼っていて、その乳を飲まない者があろうか。8私は、人間の考えでこう言うのではない。律法もまた、そのように言っているではないか。9すなわち、モーセの律法に、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」と書いてある。神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。10それとも、もっぱら、私たちのために言っておられるのか。もちろん、それは私たちのためにしるされたのである。すなわち、耕す者は望みを持って耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである。
 11もし私たちが、あなた方のために霊のものをまいたのなら、肉のものをあなたがたから刈り取るのは、行き過ぎだろうか。12もし他の人々が、あなた方に対するこの権利に預かっているとすれば、私たちはなおさらのことではないか。しかし私たちは、この権利を利用せず、かえってキリストの福音の妨げにならないようにと、全てのことを忍んでいる。13あなた方は、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、祭壇に奉仕している人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかることを知らないのか。14それと同様に、主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって生活すべきことを、定められたのである。
 15しかし私は、これらの権利を一つも利用しなかった。また、自分がそうしてもらいたいから、このように書くのではない。そうされるよりは、死ぬ方がましである。私のこの誇りは、何者にも奪い去られてはならないのだ。16私が福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、私はそうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、、私は災いである。17進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは私に委ねられた務めなのである。18それでは、その報酬は何であるか。
福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、私が宣教者として持つ権利を利用しないことである。  Uコリント9:6〜18

はじめに

 ★聖書の神は「宣教という愚かな手段によって信じる者を救う」
(Tコリント1:21)方法を用い、地上にキリスト教会を立て、牧師・伝道者を任命されました。
 ★人が人に福音を伝え、教え導くにはそれなりの資金が必要です。神は、主を信じる人々の献金によって福音伝道事業を開始し、継続させる道をとっておられます。伝道に直接従事する者も、これを献金によって支援する者も、それぞれその行いによってによって祝福され、神の民として成長するのです。

T、主なる神の伝道資金計画
 
A.旧約聖書時代
 ★上記9〜13節にある通り、神の神殿(宮)に仕える祭司やレビ人と言われる人々は、イスラエル民族の納める十分の一の捧げものを仕事と生活の資金としていました。
 
B.新約聖書時代
 ★新約聖書の時代から今日までは、上記14節にある通りキリスト信徒の捧げる献金によって、牧師・伝道者は生活を支えられ、それを伝道の資金とすることを定められました。今の福音派教会の多くが献金は収入の10分の1だと教えていますが、当サイト
キリスト教案内(19)献金についてで述べているように新約時代(今日)のキリスト教会では信徒は自分の信仰と生活状態に応じて献金額を決めることが出来ます。決して10分の1にこだわる必要はありません(Tコリント16:1,2;Uコリント9:1〜15)

U、使徒パウロの伝道資金
 A.パウロの伝道資金

 ★パウロは開拓伝道者であり、献金による支援者のいないところで伝道活動をする必要上、他の教会からの支援金に頼って伝道活動を行いました。しかし、他教会からの献金の援助に頼らずに伝道活動をするべき事情が起きて来ました。それは、一つには、ユダヤ主義者という福音の敵にパウロに対する非難・中傷の根拠を与えないためでした。
 
B.福音の敵ユダヤ主義者のパウロへの非難
 ★ユダヤ主義キリスト者は「救われるためには割礼を受ける必要がある」と主張し、福音の真髄である信仰による救いを無にする、呪われるべき異端者たちでした。彼らは、パウロが他の教会から資金援助を受けて伝道していることを理由に「パウロは他の教会から奪った金で伝道している」と非難していました
(Uコリント11:8〜9)。今日の世の宗教者たち(仏教や神道や新興宗教の関係者)が金儲けのために働いているように、「パウロの伝道活動の意図は金儲けにある」と当時の福音の敵達はパウロを中傷していた訳です。そこで、彼らの口を封じる必要がありました。
 
C.パウロの自給伝道の他の理由
 ★当時、世の終わりが真近だから、仕事をしないでキリストの再臨を口を開けて待って居ようという人たちがいたので、「働かない者は食べではならない」
(Uテサロニケ2:10)ことを自らの手本で示す必要があったようです。
 ★また、一般信徒に「伝道は伝道者に任せて置けばいい、私たち信徒は献金するだけでいいのだ」という考えを持たせないために、一般人と同レベルの仕事(パウロの場合は天幕作り)をしながら伝道活動にいそしみ、一般信徒に働きながら伝道する生活の模範を示す必要がありました。

V、パウロの自給伝道者としての誇り
 A.パウロの伝道の動機

 ★上記16節でパウロは、「伝道せずにはいられない」と言っています。つまり、他者に強いられてしているのでなく、心の内側から湧き出て来る意欲によって、やむにやまれぬ思いから伝道しているのだと証ししています。
 ★この思いはすべての救われたキリスト者に共通する心境であって、パウロ一人のものではありません。ただ、その思いが強いか弱いかの違いです。
 ★主イエスが
「受けるよりは、与える方が幸いである」と言われたとパウロは言っています(使徒20:35)。この言葉通りの主の御言葉は福音書に見出せませんが、この言葉が真実主イエスの言葉であることはルカ6:38(下記)の主ご自身の御言葉と主の地上生活の生き方によって証明されています。

 
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々は押し入れ、ゆすりいれ、溢れるまでに量を良くして、あなた方のふところに入れてくれるであろう。 ルカ6:38

 ★福音伝道意欲に乏しいキリスト者がいるならその人には、伝道の実践をお勧めします。次第に元気と喜びが沸きあがって来ます。福音はキリスト者が世人に与えることのできる最高の宝物です。

 B.パウロの自給伝道者としての誇り

 ★パウロは「誇る者は主を誇れ」
(Tコリント1:31)と言っていますから、パウロの自給伝道の誇りは、自腹を切ってまでして伝道したいという気持ちを与えてくださった主を誇る誇りであると言えます。
 C.自給伝道者の期待する報酬
 ★18節でパウロが述べる自給伝道者の受ける「その報酬は何であるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、私が宣教者として持つ権利を利用しないことである」という言葉は、信仰の若い頃の筆者には理解に苦しむ言葉でした。「福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、宣教者として持つ権利を利用しないこと」がどうして自給伝道者の受ける報酬だと言えるのだろう。
 ★しかし筆者自身、自給伝道者として長年働いてきて、最近になってつくずく分かってきました。
 ★晩年のパウロは主の御名の故の獄中で次のように述懐しています。

 私は、すでに自身を犠牲として捧げている。私が世を去るべき時は来た。私は戦いを立派に戦いぬき、走るべき行程を走り尽くし、信仰を守り通した。今や、義の冠が私を待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。私ばかりでなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人々にも授けて下さるであろう。  Uテモテ4:6〜8

 ★人は誰でも、名実ともに無報酬では働く意欲は無くなります。パウロが期待していた自給伝道の報酬は、上記にある通り、主イエスの再臨の日に主ご自身から受け取る義の冠にありました。
 ★この義の冠はノーベル賞やそれに類する地上の栄誉のように、地上のわずかな賞金(世的には大金かも知れませんが天で受け取る宝に比べるならわずかなはした金でしかありません)朽ちる冠ではなく、朽ちることのない永遠の重い栄光であり、
新天新地でキリストと共に支配者の座に着くことなのです。

 
だから、私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされて行く。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、溢れるばかりに私たちに得させて下さるからである。私たちは、見える物にではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは、永遠に続くのである。 Uコリント4:16〜18

 
勝利を得る者には、私と共に私の座に就かせよう。それは丁度、私が勝利を得て私の父と共にその御座に就いたのと同様である。 黙示録3:21

 ★使徒パウロのように主に習って、み名のために苦しみに耐える生活を送った者たちは、キリストと共に支配者・審判者の座に就くのです。キリスト再臨後の新天新地に支配者たちがいるということは支配される民もいるということです。パウロのように主のみ名のために苦難に耐えたキリスト者が支配者の座に就くなら、アブラハムの甥ロトのように命からがらやっとの思いで救われる人々は、支配される民の一人となることでしょう
(Tコリント3:15)
 ★新天新地でキリストと共に支配者の側に立つなどということは、あまりに大きな栄誉で今の私たちには想像もつかない光栄です。

結び
 ★筆者も、自給伝道者のはしくれですが、筆者の場合は偉大なる使徒パウロのように、働かないで有給伝道者の道をいつでも選択できる立場にありながら、あえてその特権を捨てて天幕作り牧師(英語のTent-making Paster 自給伝道者のこと)を続けたのと違って、若気の至りで改革派教会を自主退会し(とはいえ、今もって後悔はしていませんが)、生活のため万やむを得ず、タクシー乗務員や学習塾自営などをしながら何とか伝道者の道を歩み続けて来た者です。
 ★筆者のような、主の御前にふつつかな自給伝道者でも、最近はパウロ程の偉大な栄冠でなくとも小さな栄冠を頂ける望みを持てるようになりました。
 ★アメリカの某福音派教会牧師の書いた本を読んでいたら、牧師としての給与をもらえなくなったら牧師をすぐ辞めるとのその牧師の本心を吐露していましたが、そのような心境に至ったことが一度もなかったことは、牧師・伝道者として誠に幸いであったと思っています。



URL http://31church.net
キリスト紀元2008年 7月 1日公開


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